『それでも夜は明ける』


アカデミー賞作品賞受賞作品。『SHAME-シェイム-』のスティーヴ・マックイーン監督。1853年のソロモン・ノーサップによる伝記を原作とした実話なので、『SHAME』とはだいぶ作風は違うけれど、撮影の仕方はなんとなく同じような部分もあった。主演だったマイケル・ファスベンダーは今作にも出ています。

以下、ネタバレです。





『SHAME』でキャリー・マリガンが歌うシーンのような、顔の表情を映しつつ、全体を映さなくてもその表情から読み取れるような描写が今作でも使われていた。
他にも長回し(か、長回しに見えるように編集されている)が多く、絞首刑のシーンは特にすごかった。つま先でかろうじて地面につきながらも、首は縄につながれた状態で放置されているソロモン。本当にぎりぎりの状態だけれども、その後ろでは、何事もないように、他の人々が仕事をしている。位置的に、気づいてい ないわけはない。助けると自分たちも罰を受けるのがわかっているから助けられないのだ。この様子がかなり長い時間(に思えたけれど、実際はどれくらいだったのだろう)の長回しで撮影されていたのが怖かった。自分もその場に居て、目の前にリアルな現実がつきつけられたようだった。それはいままで全く知らなかったことで、衝撃を受けたのと同時に、本当に恐怖を感じた。

マイケル・ファスベンダー演じる農園主がソロモンの肩を組んで、ランタンのようなライトをつけているシーンはポスターや宣伝材料写真としても使われているけれど、てっきり和解したシーンなのかと思っていた。実際は、尋問めいたことをするシーンだった。ここも長回しが使われていた。ここでのソロモンを演じるキウェテル・イジョフォーの、恐怖と失望と諦めの入り混じった演技が素晴ら しかった。

マイケル・ファスベンダーはかなり怖い役だった。笑った時の目尻の皺がとても怖い。罪悪感のかけらも感じてなさそうだった。
ブラッド・ピット演じるカナダ人の友人?が奴隷制に対しての疑問を投げかけた時も、自分の所有物なのに何がいけないの?と邪気がない感じだった。
最後に保安官がソロモンを連れ戻す時も、「俺の所有物だぞ!訴えるぞ!」と何も理解していない様子だった。もう根本的な考え方が違うのだ。だから、理解してもらえない。どうしようもない。それが絶望的な気分にさせられる。

パッツィーを演じたルピタ・ニョンゴはさすがのアカデミー助演女優賞受賞。心を殺して農園主に従っている様子、殺してくれと涙ながらにソロモンに懇願シーン…、彼女のシーンはすべて引き込まれた。
特に終盤の罰を与えられるシーンは、彼女の訴えには何一つ悪い箇所はないし、それでもそんな目に遭う理不尽さに悔しい想いがした。しかも、ソロモンに鞭をふるわせるという所業を見て、涙が出た。映画を観て、感動以外の涙を流すのは久しぶりだった。
そのあと、傷の手当をされているパッツィーがソロモンを何も言わずにじっと見るシーン。その瞳に宿っているのは怒りだが、それは、鞭をふるったソロモンに対する怒りではなくて、なんであの時に殺してくれなかったの?という怒りだった。やりきれない。

映画を観終わったあとで、怒りだけではなく、なんだかわからない正義感みたいなものもわいてきた。そして、『それでも夜は明ける』という邦題に対しても、ソロモンは解放されたけれど、他の人たちはまったく何も解決してないし、夜なんてまったく明けていない!と憤ってしまった。
こんなことなら原題のままでいいし、どうしても日本語にしたいなら、直訳の『12年間、奴隷として』で良かった。

しかし、もしかしたら“なんの状況も変わらないのに(それでも)容赦なく朝はくる(夜は明ける)”という暴力的な意味なのかもしれない。どのような意図をもってつけられた邦題なのかはよくわかりませんが、こっちの意味ととらえたい。

他の役者さんたちについてですが、ベネディクト・カンバーバッチはちょっとずるいですね。生まれながらの気品が漂っていて隠しきれない。また、昔の貴族みたいなファッションが似合う。穏やかな低音ボイスも素敵だった。

そこで働いているのが、ポール・ダノなんですが、こちらは育ちの悪い役柄で、人を苛つかせるいつもの感じだった。
登場シーンから、奴隷たちに手拍子をさせて自分は差別的な歌を唄うという本当に悪い奴で、でも、そのむかむかする感じがいつものポール・ダノだったのでニヤニヤしてしまった。
怒ったソロモンに蹴られているときは、ごめんなさいごめんなさいと下手に出て、あとで子分をつれて仕返しにくるのも、すごくポール・ダノだった。一人では無理っていうこの小物感、ハマり役でした。

音楽はハンス・ジマー。『インセプション』の最後のシーンで使われた曲っぽいのがあった。静謐ながらも、綺麗というよりは内に秘めたものが感じられる曲が多かった。

農作業のつらさを和らげるために、作業をしながら唄っていたというプランテーションソングもいくつか使われていた。
エンドロールで劇中に賛美歌として使われた“Roll Jordan Roll”が流れるのは、亡くなった方々への鎮魂の意味も含まれているのかもしれない。

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