『素粒子』



2007年公開。ドイツでは2006年公開。『アグネスと彼の兄弟』のオスカー・レーラー監督。これもトム・シリング目当てで観ました。
原作小説がある作品ですが、監督が同じなので、『アグネスと彼の兄弟』と作風が似ている。こちらも兄弟が主人公。兄も弟もなにかと人生がうまくいかない。異父兄弟で、母親は子供を置いて出て行っているので、やはり親に問題があるのではないかと思ってしまう。

今作も自然な感じで悪いことが起こって行くというか、ほんの少し決断が遅れたことや、勇気が出なかったことが取り返しのつかない結果に繋がって行く。観ていてもそれは納得する行動で、私でも同じことをするかもしれないと考えてしまう。だから共感し、その結果を想い、胸が痛くなる。途方もない話ではなく身近な悲劇が描かれている。

弟ミヒャエルについては、プロムのようなダンスパーティーで幼馴染みから誘われた時に踊れば良かったのではないかと思う。あの場面で断っていなければ、もっと早くアナベルと親密になっていたかもしれないし、そうしたらアナベルだって遊び歩くようなことはしなかったかもしれないし、そうしたら病気にもならなかったかもしれない。
ただ、その頃は勉強に没頭していたし、ダンスをどう踊っていいかもわからなかっただろうし、彼にとって遠い世界のできごとだったのだろう。
それに、あの場面で踊ったとしても、親密になるとは限らない。親密になったとしても、アナベルが孤独感を抱かないとも限らない。遊び歩かなくても、他の要因で病気になるかもしれない。その先の無数の選択が良い方向に進まないと結局結果は同じになってしまうかもしれない。

兄ブルーノは、クリスティアーネが車いす生活になってしまったときに、一緒に暮らせるかと聞かれて口ごもってしまった。あの場面で、一緒に暮らそうと言えていたら、また、そのあとの電話がもう少し早ければ、クリスティアーネが身を投げることも無かっただろう。
ただ、あの場面で一緒に暮らそうとは言えない気持ちもよくわかる。これから付き合って行こうと思っていても、まだ出会ってそれほど時間が経っていないのだ。この先の人生を思えば戸惑うのも当たり前だと思うし、その後、電話をする勇気がなかなか出ないのもわかる。
それでも電話をかけたのだ。本当ならば、ここまで人生に行き詰まっていた人物が勇気を出したら、それが報われて、この場合クリスティアーネが電話に出て、めでたしめでたしとなるところではないか。だけど、ならない。もう悔やんでも悔やみきれない事態が起こる。

歯車が上手い具合に噛み合うことなんて実はそうそうない。噛み合わない場合の方が圧倒的に多い気がする。そっちのほうが印象に残るからかもしれない。だから、共感してしまうし、胸にぐさぐさと刺さる。

それでも、原作は違うらしいですが、この映画はハッピーエンドなのだと思う。ミヒャエルは結局アナベルと一緒にいることを決めたようだった。
そして、ブルーノを病院から海へと連れ出すシーン、海辺に四つ椅子が並べてあって、ミヒャエル、アナベル、ブルーノが座っているが、一つは空いている。クリスティアーネの椅子なのはわかる。ここで、アナベルが「あなたたち二人もアイスランドに来ない?」と誘う。ブルーノにはクリスティアーネが見えていて、ミヒャエルとアナベルもそれに合わせてあげているのだ。
映像で直接描かれているわけではないけれど、二人は病院からブルーノを勝手に連れ出したわけではないだろう。ちゃんと医者にブルーノの症状というか、事情を聞いて、全て了解した上で外へ誘ったのだ。
何も言わないで合わせてあげる、この優しさが家族ならではだと思う。

最後に、ブルーノは生涯入院生活だったが幸せだったようだという文章が出て、もう彼が幸せならばそれでいいのではないかと思った。思春期の悲惨な体験の数々の話も前半に出てきたし、もう充分酷い目に遭っている。無理に真実をつきつける必要なんて無い。医者からも、ミヒャエルとアナベルからも、そんな優しさを感じた。

『アグネスと彼の兄弟』よりもこちらのほうがストーリーが重めだったり厳しかったりするけれど、ブルーノを優しく包み込むような終わり方が優しかった。クリスティアーネは実際にはいなくても、もう彼は孤独じゃない。

ブルーノ役は、『アグネスと彼の兄弟』でセックス依存症の兄を演じていたモーリッツ・ブライプトロイ。この映画でもクリスティアーネに会うまでは性欲に支配されている、似た感じの役だった。モテなくて、女性との距離のとり方もいまいちわからない。この役者さんがそういう役がうまいのか、オスカー・レーラー監督がそんな役で使いたがるのかわからないけれど、よく合っているし、うまい。他の出演作を見ていると、『ワールド・ウォーZ』なんかにも出ていて驚いた。

トム・シリングは過去のミヒャエル役。プロムで踊れない役ですね。眼鏡をかけていて、神経質っぽい役だった。『アグネスと彼の兄弟』のような悪ガキとはまったく違う。でも、暗さがあったり、悩みを抱えてそうな役なのは共通している。『コーヒーをめぐる冒険』でもそうだった。内面をすべては見せていない。これはこの俳優さんの味なのかもしれないし、魅力的だと思う。彼の出演作がもっと観たい。今回はあんまりジェームズ・マカヴォイには似てませんでした。

ブルーノが過去の話をするとき、ミヒャエルが過去を思い出す時、色鮮やかな映像で語られる。きっと、育児放棄にも見えるけれど、母親のことも恨んではいないんだろうなと思う。

観たあとで、この映画のジャケットを見ると初めて意味がわかる。椅子が五つ並んでいて、ミヒャエル、アナベル、ブルーノ、そしてクリスティアーネが座っていて、一番後ろの椅子には若かりし日の母が座っている。とても、母親らしい恰好ではないけれど、一番後ろに椅子が配置されているのが、なんとなく全員を見守るような形になっている。
歪な形でも、どうしようもなくても、家族として繋がりを感じて泣ける。

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