『サード・パーソン』


『クラッシュ』のポール・ハギス監督。
予告を見ると、パリ・ローマ・ニューヨークの三都市が舞台らしいのと、リーアム・ニーソン、エイドリアン・ブロディ、ジェームズ・フランコの三人が出るのがわかる。おそらく、三都市それぞれに一人ずつ配置しての大人のほろ苦ラブストーリーなのだろうなと思っていた。なぜか、オムニバスだとも思っていた。

実際は群像劇だったんですが、それだけではなくて、思っていた話ともだいぶ違いました。

以下、ネタバレです。






ネタバレとは言っても、完全に理解しきれてないと思うので私の解釈です。

スコット(エイドリアン・ブロディ)の話はローマなんですが、マイケル(リーアム・ニーソン)はパリのホテルにいるとして、リック(ジェームズ・フランコ)はニューヨークなのか、ちゃんと場所名が表示されるわけではないのでいまいち自信がなかったけれど、消去法でニューヨークかなと思った。その他に、子供の虐待疑惑がかけられているジュリア(ミラ・クニス)の話という4つが同時進行している。時間帯が同じようだったので同日同時間かもしれない。

最初に、プールに入れずたたずむ女性とスマートフォンが水に落として使えなくなってしまうシーンなどが映り、水がモチーフなのかなとも思った。それぞれが、少し不吉な印象を残す映像だった。

それぞれの話は淡々とした日常のように進んでいて、何の話なのかよくわからない。ただ、人物に密着をした描写の仕方で、それぞれがいきいき動くので、何が起こるというわけではないけれど、見ていて飽きない。これはポール・ハギスの味なのかもしれない。

観ていくと、どの話にも子供が関わって来ているのに気づく。ただ、スコットは携帯に保存しているメッセージと写真だけで、どうやら今は奥さんと別れたのか、会えないらしい。ジュリアも虐待疑惑のために子供に会えない。リックは子供が家にいるけれど、どうもうまくいっていないらしい。マイケルに関しては不明。

その内、ジュリアが清掃員として働くホテルがマイケルが滞在しているホテルだったり、ジュリアの元夫がリックだったり、少しずつ人物が交錯していき、やっぱり群像劇はおもしろいなと思う。

しかし、リックが住んでいるのはおそらくニューヨークなのにジュリアはパリのホテルで働いているとか、スコットが電話している別れた妻がエレインだったりと、話が矛盾していく。エレインはスコットともマイケルとも結婚していたのかなと思ったけれど、プールで子供が泳いでいて目を離した隙に…というエピソードがかぶる。かぶるのに、スコットとの子供は娘でマイケルとの子供は息子だ。

マイケルの愛人アンナはマイケルの日記を盗み見し、「なんで自分のことなのに、“僕”じゃなくて“彼”って書くの?」と聞く。
作家であるマイケルの担当編集者はマイケルが自分の私生活を切り売りして小説を書いていることに苦言を漏らす。
つまり、日記は純粋な日記ではなく小説のネタ帳みたいなものなのだ。

スコットとエレインの不可解なやり取りは、実はマイケルの小説の中でのことなのだ。“彼”と三人称(サード・パーソン)にすることで、あたかも自分のことではないようにしているが、子供のエピソードも重複の仕方からして、現実に起こったことに少し手を加えただけである。リックはマイケル自身の投影なのだ。

リックとジュリアの子供の名前がジェシーで、マイケルの子供の名前もジェシーなので、これもマイケルの創作なのだろう。ただこの場合、マイケルの投影はリックではなく、息子に会いたくても会えないという立場のジュリアなのかもしれない。そうすると、虐待疑惑から「私はやってない!」という叫びがマイケルももがきにも感じられる。リックの息子のジェシーも「Watch me.(見ててね)」と言うことからも、これが創作なのがわかる。

最初のシーンで、小説を書いているマイケルがどこからかの「Watch me.」という子供の声に振り返る。もちろんそこには誰もいなくて幻聴です。

それで、実際には何が起こったのかを整理すると、マイケルとエレインにはジェシーという息子がいて、ジェシーはマイケルに泳ぎを見てもらおうとする(「Watch me.」)。しかし、電話がかかってきて、マイケルが目を離し、そのせいでジェシーは溺死してしまう。
マイケルはエレインに、仕事の電話だったと嘘をつくが、本当は愛人であるアンナからの電話だった。
アンナは自分がかけた電話のせいでマイケルの子供を溺死させたと知り罪悪感を抱え、それが父親にもバレ、父親はそれで弱みを握って、アンナと関係を持った。
おそらく、このような感じだと思う。

だから、映画の中でどれが現実でどれがマイケルの創作なのかがごちゃごちゃになるんですけれど、アンナはいると思う。父親とアンナのエピソードを小説に書いたのがバレて振られた話は現実だと思うから。ただ、アンナとのエピソードもすべてが現実に起こったことなのかわからない。特に、最後のローマでエレインと電話しているシーンのアンナはいないと思う。マーケットの本屋みたいなところにマイケルの日記が置いてあるわけはないので、日記を読んで呆然としているアンナはたぶんパリのホテルかどこかでのことでしょう。関係が破綻したあと一人でローマに来たのだと思う。

エレインもいる。けれど、エレインとスコットの電話での会話はなかった。
出版社の人もいるのだろう。だから、マイケルの小説が一作目以降売れていないのも事実なのだと思う。
サード・パーソンというタイトルだから、実際にマイケルが関わっているエピソードはすべて現実なのかもしれない。
スランプに陥って、死んだ息子のことや、愛人が父親と関係を持っていることなど、すべてを書いて、妻や愛人、編集者から、人格すら疑われている作家の話なのだと思う。ただ、「Watch me.」という幻聴は鳴り止まないようだったので、マイケル自身も罪悪感で少しおかしくなってしまっているのかもしれない。

ジュリアがリックに許してもらうのは、自分のことも許して欲しいという表れなのかもしれない。でも、結局、そのリックの想いはジュリアには伝わらないというラストにしたのも、マイケルの苦悩がわかる。

スコットはモニカと車で逃げて、はっきりとは映らないけれど、後部座席にどうやらモニカの子供が乗っている。細かいエピソードはすっ飛ばしてのハッピーエンドになっていて、なんか途中で面倒になった感じまでが伝わって来る。

それぞれのエピソードの意味がしっかりとは理解できていないと思うし、最初の不吉な水モチーフは子供の溺死と関わって来ているのはわかるけれど、細かいヒントが各所にちりばめてありそうだし、もう一度観たら、もっといろいろな発見がありそう。

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