『トム・アット・ザ・ファーム』


グザヴィエ・ドラン監督/主演。ミシェル・マルク・ブシャールの戯曲が原作になっている。登場人物が少なく、その一人一人がとても濃いのに納得。話もとっ散らからずコンパクトにまとめられている。舞台は広大な農場だけれど。
また、ドラン、ブシャールともにカナダのケベック州出身で、物語の舞台もケベック州となっている。

以下、ネタバレです。









最初にボールペンの先を水に浸して、青いインクがじわっと広がる映像が出るんですが、それがとても綺麗で泣きそうになる。紙ナプキンに詩のようなものを書いていて、それはあとで死んだ恋人にあてた弔辞だと判明する。グザヴィエ・ドラン自身も、作品のアイディアや思ったことを紙ナプキンにメモする癖があるらしい。

登場人物はトムと死んだ恋人ギョームの母と兄のほぼ三人。誰の本心もわからないし、三人は上手く噛み合ない。ただ、三人とも、ギョームが死んだことでの喪失感は同じだと思う。

ただごとじゃない気配を感じてトムは序盤で逃げようとするんですが、結局引き返すことになる。普通だったら、Uターンする車を外部から映しそうなものですが、このシーン、車内のトムの表情だけをずっと映し続けてる。日光の当たり方が変わるので明らかにUターンしているのがわかる。この時の本当は帰りたいし帰った方がいいこともわかっている、面倒なことに首をつっこみたくはないけれど、中途半端なまま帰るわけにはいかないという覚悟を決めたドランの表情が素晴らしく、監督主演だけど顔がいいだけではないか…と疑っていたけれど、この人は演技もうまいのだと驚かされた。

両側が農場で真ん中に真っ直ぐな一本道が通っていて、そこを車で戻って行くシーンは、絶望的な気分になる。
走って逃げようとするシーンもあるんですが、もう到底無理なんですよね。トウモロコシの葉は体を傷つけるし、兄の方が農場を周知しているからすぐに捕まってしまう。

トムが償うために戻ってきたと言うんですが、償いとはなんだったのだろう。息子さんと同性愛関係だったことに対しての、そしてそれについて嘘をついていたことに対しての償いだろうか。

牛の出産を手伝って血だらけになった手を見て泣き崩れていたので、もしかしたらトムがギョームを殺してしまったのかとも思ったのですが、そんな話は最後まで無かった。事故死らしいので、そのときにトムも一緒にいたのかもしれないし、そこで血を見たのかもしれない。もしくは、事故死とはいえ、間接的に殺してしまったのかもしれない。作中での言及はありません。本当に牛の出産にびっくりしただけかもしれない。

兄に対しても、素性が少しずつわかっていくので、映画自体にミステリー要素も加えられていると思った。
家に来たトムを殴り、母には恋人だったとは言うなと脅す様子は、過剰なホモフォビアなのかもしれないが、同時にホモセクシュアルでもあるのではないかと思った。
そもそも、弟のことを同性愛者だと言われたからと言って、相手の口を裂くまでの暴力はやりすぎだ。弟に対して、どんな感情を抱いていたのかも結局わからない。

また、トムに対しても、暴力をふるって農場に縛り付けても、縛り付ける原因はなんだったのだろう。
田舎で広大な農場に母と二人というのは、もう何の希望もなかったのだろう。そこへ来たトムに手伝わせて、彼のことが好きになっていったのではないか。出て行った弟の代わりと思っていたのではないか。

兄が弟に対しての愛情をすり替えるようにしてトムに押し付けていたのかもしれないが、トムもギョームへの気持ちを兄にすり替えることをまったくしていなかったとは思えない。
香水に対してもそうだけれど、二人でタンゴを踊るシーンと、兄がトムの首を絞めるシーンは、そんなつもりがないのかもしれないけれど、トムがとても色っぽくなっていた。

もちろんお互いに憎しみがあったとは思うけれど、それだけではない、何か愛情に似たものも芽生えていたのではないかと思う。

あの人には俺が必要なんだとか、レーザー式の搾乳機を買ってあげなくちゃとか話していたトムは、目つきがおかしくて見た目にもおかしくなっているのがわかった。この辺の演技もグザヴィエ・ドランのうまかった。ストックホルム症候群なのか、同情なのか。でも、恋愛感情はまったくなかったのだろうか。

最後、兄は「俺にはお前が必要だ!」と叫んで、半狂乱でトムを探していた。それは本心だとは思う。でも、トムを捕まえたら殴るだろうし、きっともう二度と逃げないように繋いでおくだろう。
だから、同情する気持ちや恋愛感情があったにしても、トムが意を決してあの家を出たのは正解だったと思う。ドラッグもやっていたし、兄がまともでないことは確かだった。おそらく、トムの力で救うことはできない。

母親も母親で、たぶんトムを息子代わりに思っていたのだろう。また、家に来ない息子の恋人に対して、怒りをあらわにしていた。母親なら当然だと思う。目の前にいる僕が恋人ですよと伝えられないトムはつらく、悲しかったと思う。
実際のところ、母に直接話したらどうなっただろう。案外、普通に受け入れてくれるのではないかと思ったけれど、兄のあの猛反対具合を見ていると、ホモフォビアというのはもっと根深いものなのかもしれない。
カトリックとか保守的な土地柄というのもあって、同性愛なんて考えられないのかもしれない。ましてや、高齢の、実の母親である。私自身、LGBTへの嫌悪感というのが本当にわからないのでなんとも言えないけれど。

ギョームの遺品を、母、兄、偽の恋人サラ、トムが囲むシーンは、ここも序盤のUターンシーンと似てるんですが、四人の表情のみを映していく。母以外は事実を知ってるんですよね。そこで、各々が微妙な、何か言いたそうな、気まずそうな表情をしている。とても舞台っぽいアプローチでもあった。そして、その何かがおかしい、嘘をつかれているのではないか、と気づいた母親が叫び出す。
母親役の方は、舞台版でも母親役をやっていたらしい。

遺品のシーンで、母が「恋人なら遺品を手に取るでしょ!」と怒る。サラはもちろん恋人じゃないからそんな演技はできないし、トムは手にとりたいけれど恋人なのがばれるからとらないし、兄はその遺品のノートに何が書いてあるかわからないのでとらない。でも、最後に逃げる時に、トムはちゃんと遺品をカバンに入れていた。
トムのギョームに対する気持ちも本物なのがわかるし、家からトムと遺品が消えていたら、おそらく母親も気づくだろう。
カバンに遺品を入れるシーンを作るだけで、直接的な説明は何もなくても、いろいろなことがわかる。

また、途中でキャリーバッグが邪魔になったトムが遺品だけをジャンパーの中に入れて、手にスコップを持って歩き出す。そこでも、何はなくとも遺品が大切だというギョームへの気持ちがわかるし、スコップが兄が追いかけてきたときの応戦用で何が何でも逃げなくてはという気持ちをもって家を出たのがわかった。

トムはおそらく、もう少しで兄と母親と農場にとらわれるところだったのだろう。最初はそれぞれ別のことを考えていて、到底わかり合えるはずもなかったのに、暴力と一緒に居ることで情がわいて、トム側が二人に気持ちを寄せたのだと思う。
そんなときに、過去の事件を知るバーのマスターの話を聞いて、正気に戻ったのだろう。それは、知った事実のせいもあるのかもしれないし、二人以外の外部の人間とちゃんと話したせいもあるのだろう。よくぞ、正気に戻ったと思う。

逃げながら寄ったガソリンスタンドで、口を裂かれた男の人を後ろから映すシーンは蛇足かもしれないけれど、あえて会わないというのが粋な感じもする。そのあと、一瞬だけ兄が脱力したように椅子に座っている姿が映ったのはなんだったのだろう。トムが少し思い出したということだろうか。
兄はトムを追いかけてきて、もしかしたら、この店にたどり着くかもしれない。そして、口を裂いた男と再会するのかもしれない。
こんな風にいろいろ考えられるので、やっぱりあって良かったシーンなのかもしれない。

グザヴィエ・ドラン出演作、初めて観たんですが、表情やたたずまいが素敵でフォトジェニック。今回、特にブロンドでゆるいパーマのかかった長い髪が顔を少し隠すアンニュイな雰囲気も良かった。ちょっとヒース・レジャーに似てた。

カンヌ映画祭審査員特別賞受賞作の『Mommy』はすでに2015年4月に日本公開が決まっている。かなり早い対応だし、メディアもこぞってとりあげているし、今回、『トム・アット・ザ・ファーム』の前の予告で日本独占のインタビューまで流れていた。主演作『エレファント・ソング』もすでに公開が決まっているらしい。ちょっと推され方が並ではない。
次々回作はジェシカ・チャステインが主演で英語作品というのも気になる。

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