『ニンフォマニアックVol.1』


四時間超えのポルノだと騒がれていましたが、二部構成にて無事に公開されて良かった。
ラース・フォン・トリアー監督だけれど、語り口はユーモラスだし、舞台作品のような面もあるし、なによりポルノと言われているけれどそれほどどぎつくなく、どちらかというと淡々としていた。そのため、一部と二部を続けて観るのは少し飽きてしまうような気がする。

以下、ネタバレです。







路上で倒れていた女性を初老の男性が助けるところから話が始まる。
ストーリーは初老の男性(ステラン・スカルスガルド)が女性ジョー(シャルロット・ゲンズブール)の半生の話を聞くことで進んで行くのだが、この二人のやりとりがすごく淡々としていて味がある。
また、男性の部屋の中での出来事なので、ワンシチュエーションということで舞台っぽく思えた。

自分のことを色情狂だと言うジョーは、自分に起こった出来事を幼少期から話して行く。色情狂の人の話なので、それなりに過激ではあるんですが、それに対する男性の相づちのうちかたが滑稽。
初体験の時に突かれた数をジョーが「前で3、後ろで5」と言うと、「3+5? フィボナッチ数列だ!」などと返す。
他にも、釣りとか音楽とか文学とか、ジョーの話に対しての例え話がいちいちずれている。博識なのも魅力的だし、そのずれ方が可愛い。でも、どうしてずれてしまうのか。

なんとなく、ジョーの話している内容に対して、現在の部屋の中の二人は淡々としすぎている気がしたのだ。
話の通りだと、手当り次第に男をひっかけてきたジョーは、部屋の中の男性についてはどうでもいいのだろうか。年齢差のせいだろうか?とも思ったし、最初に初老の男性と書いてしまったんですが、ステラン・スカルスガルド、まだ63歳だった。役の上ではいくつなのかわからないけれど、ジョーは50歳という設定みたいなので、それほど年の差も開いてなかった。

また、男性も男性で、そんな話を聞いていてもまったく欲情している感じではなかった。電車の中で何人ひっかけられるかみたいな話をジョーがしている時も、フライフィッシングと一緒だなどと言っていた。

学校に通っているジョーを想像するときも、エロではあったけどコミカルな姿だった。実際その後、自分で笑っちゃってた。エロい子だと思ってないわけではない風なのに、部屋に二人きりでもまったくそんな雰囲気にはなっていなかった。

怪我をしているからか、単純に彼女の話が気になるのか、それとも単に映画の進行上の都合なのか。わからないが、セラピストと患者のようなこの二人の関係が後編でどうなるかも気になる。

ジョーが話すのは自分のセックス遍歴みたいな感じなので、過激ではあるけれど、一回言われていたようなハードコアポルノといった感じとは違う。

先程のフィボナッチ数列のシーンも画面に大きく“3+5”と出たり、オルガンの低音中音高温に例えて三人の男性との関係を語るシーンでは画面が三分割されたり、車の駐車シーンでは図式が出たりと、映像にふんだんに遊びが盛り込まれていた。楽しいし、おしゃれでもある。

四章では病床の父親との別れが描かれるのですが、四章だけがモノクロであり、ジョーの感情を表しているようだった。

三章のミセスHは、話される内容もワンシチュエーションで、より舞台っぽかった。ジョーの部屋に、不倫中の男性と、その妻が三人の子供を連れて乗り込んで来る。ジョーは修羅場を修羅場と思わない感じだったので、ほとんどミセスHの独壇場で、わーわーと喋り倒し、ひっかきまわすだけひっかきまわす様がおもしろかった。子供を使ったコントはずるい。
ミセスH役はユマ・サーマン。本当に年をとっているせいもあるかもしれないけれど、あまりメイクをしてないからか、地味だったからか、最初は気づかなかった。

章ごとにカラーが違っているけれど、シャイア・ラブーフが演じるジェロームは、何度が出て来る。ジョーの初体験の相手であり、おそらく、唯一好きになった相手。
叔父がもっている会社に叔父の代わりで働いているんですが、そのボンボンっぽさがシャイア・ラブーフによく合っていた。
なんとなく二世俳優とか親の七光りっぽいイメージがあったんですが、そうではなくてただ単にスピルバーグの秘蔵っ子というだけだった。Wikipediaによるとご両親は元ヒッピーだそう。
でも、本人はあんまり頭が良くないけれど、育ちの良さとか優雅さが身に付いてしまっている感じが、はまり役だと思った。下品だけれど根本的には上品というか。
撮り方のせいもあるんですけれど、指先の動きとか、細かいところがとてもセクシーだった。

ちなみに、悪い方にはまったのが『欲望のバージニア』。あれも、ボンボンっぽい三男だったけれど、世間知らずや考え方の甘さのせいで、酷い方向へ事態が動いてしまった。

手を引き上げた時に、エレベーターの中で引き上げてもらったことを思い出すのもロマンティックだった。
電車の中のシーンも切なかった。もう会えない彼のことを思って、彼に似てるパーツをいろいろな乗客からさがして、パズルのように頭の中で組み合わせる。
そうやって彼のことを思い出しながら電車の中で…という描写がなければ、普通の恋愛映画でも見かけないくらいセンチメンタルなシーンだった。

ロマンティックといえば、最初のほうで「私に罪があるとすれば、夕日に多くを求め過ぎたこと」というポエティックなセリフも良かった。 過激な面よりも、このようなロマンティックな面と、ステラン・スカルスガルドとのぼけぼけした掛け合いのコメディ面がこの映画のおもしろさだと思うし、好きでした。

シャイア・ラブーフはきっと後編にも出てくると思うので楽しみ。できれば重要な役割で出てきてほしい。ジェロームはジョーにとっても、重要な位置をしめているといい。

でも、そもそもこの話のスタートがすべて終わったあとだったようだし、その時のジョーは路上に倒れていて怪我もしているようだった。表情はすっきりとはしていても、幸せとは言えない状況だと思う。

ジョーの身に何が起こったのかも気になるし、ジェロームとどうなってしまうのかも気になる。それに、ステラン・スカルスガルドとの関係も。このままずっと、観客の代弁者のような位置で、ジョーの話を引き出すだけの役割なのだろうか。



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