『カウボーイ&エイリアン』


2011年公開。タイトルのおかしさというかB級感からは考えられないくらい、主演ダニエル・クレイグ、共演ハリソン・フォード、ポール・ダノ、サム・ロックウェルと豪華。監督も『アイアンマン』のジョン・ファヴロー。
同名のグラフィックノベルが原作らしい。

主人公が記憶喪失というところから始まるんですが、こんなタイトルで、説明を求めたいのはこっちなくらいなのに、主人公まで何もわからないなんてどうなってしまうのかと思う。そして、西部劇っぽいのに、似つかわしくない謎の最新機器のようなものを腕にはめられていて、しかもとれないらしい。
でも、おそらくタイトルからして、エイリアンに付けられたのではないかと推測できる。

このような、西部劇とSFのミックスの仕方が妙でおもしろかった。
ドラ息子(もちろんポール・ダノ)が村のバーでお金を払わず暴れている場面などは普通の西部劇のようだった。村の雰囲気も埃っぽくて、西部劇によく出てくるのと同じだった。
なのに、急にUFOが攻めてきて、人が光に吸い込まれるようにして連れ去られてしまう。
他のシーンでも、普通の西部劇と思って楽しんでると、突然エイリアンが割り込んできて、圧倒的な力で台無しになることが何度かあった。

通常であれば、宇宙人が攻めてくるような映画は、現代だったり、近未来が舞台になっていることが多いが、この映画は1873年という設定である。だから、エイリアンとかUFOという認識がないのか、悪魔と呼ばれている。教会はあったので、キリスト教上の災いをもたらすものという意味でそう読んでいたのかもしれない。

普通に考えて、カウボーイとエイリアンではエイリアンのほうが強そう。文明の差もありそう。大体、空飛ぶマシーンと馬では、馬のほうが分が悪い。だけど、カウボーイの銃や弓で、ある程度の攻撃ができているようだった。

砂漠の真ん中のような乾燥している地帯で、炎天下にエイリアンが出てくるというのも、なかなか珍しいのではないかと思う。町中や、近未来的な建物の中で出てくるのが多そう。そして、圧倒的に夜のシーンが多いはず。この映画では白昼堂々なのが、勇気があると思った。エイリアンはもちろんCGなんですが、その光のあて方なども他の映画と違うだろうし、大変だったのではないかと思う。

荒くれは村を荒らし、住民との間で争いがあったみたいだし、村の住民とアパッチ族も対立していそうだった。ここまでは普通の西部劇と同じである。しかし、宇宙人と認識はされていなくても、何か人類の敵ととらえられる圧倒的な勢力に攻めて来られては、三つ巴になって争っている場合ではない。力を合わせて立ち向かって行く、呉越同舟ものだった。とても好きなジャンルだった。

また、極限状態においての人間ドラマも多くあった。
ウッドロー(ハリソン・フォード)のお手伝いさんのような役割のアパッチ族の青年の想いがちゃんと通じたのも良かった。たぶん、ウッドローはアパッチというだけで気に食わないと思っていたようだったが、最後には理解してもらえていた。
妻を助けるために、銃を持ったことのないバーの主人、ドク(サム・ロックウェル)が銃を教わったけれどうまくいかず、しかし、ここ一番という場面で狙いが定まり、仕留められたのも良かった。銃の扱いを教えてくれた村民に感謝する気持ちと何としても妻を助けなくてはいけないという強い気持ちが伝わって来た。
子供が終盤でナイフを使うシーンがあるのも、しっかりとした伏線回収だった。かなり人間ドラマ側の小さいエピソードはちゃんと作られている感じがして、感動的だった。

ダニエル・クレイグ演じるジェイク・ロネガンに関しても、記憶を取り戻したら、元はロクでもない人物だとわかって、思い出さないほうが良かったのではないかと思った。でも、一度記憶を失うことで、そしてエイリアンと戦うことで、生まれ直しではないけれど、後悔から、もう一度、人生をやり直そうとする意志が感じられた。
ダニエル・クレイグだからかもしれないけれど、ボンドばりの無駄なセクシーシーンがあった。また、シャツの腕をまくって銃を構えている姿も、それだけでセクシーでした。

タイトルから想像するよりも、もっと真面目で大作っぽい内容でしたが、人間ドラマがしっかりしているわりに設定に無理があるから奇妙な印象が残った映画だった。パニック映画、だけど舞台は西部だからみんな武器持ってるよ…という感じだろうか。それもちょっと違う気もする。

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