『二ツ星の料理人』



タイトルから『シェフ 三ツ星フードトラック始めました』と似た感じになるのではないかなと思った。
かつてのやり手シェフがなんらかの原因で落ちぶれ、そこから再起を目指す。
そのおおまかなあらすじは一緒だけれど、アプローチの仕方や結果はまったく違っていた。

ブラッドリー・クーパー主演。ポスターには彼しか写っていなかったので知りませんでしたが、ダニエル・ブリュール、オマール・シー、シエナ・ミラー、エマ・トンプソン、ユマ・サーマン、アリシア・ヴィキャンデルなどなど豪華キャストが揃っている。
監督は『カンパニー・メン』『8月の家族たち』のジョン・ウェルズ、脚本は『イースタン・プロミス』『完全なるチェックメイト』の脚本、『オン・ザ・ハイウェイ その夜、86分』の監督のスティーヴン・ナイト。

以下、ネタバレです。








『シェフ 三ツ星フードトラック始めました』はSNSで失敗をして店を追放される。それで、そこからはフードトラックで各地をめぐるロードムービーになる。キューバ音楽がゴキゲンに流れ、料理も本当においしそうに撮られていて、まさにおしゃれな料理映画という感じ。
息子や友達の力は借りるけれど、あくまでサポート。フードトラックだから店は飛び出して独立するという形で、基本的には一人。
けれど、『二ツ星の料理人』は“みんなで力を合わせること”がテーマになっていた。

確かに、本作でも料理もおいしそうに撮られている。けれど、『シェフ 三ツ星フードトラック始めました』のようにお腹が鳴るとか、おいしそうすぎて身悶えするようなことはなかった。まああれは、おいしそうに食べるジョン・ファブローがずるいとも言える。
本作は料理映画というよりは、スポ根映画だった。店で働く料理人たちはそのままスポーツチームにも置き換えられる。主人公アダムは能力はあるがワンマンプレーが問題の選手。

ライバルが、かつてはチームメイトだった(同じ店で働いていた)というのもスポーツものっぽい。ライバルというのは、互いを認め合っているから対立するのだ。嫌いなわけじゃない。そのあたりの描き方も絶妙だった。
アダムが逃げ出したときに甘える相手は結局はライバルなんですよね。ライバルのリース側もそれがわかっている。
だから、アダムが酷い状態で店に侵入してきても、呆れることはあっても怒ることはしない。朝ご飯のオムレツも作ってあげる。
同じ土俵で争える数少ない人物だから理解し合えるのだ。たぶん、話が通じる相手もそれほどおらず、同じ孤独を抱えているのだと思う。おもしろい存在だと思う。

ライバルの他にも、アダムの店で働くスタッフ(料理人、給仕係)の面々、精神科医、雑誌記者など登場人物が多い。
けれど、『八月の家族たち』の監督だと知って、なるほどと思った。一人一人のバックグラウンドがしっかり見えてきて、キャラクターがちゃんと“生きている”群像劇である。
とっちらからないのはちゃんとアダム中心になっているからだ。省くところは省き、スポットライトを当てるところは当て、という取捨選択がうまい。

ただ、描かれていないだけで、それぞれがいろんな想いを抱えているのがわかる。それを踏まえた上でもう一度最初から観たい気もする。

それこそフードトラックで生計を立てていたデヴィッド(サム・キーリー)はアダムに引き抜かれ、店で働くことになる。狭いアパートに彼女と住んでいて、よくわかっていない彼女に「一ツ星はルーク・スカイウォーカーで、三ツ星はヨーダだ!」とわかりやすいんだかわかりにくいんだか、よくわからない説明をしていた。
たぶん彼はその時には現実味はなかったのだろうけれど、働くうちに、まかない係も担当し、シェフと副シェフがいない間の厨房をまかされたりもし、と確実に成長していた。きっと、もっともっとすごい料理人になるのだと思う。

かつて、アダムに酷い仕打ちを受けたミシェル(オマール・シー)は、おそらくアダムに声をかけられた時から、復讐の機会を狙っていたのだろう。
最初の頃のアダムは「自分のせいだ」を繰り返しつつも周囲に当たり散らし、罵倒も繰り返していた。周囲はそれでも、彼の才能を認めていたから一緒に働いていたのだろう。
けれど、最初からアダムが憎かったミシェルはどうだ。もうずっと、毎日耐えて耐えていたのだろう。それで、最高のタイミングで最大の爆弾を落とした。それが、本当にミシュランなのか、というのは調べる手段もなかっただろうし、もう余裕が無かったのだろう。たぶん、それだけ限界に来ていたのだと思う。
この復讐を受けたアダムが怒るでもなく笑っちゃっていたところに、とてもよく感情が表れていたと思う。完全に自分が悪い。ミシェルがそのような行動に出たのも理解できる。自業自得だ。最初からうまくいくわけなんてなかったんだ。そんな感情がないまぜになった顔だった。

アダムがかつて働いていた店のオーナーの息子、トニー(ダニエル・ブリュール)についても、初登場時の表情から何からもう一度見返したい。
トニーはアダムのことを前から知っていて、少なからず恨んでもいて。だから、目の前に現れたときに、厄介なことになったなと思ったはずだ。
でも、しょうがない奴だなというように服をたたんであげてたし、服のにおいを嗅いでいた?と思ったけれど、しばらく洗ってないとかその辺を気遣っているのかと思った。

でも、シャワーを浴びてる姿を見ちゃいそうになったときに、おっとというように身を隠したんですよね。
そこで、あれ?と思ったら、実はアダムのことが好きだったという…。
「おなかが空いてるなら朝食作ろうか?」「それは愛せないことの謝罪?」という言葉のやりとりがとても好きでした。

ああ、好きだったんだ…と思うと、戻ってきた時の彼の気持ちをもっとよく考えてしまう。
酷い扱いをされて、恨んではいても、それだけじゃなかったんだ。
きっと、少し嬉しかったんだろうな…。

鬱陶しそうにしてたけれど、献身的に支える立場にまわっていた。影で支えていた。近くで見守るときに、ホテルマン立ちになってしまっているのも良かった。

ミシュランが勘違いだったことを告げられて、アダムが喜びのあまりトニーにキスをするシーンも良かった。
トニーは冷静を保とうとしつつも大混乱で、思わず「ありがとう」なんて言っちゃうのが本当に可愛かった。

序盤でアダムは『七人の侍』の話をしている。一人ではなく、人を集め、複数で戦うことを夢見ているようだった。

それはかつては手の中にあったものなんですよね。
ライバルのリースとミシェルとマックスと、一緒に働いて、その後飲みに行って、また働いて。シェフの娘と恋人同士になって、一緒にドラッグをやって。
それはそれで、楽しくて最高の日々だったのだろう。
でも、その日々はアダムが一人で壊した。もう作り直すことはできない。だから、それを新しくまた作り直したいというのは、何か罪滅ぼし的な意味も含まれていたのではないかと思う。

過去の映像は話に出てくるだけで一切出てこない。でも、その若かりし日々は想像で補える。ここも取捨選択が絶妙だと思う。現在にだけスポットを当てて、濃く描いている。

一回目のミシュランの人らが来ているというときに、料理風景が手持ちカメラでぶれぶれに撮られているのが、不安感をかき立てた。まるでアクション映画風で、暴力的にも思えた。嫌な予感がしたら、やっぱり…というようなことが起きる。

二回目の本物のミシュランの人が来ているときには、困難を乗り越えていたので、アダムの精神を反映するように、映像も落ち着いていた。料理も綺麗に見えた。

映画の最後で、ミシュランのアダムの店のページに星が三つ付いている映像が流れたりしたらダサイなと思ったけれど、そんなのは入らなかったのも良かった。

音声無しで、おそらく結果を報告しているだろうというシーンは流れる。トニーもアダムも笑顔ではあった。やったねという顔にも見えたし、まあ次回また、という顔にも見えた。
きっと、それはどちらでもいいのだ。そこは主題じゃないから。

ラスト、料理人たちがまかないをわいわい食べている中に、アダムが自分から加わって行く。少し前には、みんながまかないを食べていても、少し離れた場所で書類かなんか見ていた男が、だ。

序盤のアダムは完璧主義者だったので、おそらくみんなと何かやりたいという気持ちはあっても、それと同時に他の人は信用できないとも思っていたのだと思う。
それか、過去の仲間と比べていたのかも。
どちらにしても心を開いていなかったのだ。

それが、まかないを食べるテーブルに加わるという映像だけで、心を開いたのがわかる。
まだこれは、ちょっとの前進で、ここからスタートといったところなのかもしれない。それでも、大切なものを得た手応えは感じていたと思う。

ブラッドリー・クーパーは『アメリカン・スナイパー』から体重というか体型が戻ってなさそうだった。ムキムキしていてゴツい。顔も丸く、だんごっ鼻に見えた。
でもその体型がシェフとしても説得力があった。

副シェフのエレーヌはシエナ・ミラーで、あとで『アメリカン・スナイパー』コンビだと気づいた。二人とも、まったく印象が違った。
エレーヌは仕事はできるけれど、はすっぱというか気が強くて好みでした。

元彼女役がアリシア・ヴィキャンデル。少し褐色風のメイクで、エキゾチックになっていた。少し前に『エクス・マキナ』を観たばかりだけれど、どちらも可愛いです。

他にもたくさんのキャラクターが出てきて、その全員がとても愛しい。しっかり描かれているからだと思うが、演じている俳優さんもそれぞれうまいです。

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