『ブラー:ニュー・ワールド・タワーズ』



2015年12月にイギリスで公開されたブラーのドキュメンタリー。NMEアウォーズ2016の音楽映画賞も受賞している。
ドキュメンタリ−なのでネタバレもなにも無いですが、以下で内容に触れています。


2013年、日本でのライブが中止になり、その前のライブ地である香港で5日間滞在することになり、その空き時間を利用してできたアルバムが2015年に発売された『ザ・マジック・ウィップ』だというのはなんとなく知っていた。
そのあたりについて、詳しくといった内容。その時の香港での映像、メンバー個々のインタビュー、ライブの風景も少し。

順番としては、
2012年にロンドン五輪の閉会記念ライブをハイドパークで行う。
感触が良かったのと新曲も作ったため、2013年にワールドツアー開始。この一環で日本にも来るはずだったがキャンセル。香港で曲を作る。
その曲が元になったアルバムが2015年に発売される。
という流れ。
別にバンド活動だけではなく、何についても当たり前のことだけれど、何かがあって、それをきっかけにして何か別のことが起こる。すべてが繋がっていて、出来事が起こるのは唐突ではない。

香港で曲を作っていたのも、お戯れというか暇つぶしみたいなものだったらしく、曲作りをしたけれど、20曲が一旦お蔵入りになったそうだ。

その時の様子をおさめたビデオを見て、アレックスは気にしていたらしい。ただ、それと同時に平穏な暮らしも捨て難いようだった。久々のハイドパークのライブは元カノに呼び出されたようだったと言っていた。基本的に終わったこと、“元”なんですね。

ここで、実際に行動を起こしたのがグレアムだというのが驚いた。
グレアムは2002年に一度ブラーを脱退している。もうその頃はブラーを聴いていなかったため、あまり詳しいことは知らないのだけれど、音楽の方向性の不一致ともしかしたら、デーモンとの性格の不一致みたいなものもあったのかもしれない。グレアムは精神的にも不安定だったらしい。今回の香港滞在中にも後半で少し不安定になっていたらしく、デーモンが「“またか”と思った」と言っていた。

一度入った亀裂。その後、何度か再結成ライブをしていても、完全には修復はされていなかったのではないかと思われる。
そこで、グレアムから歩み寄って行ったのが泣ける。

そこで、香港で作った曲たちのマスターテープを預かってもいいかとデーモンに了解をとるんですよね。あまりバンド内のことなどはわからないけれど、ブラーの中心人物はデーモン・アルバーンであることは間違いない。けれど、思ったよりもずっと、バンド内での地位が高そうだった。そのくせ何を考えているかわからない部分もあるようで、なんとなく魔王のように見えた。

デーモンとしては、グレアムの提案はありがたく、どうぞどうぞとマスターテープを渡したらしい。今まで、一人で何もかもやっていたのがつらかったらしい。これ以上の重責は背負えないと言っていた。
自分からはやりたくなくても、人が、特にグレアムがやってくれる分には大歓迎だったのだろう。不安定だとかなんだかんだ言っても、ちゃんとグレアムのことを見守っているのがわかった。

なんとなく親子のような関係にも思えた。
影の権力者である母親のデーモンは、気難しいところのある息子グレアムのことを誰よりもよくわかっている。さしずめ、言葉少ないけれど堅実な仕事をする父親がデイヴさんで、飄々としたぼんくら兄貴がアレックスといったところか。

デーモンはグレアムのことを音楽面では本当に認めているらしく、いままで頑張ってきてやっと追いついたくらいだと言っていた。インタビューが一人一人別々の場所で行われているので、本人は目の前にはいない。聞かせてやりたいと思った。まあ、映画になっているので知ったでしょうが。

そして、グレアムもインタビューで「これ、18歳で貧血で入院した時に、デーモンのお母さんから貰ったマグカップ。取っ手はとれちゃったけど。中にはデーモンのネックレスのビーズが入ってるんだ」と言っていた。多分、自宅で、こちらも一人のインタビューである。取っ手がとれちゃったマグカップをまだ取っておいてある? 中に入っているビーズも壊れたネックレスじゃないの? それ、デーモンは知っているのだろうか。これも聞かせてやりたい。映画になっていますけども。

それで、グレアムはプロデューサーのスティーヴン・ストリートと一緒に曲の手直しをし、作り上げた。
その間、デーモンはのらりくらりとは言わないけれど、ブラー以外の活動をしていて、ブラーのことはあまり考えないようにしていたんでしょう。出来上がってきたものを聴いて、いいねと思ったものの、これ、自分が歌わなきゃいけないの?と初めて気づいたような感じに「Oh,God!」なんて言っていた。
グレアムがあの時の曲をちゃんとしたいと言った時も、まさか本当に作ってくるとはって感じだったんでしょうか。人ごとみたいに考えてたことが、自分に降りかかってきたという風に見えた。

デーモンは香港で曲を作っていた時の気持ちを思い出すために、もう一度出かけて行ったらしい。
そうして、歌詞に“Hong Kong”という言葉も出てくる『Ghost Ship』やオリエンタルな『Thought I Was A Spaceman』という、香港でしかできないような曲が集められたアルバム『The Magic Whip』ができあがったのだそうだ。

なんだかずるいと思ってしまった。ライブでも、香港のどこどこをイメージして作った曲ですとか言っていた。日本ではこのアルバムのライブすらやっていない。
こんなことなら、日本の次の場所が中止になって、日本に滞在してアルバム作ってほしかった。

けれど、香港はかつてイギリスの植民地だったとか、窓すら無い狭い建物の中に四人で集まって曲作りをして(別の部屋にいたデイヴさんも簡易ドラムを持ち込んで)ということ込みなのだろう。
香港だからこそ出来た。日本だったら、普通のオフだったかもしれない。

アレックスは、このアルバムが無かったら、安っぽい懐かしむだけの復活ライブになっていただろうと言っていた。
肩の力が抜けていてリラックスして作られたような『Ong Ong』もいい。グレアムとの関係を歌った『My Terracotta Heart』という曲もある。この曲では“僕らは昔は兄弟よりも仲が良かった”と歌われている。今、この曲が出てくる意味。本当の意味での修復がはかられたのはアルバムができたおかげなのだろう。アルバムというか、アルバムのための曲作り期間というか。

日本でのライブが中止になったことが、大きな意味をなしていた。

実は私はこの中止になったライブ(TOKYO ROCKS)のチケットを持っていた。十何年ぶりのライブで、しかもチケットが取れていたのだ。けれど、最初から、ホームページが作られずフェイスブックだけだったり、主催者がポエムみたいなことしか言っていなくて何か素人くさい…と思っていたら、結局中止に。
理由は説明されなかったし、映画内でもアレックスがなんか知らないけど中止になったと言っていた。

一応、翌年にちゃんとしたプロモーターがブラーを呼んでくれて、チケットも無事に取れて、ライブにも行くことができた。
でも、TOKYO ROCKSのことはここ数年で一番怒ったんじゃないかというくらいだった。

ライブが中止になって、チケットを払い戻して、日本で泣いていた私は、もちろんこの映画には出てこないけれど、ブラーの運命には組み込まれていたのがわかった。流れの中にいた。

たまたまできた休暇と、グレアムが出したちょっとのやる気。それが魔法のよう合わさってできたアルバムだった。しかも、ただアルバムができただけではない。バンド内の人間関係まで修復されたのだと思う。

しかし、四人のインタビューはバラバラだったし、一応もうブラーは終わったのだと思う。こんな偶然が続くことが、またあるのだろうか。無理矢理アルバムを作ることはもうしなさそう。

デーモンは「ステージに上がると“We are Blur!”ってなるけど下りるとみんなバラバラなんだ」と言っていた。昔はブラーがすべてだったのだろうが、今ではブラーでいる時間が短くなっているせいもあるのだろう。
ただ、ライブに関して、「僕らがエサを与えているのか、観客からエサをもらっているのか」とか、「エネルギーのかたまりがぶつかってくる感じがたまらない」とも言っていて、ライブがつまらないというわけではなさそうだった。

「永遠に続いてほしいと思っていて、でも続くことは無いことも知っているから切ない」とも言っていた。

この映画内で、ライブシーンも何曲かあって、それを観ているとライブが観たいなと思った。
けれど、ライブ自体の本数が少なそうなのに、来日することなんてこの先あるのだろうかとも考えてしまう。

そして、2014年の武道館公演も最高に楽しかったけれど、それとは別に、私もブラーも20年前に戻ったライブが観たいのではないかとも思ってしまった。兄弟よりももっと仲が良かった頃のグレアムとデーモンが観たい。ここまで神経質ではないグレアムと、ここまで巨大な存在ではないデーモンと(※実際の20年前の私はアレックスファンでした)。
でも、過去に戻るなんてことできないのはわかっている。ただ過去への郷愁に浸っているだけだ。

でも、もう二度と戻れない、あなたたちも私も、というようなことを思うと、なんとなく胸がちくちくするのだ。












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