『たかが世界の終わり』



グザヴィエ・ドラン監督作。すっかりカンヌの常連ですが、こちらもグランプリ受賞作。
カンヌだとアート系の作品が多くて、ふんわりとしか意味がわからない作品も多いけれど、グザヴィエ・ドランの作品はどれもわかりやすい。
本作はレア・セドゥ、マリオン・コティヤールなど旬の有名フランス俳優が揃えられているせいもあって、とっつきやすくもある。主人公はギャスパー・ウリエルです。

戯曲が原作になっている会話劇とこじれた家族の話というところから、『8月の家族たち』を思い出した。

以下、ネタバレです。








会話が多く、その喋っている人をクローズアップするショットが多い。また、舞台はほぼ家の中である。
対話劇なんて言葉があるのかわからないけれど、会話というよりは二人が面と向かった形の対話が多かった。

『8月の家族たち』は中心となる濃い人物とその周囲といった感じだったが、本作は主人公とその母、妹、兄と兄の嫁という5名と人数が少ない。けれど、少ない分、全員が濃いというか濃厚なやりとりが繰り広げられる。

主人公のルイは、自分が死ぬことを伝えるために12年ぶりに家に帰る。
すぐ伝えるのかと思ったけれど、12年ぶりの帰宅に家族も歓迎ムードでなかなか切り出せない。それでも、空元気っぽくも見える。
そんな中、兄だけはずっとイライラしている。でもそれも、母や妹の隠しているイライラを一心に受けてのことなのかもしれない。

二人だって、イライラしていないわけはない。おめかしをして綺麗にしていたし、料理を作っていたし、歓迎ももちろんしている。久しぶりに会えたのも嬉しい。
でもきっと、ルイのことがわからないのが怖くもあったと思う。
家族といえども同じ人間じゃないから考えていることなどわからない。しかも12年も離れて暮らしていたら、ほとんど他人だ。

ルイは都会(?)で劇作家として成功しているようだった。
時々送ってくれる絵葉書も二、三語しか書いていない。この日だって、みんなが話すのを聞いて、ほとんど喋らず、曖昧に笑うだけだ。

これは最後までわからないんですが、ルイが家を出て行った原因が謎のままだ。
34歳になったというセリフがあったので、22歳で家を出たということになる。単純に、仕事のためなのかもしれない。
でも、もしかしたら、ゲイであることが原因だったのかもしれないとも思う。

ルイの母はルイが来る前にマニキュアを塗りながら「ゲイっていうのは綺麗なものが好きなのよ」と言っていたけれど、かなり偏見が混じっている。
「ルイは綺麗なものが好きなのよ」と言うならわかる。個人ではなく、何かよくわからないぼんやりとしたものとして息子をとらえている。
もしかしたら、ゲイであることを告白した時か知られた時に、何か距離を置かれたのかもしれない。そして家にいづらくなったのかも。

何をしに家に来たのかをルイが言えないまま、気まずい時間だけがどんどん過ぎていく。
そんな中で兄の嫁が真っ先に察する。演じているのがマルオン・コティヤールなのですが、これがとても上手かった。いつもはゴージャスな印象が強いけれど、まさに庶民の嫁という感じだった。顎の肉の付き方と常に夫の機嫌を伺っているようなおどおどした表情がリアル。
でも、このどん臭そうで空気の読めなさそうな感じなのに、真っ先に気づくということは人を観察する能力には長けている。
夫に対しても、ひどいことを言われているようだったけれど、それだけではない面も見えているのだろう。暴力をふるわれているわけではなさそうだった。
それに、家族ではなく外部の人間だから気付けたのかもしれない。

妹は、兄は恰好いいし、会えて嬉しいと純粋に思っていそうだった。
でも、どこか得体が知れないとも思っている。
子供の頃しか知らないと言っていたけれど、ルイが22歳で家を出た時に子供なのだとしたら、子供がいくつを指すのかはよくわからないけれど、10代前半かそれくらいだろうか。結構、年が離れた兄妹なのかもしれない。
演じているレア・セドゥは31歳だけれど、19歳の時に22歳のルイを見ていたとは思えない。
レア・セドゥはメイクをほとんどしてないとだいぶ幼く見えるし、もっと若い設定なのだろう。
兄のことが好きで、知らないことが多いからもっと知りたい。私のことも知ってほしいけれど、よく知らないしそんな恥ずかしい部分は見せられない。そんな遠慮があるように思えた。家族としてはよそよそしい。

母もルイのことがよくわからないと言っていた。でも愛していると。
本当は父親がいない家を長兄だけでなく、あなたにも守ってほしいと言っていた。仕事で成功しているのかもしれないけれど、戻ってきてほしいのだろう。
それを聞いても、ルイは何も言わず、というか言えずに、曖昧に笑っていた。
また、「シュザンヌ(妹)に家に遊びに来いって言ってあげて」と言っていた。次の約束などできない人物にそれは厳しい言葉だ。
でも、ルイのそんな事情を知っているのはルイ自身と映画を観ている私たちだけなのだ。

ルイは家族一人一人と順番に話しているのですが、一番言わなきゃいけないことは言えない。兄とも二人で話す機会があった。
「朝早く空港に着いちゃったから喫茶店へ行って時間をつぶしてた。あの二人に言うと気を使わずに家に来たら?って言われるから兄さんにしか言えないんだよ」と、妹と母相手にはほとんど聞き役だったルイがやけに話す。もちろん、兄が言うように沈黙が怖かっただけかもしれないけれど、本当に兄にだけ話せることというのもあるのかもしれない。
兄はずっとイライラしていて、ここでもやっぱりイライラしてるから、こんな話聞かせてほしいと思ったのか!と言ってくるが、この先のシーンを考えると、謎のルイが多分自分にだけ打ち明けてくれた話があるというのは、特別に思ってくれたようで嬉しかったのだろうと思う。

序盤でルイは、おそらく恋人と電話をしていて、「デザートを食べ終わったら言おうと思ってる。それで今日中に帰る」と話していた。
映画を観ている人たち(と兄嫁?)だけは彼の秘密を知っているから、デザートのシーンでああ、ついに言うんだな…とひやひやする。
しかし、ルイは「実は…」と真実を言いかけて、母に言われた通り、妹に向かって「家に遊びにおいで」だとか、ありもしない次の約束だとかを展開し始める。
そこで、兄は「約束があるから帰るんだろ?送ってく」とルイの腕をとるのだ。

兄から見たら、さっきの話を聞いた後だと、ああ、こいつ無理してるな、母と妹に向けていい感じで振る舞おうとしているだけで、本心で話しているわけではないなというのがわかってしまう。何か事情があってこの場には居づらいのだろうから、助け舟を出してやろうと思ったわけだ。

けれど、母と妹からしたら、やっと心を開いてくれたルイともっと一緒にいたい、会話をしたい、できれば泊まっていってと思っているから、長兄はそれをぶち壊す悪魔に見えていたのだと思う。

実際、映画を観ていた私も兄は嫌なやつだなと思ってたけれど、途中から、たぶんそこまで悪いやつじゃない、不器用なだけだと思えてきた。

「遊びに来なよ」とか「もっと頻繁に帰ってくるよ」なんていうルイの言葉は、結局、否定も肯定もしない、何も言わないお得意の曖昧な笑みと一緒。その場だけの誤魔化し。
けれど、それは、母や妹を悲しませたくなくて出た嘘なのだ。

母と妹だって、困らせたくてルイに泊まっていってと言ったわけではない。本当に、良かれと思っての言葉だ。兄も、ルイのためを思って助け舟を出した。

全員が相手のことを大切に思っている。けれど、かみ合わないからギズギスする。

ルイは結局、自分が死ぬことを家族に伝えられなかった。
兄はあの場面で助け舟を出したが、気づいていたのだろうか?
妹と母はどうだろう? 頑なに帰ろうとする様子に、結局、12年ぶりに帰ってきた目的を言わなかった様子に、さすがにおかしいと思っただろうか。妹は気づかず、母は気づいたとしても信じたくないという感じかもしれない。

それで、ルイのお葬式のときに、この日の会合を思い出すのだろう。あの時のルイの目的を思うのだろう。
おそらく勘づいたと思われる兄嫁は、あとで知っていたのになんで教えてくれなかったのと攻められるかもしれない。
けれど、彼女だって、秘密を抱えて生きていくのはつらいのだ。本心では、ルイと秘密の共有をしたくなかっただろう。

なんでもいい。ルイが12年ぶりに帰ってきたことで、変わったことはあったのだろうか。
不毛ではないか? ルイは家族に会うのが怖いと言っていたが、こんな風にギスギスすることがわかっていたのだろうか。だから帰ってきたくなかったんだよと思っただろうか。

でも、自己満足だとしても、死ぬ前に家族の顔が見られて良かったとは思っているはずだ。そして、愛されていることにも気づけたはずなのだ。
序盤では「言っても、あの人たちは泣かないかも」なんて電話で冗談っぽく話していたけれど、家族と話をして、確実に泣くのはわかったし、悲しむだろうというのもわかったのだと思う。だから言えなかった。だから、叶えられない次の約束をした。すべては悲しませないためなのだ。

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