『LION/ライオン 25年目のただいま』



原作は映画での主人公、サルーが書いたノンフィクション本。
アカデミー賞で、作品賞、デヴ・パテルが助演男優賞、ニコール・キッドマンが助演女優賞、他、脚色賞などを受賞。

以下、ネタバレです。







ノンフィクション本ということで実話です。
オーストラリア人夫妻に養子として引き取られた主人公が、Google Earthを使って家をつきとめる話だというのは、予告編などからなんとなく知っていた。サブタイトルに“ただいま”と付いているし、実話の映画化ということは、四苦八苦してもたどり着けるのだろうと思っていた。

最初に考えていたのは、主人公はオーストラリア人夫妻の元で何不自由なく暮らしているが、揚げ菓子を食べたときに、はなればなれになった家族の記憶も一緒に蘇るのかと思った。それで、Google Earthなど他の最新テクノロジーを駆使して家をつきとめる、現代ならではの人探しものなのかと思った。

けれど、実際は人探しには重点は置かれていない。
デヴ・パテルが助演男優賞ということからも、青年の彼が主役ではないのだ。

現代から始まり、人探しをして、過去の回想があって、生まれ故郷に帰るという構成なのかと思っていたら、時系列だった。

まず主人公サルーの幼い頃から映画は始まる。
インドの山奥の貧しい村である。列車に無断で乗り込み、石炭を盗んでそれを市場のおじさんに持って行き、牛乳と交換してもらうような生活だ。父親はいないようで、母親も働いている。
サルーは兄の後をついて夜の仕事(これも盗みの類だった)を手伝おうとするが、眠くなってしまう。はぐれて、電車の中で寝てしまい、1600キロ離れた場所へ一人で連れて行かれてしまう。

東京から沖縄くらいが直線距離で1600キロらしい。この距離を結ぶ列車があるのがさすが広大なインド。そして、着いた先、カルカッタはベンガル語で、ヒンドゥー語しか話せないサルーの言葉が通じない。

大都市ではあるけれど(または大都市だから)、ストリートチルドレンも多い。ただ、路上で集団で寝ていても、人攫いに狙われる。
家に連れて行ってくれた優しい女性も、悪い奴に売り飛ばそうとしていたのだろうか。はっきりとは描かれないが、あの毒々しい色のジュースと、ためしに添い寝をしてみる男性があやしすぎた。サルーも嫌な予感を感じ取ったのか逃げ出していた。
孤児院のような施設もあやしかった。職員が夜な夜な子供を物色しているようだった。当たり前だけれど、子供はどこに行っても狙われる弱い存在なのだ。

サルーはおそらくそれほど孤児院にも長くはいなかったのだと思う。職員からの暴行も受けていないと思う。描写がないだけで本当はどうだったのかわからないが。

ほどなくオーストラリア人夫妻の元へと養子に引き取られていた。サルー自体が素直でいい子のようで、1年後に同じく養子として引き取られたマントッシュは難しいところもありそうだった。
しかし、おそらくマントッシュのような子供の方が多いのではないかと思う。サルーは迷子にはなったけれど、運良く他人から危害を加えられるようなことはなかったのではないか。マントッシュはきっともっと酷い目に遭っていたのではないかと思う。マントッシュは大人になっても稼いだ金をドラッグ代に使ってしまっていたようだ。

オーストラリア人夫妻は、自分の子供を作ることもできたけれど、貧しい子供を養子として育てて助けていたのだ。
ニコール・キッドマン演じるスーが過去の話をするシーンは泣けた。彼女にもつらい過去があった。悩んで、でも優しく接して。まるで聖母のようだった。実際のマントッシュが現在どうなっているかわからないけれど、スーのことも考えてあげてほしい。

観る前は、サルーは過去のことなど忘れてしまっているのかなと思っていたが、全部おぼえている。暮らしていたことも、迷子になった夜も、カルカッタで一人彷徨った日々も。彷徨った日々は死ぬほど怖かったはずだが、それよりも、自分のことを探しているであろう母と兄のことを考えるのが優しい。もちろん自分も会いたかったのだろうとは思うけれど。

サルーは、大学の仲間からGoogle Earthを使ったら?というアイディアを聞いてから、まるでとりつかれたかのようにそのことしか考えられなくなっていたようだ。
それでも、血眼になって生家をさがしているのをスーには言えないのもまた優しい。

結局、家が見つかって訪ねて行くのだが、幼少期からこの村にいなかったとはいえ、デヴ・パテルだけ異質すぎた。暮らしぶりが違ければ筋肉のつき方や身長の伸び方も変わるのだとは思うけれど、それにしても、他の村民と比べるとこの村出身とは思えないオーラになってしまっていた。仕方ないとは思いますが。

母とは再会できても兄はサルーが迷子になったその日に列車に轢かれて亡くなったらしい。母は一晩に二人の子供と離れることになったのだ。しかし、兄については亡くなったことがわかってもサルーは行方がわからなかったからだろう。戻ってくるのを信じて引っ越していなかったというのが泣ける。25年である。ずっと待っていたのだ。

サルーを演じる子役とはもちろん別人ですが、デヴ・パテルはちゃんと幼い頃の魂そのままに演じていたと思う。『ムーンライト』のシャロンもそうだったけれど、演じているのは違う俳優さんでもちゃんと一人の人物に見えるのが素晴らしい。

デヴ・パテルは助演男優賞だからそりゃそうなのだが、半分くらいはサルーの幼い頃の話だった。過去パートは映画を観る前は回想で少しの時間しか割かないのではないかと思っていた。

しかし、この映画の主題は、Google Earthがあってよかった!というところではないのだ。もちろん、列車の速度や微かな記憶を辿ってそれらしい場所を見つけられたのだから、あってよかったことはよかったのだけれど。

それよりも、インドで行方不明になる子供が現在でも8万人もいるという現状である。前半はドキュメンタリーのようなリアルな描写だった。ただ、決して80年代はこうでしたという話ではない。ストリートチルドレンがあんなにいることも知らなかった。

予告編だとテクノロジー万歳という話かと思っていたが、問題提起の部分がずっと大きい。サルーはとても運がよかっただけで、一歩間違えばどうなっていたかわからない。

自分の住んでいた村の名前を言い間違えていただけでなく、自分の名前すらも言い間違えていた。それだけ幼ない子供が迷子になってしまったのだ。無事に母にも再会できて本当によかった。

ラストで、サルーの本当の名前が明かされて、その意味が“LION”と出て、タイトルはそれだったか!と驚いた。予想外でした。

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