『T2 トレインスポッティング』



1996年公開『トレインスポッティング』の続編である。キャストはそのままなので、年をとっていて、映画の中でも現実と同じく20年経過している。

前作は若気のいたりというか、若いからこそ許されるようなダメダメ人間たちの話だったけれど、おっさんになった彼らはどうなっているのか。

前作の遺恨に決着をつける話でもあると思うので、絶対に前作は観ておいたほうがいいです。

以下、ネタバレです。










洗濯機、大きなテレビ、CDプレイヤー、車、クリスマスを一緒に過ごす家族…いろいろなものを自分で選べというモノローグで始まる前作。
自分で選べる自由な未来を手に入れろということだ。選べることは幸福で貧困層ではこうはいかない。

けれど、そんなことわかっちゃいるけど、そんな退屈な人生よりも、今が楽しいからドラッグがやめられない。やっとやめられたと思って、普通の仕事していても、昔の仲間が台無しにしにくる。

こんな生活もういやだと思ったマークが、悪巧みで得た金を一人で持ち逃げし、ここからスタートだ!というある種の希望のようなものに満ちたエンディングだったのが前作だ。

ドラッグ表現や禁断症状からの悪夢が音楽と相まって革新的な映像を作り出していた。まるで、ビデオクリップのようでもあった。

20年後、マークは未来を選べたのか。本作はその回答でもある。ただまあ、平穏無事な生活を送っていたら、映画にはなりませんよね。

マークはスポーツクラブのランニングマシーンで走っている。スポーツクラブに通う金と健康があるということは、ドラッグまみれだった20年前からは考えられない。20年前には金も健康もなかっただろう。

ああ、持ち逃げした金ではあるけれど、うまいことやっているのだなと思った。一方、持ち逃げされた三人だが、ベグビーは刑務所、サイモン(シック・ボーイ)はパブを切り盛りしているが、ゆすりのようなことをして生計をたてていて、スパッドは相変わらずのドラッグ中毒、妻(ゲイルと結婚していた!)と子供に逃げられている。

三人はまだエジンバラに暮らしていて、マークが20年ぶりに帰郷する。

サイモンは当然怒っている。20年間をめちゃくちゃにされたと言っていた。そりゃそうだ。今更お金だけ返されても時間は戻らない。けれど、幼馴染だから結局すぐに仲直りしていた。
マークもマークで、離婚したとか子供は実はいないとかは最初は嘘なのかと思った。またサイモンのことを陥れようとしているのかと思ったが、結局最後までどんでん返しみたいなものはなかったので本当だったらしい。それに、最初にランニングマシーン中に気絶していたのは心臓の病気だったらしい。これも嘘なのかと思った。

前作でスパッドにだけお金を残してあげていたが、スパッドはそれをドラッグに使ってしまったらしい。けれど、本作ではそこから抜け出そうとする。
マークに夢中になれることを見つけろと言われていた。サイモンの店のリフォームを手伝っていた時に生き生きしていたので、それかと思ったけれど、違った。でも、元の職場の仲間なのか、建築業の方々が集まってきていて、やっぱりスパッドはいい奴なのだと思った。
本作ではいい奴度がさらに強まっていて、おっさん相手に何を言っているんだという感じですが、キュートでもあった。
ここまでズルズルとドラッグに流されていたけれど、本当に我慢強く乗り越えるために、文章を書いていたというのが良かった。

懐かしい顔としてはダイアンも出てくる。字幕では名前が出てこなかったけれど、面影があったし、会話から間違いない。マークと一緒にいたベロニカのことを「あの子は若すぎるわ」ってどの口が言うのか。それでも、ちゃんと弁護士になっているあたりがしっかりしている。理想の20年後といった感じだ。もちろん彼女自身の努力もあったとは思うけれど、家がしっかりしていたのかもしれない。

相変わらずといえば相変わらずなのがベグビーで、刑務所を脱走してしまう。マークが金を持ち逃げしたことに、サイモン以上に怒っていたのはベグビーである。ただでさえ血の気が多い彼は脱走したあとも悪いことを繰り返す。

マークとサイモンが相変わらず姑息な悪事を働く裏で、映画を観ている私たちだけはラスボスのようなベグビーが刑務所から逃げてることを知っていて、いつ遭遇するのだろうとハラハラする。
そして、ベグビーとマークが会うのがクラブのトイレの個室というのがおもしろかった。隣り合わせの個室で軽口を叩いて、おや?みたいな顔をしていた。
そのあと、殺さんばかりの勢いでベグビーはマークを追いかけるけれど、20年ぶりの出会いがコミカルなものだったし、なんとなく本当に殺すまではいかないのだろうと思った。
地下駐車場で、助けを求めた車から流れているのがフランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッドの『リラックス』なのも、追いかけたあとのベグビーがバイアグラを飲んでいたとはいえ勃起しているのも可笑しかった。

最後のバトル時に、マークとベグビーが二人とも子供の姿になっていた。前作を見ていたら20年前の姿は知っていても、そんな小さな頃は知らない。私たちの知らない絆が彼らにはある。だから、コードに首をつられて苦しそうにしているマークの下から足を抱きしめて、こっちへ来いというようなことを言っている姿は、殺そうとしているにも関わらず切なかった。

ベグビーは最初、息子に拒絶されて、怒っていた。けれど、スパッドの書いた文章を読んで、自分がこうなってしまったのは父親のせいだと考える。そこで、自分はダメだったけれど、息子には未来を選んでほしいと伝えていた。
イギリスでよく言われている話として、“労働者階級から抜け出すためにはサッカー選手かロックスターになれ”というものがある。現在はどうなのだろう。少なくとも、ベグビーたちが20代の頃はそれがまだ生きていた。
ベグビーの息子が大学へ行けたのは、ベグビーが刑務所に入っていたからだというのも皮肉だが。

ベグビーは、どうせもうダメな人生なのだし、せめてお前(マーク)を殺して俺も死ぬ覚悟というだったのだと思う。歪んではいるけれど、これも、友達ゆえの考え方なのだと思う。裏切られたことが悲しかったのだろう。

結局、ベグビーも死なず(死んでしまってスパッドが殺人罪に問われたらどうしようかと思った)、三人の誰も死なない。原作のアーヴィン・ウェルシュかダニー・ボイルの良心だろうか。

2、3年後ではなく、20年後なのがいいと思う。十年一昔とかとんでもない。20年経ったら取り返しがつかない。台無しにされたことは重みとなってのしかかる。20代と40代では選べる未来の選択肢の数が違う。
だからこそ、マークはベロニカに説教めいたことを言ったのだろう。そして、ベロニカはあの時のマークのように金を持ち逃げする。ただ、持ち逃げとは言っても、うっかり儲けたみたいな金だし、その融資先のサウナも建てることはできなくなってしまったので、ベグビーのように烈火のごとく怒って追いかけてくる人もいない。

スパッドが街の風景を見て、20年前、マークと一緒に捕まったことを思い出すシーンがある。その他にも、『Born Slippy』のイントロや一部分がちょろっと流れるシーンがあって、映画の登場人物だけでなく、私の気持ちも一気に過去に戻る。音楽にはその力がある。

ダニー・ボイルは音楽を効果的に使う監督だけれど、特に『トレインスポッティング』ではそれが顕著に表れていた。

マークは帰郷し、実家へ戻ると母親は亡くなっているけれど、部屋はそのまま残してある。印象的な列車の壁紙もそのままだ。映画の序盤で、彼は自分のレコードを懐かしそうに見て、針を落とそうとするが、一瞬だけ音を出してすぐに針を上げる。
聴いてしまうと、気持ちがあの時代に戻ってしまうから聴けなかったのだろう。戻りたくなかったのだ。

しかしラスト、マークはもう一度実家に帰り、父親をハグし、部屋へ行く。改めて、序盤に聴くことができなかったレコードに針を落とす。流れ出すのはイギー・ポップの『Lust For Life』(本作ではプロディジーリミックスらしい)。これは前作のオープニングで流れる曲である。
前作ではこの曲を聴いて、ドラッグをやったマークが恍惚とした表情で体を反らして倒れこむ。本作でも同じ表情をするが、倒れこむことはなく、曲を聴いて踊るのだ。
聴くことができたことがまず変わったことだと思うが、それに加えて、聴いたあとの行動も変化した。
前作のオープニングと本作のエンディングが繋がって輪になった。続編として一番好きな形である。はやく二枚組のブルーレイを出してほしい。

20年。それでも、根っこの部分は変わらない。サッカーの試合を見て、マークとサイモンがぎゃーすぎゃーす話していたのが可愛かった。多分ずっと変わらない。

マークとサイモンが相変わらずバカやっていて、ベグビーが相変わらず大暴れしていて、その裏でスパッドはドラッグを断ち切るために必死で文章を書いていた。
過去の自分たちについて書いていて、その文章をラストでゲイルに見せる。「タイトルが決まったわ」って、あーそれこそが『トレインスポッティング』なのだ。原作が小説だからこそできるメタ構造が楽しかった。
前作が鑑賞済みであることは必須条件になってしまうけれど、続編としては満点だと思う。二作まとめて大好きです。


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