『ブロンソン』


イギリスでは2009年公開。日本では劇場未公開。ニコラス・ウィンディング・レフン監督作品。『オンリー・ゴッド』は未見なのですが、少しわかりにくかったらしく、『ドライヴ』はそんなことなかったのに…と思っていたら、『ドライヴ』がわかりやすかったらしい。今作もちょっとわかりにくかったです。

そもそもの話を勘違いしていて、伝記だということは知っていたんですが、俳優チャールズ・ブロンソンの伝記なのかと思っていた。しかし、乱暴者しか出てこないし、その人も刑務所に入ったり出たりしているし、いっこうに俳優になる気配がない。
パッケージの写真だとボクサーのようだったが、ボクサー期間は少なくて、獄中生活や精神病院に入っている期間の描写が多かった。

また、架空の講演会で本人によって語られるという形式をとっていて、こちらに向かって話しかけてくるので、ほぼ、トム・ハーディの一人芝居のようになっていた。顔を女性と男性の半分半分で化粧をしていて、交互に横を向いて対話をしているようなシーンや、歌に合わせて口パクをするシーンなどはパントマイムのようで、トム・ハーディの演技の幅に驚かされる。

体も筋骨隆々で、銃などは使わず、拳でとにかく殴り掛かる。バイオレンス描写が多い。
スキンヘッドだし、後に『ダークナイト ライジング』で演じるベインに似ているけれど、クリストファー・ノーランは『ロックンローラ』を観てトム・ハーディにオファーしたという話があるのが謎。

有名になりたいと言いながら、人を殴り、騒ぎを起こして刑務所に入り、刑務所の中でも人を殴る。結局堂々めぐりというか、いまだにご本人は服役中らしいし、 八方ふさがりである。結局はどうにもできない自分に苛々しているようにも見えた。大きなお世話だろうが、彼が幸せになる姿は到底想像できない。だから、終わりの無い地獄を見させられているような気分になった。


たぶん劇場未公開。DVDが出たのは2010年。
タイトルが気になって観たんですが、普通のシャーロック・ホームズ物として楽しめました。ちょっとタイトルが気をてらいすぎている。原題はSherlock Holmesのみ。大文字にすると、ガイ・リッチー監督の映画版とかぶる上に、DVDが出た時期が一ヶ月くらいしか変わらない。随分なチャレンジャーだと思うが、間違えて買うのを狙っていたのだろうか。
パッケージデザインは確かにB級作品のそれ。

モンスターというよりはからくりだった。なので、ちゃんと人が動かしていて仕掛けがある。未知の生物との戦いではない。
CGから低予算加減は知れるんですが、ちゃんと推理もするし、明らかになる犯行の理由付けもまあまあ納得のいくものだった。

ただ、本当に普通というか、これといって特徴がないというか。だったらいっそ、邦題の通りに、シャーロック・ホームズと未知の生物が肉弾戦でもしたほうがぶっ飛んだ内容になっただろうし、おもしろかったのではないかとも思ってしまう。

バッキンガム宮殿、ビッグベン、セントポール寺院、ウエストミンスター寺院などなど、ロンドンの名所で撮影されているのは嬉しい。近衛兵も出てきます。

シャーロック・ホームズにThorpeという兄がいたのを初めて知った。マイクロフトのミドルネームとかではなく、別人だと思う。
スティーヴン・モファットが「『SHERLOCK』のS4でシャーロックのもう一人の兄を出すかも」というようなことを言ったようですが、もしかして…?


2012年公開。『ローン・レンジャー』のアーミー・ハマーが良かったので、彼の出演作を続けて。一応は白雪姫だけど、白雪姫の話などみんな知っていて、そのままやっては出尽くした感もあるため、かなり内容が変わっています。

まず、七人の小人は山賊。森に迷い込んだ王子と従者を身ぐるみはがし、木に逆さにくくりつける。ディズニーなどだと働き者だけれど、ほぼ逆だった。

そして、アーミー・ハマー演じる王子もそんな登場の仕方で、全体的に情けない役だった。でも、『ローン・レンジャー』と同じっちゃ同じ役なので、これを求めてました。優男風でまさに王子様!という外見ながら、キマりきらない。

お城での白雪姫とのダンスシーンでも動物の変装はわかるけど、よりによってうさぎの耳付きの帽子をかぶっている
また途中で女王に子犬用惚れ薬を盛られてしまうんですが、その甘えた姿も情けないながらもはまっていた。

そして、その薬の効力をきるためにキスをする。ここでキスが出てきた。本来ならば、毒リンゴを齧った白雪姫の目をさますために王子からキスをするべきところ、白雪姫からキスをする。白雪姫のほうが男らしい。

毒リンゴは魔女が最後に持ってきますが、白雪姫は食べようとして、不審さに自ら気づき、あなたが一口どうぞと逆に魔女を陥れる。
白雪姫は一人でも大丈夫そうだった。彼女にピンチは訪れなかった。

ボリウッド風のエンドロールも可愛かったですが、ここも歌い踊るのは白雪姫一人だけ。普通だったら王子様とダンスをしそうなものですが。
王子はそのとき何をしているのかというと、従者と並んで踊るのを見守っている。「LOVE!」と間の手みたいなのを入れている。完全にお客さんだった。これをアーミー・ハマーがやるので相当可愛いので満足でしたが、映画の中でもヒロインの相手役というよりは脇役でした。

ジュリア・ロバーツ演じる女王もタイトルに入ってはいても、脇役かな。予告編を見る限りだと、愛嬌があって憎めない悪役なのかなと思っていましたがそんなことはなかった。最後は少し可哀想な感じでした。

青いドレスに大きいオレンジのリボンが付いていたり、スカートが大きくふんわりしていたり、衣装がどれも華やかで本当に可愛かった。故・石岡瑛子さんによるもの。この作品でアカデミー賞衣装デザイン賞にノミネートされている。

エンドロールのボリウッド、なんでかと思ったら監督がインド出身だった。ターセム・シン作品、全部気になりつつ観てない映画ばかり。映像が綺麗そう。

あと、エンドロールは実際にリリー・コリンズが歌っているらしいんだけど、コリンズって、フィル・コリンズの娘でした。

『ROCK YOU!』


 2001年公開。ヒース・レジャーのハリウッド初主演作。未見ですが『42 〜世界を変えた男〜』のブライアン・ヘルゲランド監督。
タイトルからは想像できなかったけれど、歴史物です。14世紀に行われていたジョストという馬に乗った者が槍で突き合う競技がテーマになっている。この競技が騎士の技量を争うものだったらしく、平民ではあるがジョストの才能がある主人公ウィリアムが身分を偽って大会に忍び込んで勝ち上がるが…というストー リー。なので、原題のほうがイメージにあっている。

邦題も意味なくつけたわけではなく、序盤にクイーンの“We Will Rock You”が使われているためでしょう。舞台背景とは合わなそうな感じですが、これが意外と合う。他にも、宮殿でのダンスのシーンでは、慣れていないウィリアムがぎこちなく踊っているが、音楽が変わり、デヴィッド・ボウイの“Golden Years”が流れ出すといきいきと踊りだし、笑顔もこぼれ、宮殿内がさながらディスコのようになる。他にも、同じクイーンの“We Are The Champions”や、エリック・クラプトン、シン・リジィ、スライ&ザ・ファミリー・ストーンなどなど、およそ歴史物では使われない曲の数々が映画を彩っていて、歴史物ながらも堅苦しくなく、まるで現代物の青春映画のような印象を与える。
原題はA Knight's Tale。ここからはやはり堅苦しさを感じるのだ。それを映画内で曲がとっぱらっているのと同じように、タイトルも軽いものにしたのだと思う。

若いヒース・レジャーが恰好いいです。運動バカみたいな役柄もいいんですが、笑ったときに目尻が下がって口が横ににゅーっと伸びるのが素敵。そして、一緒に行動している仲間としてポール・ベタニー。ギャンブルが好きで身ぐるみをはがされるということで、全裸です。

当時のヒース・レジャーとポール・ベタニーの人気がどれほどだったのかわかりませんが、軽い青春ものに仕上げてあるとは言え、ジョストを扱った作品だし少し地味めではあるんですが、2006年に地上波のゴールデンタイムにテレビ放映されているのが意外だった。

エンドロールのあとのおなら合戦みたいなやつは、いるんだかいらないんだかわからなかった…。


『21ジャンプストリート』のフィル・ロードとクリストファー・ミラー監督作品。『くもりときどきミートボール』は観てませんが観たい。
知育玩具レゴを使ったファンタジーCGアニメーション。…だと思っていた。波とか爆発もすべてレゴブロックで作られていて、すごいなーと思いながら軽い気持ちで観ていたら、途中でもう根本のところから違っていたというか、突き落とされた。

以下、ネタバレです。





普通の人生を歩んできた普通の作業員のエメットが、ふとしたことからヒーローと勘違いされて、巻き込まれるようにして世界を救う冒険へ出る。

確かに、登場人物は勿論、背景や特殊効果などにすべてレゴが使われていることはすごいと思った。でも、普通の人が巻き込まれて、冒険をするうちに成長して世界を救う話はありきたりでもあるかな…と思いながら映画を観ていた。ストーリーを勝手に想像してしまっていたのだ。

そのうち、逃げるエメットたちの乗り物の車輪が取れてしまうというピンチに陥るシーンが出てくる。仲間に「何かアイデアを出して!」と言われて、この時、マニュアルではなく、エメットは初めて自分で考えるんですが、回るもの回るもの…と考えて、自分の首が回ることを発見。頭に車輪を付けて、自分が車軸の代わりになってしまう。
当たり前だが、人間の首は360度は回らない。ということは、エメットたちは人間がレゴの姿をしているわけではなく、自分たちがレゴだと認識しているのだ。

でも、こんな風になんでもアリにしてしまったら、ピンチなんてなくなってしまうのではないか?と思ったけれど、実はその辺がこの映画のテーマとなる部分だったのだ。

おしごと大王許すまじと思いながら観ていた後半、急に実写に変わる。視点が一気に変わる。
最近のレゴってよくできてるんですよね。きっちり作って飾ると見栄えがいい。きっちりと完璧に世界を作っていたのに、子供がそれをバラバラに崩してしまう。父親は子供を叱り、もうブロックをバラバラにできないようにボンドでくっつけてしまおうとする。

そうゆう話だったのか!
ブロックで作った世界を壊されて怒る父親の気持ちもわかったし、映画を観ながらストーリーを勝手に想像して、なんでもアリを否定した自分こそがおしごと大王になっていた。いつの間にか、そちら側の人間になってしまっていたことに気づかされてぎくりとした。

レゴブロックをボンドでくっつけるなんて、本末転倒じゃないか。誰が何と言おうと、恐れずに自由な発想で遊べばいいんだ。エメットの頭に車輪を付けたっていいんだ。

でも、決してマニュアル通りに作ることを否定はしてないのも、この作品の優しいところだ。マニュアル人生を歩んできたエメットも、その性質を生かしてビルに侵入する。
エメットがおしごと大王に投げかける、「あなたは悪者にならなくていい」という言葉も泣ける。おしごと大王側は敵視していても、エメットたちは決して敵だと は思っていない。彼の作る世界もそれはそれで素晴らしい。マニュアル通りに作られたレゴだって素晴らしいし、逆にそれは、子供には作れないものかもしれない。

レゴのサイトにもあるけれど、レゴはブランドバリューとして、イマジネーション(想像力)、クリエイティビティー(創造性)、ファン(楽しみ)、ラーニング(学び)、ケアリング(思いやり)、クオリティー(品質)というのを掲げていて、これはまさに、この『LEGO(R)ムービー』のテーマともなっている。だから、映画のタイトルにはちゃんと(R)を付けた方が良い。

実写パートの父親役はウィル・フェレル。実写で出てきた時に、なるほど、それでおしごと大王の声をあてていたのもウィル・フェレルだったのかと思った。いかにもレゴ好きの大人に見える。そしておそらく、子供の頃は同じようにレゴでクリエイティブに遊んでいたに違いない。おしごと大王とも髪型が似ているのもおもしろい。

他の声優さんも豪華。ウィトルウィウス役のモーガン・フリーマンは幽霊になったときの「ヒョオオオォォォォ」みたいな声が可愛い。バッド・コップを演じたリーアム・ニーソンはグッド・コップになったときに高い声が可愛い。チャーリー・デイが演じるバーニーは終始高い声で可愛い。宇宙船を作っては壊してがっかりして、いよいよ作っていいよと言われた時の「SPACESHIP! SPACESHIP!」の連呼は、興奮のあまり声が裏返っていた。このシーンはちゃんと吹替え版でも裏返っていたのもおもしろい。
また、スーパーマンとグリーンホーネットがチャニング・テイタムとジョナ・ヒルの『21ジャンプストリート』コンビ。多少ブロマンス風なのも狙ったか。


二回目に2Dで観たら、画面が明るくて、エメットにべったり付いた指紋や塗装の剥げやすきまに溜まる埃など、人形としてのリアルさに気づいた。

あと、ちょこちょことレゴブロック以外の日常使うものが紛れているのにも気づくし、その意味合いがわかった。スパボンはもちろんなんですが、スーパーマンとグリーンホーネットがひっかかったガムもそう。あと、エメットとワイルドガールがロボットに変装しているときの銀色は、たぶんアルミホイルを貼付けてるん じゃないかな。

マスタービルダーが捕らえられて一人一人カプセルみたいなのの中に入れてしまわれるのも、フィギュアの飾り方の典型だというのも二回目で気づいた。大事なフィギュアをそう飾るのもいいけれど、それでは遊べないのだ。

あと、ビルの最上階がとりはずされて飛んで行く時のいやにチープなぶるるるるって音は、たぶん、子供が口唇震わせて音を出してるんですね。

『ドン・ジョン』


ジョセフ・ゴードン=レヴィット監督・脚本・主演作品。初監督作品としてちょっと奇抜な題材が選ばれていておもしろい。“プレイボーイと絶世の美女が恋の心理戦!”みたいな宣伝文句がついていたけれど、そんなロマコメみたいな感じではなかった。
なんとなく、タイトルとその宣伝文句のプレイボーイってところから、ドンファンみたいな感じなのかと思っていたのだけれど、まったく違った。
以下、ネタバレです。




主人公ジョンは遊び人ではあるけれど、Macの起動音を聞いただけで欲情するポルノ中毒という設定。劇中で何度もMac起動音が鳴るんですが、その時に毎回、ジョンの欲望のスイッチが入ったことを感じられてわかりやすかった。そして、使い終わったティッシュをゴミ箱に捨てると、Macのゴミ箱から削除した音が鳴る。

Macの効果音を使うというのもちょっとおしゃれな演出かと思いますが、車に乗って教会へ行って懺悔、家に行って家族で食事、ジムで聖書?の一説を唱えながらトレーニングというルーチンワークが何度も出てきた。たぶん、ジョンはそんなルーチンを大切にしているのだと思う。多少変わるけれど、大体同じような流れでも退屈しているような様子はなかった。

彼女ができて、そんな自分だけの世界が壊される様子はなかなかリアルだった。何かするにもいちいち口を出してくる。トレーニングや掃除の仕方まで。しかも、付き合いで自分の趣味ではない映画を観なくてはならない。
この凡庸なラブストーリー映画に出演しているのが、なんとチャニング・テイタムとアン・ハサウェイ。なんか、すごくありがちな感じのストーリーが本当に退屈そうで、逆に観てみたくなった。この二人をもってくることができたのは、JGLの人脈なんだろう。ご祝儀出演だったのかも。
しかし、ラブストーリーをこれだけ退屈なものに仕上げるというのは、JGL自体があんまりラブストーリー好きではないのかな。

このラブストーリー好きな女性を演じているのがスカーレット・ヨハンソンで、最初にバーでナンパした時に、相手役はスカヨハか…と少しがっかりした気持ちになってしまったけど、このがっかり役にすごく合ってた。

自分の部屋には『タイタニック』のポスターが貼ってあって、漫画的といえるくらいわかりやすいキャラクター。見た目が遊んでそうなわりには恋に恋する乙女。でも、注文が多くて口うるさい。

ジョンの妹は、家族での食事中も教会でも携帯を離さないで会話にも入ってこないんですが、最後の方に「要は彼女はいいなりにさせたいのよ」と急に鋭い指摘をするのがとても恰好いい。興味無さそうに見えて、しっかり聞いてた。

完全にJGL目線だったので、妹の意見には完全に同意をしてバーバラはなんてひどい女なんだろうと思っていたけれど、そのあとにジュリアン・ムーア演じるエスターが指摘する通り、言われてみれば確かにジョンも独りよがりなんですよね。
日々のルーチンをストイックなまでに守っていることからしても、自分だけの世界観があるのがわかる。
ただ、独自の世界観をもつ男を描くときに、その主人公をポルノ動画中毒にしてしまうのはちょっとおもしろいと思う。確かに、ポルノ動画にはまっていて、現実の性行為にはまれないというのは、独りよがりを描く上でわかりやすくはあるけれど。

教会で懺悔をしたときに、神父から言葉が返されるんですが、ラスト付近の懺悔のときにジョンは「また一緒の言葉?」と聞き返す。神父なのだから私情ははさめないだろうし当たり前だと思うけれど、ジョンが初めてルーチンに疑問を持った瞬間のように見えた。いままで守ってきた繰り返す毎日を自分で壊したのだ。

題材がとんでもなかったわりには、ラストは無難に落ち着いていて、結局良い話になっていた。そこには、意外性やスリルはない。でも初監督作品なんだし、あんまり冒険しすぎてとっちらかった終わり方になるのもどうかと思うので、これで良かった。

JGLのいろんなあられもない姿が見られるサービス映画でもあると思う。他の作品では観られないサービス満点なのは、さすがに自らが監督しただけある。


2013年公開。あんまり評価がよくなかったので映画館へは行かなかったんですが、ハリー・トレッダウェイが出ているということで観てみたらおもしろかった! 映画館で観れば良かった。
149分と多少長く、長いわりにエピソードが細切れでまとまってない印象はあったけれど、これも劇場で観ていれば気にならなかったのではないかと思う。

とにかく、主演の二人、アーミー・ハマー演じるローン・レンジャーとジョニー・デップ演じるトントが可愛かった。二人のやりとりだけで長時間観ていられる。そのため、エピソードが細切れでも、その一つ一つでにやにやしながら楽しく見られた。
ところどころの笑いも二人の漫才みたいだった。でも、ボケツッコミの役割は決まっていなくて、どちらかというと、二人ともボケのようだった。
トントが頭にかぶっている死んだカラスを使ってのギャグも好きでした。餌をあげるしぐさは何かまじない的な意味合いが含まれているのかと思ったが、都合が悪くなるとあげるふりをしたりと便利に使っているようだった。猫が恐いといって鳥かごを頭からかぶる様子もかわいい。
トントの動きはところどころパントマイムのように大袈裟だったり、漫画っぽかったりしたんですが、ジョニー・デップが「サイレント映画を参考にした」と話していて納得した。
ロー ン・レンジャーは主人公ではあると思うけれど、ヒーロー然としてないのが良かった。どこか情けなく、いまいち強くない。調子に乗って、愛馬であるシルバーにまたがって「ハイヨー!シルバー!」と後ろ足だけで立ち上がらせたとき、「二度とやるな」とトントに怒られた時のしょんぼりした様子もかわいかった。
このシルバーという白馬も、CGも使われていたんだと思いますが、喋りこそしないけど愛嬌があってかわいかった。結構良い感じに活躍する。『塔の上のラプンツェル』の完全に王子よりも目立っていた馬のマキシマスを思い出す。
ローン・レンジャーとトントの並んでいる姿もまたいい。すらっとしたアーミー・ハマーの横に立つと、ジョニー・デップはずんぐりして見える。顔が大きめで背が低い、昔の人の体型という感じだけれど、これがトントにとてもよく合っていた。

この二人と一匹の罵り合ったり牽制し合ったり協力したりする姿が楽しいんですが、それだけでなく、序盤と最後に出てきた列車を使ったアクションも見応えがあった。
特に後半のカーチェイスならぬトレインチェイスはど派手。二台の並走する列車の中や上を使ってのスリリングな攻防がおもしろかった。馬に乗ったまま列車の上を走ったりと、このシーンもかなり漫画っぽい。
ここで使われているBGMが“ウィリアム・テル序曲”なのも合ってるけれど、少し変わっていておもしろい。一段落したあとで楽隊の方々が映るし、開通記念式典での演奏がベースになっているのかと思ってたんですが、この曲はドラマ版で主題歌だったらしいです。こうゆうオマージュがきっと各所にあったんだろうな。

メイキングを見てみると、トレインチェイスのシーンは列車に見立てた車を並走させて撮影していた。極力CGを使わないようにしたらしい。また、実際に線路を敷いて、ちゃんと動く機関車を三台も作って走らせたりもしていた。

メイキングでそこまでやるなんてすごい!と感動していたんですが、どうやらそのせいで大赤字になっていたらしいです。興行成績が芳しくなかったのに加えて、制作費がかかりすぎていたとか…。
私はとにかくこのコンビが大好きになってしまったので、是非続編を作ってほしいと思ったんですが、どうも難しいらしい。

『ローン・レンジャー』、元々は1933年のラジオドラマであり、その後、コミックス化、テレビドラマ化、更に、映画化も今回で四度目らしい。私は過去作はどれも観ていないんですが、よく知っている人からすると、リメイクとしてもあまり出来がよくないらしく、ラジー賞まで受賞していた。それに、今回が初映画化でもないのだから、ますます続編はなさそう。

メイキングと一緒に特典映像として“アーミー・ハマー、西部を行く”というコンテンツも収録されていたんですが、その映像を見る限り、かなり気さくそうな感じで好感度が一気に上がった。曾祖父が石油王で、イケメンで、馬も乗りこなせて、おまけに気さくなんてことになったら、ケチつけるところがない。

ハリー・トレッダウェイは悪役一味の子分みたいな役だった。子分の中でも目立つ子分。半女装が可愛かった。死に際がはっきりとは映らないので、続編があったらまた出てきてほしい。
切に続編を希望します。


アメリカでは2012年公開。
ゲイのカップルと、二人が引き取ったダウン症の男の子の話。三人は疑似家族であっても、この映画は家族ものだと思う。

以下、ネタバレです。





自由奔放すぎて強気だったルディは常識の中におさまるくらいには控えめになった。マルコはマルコの通っている学校の先生の話ではコミュニケーション能力が高 くなっていっているらしい。最初の頃はゲイであることをひた隠しにしてもじもじしていたポールも裁判所で感情を爆発させるようになった。
孤独だった三人が出会って、一緒に暮らしていくことで、過ごしていた時間は本当に幸せそうだったし、三人が三人とも良い方向へすすんでいて、もうまさに相乗効果としかいいようがない状態で、この関係を壊すことでは失うものだけで得られるものなど一つもないと思った。

裁判の証人としてマルコの実の母親が出てきた時に、どうしてここまでして、マルコと引き離したいのかよくわからなかった。母親が改心したのかと思ったらそれも違った。
ランバートやポールの元上司がなんでこんな陰謀めいた手段を使っているかというと、結局は同性愛者への差別なんですよね。それで、ゲイバーにマルコを連れて行ったことがあるか?とか、マルコのお気に入りのおもちゃは人形じゃないですか?という質問をする。

ただ一緒にいたいだけなのに、その願いすらかなわない。そして、結局悲劇的な事故が起きてしまう。
ハッピーエンドにしなかったのは、抗議や告発の気持ちをこめてのことなのだろう。
衣装や使われている曲から考えて、たぶん舞台はいまより少し前の時代だと思う(1979年だそうです。最初に出てたのかも)。現在はもう少しでも事態が改善されていることを願いたい。
原題は『ANY DAY NOW』。“いつの日か”ということで、祈りや願いが込められている良いタイトル。

ミュージカルではないが、ルディの歌や店で口パクで踊る曲には彼の気持ちが込められていた。序盤でポールを誘うように歌っていたのも可愛かったけれど、中盤以降、自分で歌い出してからが特に良かった。
あまりの歌のうまさに驚いてしまったんですが、ルディを演じたアラン・カミングは『キャバレー』でトニー賞ミュージカル主演男優賞を受賞しているらしく、そりゃうまいはずだと思った。
特に、ラストでどうにもならない想いややるせなさをぶつけるように歌われる『I Shall Be Released』は、なんとなく、『ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ』のラストでヘドウィグが『Midnight Radio』を歌うシーンを思い出した。
両方とも、どちらかといえば、起こった事実としては悲しいものである。しかし、あの力強い歌声から、これからの希望のようなものを感じるのだ。

2013年公開。アメリカでは2012年公開。ピート・デクスターの同名の小説の映画化。

若者が年上の女性にもてあそばれる、ひと夏の恋愛の話かと思っていたら、もっと話が何層にも重なっていた。どちらかというと、殺人事件の謎の解明がメインになっていて、そこに絡む要素の一つとしての恋愛な気がする。

殺人事件とは直接関係はないが、60年代のアメリカが舞台になっているので、黒人人種差別問題も取り入れられている。主人公の家のメイドさんの話や、新聞記者になるためにロンドン出身と嘘をついた話の織り交ぜ方がうまい。登場人物の短いエピソードを所々に加えることで、キャラクターに奥行きが出ていると思う。リー・ダニエルズは『チョコレート』『プレシャス』『大統領の執事の涙』など監督作品の多くで、黒人人種差別問題について取り上げている。

ニコール・キッドマンが演じるシャーロットは一見するとただのブロンドビッチなんですが、甘い言葉の書いてある手紙だけで刑務所の中の男にもベタぼれしてしまうというエピソードからも、あまり恋愛的に恵まれてないのがわかる。頭はあまりよくなさそうだけど、好きな人に必死なのも慣れていないせいだろう。

シャーロットが好きになる囚人ヒラリーはあからさまにあやしい。ジョン・キューザックの怪演っぷりが凄まじい。なぜかいつも汗をかいて髪の毛がぴったりはりついている外見も嫌悪感がおさえられない。
彼のエピソードとしては、彼の家が沼と言われていたけれど、本当に沼地にあって、家というより小屋のような感じだった。あんなところに人が住めるのかと疑問に思うような場所だった。アメリカの貧困問題にも触れられているのだと思う。

マシュー・マコノヒーは主人公の兄で新聞記者役。途中まではただの正義感の強い若者だったが、同性愛者であることが明るみに出てからは、いままでもほのかに感じていた影が一層強く出る。このあたりはさすがマシュー・マコノヒーといった感じでうまい。
眼帯をした姿でボートに乗っているシーンで、弟に「海賊みたいだ」と言われるけれど、見た目も含めて凄みが増す。殺人事件の犯人への執着心も強くなる。

濃いキャラがつめこまれているが、その中でザック・エフロン演じる主人公ジャックは青臭いだけで平凡。でも、普通のキャラクターもいないと濃すぎて胸焼けしそうなので、主人公くらいはこれでいいと思う。
水泳部という設定が最後にいきてくるのもいい。ラスト付近の沼をヒラリーが追いかけてくるシーンは、ほとんどホラーのようだった。

結局、一番最初の事件の解決が見られなかったのは残念。後半の殺人事件ではヒラリーは投獄されたし、たぶん最初の事件の犯人もヒラリーなのではないかと思うけれど、はっきりとはしめされない。

それでも、映画全体から、夏の蒸し暑さやじめじめした空気が感じられるのが素晴らしい。この雰囲気が最高。夏の映画だからって、爽快さは一切無い。


アカデミー賞作品賞受賞作品。『SHAME-シェイム-』のスティーヴ・マックイーン監督。1853年のソロモン・ノーサップによる伝記を原作とした実話なので、『SHAME』とはだいぶ作風は違うけれど、撮影の仕方はなんとなく同じような部分もあった。主演だったマイケル・ファスベンダーは今作にも出ています。

以下、ネタバレです。





『SHAME』でキャリー・マリガンが歌うシーンのような、顔の表情を映しつつ、全体を映さなくてもその表情から読み取れるような描写が今作でも使われていた。
他にも長回し(か、長回しに見えるように編集されている)が多く、絞首刑のシーンは特にすごかった。つま先でかろうじて地面につきながらも、首は縄につながれた状態で放置されているソロモン。本当にぎりぎりの状態だけれども、その後ろでは、何事もないように、他の人々が仕事をしている。位置的に、気づいてい ないわけはない。助けると自分たちも罰を受けるのがわかっているから助けられないのだ。この様子がかなり長い時間(に思えたけれど、実際はどれくらいだったのだろう)の長回しで撮影されていたのが怖かった。自分もその場に居て、目の前にリアルな現実がつきつけられたようだった。それはいままで全く知らなかったことで、衝撃を受けたのと同時に、本当に恐怖を感じた。

マイケル・ファスベンダー演じる農園主がソロモンの肩を組んで、ランタンのようなライトをつけているシーンはポスターや宣伝材料写真としても使われているけれど、てっきり和解したシーンなのかと思っていた。実際は、尋問めいたことをするシーンだった。ここも長回しが使われていた。ここでのソロモンを演じるキウェテル・イジョフォーの、恐怖と失望と諦めの入り混じった演技が素晴ら しかった。

マイケル・ファスベンダーはかなり怖い役だった。笑った時の目尻の皺がとても怖い。罪悪感のかけらも感じてなさそうだった。
ブラッド・ピット演じるカナダ人の友人?が奴隷制に対しての疑問を投げかけた時も、自分の所有物なのに何がいけないの?と邪気がない感じだった。
最後に保安官がソロモンを連れ戻す時も、「俺の所有物だぞ!訴えるぞ!」と何も理解していない様子だった。もう根本的な考え方が違うのだ。だから、理解してもらえない。どうしようもない。それが絶望的な気分にさせられる。

パッツィーを演じたルピタ・ニョンゴはさすがのアカデミー助演女優賞受賞。心を殺して農園主に従っている様子、殺してくれと涙ながらにソロモンに懇願シーン…、彼女のシーンはすべて引き込まれた。
特に終盤の罰を与えられるシーンは、彼女の訴えには何一つ悪い箇所はないし、それでもそんな目に遭う理不尽さに悔しい想いがした。しかも、ソロモンに鞭をふるわせるという所業を見て、涙が出た。映画を観て、感動以外の涙を流すのは久しぶりだった。
そのあと、傷の手当をされているパッツィーがソロモンを何も言わずにじっと見るシーン。その瞳に宿っているのは怒りだが、それは、鞭をふるったソロモンに対する怒りではなくて、なんであの時に殺してくれなかったの?という怒りだった。やりきれない。

映画を観終わったあとで、怒りだけではなく、なんだかわからない正義感みたいなものもわいてきた。そして、『それでも夜は明ける』という邦題に対しても、ソロモンは解放されたけれど、他の人たちはまったく何も解決してないし、夜なんてまったく明けていない!と憤ってしまった。
こんなことなら原題のままでいいし、どうしても日本語にしたいなら、直訳の『12年間、奴隷として』で良かった。

しかし、もしかしたら“なんの状況も変わらないのに(それでも)容赦なく朝はくる(夜は明ける)”という暴力的な意味なのかもしれない。どのような意図をもってつけられた邦題なのかはよくわかりませんが、こっちの意味ととらえたい。

他の役者さんたちについてですが、ベネディクト・カンバーバッチはちょっとずるいですね。生まれながらの気品が漂っていて隠しきれない。また、昔の貴族みたいなファッションが似合う。穏やかな低音ボイスも素敵だった。

そこで働いているのが、ポール・ダノなんですが、こちらは育ちの悪い役柄で、人を苛つかせるいつもの感じだった。
登場シーンから、奴隷たちに手拍子をさせて自分は差別的な歌を唄うという本当に悪い奴で、でも、そのむかむかする感じがいつものポール・ダノだったのでニヤニヤしてしまった。
怒ったソロモンに蹴られているときは、ごめんなさいごめんなさいと下手に出て、あとで子分をつれて仕返しにくるのも、すごくポール・ダノだった。一人では無理っていうこの小物感、ハマり役でした。

音楽はハンス・ジマー。『インセプション』の最後のシーンで使われた曲っぽいのがあった。静謐ながらも、綺麗というよりは内に秘めたものが感じられる曲が多かった。

農作業のつらさを和らげるために、作業をしながら唄っていたというプランテーションソングもいくつか使われていた。
エンドロールで劇中に賛美歌として使われた“Roll Jordan Roll”が流れるのは、亡くなった方々への鎮魂の意味も含まれているのかもしれない。


アカデミー長編アニメ映画賞受賞。全世界で興行収入10億ドルを突破したとのこと。サウンドトラックCDも売れているらしい。
確かに曲はどれも良かったし、『塔の上のラプンツェル』風のキャラクターデザインもとても可愛い。雪や氷の表現もとても綺麗だった。
でも、ストーリーがあんまり好みではなかったです。もっとこうしたらいいのに!という不満が残ってしまった。

以下、ネタバレです。







雪の上を歩いたときに残る足跡と少し巻き上がる雪。攻撃的になったエルサが放つ魔法で作り上げるつららの鋭さや質感。氷の城の床の反射。名曲Let It Goを歌いながら、自分のドレスを氷のドレスに変えるシーンなど、どれをとっても綺麗でした。厳しい寒さを感じさせつつも、やっぱり雪や氷は綺麗だと思った。日本の公開日3/14というのはもう春だし、遅すぎる。真冬に公開したら良かったのに。

ストーリーなんですが、アンデルセンの『雪の女王』を元にしているとのことですが、あらすじを見ても、雪の女王がつららを刺すあたりしか同じではないみたい。なので、原作のせいではないです。

エルサがつららを刺してしまったことで、アナが死んでしまいそうになり、それを救うのは真実の愛だけだということがわかる。アナがいよいよ凍ってしまったときにエルサがアナを抱きしめると、アナは元通りに、エルサの魔法の力の暴走で冬になっていた国も元通りに。
ここに“王子様”の入る隙はまったくない。だからもう、いっそ、エルサとアナの姉妹だけの話で良かったのではないかと思う
幼少の頃、エルサの力のせいで離ればなれになって、アナの記憶も消されて…というあたりも、アナの記憶を元に戻す描写も欲しかった。

男の人が出てくるなら出てくるで、Wヒロインという売り出し方をするなら(この売り出し方をしているのは日本だけかもしれない)、エルサにも王子様がいないと可哀想。結局ロマンスがあったのはアナのほうだけ。しかも、二人と。一人は偽でしたが。

良い曲が多かったのでサントラ盤が売れるのもわかるんですが、最初の王子との曲も入っていると思うと切なくなる。あの、運命の人ひとめぼれの展開、すごく良かったのに。バカップルというか、二人の浮かれ具合が好きでした。なので、あれは嘘だったと言われるのはつらかった。

ただ、一緒に旅をする途中で、クリストフもアナのことが好きになってたみたいだったし、トロールにあれだけ盛大に祝われて、この二人をくっつけないのもどうするんだろう…とは思っていた。

以前どこかで、“『魔法にかけられて』が好きな人向け”という話を見た気がしたので、もしかしたら、アナとクリストフ、王子はエルサとカップルになるのかなと思っていた。だけど、そんなこともなく。エルサには“王子様”の影すらなかった。

だから、結局のところ、私はどっちかにしてほしかったんだと思う。“王子様”を出すなら姉妹二人ともにお相手を。でなければ、こんな風に呪いを解くのにも姉妹で事足りるならば、姉妹だけの話で良かった。
エルサを救う真実の愛の相手が、王子ではなかったのは残念だったけど、当然クリストフだと思うじゃないですか。それが、アナならば、もう姉妹だけに焦点を当ててくれれば、もっと深く濃く、二人のことが知れたのに。

今回、字幕版で観たのですが、吹替もかなり良いらしく気になる。
雪だるまオラフ役がピエール瀧らしい。オラフも一曲あるんですが、え?歌うの?と思ったけど、そこは元々音楽の人なんだから大丈夫でしょう。

エンドロール後のあれは、『マイティ・ソー/ダーク・ワールド』と同じ感じ。それほど重要ではない敵が、観ている人や登場人物からも忘れられて取り残されてるっていう。

そういえば、エンドロールの途中で思い出したのでカメオは見つけられなかったです。

(追記:わりと否定的な感想を持ってしまったんですが、観てしばらく経った今、謎のハンス愛によって、もう一度観たくなってます。吹替でも観たい)


同時上映の『ミッキーのミニー救出大作戦』が素晴らしかった。アニー賞の短編アニメーション賞を受賞しています。
最初、モノクロだし、動きも古き良きな感じだし、音声も古そうだったので、昔の作品を発掘してきたものなのかと思った。
しかし、途中から、ミッキーがスクリーンから飛び出して来た!ここですごく驚いた。スクリーンから出てきたミッキーはCGに。そして、スクリーンをひっくり返したりといじりながら、スクリーンの中と外側でストーリーが展開していく。これ、3Dだとどうなるんだろう。2Dでもだいぶ飛び出して見えた。
ミッキーの声はウォルト・ディズニーの声のアーカイブの合成らしい。


アレクサンダー・ペイン監督。今回もとてもこの監督らしい作品だと思います。
高額当選の手紙を受け取った父親と、それが詐欺だと気づきながらもしぶしぶ賞金を受け取るために一緒に旅に出る息子の話。
モノクロですが、「1974年? 40年近く前じゃないか」というセリフも出てきたため、現代が舞台です。モノクロといっても、グレーがとても柔らかくあたたかい色合いだった。

以下、ネタバレです。








一緒に旅をしていくうちに、自分のルーツや父親のルーツがわかって打ち解けるというシンプルなストーリーながらも、各所で起こるエピソードと、人と人との粋な会話が素晴らしい。
素晴らしいといっても、本当になんてことないんですよ。線路で父親と一緒に入れ歯を探すくだり、墓参りのくだり、父親の兄弟がそろってなんか気まずい空気のくだり、空気圧縮機を盗むくだり…。はっきりいって、抜けていても、ストーリー自体に大幅な変更は加わらない。
でも、このなんてこそなさが、リアリティがあって、そうゆうことってあるよなあという共感とともにくすっとしたり、涙ぐんだりしてしまう。
登場人物たちのすぐ近くに寄り添うように、優しい目線でとらえているのが感じられて心地いい。

そんなリアリティのある会話やエピソードだから、それを見たり聞いたりしているだけで、なんとなくその人の人柄までわかってしまう。登場人物がわりと多いんですが、出番の少ない人たちですら、ほぼ人柄が理解できる。

母親についても、若い頃はモテた話をしていて、冗談だろうなと思って観ていたけれど、父親を病院に残して先に家に帰る時に、額に小さくキスをしていて、ああ、この人本当にモテたに違いないなと思った。なんてことないエピソードの何気ない仕草にもしっかり意味がこもっている。

父親を馬鹿にされたときに、主人公がそのまま店を出ようとして、一回迷ってからやっぱり振り返って殴るというのも、人柄が出てる。たぶん、人を殴ったのは人生で初めてだと思う。

バーで、高額当選の手紙をネタに「あいつ、こんなの信じやがって馬鹿だよなー」などと話されてて怒るシーンですが、そんなの主人公だってちょっと前までそう思ってたんですよ。でも、旅の途中で気持ちが変わったせいもあるかもしれないけれど、何より、家族以外の人が父親のことをそんな風に言っているのは我慢ならない。それも、本当によくわかる。

会話が重要な位置を占めている作品ですが、問いかけと一拍おいての返答というおじいさん同士の会話のテンポが最高だった。特に兄弟が揃ってテレビを観ながら、乗っていた車の話をするシーン。なんとなく話をふっただけで、別に重要な話だとはその場にいる誰一人として思っていないのもよくわかった。
別のシーンで主人公がいとこに乗ってる車について訊ねられるんですが、なんだろう、社交辞令というか、天気の話みたいなものなんですかね。とりあえず聞いておくか感があった。いとこの場合は、乗ってる車によって相手の暮らしぶりを探ろうという魂胆もあったのかもしれない。

会話が多いですが、ただ多いだけではなく、省き方も絶妙だった。説明くさくはならない。ラスト付近の、父親が病院から抜け出して歩いて目的地を目指すのを車で追いかけるシーンは、もうわかるだろ?という感じで、言葉を発しないまま、次のカットでは車の座席の横に父親が座っている。

息子が当選金額100万ドルを何に使うのかと聞くと、父親はトラックと空気圧縮機を買うと言う。それでもだいぶあまると言うと、「お前たちのために何か残してやりたかった」と。
父親がかつて暮らした町で、親戚や昔の仲間、昔の恋人に話を聞いて、自分の父親というよりは、一人の人間としての姿を知って、そして、当選金額の使い道を聞いて、自分のことなど少しも考えていないだろうと思っていたのに、そうではなかったことを知る。
シンプルで、よくあるといえばよくあるのだけれど、充分に沁みる。

もうここで、めでたしめでたしではあるんですが、ちゃんと当選問題についても決着をつける。

高額当選の手紙の差出人を訪ねると、まあ当然、当選していない。そのことについては、息子もよくわかっていたので、別に怒るでもないのも良かった。そして、そこでプレゼントというか残念賞として貰うチープなキャップがキーになっているのもいい。PRIZE WINNER(高額当選者)なんて書いてあって、どんな皮肉だと思ってしまった。

息子は父が欲しいと言っていたトラックと空気圧縮機を買ってやる。そして、かつて暮らした町を通るわけですよ。運転席にはPRIZE WINNERの帽子をかぶった父親が。
バーで馬鹿にしてた連中が唖然とした顔でそれを眺めているのが良かった。頬には殴られた痕が。ここまでスッとする最高の仕返しはなかなかないです。ざまーみろ。

結局、お金は手に入らなかったけれど、もっと大切なものを手に入れたという一言で言ってしまえば、本当にこの辺もシンプルなんですが、父とちゃんと話をしなければトラックと空気圧縮機が欲しいということもわからなかったし、目的地へ行かず病院から家に帰っていたら、馬鹿にしていた町の人たちの鼻をあかすこと もできなかった。無駄だとわかっていても出向いたからこそ、あきらめもついた。そして、あの帽子があるとないとでは見栄えも全く違う。

アカデミー主演男優賞にもノミネートされていたブルース・ダーンの演技がさすがでした。聞いているのか聞いていないのかわからない絶妙な間を置いてからの返答のおじいさんぽさ。そして、やっぱり高額当選金に対する執着心。手紙が奪われた時の傷心具合と、奪った奴らは手紙を捨てたらしいと言った時の目の色の変わり方はもうキュートとも言えるほどで、映画館内にも笑いが起こっていた。


良いところも悪いところも切り取る人物描写のうまさと、どんなに駄目そうな人間でもどこか愛嬌をもって描く優しい目線と、粋な会話の応酬はアレクサンダー・ペイン監督の味だと思いますが、なんとなくジェイソン・ライトマン監督も似た作風だと思ったら、ジェイソン・ライトマンがアレクサンダー・ペイン好きらしいです。なるほど。

パンフレットに書いてあったんですが、今回の映画の主人公の家から目的地までの距離は1,500キロで、日本で言うと青森市から山口市までらしい。日本に例えられていると旅の距離感が掴みやすい。
また、映画の大部分を占める父親の生まれ故郷のホーソーンは架空の町らしい。