同じくマーク・ウェブ監督による続編。独立した話というよりは続きなので、前作を観ておいたほうがわかりやすい。
以下、ネタバレです。





マーク・ウェブ監督は『(500)日のサマー』を撮っているんですが、その要素が受け継がれているのか、アクションものなのに、マッチョではなくどこかナヨナヨした青春恋愛映画になっているのがおもしろい。前作もそうでした。
NYの平和はもちろん大事だけれど、彼女がロンドンへ行くと言ったら、ロンドンで平和を守る!と決断しちゃう。スパイダーマンであることをやめるわけではなく、守る町を変えると言うあたりが彼っぽい。
それでも、アクション映画だし、青春映画では考えられないくらいに登場人物が死んでしまう。
前作の最後で、グウェンの父親が最期に「娘に近づくな」という言葉を残す。死ぬ間際のメッセージだし、関わったらこのように死んでしまうかもしれないと考えられるし、説得力がある。
前作がそんな終わり方だったから、今作で彼女との関係はどうなるんだろうと思って観ていて、何事もなかったように電話をしていたので、不思議に思っていたら、ちゃんと、父親の幻影に苦しんで一度は別れていた。
けれど、やっぱり好きー!ってことで、ロンドン行くよ発言が飛び出したんですね。
でも、結局グウェンが死んでしまう。
地面に打ち付けられていなかったので、気絶しているだけかと思ったけれど、お葬式のシーンがあったので、実は生きているということはなさそう。原作でも死んでいるようです。
こちらは青春物と思って観ていて、何が起こっても彼女と一緒にいたい!というピーターの想いを、ヒーローらしくはないけれど、それもありだろうということで、いっそ微笑ましく観ていたのに、まさかその彼女が死んでしまうとは。どちらかというと青春ものとして楽しんでいたのに、急にアクション映画になってしまったので驚いた。

最初に時計の歯車が映って、それが確かピーターの腕時計の内部だったんですが、後半、グリーンゴブリンと対決するのは大きな時計台の内部で、歯車を使った戦闘シーンがあるので、なるほどここに繋がるのかと思った。

最初に「アレクセイ様だぞーがはは」と出てきて、スパイダーマンに華麗に倒される悪者が出て来るのですが、それも最後にも出てくる。最後に出てきた時には、巨大な機械を纏って、二足歩行から四足歩行で突進して、これを倒す事でスパイダーマンが復活するので、ここでもかませ犬的な役割だった。なので、ちょい役だと思っていたのですが、これがライノというちゃんとした敵らしく、“三人の敵がスパイダーマンに襲いかかる”と数にもカウントされているし、原作にもちゃんと出てくる敵らしい。
ちなみに、エンドロールで知ったのですが、演じていたのがポール・ジアマッティ。『ウォルト・ディズニーの約束』で観た、あの人の良さそうな印象とはうって変わっていてわからなかった。
そういえば、『ウォルト・ディズニーの約束』の作詞作曲兄弟を演じた一人、B・J・ノヴァクも出てた。会社の嫌な上司役。

三人の敵のもう一人はエレクトロ。演じたのはジェイミー・フォックスで、こちらも『ジャンゴ』とは印象が違う役。スキッ歯とバーコード頭で冴えない風貌。誕生日に残業を申し付けられ、♪ハッピーバースデートゥーミーと自分で自分を祝っていて事故に遭って、生まれた敵。被害者なのでかわいそうだった。スパイダーマンに何をされたというわけではなく、逆恨みだったように思う。

そして、もう一人の敵がグリーン・ゴブリンで、演じたのがデイン・デハーン。楽しみにしてました。もう出てきた時から苦悩を抱えていて、常にどこか暗い影を背負っていて、笑顔も儚い。社長の息子なのでいいとこのぼっちゃん風だし、オズコープ新社長になるし、育ちの良さそうな感じが似合う。
体調が悪い役なので、目の回りが隈というか、茶色っぽくなっていて、色の白さが際立つ。
この人も逆恨みでスパイダーマンの敵になるんですが、暗い顔から一転しての悪い事を考えた笑みがたまらない。久しぶりに会えた友人との談笑の顔も儚いものだったし、企んでいる笑みがやっとちゃんと笑ったという感じ。
広い意味で見ると、『クロニクル』や『プレイス・ビヨンド・ザ・パインズ』などと一緒の役です。
ちゃんとは映らないけれど、グリーン・ゴブリン姿もいかす。特殊メイク姿、もっとしっかり観たかった。オールバックにすると額の広さが目立ちます。
倒されてはいなかったので、次回も出てくるようです。

敵が三種類も出てくるとわちゃわちゃしそうだけれど、ライノは最初と最後(というかライノ姿は最後)だけだし、グリーン・ゴブリンとも決着がついていないし、それぞれがぶつかることはなかった。三つ敵がでてきていて、しかも、恋愛要素に結構時間が割かれているから、なんとなく全体的にあっさりしていた。

前作でもそうだったかもしれないけれど、スパイダーマンの動きはかなり俊敏なので、キメるシーンではスローになって全動きを見せてくれる。キメでスローになるのが少しザック・スナイダーっぽくもある。
スパイダーマンって飄々としていて軽いんですよね。糸をぽんぽん出したり、ビルとビルの間もひょいひょい飛んで行く。もうこれはヒーローの性質が違うからス パイダーマンってこうゆうものなのだろうし、仕方がないんですが、キャプテン・アメリカを直前に観ていると、あのゴリゴリした感じのほうが好みかもしれない。

おまけ映像はミスティークがどこかに潜入している映像。X-MENはX-MENなのでしょうが、なにか繋がりがあるのかもしれないけれど、いまいちわからず。今度公開されるフューチャー&パストの予告的な映像なのかもしれない。


予告を見た感じだと、エキセントリックな母親に振り回されて、すったもんだありながらも三姉妹(とその夫)が力を合わせて危機を乗り切って大団円みたいな話かと思ってたけど、違った。
以下、ネタバレです。





家族ものは細かい部分はもちろん違うものだけれど、根本的な部分では一緒だから、登場人物の気持ちが伝わってきやすい。特に家族の揉め事となると、本当によくわかる。
家族だから、近い人間だから、遠慮や配慮がなくなって余計な一言二言がばんばん出る。謝らないのも甘えなのかもしれない。
もう修復不可能と思っても、血がつながっているし、縁は切れてもその事実は変えられない。だからこそ、余計に怒りがわいてくるし、
更に、家族間の揉め事は家族間で解決しなければならない点も厄介。

この映画の中では、揉め事が新たな揉め事を呼び、三姉妹も夫婦間も親子間もすべてが破綻する。しかも、ジュリア・ロバーツ演じるバーバラに関しては自分の母親と自分の子供と両方だ。

家族ものは丸くおさまるのがセオリーなのかと思ってた。もちろん、本作もあの後丸くおさまるのかもしれない。なんとかおさまるんでしょう、きっと。どうかおさまってください、と自分のことのように願いたくなってくる。

メリル・ストリープもジュリア・ロバーツも、出演作を好んで観る女優さんたちではないけれど、それぞれアカデミー賞主演女優賞、助演女優賞にノミネートされていただけあって、演技に見ごたえがあった。家族の会合ものなので、狭い世界のわりに出演者が多く、有名俳優が集められてるけれど、二人以外は脇役に見えた。
葬式の後の食事のシーンとブーツの話をするシーンのメリル・ストリープはさすがとしか言いようがないうまさ。あれだけ苦悩するジュリア・ロバーツというのも初めて見た。迫力があった。結局は数日間の出来事だけれど、その演技によって密度が濃くなっている。もともとが戯曲らしいので、セリフが多いのも濃くしている要員なのかもしれない。

ユアン・マクレガーもクリス・クーパーも良かったんですが、ベネディクト・カンバーバッチが出てきたところで、映画館内の気温が1、2度上がる感じがした。一気に、映画館内の観客さんたちが色めき立ったのを感じたんだけれど、もしかしたら、私の体温が上がっただけかもしれない。
また、少し気弱だけれど優しい男の子という役柄もいい。更に、ピアノを弾きながら歌うシーンがあるのは貴重なのではないか。しかも、すごくうまいわけではなく、でも健気さというか一生懸命さは伝わってくるあたりがずるい。


エリック・ローマクスの自叙伝を原作とした実話。戦時中の過去パートと現在パートとが描かれ、過去パートはジェレミー・アーヴァイン、現在パートはコリン・ファースです。

以下、ネタバレです。







全体的には重い作品だった。戦時中のトラウマをかかえた退役軍人と、その戦時中が描かれる。戦争シーンはドンパチではなく、その後の捕虜や強制労働などで描かれていて、このような手法は派手さがない分、残酷さが際立つ。
日本人がイギリス人を怒鳴ったり殴ったりする様子が単純につらいが、知らなくてはいけない事実だと思う。

戦時中に受けた仕打ちによって、主人公エリックのようになってしまっている人は多いのだと思う。フラッシュバックのように襲ってくる記憶。その当時のことは妻にすら話せない。
ステラン・スカルスガルドが演じるフィンレイは退役軍人のまとめ役のようだったけれど、彼も結局自殺してしまう。

もし、自分がエリックだったら?と考えるのは状況が違いすぎて難しい。でも、いまの自分をその状態にした張本人が見つかったら、まだのうのうと生きていることがわかったら…。復讐を考えるのも仕方がないのかもしれない。

しかし、このエリックという人が素晴らしいのは、この苦悩を復讐せずに赦すことで乗り越えたことだ。
最後、手紙を返して、泣き崩れたナガセの肩を優しく抱くシーンがいい。憎しみをぐっと抑えて、本当に赦したのだ。
いくら拷問されても事実無根だと主張し続けたエリック・ローマクスは心が強い人間だと思うが、何年経っても強い人間のままだ。
また、その様子を妻のパティが後ろから見守っていたのも、彼の行動を後押ししたに違いない。常にでしゃばりすぎず、でもそっと寄り添っているパティの姿も良かった。

最後に“永瀬隆とエリック・ローマクスは”という文章が出て、実話を基にというか、まさに実話なのだと知った。
そして、最後におじいさんになったご本人たちが一緒に写っている写真が出る。本当に彼らは友情を築いたのだと、説得力のある写真に涙が出た。あの写真を出すのはずるい。


元々はコリン・ファース目当てで観たんですが、過去パートと現在パートが半々くらい。真田広之は、重要な役柄ながら、出番自体は少ない。ジェレミー・アーヴヴァイン、どこかで見たことが…と思いながら観てたんですが、『戦火の馬』だった。

この前、『ブリジット・ジョーンズの日記』を観たせいか、コリン・ファースがすごく年をとったように見えたけれど、人生に疲れている役柄だからそのような外見だったのかもしれない。まだ53歳です。最初の口髭姿は更に年をとって見えた。

でも、相変わらずキスをするコリン・ファースや冷たい表情をするコリン・ファースにはドキドキしました。もちろんドキドキさせようとしているシーンではないです。シャツがズボンからはみ出ていたりと、きっちり服を着ていないのがまた良かったけれど、これも別にそうゆうシーンではないです。


キャプテン・アメリカ第二弾。『アベンジャーズ』後の話です。この前の『マイティ・ソー/ダーク・ワールド』もそうでしたが、結構話が続いているので『アベンジャーズ』は観ておいた方が話がわかりやすい。あと、映画の中で前作『キャプテ ン・アメリカ/ザ・ファースト・アベンジャー』の軽いおさらいはあるので話の面ではわかりにくくはならないけれど、観ておいた方がキャップの心情などがよりよく伝わってくると思う。
原作は読んでいません。

以下、ネタバレです。





前作はラスト付近まで1940年代が舞台だった。今回は現代が舞台です。『アベンジャーズ』の後の話。これを観た後だと、こちらがメインで、前作は過去篇とか番外編的な意味合いにもとれてしまうくらい、今回のほうが中身が濃く感じた。

スミソニアン博物館にキャップ関連のものが展示してあるんですが、それを使ってキャップ1で起こったことの説明をする、というおさらい方法が、スマートでしかも効率がよくわかりやすかった。70年も昔の出来事だから、博物館に展示してあるのも自然だし、展示物というのは出来事を簡潔にまとめてあるものである。だから、あらすじの説明をするにはもってこいなのだ。すごいアイディアだし、他の作品では真似ができない。

またここで、有名人であるスティーブが目立たないような恰好をしているんですが、子供に見つかってしまった時、内緒だよという感じで、しーってやるんですね。そのシーンがすごく恰好良い。
私は前作と今作ですっかりキャプテン・アメリカファンになってしまったんですが、それと同時にクリス・エヴァンスも好きになってきた。

また、ブラック・ウィドウに関しても、ナターシャの面が多く出てきていて、スティーブともいいコンビで良かった。ふてぶてしさ満載のナターシャが可愛い。
キスシーンはあっても、絶対に男女の関係にはならないだろうなという二人がいい。スティーブの好みではないし、ナターシャの好みでもない。それでも不思議といいコンビに見えるのは、だからこそなのか。トニー・スタークとナターシャが並んでいるところとは正反対である。
また、そのキスシーンのあと、ナターシャが「1945年以来のキス?」と、こちらが聞きたかったことを聞いてくれた。そして、常に女性の事で世話を焼いてあげようとしているのもおもしろかった。彼女なりに心配をしてあげている。

正確にはタイムスリップではなくコールドスリープだけれども、キャップは一人きりで時を越えてきていて、浦島太郎のような切なさがある。
特に、自分は若いままでおばあさんになってしまった想い人と話すシーンが泣ける。ドクター・フーにも似たようなエピソードがあった。

そんな状況の中で、死んだと思っていた幼馴染みが同じ若い姿で、しかも敵として出てくるという展開がいい。この時代に一人きりじゃないことがわかった喜び、幼馴染みが生きていた喜び、しかし敵として対峙していることでの困惑…。
感情が入り混じって、向こうは自分の事を憶えていなくても、ただでさえ優しいキャップが戦えるはずはない。戦いに出向く時に昔のスーツを着ていったのは、それなら思い出すかなと思ったのだろうか。過去でバッキーと別れた場所と同じように、ブリッジの上というシチュエーションで戦うのも考えられている。「最後まで一緒だ」と過去と同じセリフを口にして、唯一の武器であるシールドを下に落とすシーンからもキャップの覚悟が感じられた。

最後のおまけシーンで、バッキーがスミソニアン博物館で自分の記事を見ているシーンが出てきた。記憶は戻ったのだろうか。
二人の対峙は最後のほうでもっと、ドロドロしたメロドラマにしてくれても良かったとも思ったけれど、また次回、キャップ3で期待してます。

また、今回はアクションシーンも見応えがあった。エレベーター内での閉所アクションは派手さはないけれど、狭い場所を使っての動きが計算されつくされていた。
ニック・フューリーが襲撃される車のシーンも、車内と車外との攻防がおもしろい。車内のAIとの会話での「正常に動いている機能は?」「エアコンは動きますが」の機械特有の空気読めなさも、緊迫感のあるシーンに笑いも加えてくる余裕が感じられた。

演じたキャスト名の横に、登場人物のモチーフのシルエットが出るエンドロールが恰好良かった。ちょっと『スカイフォール』のオープニングを思い出した。


2011年公開。続編が公開されたのと、マーベル・シネマティック・ユニバースの中で観ていなかったので観ました。

『アベンジャーズ』を観る前に観ておけばよかった。なんとなく昔から来た人とか良い人という印象しかなかったけれど、彼の背景がわかって、親しみが持てるようになりました。

原作も知らないのでキャプテン・アメリカの誕生の仕方もわからなかった。ひょろひょろの痩せた男が機械にかけられて筋骨隆々になるのは予告編を見ていたのでなんとなく知っていた。
しかし、そもそもナチスを倒す戦争が関わってきているとは思わなかった。キャプテン・アメリカという名前もそうだけれど、星条旗を模したスーツのデザインから、アメリカの象徴みたいな役割だった。

あと、これは映画だけでの設定らしいんですが、国民や兵士の士気を鼓舞するための広告塔として、チアリーダーのような女性たちとステージに立っていた。
この時に着ているスーツがコミックでの初期デザインのものらしい。実際に着て戦うには無理があるデザインだけれど、ステージ衣装で使うあたりに原作へのリスペクトが感じられる。ヘルメットにちょこんと付いてた羽根は実戦バージョンではプリントになっている。
ステージに立つキャプテン・アメリカを元に漫画が出たり、映画になったりしていたけれど、実際には漫画からステージになっているので逆だったってことか。

ここで使われているキャプテン・アメリカのテーマ曲も時代までもを反映していてよくできている。エンドロールでも使われている。

アイアンマン、トニー・スタークの父親ハワード・スタークが思ったよりも頻繁に出てきた。70年のコールドスリープで時を経ることで、お世話になった方の息子と会うことになって、しかも一緒に闘うというのはロマンがある。

ペギーとのことはかわいそう。キスはしたけれど、お付き合いをするのはこれからというところだったのに。いままで女性とまともに会話すらしたことがなかったようなので残念。

女好きのトニー・スタークやソーのような筋肉馬鹿と比べると、スティーブはまとも過ぎるくらいにまともな人間で、正統派ヒーローである。映画内でも言われていたが、元々肉体的に弱かったから、人一倍、力のありがたさがわかっているから謙虚なのだと思う。『アベンジャーズ』を観た時にはいまいち地味だと思っていたけれど、キャプテン・アメリカというキャラクターが一気に好きになった。
シールドを投げるアクションもかっこいい。銃も剣も持たずにシールドだけで防御も攻撃も兼ねている。

謎のキューブも謎のまま出てきた。血清はハルクというか、ブルース・バナー博士に投与されたものと一緒らしい。全部繋がっているのだ。

何よりラストの、目覚めた部屋が書き割りのセットのような場所で、外に出ると70年後の現代になっているところ、そしてニック・フューリーが迎えにくるあたりはすごくワクワクした。
この映画はここで終わりだけれども、すべてはこれから始まる感じ。続けて『アベンジャーズ』が観たくなった。そして、キャプテン・アメリカの活躍を見直したい。

『舟を編む』


2013年公開。原作は、題材はおもしろいと思いつつも文体が好みではなくて、あらすじをなぞるような斜め読みをしてしまっていた。作品に対する印象もあんまり良くなくて映画も見送っていたんですが、石井裕也監督だと知って観てみました。

一冊の辞書編纂を中心に物語が進んで行く。編纂するのは一冊だけれども、辞書なので15年かかる。関わる人も年をとり、中には亡くなる方も。

話は地味と言えば地味。本に囲まれた編集部や自宅でひたすら校正をしているシーンが多い。それでも、確実に時が過ぎているのがわかり、登場人物もそれぞれが成長している。

特に主人公の馬締光也を演じた松田龍平の演技が良かった。映画の中で、12年後に飛ぶんですが、その時に、ちゃんと12年を経ているように見える。少し疲労感が滲み出ている。でも、12年前よりしっかりしていて頼りがいがあるように見える。
登場シーンは変わり者であんまり関わりたくない人物に見えた。そのあと、あまり表情は変えないけれど、一生懸命頑張る姿とその頑張りがあさっての方向へいってしまう姿が可愛いながらも応援したくなった。
仕事を引き継いだ相手の定年退職、やっと打ち解けた同僚の異動といろいろなことがあっても、作品で描かれていない12年間にはもっといろいろなことがあったのだろう。それははっきりとは語られないけれど、表情やたたずまいでもってをちゃんと見せるのが良かった。

ただ、その中でのちに妻となる林香具矢だけが少しも変わらない。12年後にとんだときに、夫婦間に年月が感じられないのは違和感があった。
彼女との恋愛エピソードも“恋”の項目のためには必要だったのかもしれませんが、いまいちリアリティがない。ひとめ惚れだから仕方ないですが、急に恋に落ちるので過程が楽しめないのと、出会い方が漫画的すぎる。もじもじしている馬締は可愛くて応援したくなったけど、香具矢が馬締のことを好きになる理由がわからない。いきなり「みっちゃん」と呼んでいるのも幼馴染みでもないのにと思ってしまった。馬締の成長も恋愛絡みではなく、辞書関連での部分が大きいように見えた。
演じていた宮﨑あおいが悪いわけではないです。多分、原作の通りのキャラクターだと思うので。カグヤという名前、出会いのシーンの満月から、余計の事を想像しそうになる。

同僚を演じていたのはオダギリジョーだったんですが、松田龍平と初共演というのは意外だった。
ファッション雑誌編集部から異動してきた女性は現代っ子っぽい感じで印象が悪かったんですが、エンドロールで黒木華だと知ってびっくりした。『小さいおうち』の印象しかなかった。

香具矢は板前なので料理を作るシーンが何度か出てくるんですが、やはりフードコーディネーターは飯島奈美さんだった。特にお雑煮が飯島さんっぽかった。


2001年公開。コリン・ファース目当てで見ました。
主人公のブリジット・ジョーンズは結婚相手をさがす32歳で痛々しい設定ではあるけれど、『ヤング≒アダルト』のような本格的な痛々しさではない。また、大酒飲みでヘビースモーカーでは あるけれど、根はいい子で失敗しても一生懸命で常に明るいからキュート。このキャラクターがとても好きになったし、所謂美女ではない、スタイルも良くないところに親近感が持てる。

この頃のヒュー・グラントが絶好調というかかなり恰好良い。イケメン上司役がよく合っていた。親近感を持って、ブリジット・ジョーンズをどこか自分に重ねて観ていたので、うっとりしてしまう。まるで少女漫画みたいだった。
異常なほどのプレイボーイなのも納得の恰好良さ。ひどいことをしているけれど、なぜか憎めないキャラクターだった。ビデオレター風のエンドロールで一緒にいる女性の名前を間違えるのを違う三人にやるというのも漫画的だった。

その影になっていたのがコリン・ファースなんですけれど、このキャラクターもまた良かった。振り向くと、トナカイの顔がどーんとデザインされたセーターを着ているという登場シーンからもう最高。そこからもわかるように、ヒュー・グラント演じるダニエルのようなスマートさはない。表情も常にかたく、怒っているような口ぶりで、根本的に合わなそうな雰囲気。
ダニエルがぐいぐい来るのに対して、コリン・ファース演じるマークは一歩ひいてるんですよね。それでも、ふとした時に、ぐっと近づいてくる。ダニエルのようにアタックされ続けるのも悪い気はしないけれど、自分にまったく興味がないだろうと思っていた人から急にアプローチされると、驚くと同時にそれ以降の気になり具合は前者の比では無い。
最初に出てきたトナカイのセーターはこれはパスだわと思っても、後半に出てきたスノーマンのネクタイはこの人らしいというか可愛くすら思えてくる。ブリジット・ジョーンズと一緒にマークに恋しました。
最後のほうのシーンで時折見せる笑顔と、下着みたいな恰好で飛び出したブリジット・ジョーンズをコートで包んであげる優しさも良かった。
また、キスしそうでしないというシーンが何度か続いた後のキスシーンがかなり情熱的なのもたまらない。普段カタブツ気味だったマークがこんなキスをするのがいいし、コリン・ファースの情熱的なキスシーンというのを実はあんまり見たことがなかったのでどきどきしました。役柄でのこの行動も良かったけれど、俳優自体のファンとしても嬉しいシーンでした。

この中心となる登場人物三人とも好きになったんですが、周辺の友達も家族も、愛すべきキャラクターだった。
友達の一人を演じていたのがシャーリー・ヘンダーソン。肩くらいまでのボブが似合ってた。
ブリジット・ジョーンズの父親役がジム・ブロードベント。しょんぼりしていたけれどいい役だった。
この周辺キャラたちも続編にも出てくるようなので楽しみ。


アメリカでは2010年公開。日本ではDVDスルーになった上、おかしな邦題が付けられてしまっている。原題は『Easy A』。“AはアバズレのA”って劇中では言ってたけれど、ADULTERYのAらしい。不貞とか不義、姦通の意味とのこと。

エマ・ストーン主演のコメディ。邦題とDVDスルーになったという点からあまり期待をしないで見始めたけれど、おもしろかった。軽い気持ちでアバズレな嘘をついたせいで、噂がどんどん広まる。

普通だったら、このせいでいじめられたりと暗い話になりそうだけれど、エマ・ストーン演じるオリーヴは下着のような服装に変えて胸にAを付けて開き直る。しかも、ゲイの男子生徒の隠れ蓑として、モテない男子生徒のハク付けのため、協力してあげちゃう。もちろん、噂を流すだけで本当の接触はなし。もうアバズレとはほど遠い、どちらかというと男前である。

多少嫌がらせを受けたり、仲間はずれにされたりということがないわけではない。でも、強がりがまったくないわけではないけれど基本的にサバサバしていて、主人公のオリーヴや演じるエマ・ストーンともに魅力的。早口でペラペラと喋っている様子も楽しい。『ラブ・アゲイン』で演じていた役に似ている。

ただ、これ、男子生徒が普通っぽい俳優さんばかりで、恰好良い役者さんが出ていないんですよね。それがリアリティあるっちゃあるけれど。いかにもアメリカンハイスクールっぽい感じ。
エマ・ストーンの他に有名な俳優は出ていないのか調べてみたら、校長先生役がマルコム・マクダウェルだった! もうおじいさんでした。


カンヌ国際映画祭パルムドール受賞作品。
女性同士のセックスシーンが話題になっているけれど、確かに釘付けにはなるけれど、この映画の見所はそこではなく感じた。同性間だから…というような、差別的なことは描かれていない。恋愛と青春と、その終わりの話。

以下、ネタバレです。





アデルはエマに一目惚れをするんですが、その青い髪の色を印象づけるかのように、青がモチーフ的に使われていた。
名前すら知らない、でも頭の中は彼女でいっぱいで、なんとなく高揚している気持ちを発散させるかのようなデモ行進のシーンでは青い発煙筒を持っている。恋愛 し始めで、デモに参加してはいても、どこかお祭り気分で、頭のどこかで常に彼女のことを考えているからずっとドキドキしていて、なんとなくワクワクするよ うな楽しい気分になっているのが伝わってきた。
あと、同級生に階段でキスしそうになっているときに、その子は指に大きな青い石がついた指輪をしているのも気になった。所詮、彼女の代わりでしかない。

二人が付き合い始めて、別れた後も、セックスする時のシーツの色が青かったり、アデルが別れたエマと会うレストランやエマの展覧会を見に行く時など、好んで 青い服を着ていたりと、要所要所で目立つが、特に気になったのは付き合う前の二箇所だった。それは私が恋に落ちる様子が描かれている映画が好きだからかもしれないけれど。

ゲイバーでエマを見つけて、二人で話すシーンも良かった。そこで初めて名前を知って、何をしている人なのかとかを訊いた り話したりしますが、もうお互いにおしゃべりが止まらない。相手の事をもっと知りたい、知って欲しいという気持ちが前面に出ている。店内の音楽はうるさかったはずなのに、カウンターで話す二人だけ世界が違っているようで、音楽さえも気にならない。

アデル役のアデル・エグザルホプロスの演 技が素晴らしい。彼女の表情を正面からとらえているシーンが多いのですが、このゲイバーで初めてエマと話すシーンでも、恋に落ちたのがわかる。セックス前 のシーンでも、欲情したのが顔に出ている。物思いに耽る、不安がるなど、すべての感情が表情にうまく表れていた。

また、映画はアデルの高校時代から始まって、卒業して先生になって…と時を経るんですが、明らかに後半では疲れているというかやつれてきている。
恋に恋しているかのような序盤。同級生と恋愛について喋っていた頃は子供っぽい表情だった。エマと恋愛をして、それから関係のことで悩んで、結局別れる事に なった後半は大人になっている。ただ、相手を好きなだけではだめなのだ。家族が違う、育ちが違う、仕事に対する考え方が違う…。すれ違いと別れを経験し て、大人になったのが表情にしっかり出ている。

エマの髪の色が、途中から青ではなく金髪になるのですが、そこで青春は終わったのだと思う。でも、きっとアデルは青い髪のエマが好きだったのだ。たぶん、エマのほうが年齢的な面もあるのか、少し大人になるのが早かった。

ラストで、アデルの事を気にしていた男性がアデルを追いかけますが、逆側に行ってしまう。会えたのか会えなかったのかはわからないけれど、それは新しい恋の 始まりなのだと思う。アデルがエマに一目惚れをしたときに、ストリートミュージシャンがスチールパンのようなものを叩いていて、その音がバックで流れてい るのですが、ラストにもその音が鳴っていた。きっとこれも恋が始まる暗示なのでしょう。だから、はっきりとは描かれていなくてもハッピーエンドなのを確信 している。

『プリズナーズ』


ヒュー・ジャックマンとジェイク・ギレンホール、ダブル主演。小さな村で起こった子供誘拐事件を追うサスペンス。軸になる人が二人いるのがおもしろい。
153分と上映時間が長いですが、この映画にはちょうどいい長さだと思う。長さを感じないというわけではなく、見応え充分。小説を一冊読み終わったような満足感が得られた。

以下、犯人にもふれたネタバレです。







まず、私はヒュー・ジャックマンとジェイク・ギレンホール以外に誰が出ているか知らなかったんですが、最初の容疑者がポール・ダノで驚いた。厚手のメガネとべったりした髪の毛と高くか細い声と挙動不審具合がすごくあやしい。そして、今回もボコボコに殴られていて、すごくポール・ダノっぽい役だった。

誘拐された子供の犯人をさがす謎解きものなのですが、犯人を考えながら見ていたら全員あやしく見えてしまった。話の作りにいいように振り回されて、全員を疑ってしまった。

まず、ポール・ダノ演じるアレックスは見た目からしてあやしく、ただ、早いうちからヒュー・ジャックマン演じるドーヴァーに監禁されるため、犯人ではないんだろうな…と思いつつも、やっぱり犯人なのかな?と思う瞬間が何度もあった。

ヒュー・ジャックマンが演じる父親が子供が誘拐された事で暴走するという前情報を入れていたので、ポスターに一緒に写っているジェイク・ギレンホールが犯人なのかとも思っていた。前情報だと、父親の行動の是非に焦点が当てられているのかと思った。だから、誘拐犯自体はもう最初からわかっているのかと思ったのだ。けれど、どちらかというと、犯人探しの謎解きがメインのストーリーなので、犯人は最後の最後でわかる。
それでも、ダイナーで一人食事をしているという登場の仕方や入れ墨、少年院に入っていたなどのエピソードからあやしさ満点だったのと、最後まで犯人がはっきりしないので、これは意外な人物に違いないと思うとこの人しかいないと思ってしまった。

ドーヴァーも、片方の子供が見つかった時に「あなたを見かけた」などと謎の言葉をかけられていたので、えーまさか!と思った。あのセリフはなんだったのだろう。

誘拐された子供たちの兄と姉もあやしんだ。二人は仲がいいようだったし、何かを企んでいそうだったから。

そして、もう混乱させるためとしか思えない状況でDavid Dastmalchianが出て来るのが本当に困る。『ダークナイト』のシフ役。ジョーカーに心酔して、市長狙撃のシーンでつかまるあいつ役です。どう考えてもあやしい。

結局は一番あやしまなかったアレックスのおばさんだった。演じていたのがメリッサ・レオだったんですが、髪型とメガネのせいでおばあさんっぽく見えていて、メリッサ・レオだとは思っていなかった。演じていた人を知っていたらあやしんでたかもしれない。

父親が事件解決の役に立たず、むしろ邪魔をしていたので、警官がしっかり動く事で物語が進んでいた。解決のために無茶な行動をしたり、先述したようにタ トゥーが入っていたりと無頼者っぽい役柄のジェイク・ギレンホールが恰好良かった。オールバックの髪が乱れているさまも色気があったし、片目が充血してしまってオッドアイのようになっているさまは狙っているとしか思えない。
彼は最後まで正義の警官だった。疑ってしまってごめんなさい。

ポール・ダノの腫れ上がる顔や、ボックスから出てくる蛇など、ミイラなど、ぎょっとするシーンも多かった。でも、その禍々しさがいい雰囲気を作り出していて、キリスト教の絡め方や、謎のペンダントなども、いかにもな感じで好きでした。どことなく『ツイン・ピークス』を思い出した。

父親の選択については、子供を誘拐されたら我を失ってしまうのも仕方ないのかなと思いつつも、あんなに殴ることはないというのと、アレックスを閉じ込める部屋をベニヤ板みたいなので自作し始めたあたりから、やりすぎだと思った。
ただ、普段の役柄と私生活からも善人が滲み出ているヒュー・ジャックマンが演じているため、彼の苦悩も伝わってきた。

それよりも、アレックス視点で観た時のこのストーリーがとても哀しかった。小さい頃に誘拐をされ、頼りになる人はおばさんだけで、おばさんのことが好き(これも恐怖で言わされていただけだろうか)だから、殴られるなどの拷問を受けても、決して口を割らない。タイトルのプリズナーズとは、誘拐された子供たちのこともさしていると思うが、強い意味では彼のことだとわかったときに、やりきれない気持ちになった。


アカデミー賞作品賞やジュディ・デンチが主演女優賞など、4部門にノミネートされた。生き別れた息子を捜す実話だが、涙涙というよりは、怒りがわいてくる、家族ものというよりは社会問題ものかなと思う。宗教論やジャーナリズム論の面もある。

以下、ネタバレです。





予告を見た時には、一緒に捜す記者が実は息子だったりするのかなとも思ったけれど、実話なので、そんな偶然はありません。
記者は社会面の記事作りのためにフィロミナの息子探しに付き合う。社会面とはいっても、ゴシップみたいなもので、息子が亡くなっていることやゲイであったことがわかると上司は「記事としておもしろい」と囃し立てる。しかし、事情が明らかになるにつれ、フィロミナは私生活のことなので載せないでくれと言い、記 者もフィロミナと旅をするうちに、載せるのをやめようとする。
記者として同行していたのだから、どんな結果であれ載せるのが当然だけれども、情がわいてくる。この二人の関係がなんとなく疑似親子のようになってくるのも良かった。

ラスト付近など、フィロミナのためにカトリック教会に対して本気で怒るのだ。それは、いまいちカトリック教会のことが理解できない私のような観客の気持ちまでを代弁している。ここで、カトリック信者であるフィロミナは記者を否し、カトリック教会を赦すが、信者でもなんでもない私や記者には理解できない。なぜ、そこまでしてかばうのか。
しかし、最後に「やっぱりこれを記事にしていいわ」と言うということは、静かな怒りをたたえた告発なのだろう。
ここで、ジャーナリズムがやっと役割を果たす。おもしろおかしい面だけではなく、隠されていた事実を明るみにするという重大な役割だ。

映画の最後に、アイルランドのカトリック教会にはいまでも子供を捜す母親が訪れるという文字が出て、本当に許せないと思ったし、映画にまでなることで私もこの事実を知る事ができた。
実際のところ、私はカトリック信者ではないから、信者にとっての若くしてのセックスにどれだけの罪があるのかわからない。勝手に子供を売られるという罰を受けなくてはならないのか。犯罪としか思えない。

ジュディ・デンチとスティーヴ・クーガンのコンビが良かった。官邸記者だったので息子に会った事がある事実が発覚したときのフィロミナのはしゃぎ具合と全然憶えちゃいないのに話を合わせてあげる記者のやりとりがおかしい。
また、ジュディ・デンチのおばあちゃん演技というか、とぼけた感じが可愛かった。
アイルランドの国章であるハープのピンバッチを息子が胸に付けているのを教えられた時、混乱のあまり「ゲイだからハープのピンバッチを付けてるんでしょう?」などとうっかり差別的な発言をしちゃうシーンは泣き笑いだった。
それだけではなく、凛とした気高さも感じるシーンも何度かあった。やはりとても好きな女優さんです。

途中からアメリカに舞台が映りますが、アイルランドの風景も思ったよりもたくさん映って良かった。


予告編のトム・ハンクスがウォルト・ディズニーにすごく似ていたので観ました。

以下、ネタバレです。



予告編での情報しか入れていなかったんですが、予告にまったく出てこない過去パートが多かった。過去パートというか、それが過去だということも途中からしかわからない。
ウォルト・ディズニーが『メリー・ポピンズ』の原作者であるP.L.トラヴァーズに映画を作る許可を得る話なのですが、その合間に違う場所違う時代違う登場人物の話が出てくる。

現代パートは偏屈なおばさん(P.L.トラヴァーズ)の首を縦に振らせようと、周囲が四苦八苦している様子がくすっと出来たりもするんですが、もう一つのパートは少し暗め。子供にとってはいい父親ではあるけれど、働く事に向いていなくて、アルコール中毒。母親も生活と夫に嫌気がさして自殺未遂。そして、途中から、どうやらそこに出てくる子供がP.L.トラヴァーズだとわかる。

平行して描かれる事で、彼女の気持ちが少しずつ伝わってくるし、ただ単にいじわるで断っているわけではないのがわかる。『メリー・ポピンズ』自体が実話めいているもので、話の中でのバンクス氏が彼女の父親だとわかる。
映画の序盤、現代パートで洋梨を投げ捨てていたように、最初は彼女は父親にどちらかというと憎しみを感じている。でも、映画化に関するやり取りの中で、バンクス氏は悪人じゃないと言うのだ。それが、この映画の原題である、『Saving Mr.Banks』(バンクス氏を救って)というわけだった。自分で書いた物語を客観的な視点を通す事で、改めて見直したのかもしれない。そこで彼女は、本当に憎んでいたわけではないと気づいたのだろう。

映画の完成プレミア、ロンドンのほうでいいのではないかと招待状を送らなかったら、「招待状が来なかったけど?」とか言いながら自ら参上してたけれど、招待状を送ってたら絶対に来なかっただろうと思う。完成披露試写で涙を流すトラヴァーズにウォルトが優しく手を添えたら「アニメシーンが許せなくて」と言っていた。
映画化は許可しても、根本の面倒くささは変わらない。そこが可愛くもあった。
でも、エンドロールで実際のトラヴァーズが面倒くさい注文をつけている音声が流れて、本当にこんな面倒くさい人だったのだというのがわかった。関わることになると大変そう。あと、映画内で描かれるトラヴァーズ像は大袈裟ではないというのがよくわかった。

『メリー・ポピンズ』自体は子供の頃に観たような気もするけれど、もう一度ちゃんと観たくなった。

現代パートの作詞作曲兄弟は顔も特徴があったんですが、キャラクターも濃いめだったので、もっとたくさん見たかった。リムジンの運転手はトラヴァーズが唯一心を許す人物で、ポール・ジアマッティが演じているのがなかなかずるかった。