『ウォルト・ディズニーの約束』


予告編のトム・ハンクスがウォルト・ディズニーにすごく似ていたので観ました。

以下、ネタバレです。



予告編での情報しか入れていなかったんですが、予告にまったく出てこない過去パートが多かった。過去パートというか、それが過去だということも途中からしかわからない。
ウォルト・ディズニーが『メリー・ポピンズ』の原作者であるP.L.トラヴァーズに映画を作る許可を得る話なのですが、その合間に違う場所違う時代違う登場人物の話が出てくる。

現代パートは偏屈なおばさん(P.L.トラヴァーズ)の首を縦に振らせようと、周囲が四苦八苦している様子がくすっと出来たりもするんですが、もう一つのパートは少し暗め。子供にとってはいい父親ではあるけれど、働く事に向いていなくて、アルコール中毒。母親も生活と夫に嫌気がさして自殺未遂。そして、途中から、どうやらそこに出てくる子供がP.L.トラヴァーズだとわかる。

平行して描かれる事で、彼女の気持ちが少しずつ伝わってくるし、ただ単にいじわるで断っているわけではないのがわかる。『メリー・ポピンズ』自体が実話めいているもので、話の中でのバンクス氏が彼女の父親だとわかる。
映画の序盤、現代パートで洋梨を投げ捨てていたように、最初は彼女は父親にどちらかというと憎しみを感じている。でも、映画化に関するやり取りの中で、バンクス氏は悪人じゃないと言うのだ。それが、この映画の原題である、『Saving Mr.Banks』(バンクス氏を救って)というわけだった。自分で書いた物語を客観的な視点を通す事で、改めて見直したのかもしれない。そこで彼女は、本当に憎んでいたわけではないと気づいたのだろう。

映画の完成プレミア、ロンドンのほうでいいのではないかと招待状を送らなかったら、「招待状が来なかったけど?」とか言いながら自ら参上してたけれど、招待状を送ってたら絶対に来なかっただろうと思う。完成披露試写で涙を流すトラヴァーズにウォルトが優しく手を添えたら「アニメシーンが許せなくて」と言っていた。
映画化は許可しても、根本の面倒くささは変わらない。そこが可愛くもあった。
でも、エンドロールで実際のトラヴァーズが面倒くさい注文をつけている音声が流れて、本当にこんな面倒くさい人だったのだというのがわかった。関わることになると大変そう。あと、映画内で描かれるトラヴァーズ像は大袈裟ではないというのがよくわかった。

『メリー・ポピンズ』自体は子供の頃に観たような気もするけれど、もう一度ちゃんと観たくなった。

現代パートの作詞作曲兄弟は顔も特徴があったんですが、キャラクターも濃いめだったので、もっとたくさん見たかった。リムジンの運転手はトラヴァーズが唯一心を許す人物で、ポール・ジアマッティが演じているのがなかなかずるかった。

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