『カールじいさんの空飛ぶ家』


2009年公開。ピクサー・アニメーションスタジオ製作。ピート・ドクター&ボブ・ピーターソン監督。二人とも中で声の出演もしています。

映画はカールじいさんの幼少期から始まる。エリーと出会い、結婚をして、困難を乗り越えて、二人で仲良く暮らし、やがて年老いてエリーが亡くなる。ここまでのカールじいさんの半生を10分間でやる。最初の幼少期はセリフなどもあるけれど、結婚以降は音楽のみで、でも何があったかがしっかりとわかる作りになっている。たった10分とは思えない濃さだし、ずっと連れ添った(と思えてしまう。10分なのに!)エリーが亡くなったところでは、泣いてしまった。
この冒頭10分があるとないとでは全く違う。主人公カールじいさんの歩んで来た道がわかる。ふまえた上で映画本編の冒険なのだ。
もともとはエリーが冒険に積極的だったし、エリーがカールを引っ張るようにして、若い二人が冒険に出てもよかったはずだ。しかしそうすると、ありきたりな話になりがちかもしれない。

ずっと連れ添った妻が亡くなり、家も立ち退きを迫られて、もう後先なくなったところで、引っ込み思案だったじいさんが、一念発起して一人で冒険へと旅立つ。
じいさんがじいさんになっていても旅立つ理由が、冒頭10分を見るだけですべて伝わってくる。そこに説明臭さは一切無い。

そして、大量の風船で家ごと飛び立たせるという斬新さもいい。いろとりどりの風船によって浮かび上がるシーンは、映画館で観たかった。

目的地のパラダイスの滝へは、わりと序盤で辿り着いてしまう。パラダイスの滝が見える場所から歩いて目指す。家は浮いたまま、じいさんと相棒の少年が引っ張っていく。タイトルに“空飛ぶ家”とついているから、家を乗り物としての空の旅だと思っていたのに、そうくるとは思わなかった。
でも、最初の10分といい、目的地にすぐについてしまうところといい、時間配分がおもしろい。
また、見えている目的地を歩いて目指すというのもじいさんだしちょうどいいのではないかと思った。

途中、ずっと憧れていた人に会うことができて、その人が悪い人になっていたのはショックだった。意外性を持たせるためだと思うし、悪役が必要だったのもわかるけれど、じいさんの憧れがやぶれるのはとてもさみしい。じいさんになるまで憧れていたし、じいさんになっての 冒険の先で出会う現実としては厳しいと思う。しかも、亡くなった妻の想いとともに行っている冒険なのに。二人を結びつけたのもその憧れの人だったのに。
しかも、最後は上空から落下して終了というさみしさ。落下したところまでしか出ていないけれど、おそらく死んでしまったのだろうと思う。
もっと、途中で改心するとか、どうにか憧れを保てるような何かを残して欲しかった。

家も落下してしまうけれど、それがパラダイスの滝の横に降り立つのは良かった。じいさんは辿り着けないけれど、二人の想いが宿る家はちゃんと目的地にたどり着いたし、エリーが少女の頃に描いた絵の通りになった。
映像では出ないけれど、残っていた少しの風船の力を借りて、そこにふわりと降りた様子が見えるようだった。優しく静かな終わり方でした。

原題は“Up”というシンプルなもの。そのままでは公開しにくそうなので、邦題が別に付くのはわかる。ただ、本編でも、カールじいさんとは呼ばれていないんですよね。彼のことを呼ぶのはほとんどが一緒に冒険をするラッセルで、呼び方は「フリドリクセンさん」だった(吹替の場合)。じいさんの冒険というのがこの映画の珍しいところなので、じいさんという言葉は残したい。けれど、フリドリクセンじいさんではゴロも悪いし、○○じいさんならばファーストネームのほうがしっくりくる…。なので、カールじいさんでも仕方がないのかなと思う。


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