『ラブストーリーズ コナーの涙|エリナーの愛情』


『ラブストーリーズ コナーの涙』『ラブストーリーズ エリナーの愛情』という、一つの出来事をコナー側エリナー側、それぞれから見た二本の映画。監督やスタッフなどは二本とも同じ。
コナー役にジェームズ・マカヴォイ、エリナー役にジェシカ・チャステイン。

以下、ネタバレです。







『ラブストーリーズ』というくらいだから…と思ったけれど、共演シーンはほとんどありません。二人とも好きな俳優なので残念。
でも考えてみたら、共演シーンが多いならわざわざ二本に分ける必要はない。分けるということはそうする必要があったわけで、二人が別れるところから始まっている。それぞれ別々の生活を送る上で見えてきたこと考えていることが描かれている。
なので、“ラブストーリー”というよりは、それぞれの家族とか仲間との触れ合いの多い、人間ドラマになっている。

原題も『The Disappearance of Eleanor Rigby』のHimとHerとなっている。Loveなんて言葉は使われていない。“エリナー・リグビーの消失”といったところです。

私は“コナーの涙”(Him)、ジェームズ・マカヴォイ演じる夫側の作品から観たんですが、なんだかわからないけれど妻に愛想をつかれ、出て行ってしまい、でも関係を修復したくて、ストーカーまがいのことをしながら彼女を追いかけ…ということで、『ゴーン・ガール』にも似ていると思った。あの映画ほどエンターテイメントに特化してはいない、現実味のあるものになっているけれど。エグいのはエグいです。また違った感じのエグさですが。

コナーは、うまくいっていたはずなのに、別れを切り出された理由がわからない。だから、躍起になって、エリナーを捜そうとして、後をつける、実家に押しかける、大学の授業へ忍び込む。
同じ時期に、経営している店も赤字になり、閉店することになってしまう。従業員と喧嘩しつつも、結局すぐに仲直りしたりして、兄弟のような存在なのだと思った。一番何でも話せる友達のようだったし、エリナーと別れている時期にも支えになっていたようだった。
従業員の一人、カフェのシェフ役にビル・ヘイダー。軽口をたたきながら、一度は殴り合いの喧嘩もしていたけれど、最後も一緒に働いていたし、なんだかんだで仲が良さそうだった。
父親とも、少しの間一緒に暮らすことで、関係が修復されたように思えた。夫婦は結局は他人だけれど、父親とは血が繋がっているのだ。
コナーが「君と別れてから自分が何者なのかわからなくなった」とエリナーに言っていたけれど、周囲の人と話すことによって、より自分と向き合い、何者かが浮き彫りになっていく感じもした。
父親役にキーラン・ハインズ。マカボイともども、親子をイングランド系統でまとめてきたのは、ニューヨークに住んでいるイギリス人という設定でもあったのだろうか。

夫側から見たら急に愛想をつかれたようでも、きっと気づいていないうちに何かしらやらかしてるんですよね。その辺がコナー視点の“コナーの涙”を観ただけだとわからなかった。コナーは何もわかってなかった。
なんとなく続きがありそうなもやもやした終わり方だったので、種明かしを期待して、続けて“エリナーの愛情”(Her)も観てしまった。

“コナーの涙”は、幸せだった二人の過去からスタートし、いかにもラブストーリーがこれから始まる、という感じだったけれど、こちらはおもむろに海に飛び込む、自殺未遂のシーンから始まる。
コナーの方でも、病院に駆け付けると手を吊ったエリナーがいる、というシーンはあったけれど、それがまさか自殺未遂で負った怪我だとは思わなかった。序盤で、事の重みの違いに気づかされる。思っていたよりも深刻な事態だった。

両作品ともで詳しくは描かれないけれど、どうやら二人の子供が幼いうちに亡くなったみたいで、それが原因でぎくしゃくしたようだった。エリナーにいたっては、精神を病み気味だった。

コナーを助けたのが店の従業員と父親なら、エリナーを助けたのは家族と大学の教授である。家族、特に妹と教授と話す事でだいぶ楽になったのではないか。詳しくは語られないけれど、妹も息子はいるけれど夫となんらかの事情があって別れているようだった。教授も息子と長い間連絡をとっていないとのことだった。全員、何かしら悩みはある。
また、母親は昼間でもずっとワインを飲んでいることから、アル中気味なのかもしれないのと、娘に向かって「子供を産むつもりはなかった」と言ってしまったり、多少、問題のある人物に思えた。それでも、言葉に悪気はなさそうだったし、心配はしていそうだった。
こちらの作品を観ても、やはり血の繋がりは強いのだと思ってしまった。

二作品を観てみてわかる事もあった。二人にとって、一番楽しかった幸せな記憶が共通しているということだ。
それは“コナーの涙”の最初に出てくる過去のシーン。レストランから食い逃げをして、うまく逃げ切って、公園かどこかの草むらに笑いながら寝転び、そこで見た蛍が綺麗で…という美しい記憶だ。
コナーは自分の店から食い逃げした客を追いかけてそのことを思い出し、エリナーは甥っ子と蛍を見てそのことを思い出していた。

ただ、その後で約束した楽しいドライブについてはコナーは忘れてしまったのだろうか。
エリナーが唐突にドライブに誘うシーンがあるけれど、あれは、エリナーが過去のドライブを思い出していたのだと思う。行き先を決めずに、ラジオの音楽に合わせて歌って…。過去と現在と、同じお菓子を買っていた。けれど、ラジオをつけたら、コナーは「この曲好きなの?消していい?」と言っていた。おまけに嵐まで来てしまい、最悪である。

この後、立ち往生した車の中での出来事は両方の作品で同じシーンが描かれるけれど、少しだけ、けれど大きく違っていた。
コナー視点では、コナーがエリナーにのしかかり、でも「昨日、別の人と寝た」と告白していた。エリナー視点では、エリナーがコナーの上に乗り、エリナーが「誰かと寝たの?」と尋ねていた。
この違いは、監督によると記憶の差異らしい。

亡くなった子供のことを話しているシーンでも、コナー視点でコナーは「あの子の顔は鼻と口は君に似ていた。目元は僕に似ていた」と言っていたが、エリナー視点ではすべてがエリナーに似ていることになっていた。
どうも、自分に都合のいいように記憶が書き換えられているようなので、それをふまえると、車の中での出来事も少しおもしろい。

コナーが救急車で運ばれていくシーンでは、コナー視点では、コナーが「また追いかけていい?」と尋ねると、エリナーはそれには答えずに「さよなら、コナー」と言って扉が閉じられる。エリナー視点では「さよなら、コナー」というセリフが先に来ていた。

セリフだけではなく、他にも照明や服装も違ったらしい。二人が一緒のシーン=同じシーンは一回撮って終わりにしそうなものなのに、わざわざ少し違えて撮り直しているのはおもしろいし、こんなことをされると、一本だけ観て終わりとはできなくなってしまう。それに、監督としても二本観て初めて完結といった感じなのだろう。

ただやはり、映画を二本観るのはなかなか時間もとれないし、毎週観たい映画が公開されるし、本当なら多少上映時間が長くなっても仕方ないので一本にまとめてほしかった。『ゴーン・ガール』だって、途中から視点が変わるけれど、一本にまとめられている。

公式サイトなどには、“時を経て、再び愛に気づくまで”と書いてあるけれど、関係が戻ったのだろうか。“コナーの涙”の最後はエリナーらしき人物がコナーの後ろを歩いているシーンで終わり、“エリナーの愛情”ではそれが少し時間が経ったあと(髪が伸びている)のエリナーなのがわかり、コナーに「ねえ」と声をかける。
何を言ったかはわからないし、コナーがどう反応したのかはわからない。
でも、関係を絶つつもりなら、パリに行って帰って来なかっただろうし、帰って来た上で声をかけるということは、そういうことなのだろう。

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