『はじまりのうた』


キーラ・ナイトレイ、マーク・ラファロ主演のニューヨークが舞台の音楽映画。
以下、ネタバレです。





キーラ・ナイトレイ演じるグレタがライブハウスで無理矢理ステージに上げられて演奏し、マーク・ラファロ演じるダンがそれを見ているというシーンから始まるが、そこに至るまでのそれぞれの話を別々に見せるのがおもしろかった。過去に少し戻ることで、事情があとからわかる。そうすると、最初に見たシーンがまったく違って見える。
それぞれが別の場所でどうしようもない目に遭っていて、そんな二人が偶然に出会う。まるで魔法のようだった。

でも考えてみれば、この映画全体で起こることが魔法のようだった。
レコーディングスタジオを借りずに、ニューヨークの町中で演奏をして録音する。偶然出会った子供にコーラスをやらせる。娘にギターを弾かせる。その場のアイディアでアレンジが加えられる。
もちろんもともとある曲ではあるけれど、ジャムセッションのようにして、バンドメンバーがアイディアを出しつつ曲が出来上がっていく様子は、きらきらしていてまさに魔法だったのだ。

また、グレタとダン、お互いが過去のもやもやを打ち明けた後のシーンも良かった。イヤホンが二組に分かれるコードを一つのiPhoneに挿して、同じ曲を聞きながら夜の街へと繰り出す。
確かに、イヤホンで曲を聴いていると街が違ったように見えるのだ。それを共有するのはとても楽しいと思う。しかも、コードはそれほど長くないし、真ん中に何かが引っかからないように、二人の距離も縮まる。

二人の夜遊びシーンはいい雰囲気だったし、この二人は恋人になるのかもしれないとも思ったけれど、ダンは既婚者で子供もいる。奥さんとの親しさを示すように、一本の煙草を二人で吸うシーンもあった。
グレタにも、音楽で売れたことで捨てられた恋人がいた。後半でその恋人は復縁を迫ってくるが、グレタはもっと大切なことが見つかったようなことを言っていた。恋人の出したCDで、グレタの作った曲にアレンジが加えられていて、「ライブでは君が作ったままの曲調で演奏するから来てくれ」と言われ、実際にライブでアレンジ前の曲を聴いたグレタが流した涙の意味があまりよくわからなかった。
グレタの恋人、デイヴ役はMAROON5のアダム。やっていることは酷いのだけど、ライブでの歌声は素敵だった。さすがプロなのだけれど、どんなに酷くても許せてしまう。なかなかずるい配役だと思った。ちなみに、アダムはノーギャラらしい。

デイヴがグレタの作ったままのアレンジで曲を披露している最中で、グレタはライブ会場を出てしまう。復縁を考えたなら、たぶん曲を最後まで聴いていたと思う。
しかも、会場を出たグレタが向かうのは、ダンの家である。聴いていて、ダンのことを思い出して、想いを告げに行ったわけではないのだろうか。
ダンは家族と暮らす家に戻るための引っ越し準備中で、グレタはそこで、行かないでだの好きなのだのということは言わない。それが、事情を察した上で何も言わなかったのか、それとも、本当に特に恋愛感情は持っていなかったのかというのがわからなかった。

「レコード会社とは契約せず、インターネットのダウンロード販売をする」という決断を告げていたが、本当にそれだけを言いにダンの家に行ったのだろうか? アレンジ前の曲を聴いて、こんなに素晴らしいのにレコード会社の言いなりでアレンジを加えてたデイヴの変わりように涙をしていたのだろうか。自分はそんな商業主義とは違うという思いに至ったのだろうか。
それとも、家に戻るダンと本当に関係を断ち切るために、レコード会社(=ダンの会社)の世話にはならないということだろうか。

わかりづらくはあったけれど、ダンの家に行ったシーンで、グレタが泣きわめいたりしなくて良かった。しかも、男前な思い切った決断をして良かった。映画を観終わって、爽やかな気持ちになった。

キーラ・ナイトレイは今作で歌声初披露とのことだけれど、可愛らしい声でこれからもいろんな場面で使われそう。映画内で使われている曲もどれも良かったです。
あと、バンドメンバーもそれほど出番はないながらも、全員特徴があって好きになりました。



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