『フォックスキャッチャー』


1996年に起きた事件を題材にした作品。監督は『マネーボール』『カポーティ』のベネット・ミラー。二作品とも実話を元にしているし、ドキュメンタリーの監督もしているので得意な分野なのかもしれない。

以下、ネタバレです。







要は三角関係のもつれから起こった殺人事件のようだった。
できた兄とそれを羨む弟。弟に目を付けた富豪。富豪は弟に飽きて、兄にも手を出す。兄はなびかず弟一筋。富豪は気に食わず兄を殺す。
簡単に言ってしまえばそんなストーリーだった。富豪のワガママと面倒でやっかいな歪んだ性格ゆえに起こった殺人事件だと思うけれど、これがひたすら濃厚に、濃密に、ドロドロと描かれている。
その辺は題材がレスリングであるところと、兄のデイヴ・シュルツを演じるマーク・ラファロの容貌を見てもわかると思う。
少し前に『はじまりのうた』を観たばかりですが、あまりにも違う。マーク・ラファロが出ていると知らなかったら気づかなかったかもしれない。ただ、滲み出る色気は隠しきれていなかった。

序盤でチャニング・テイタム演じる弟のマーク・シュルツと兄のデイヴがレスリングのトレーニングをするシーンがあるんですが、組み伏せているだけでどうしても性的に見えてしまう。

この時に組み伏せられたマークが苦悶の表情を浮かべていたのは、どうしても兄に勝てないのを感じてのことだと思う。講演会でも、どうやらデイヴのほうが名前が知られているらしかった。兄には妻子がいるのに、マークは一人きり。
しかも、貧しい生活をしているのがセリフは無いけれど描写でわかった。講演会で小銭を得てもハンバーガー、普段はインスタント麺にケチャップか何かを足して食べているようだった。また、ジャージのズボンがちゃんと腰まで履けていなくて、パンツが少し見えてしまっていた。おそらく彼女すら長い間いない。一人きりの孤独な生活が、長期間続いていそうだった。
多分、幼い頃に親を亡くしていて兄が親代わりだと言っていたから、普通の兄弟以上の愛情を持っていて、けれど、すべてを持っているデイヴが憎らしくもあったのではないかと思う。
最初の方の、あまり喋らず、一見朴訥にも見えるけれど、奥底で愛憎渦巻いているマークの様子を演じたチャニング・テイタムがうまい。ぬぼーっとしているだけですべてが伝わってきた。

そんな行き詰まりを感じる日々の中で、急に大富豪であるジョン・デュポンに声をかけられたら、あやしいと思ってもついていってしまうのは仕方が無い。今より悪くなる事はないだろうと思うし、何より兄ではなく自分を選んでくれたというのが嬉しかったのだろう。

デイヴは止めていたし、観ている私も何か酷い目に遭う予感はしていた。そんなうまい話があるものかと思った。けれど、マークの立場になったら、そうせざるを得ないだろう。まるで、拾われた野良犬のようだった。

この先しばらくはマークとデュポンの蜜月というか、すべてがうまくいっていた。良い状態でトレーニングをすれば、マークも試合に勝てる。勝てばデュポンは喜ぶし、デュポンに褒められたらマークも嬉しい。
ただ、いい関係に見えたが、パーティーでのマークの演説原稿をすべてデュポンが書くなど、どうやらデュポンは自分の思い通りになる人間が欲しいだけのようだった。

デュポンは金持ちだから性格が歪んでしまったのかと思ったけれど、どうも親子関係に問題があってのことのようだった。結局は母親に褒めてもらいたいという、ただそれだけのように見えた。
マークをレスリングで勝たせる事でアメリカ国家を云々と言っていたが、そんな大それたことではなく、ただ、身近な人物に「偉いわね」と言ってもらいたかっただけなのではないだろうか。きっと、ただ、それだけなのだ。さみしかっただけなのだ。
だから、マークに「デュポンさんはまるで父親のようで」などという原稿を読ませたし、マークがどう思っていたのかはわからないけれど、デュポンは疑似親子だと思っていたのだろう。

ただ、デュポンに影響されたのか、マークが放蕩三昧になってしまい、勝てなくなってしまう。ここで、チャニング・テイタムが髪を染めるのですが、そうするとそれなりに恰好良く見えてしまったのもさすがだと思った。
勝てなければ、デュポンも功績をあげられない。功績をあげなければ、母親に褒められない。勝てるためにはどうしたらいいかと考えたデュポンは、兄のデイヴに声をかける。もう、マークの気持ちは何も考えていない。

マークはもちろんおもしろくない。結局、また兄の方が認められて、自分は捨てられる。こうなると、デュポンもデイヴも信じられなくなって、再び一人の殻に閉じこもるんですが、デイヴだけはずっと、最初からずっとマークのことを信じてるんですよね。なので、この場面でも、必死でマークの心を開こうと、マークを試合で勝たせようとする。だから、マークも兄のデイヴの方を向いていく。

もうデュポンは本当におもしろくない。デイヴを手元に置いても、休みの日にはデイヴは家族を大切にするから遊んでくれない。マークは夜中におしかけても、絵画室でのトレーニングという少し異常な行為にも応じてくれた。
おそらくここで、デュポンの中では、大事だったマークを連れ去ったデイヴは悪みたいな自分勝手な変換も行われていたと思うんですよね。だったら、マークをもっと大事にすれば良かったのに、そうもしなかったのは自分なのに。
マークがデュポンを尊敬していた時間も確かにあったとは思うのだ。そこから捨てられたから、恨みもまた倍増だったのだと思う。デュポンはマークの気持ちの変化がわからなかった。
そして、自分に従わないデイヴの気持ちもわからなかった。マークがたまたま孤独だったからついてきただけなのに。誰でもが自分の思い通りになるわけではない。

けれど、やっぱり自分の思い通りにしたかったので、撃った。

現実の話はわからないけれど、映画を観る限り、三人の心の動きはよくわかった。何故マークがデュポンについていったのか、何故デイヴはデュポンに従わなかったのか、何故デュポンはデイヴを撃ったのか。
密着するようにして、心の動きを生々しくとらえていく。そして、レスリングのトレーニングシーンと試合シーンの撮影の仕方も、近いせいか、汗や裸体のとらえかたが生々しい。

最後、マークがレスラーとして歓声を浴びているシーンで、何故か涙が出てしまった。やっぱり一人きりになってしまったからだろうか。好きでやっているようには見えなかったからだろうか。やっと脚光を浴びられたからだろうか。

デュポンは全体的に憎々しく不穏なんですが、演じているのはスティーヴ・カレル。コメディ寄りの役ばかり見ていたので、この役は驚いた。横向きのショットが多く、そうすると鼻の大きさが目立つ。権力や自己顕示欲の象徴のようにも見えた。


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