Nov 07
イギリスの舞台を映画館で上映する企画の日本上陸版。イギリスの舞台など、観たいものがあっても簡単には観に行けるものでもないし、とても嬉しい企画。
ロイヤル・ナショナル・シアターで上映されたものだけなのかと思っていたが、他の舞台も取り上げられているらしいのと、ロイヤル・ナショナル・シアター自体が映画館上映のためにカメラワークなどにもこだわって作ったものらしい。
何作品か上映されているのですが、今回、『フランケンシュタイン』のアンコール上映を見ました。
ダニー・ボイル監督、音楽はアンダーワールドといつものコンビ。
ベネディクト・カンバーバッチとジョニー・リー・ミラーのダブルキャストというかダブル主演というか、博士役と怪物役を交互に演じている。
見た目を重視してしまってカンバーバッチが博士役をやったバージョンを観たんですが、これは両方観て初めて完成するのかもしれない。
舞台は怪物が生まれるシーンから始まる。原作だと、その前にフランケンシュタイン博士の生い立ちや、人間を作り出すことにとらわれていく狂気や苦悩が描かれるのですが、その辺はすべてカットされていた。そのため、怪物視点からのシーンが多い。
あと、フランケンシュタインと結婚することになるエリザベスについても、急に出てきてしまった感じ。
フランケンシュタインというと、『怪物くん』に出てくるあの姿が想像されるのですが、あれは1931年の映画『フランケンシュタイン』のイメージであり、「フンガー!」しか言わないのもたぶん同じところからの引用なのですが、もともとのフランケンシュタインはどんどん頭がよくなっていく。
上部に無数の豆電球がつり下げられていて、それが雷のように光る。舞台上には丸い、もしかしたら子宮のようなものがあり、そこから文字通り、怪物が生まれ出てくる。このシーンから舞台版は始まっていた。
原作だと、怪物を作り出したフランケンシュタインが、自分のしたことの重大さに気づいたのか、怪物の容姿を恐れたのか、とにかく怖くなって逃げ出したあとである。
生まれ出てきた怪物は最初立ち上がることすら出来ないのですが、着実に成長していく。這うように舞台上を動いていたのに、少しずつ立ち上がっていく。意味のない叫び声を上げる。
この、着実に、でもすごいスピードで成長していく様が見事だった。舞台上にはジョニー・リー・ミラー一人だけで、内容を知らなかったら前衛劇のように見えるかもしれない。鬼気迫る演技が迫力のあるシーンだった。
醜い容姿のため、人間からは叫び声を上げられ、石を投げられる。そこで傷ついている怪物には、明らかに人間としての感情が芽生えていた。
盲目のおじいさんだけが優しくしてくれて、本を貸してくれたり言葉を教えてくれたり。
このシーンは原作だと遠くで見守っている時間が長かったと思う。そして、本も怪物の独白によって書かれていたが、舞台なので、おじいさんと怪物の心の触れ合いが多く描かれていた。
ここで、醜い容姿のために蔑まれているが、怪物は実は優しい心を持っているとわかる。博士に作り出されたのに心を持っているのだ。
ここの二人のやりとりは、ほのぼのとするものが多くコミカルで、劇場からも笑いが漏れていた。
しかし、怪物が懸念していた通り、一緒に住んでいた息子夫婦は外見の醜さを忌み嫌い、怪物を棒で叩いて追い出そうとする。
畑の石を退けてあげたり、影で手助けをしていてこの仕打ちは、少し『ごんぎつね』を思い出す。
皮肉なことに、怪物は読んでいた本から復讐という感情も学んでいて、一家が住んでいる家に火をつけて逃げる。そして、自分をこんな姿で作ったフランケンシュタイン博士にも会おうとする。
原作だと博士の気をひくために、怪物はもっと何人も殺しているんですが、舞台版だと弟のみだった。
自分が作り上げた怪物と対面して、その知能の高さに感動しているさまは、やはりどこか狂っているように見える。
また、怪物に脅されたからといって、花嫁を作ろうとするのもやはり、一体作り上げた自負があるのだろうし、まともとは思えない。
結局、弟の亡霊に、花嫁が子供を産んで怪物が増えたらどうするのかと問われ、完成間近で拒否することになる。
怪物の気持ちをわかる。父母ともいえるかもしれない創造主に拒否され、他の人間にも拒否されて一人きり。愛やさびしいという気持ちを知らなければわからなかったろうが、すべての気持ちを知ってしまった今となっては、感じるのは孤独感なのだ。
見た目的には怪物のほうが醜くても、本当の悪魔は博士のほうに見えた。舞台版だと、特に序盤の苦悩が描かれていないため、怪物のほうの気持ちがわかってしまう作りとなっていた。
博士が倒れたときに、怪物が「本当に一人きりになってしまう! お前は俺なのに!」と言うシーンもあるが、それを考えると、やはり逆キャストバージョンを観て、この舞台は完成するのかもしれないと思った。ダニー・ボイルもそこまで意図して作ったのだろうし。
原作を読んでいたときにも、実は怪物など存在しなくて、博士の妄想上の生き物で、殺人も博士が行っているのかと思った。実際、疑いもかけられたりする。しかし、後半で、(怪物の独白ではなく)第三者も怪物と対面するシーンが出てくるので、存在はしていたらしい。
でも、二人で一つという面はあったのではないかと思う。
このナショナル・シアター・ライブ、40カ国以上で公開されているらしいけれど、日本に来たのが今年初めて、ということもあるのかもしれないけれど、字幕が少しいい加減だった気がする。セリフに対してやけに短かったり。
あと、最初にロイヤル・ナショナル・シアターの歴史やナショナル・シアター・ライブについてのCMみたいなのが流れるのですが、そこには字幕がついていなかった。外国で観ているようでわくわくはしたけれど、宣伝効果はないと思う。
それでも、本編が字幕付きで観られただけでも、有り難い話ではある。
ソフト化の予定はないそうです。
『ナショナル・シアター・ライヴ フランケンシュタイン』
Posted by asuka at 1:02 PM
イギリスの舞台を映画館で上映する企画の日本上陸版。イギリスの舞台など、観たいものがあっても簡単には観に行けるものでもないし、とても嬉しい企画。
ロイヤル・ナショナル・シアターで上映されたものだけなのかと思っていたが、他の舞台も取り上げられているらしいのと、ロイヤル・ナショナル・シアター自体が映画館上映のためにカメラワークなどにもこだわって作ったものらしい。
何作品か上映されているのですが、今回、『フランケンシュタイン』のアンコール上映を見ました。
ダニー・ボイル監督、音楽はアンダーワールドといつものコンビ。
ベネディクト・カンバーバッチとジョニー・リー・ミラーのダブルキャストというかダブル主演というか、博士役と怪物役を交互に演じている。
見た目を重視してしまってカンバーバッチが博士役をやったバージョンを観たんですが、これは両方観て初めて完成するのかもしれない。
舞台は怪物が生まれるシーンから始まる。原作だと、その前にフランケンシュタイン博士の生い立ちや、人間を作り出すことにとらわれていく狂気や苦悩が描かれるのですが、その辺はすべてカットされていた。そのため、怪物視点からのシーンが多い。
あと、フランケンシュタインと結婚することになるエリザベスについても、急に出てきてしまった感じ。
フランケンシュタインというと、『怪物くん』に出てくるあの姿が想像されるのですが、あれは1931年の映画『フランケンシュタイン』のイメージであり、「フンガー!」しか言わないのもたぶん同じところからの引用なのですが、もともとのフランケンシュタインはどんどん頭がよくなっていく。
上部に無数の豆電球がつり下げられていて、それが雷のように光る。舞台上には丸い、もしかしたら子宮のようなものがあり、そこから文字通り、怪物が生まれ出てくる。このシーンから舞台版は始まっていた。
原作だと、怪物を作り出したフランケンシュタインが、自分のしたことの重大さに気づいたのか、怪物の容姿を恐れたのか、とにかく怖くなって逃げ出したあとである。
生まれ出てきた怪物は最初立ち上がることすら出来ないのですが、着実に成長していく。這うように舞台上を動いていたのに、少しずつ立ち上がっていく。意味のない叫び声を上げる。
この、着実に、でもすごいスピードで成長していく様が見事だった。舞台上にはジョニー・リー・ミラー一人だけで、内容を知らなかったら前衛劇のように見えるかもしれない。鬼気迫る演技が迫力のあるシーンだった。
醜い容姿のため、人間からは叫び声を上げられ、石を投げられる。そこで傷ついている怪物には、明らかに人間としての感情が芽生えていた。
盲目のおじいさんだけが優しくしてくれて、本を貸してくれたり言葉を教えてくれたり。
このシーンは原作だと遠くで見守っている時間が長かったと思う。そして、本も怪物の独白によって書かれていたが、舞台なので、おじいさんと怪物の心の触れ合いが多く描かれていた。
ここで、醜い容姿のために蔑まれているが、怪物は実は優しい心を持っているとわかる。博士に作り出されたのに心を持っているのだ。
ここの二人のやりとりは、ほのぼのとするものが多くコミカルで、劇場からも笑いが漏れていた。
しかし、怪物が懸念していた通り、一緒に住んでいた息子夫婦は外見の醜さを忌み嫌い、怪物を棒で叩いて追い出そうとする。
畑の石を退けてあげたり、影で手助けをしていてこの仕打ちは、少し『ごんぎつね』を思い出す。
皮肉なことに、怪物は読んでいた本から復讐という感情も学んでいて、一家が住んでいる家に火をつけて逃げる。そして、自分をこんな姿で作ったフランケンシュタイン博士にも会おうとする。
原作だと博士の気をひくために、怪物はもっと何人も殺しているんですが、舞台版だと弟のみだった。
自分が作り上げた怪物と対面して、その知能の高さに感動しているさまは、やはりどこか狂っているように見える。
また、怪物に脅されたからといって、花嫁を作ろうとするのもやはり、一体作り上げた自負があるのだろうし、まともとは思えない。
結局、弟の亡霊に、花嫁が子供を産んで怪物が増えたらどうするのかと問われ、完成間近で拒否することになる。
怪物の気持ちをわかる。父母ともいえるかもしれない創造主に拒否され、他の人間にも拒否されて一人きり。愛やさびしいという気持ちを知らなければわからなかったろうが、すべての気持ちを知ってしまった今となっては、感じるのは孤独感なのだ。
見た目的には怪物のほうが醜くても、本当の悪魔は博士のほうに見えた。舞台版だと、特に序盤の苦悩が描かれていないため、怪物のほうの気持ちがわかってしまう作りとなっていた。
博士が倒れたときに、怪物が「本当に一人きりになってしまう! お前は俺なのに!」と言うシーンもあるが、それを考えると、やはり逆キャストバージョンを観て、この舞台は完成するのかもしれないと思った。ダニー・ボイルもそこまで意図して作ったのだろうし。
原作を読んでいたときにも、実は怪物など存在しなくて、博士の妄想上の生き物で、殺人も博士が行っているのかと思った。実際、疑いもかけられたりする。しかし、後半で、(怪物の独白ではなく)第三者も怪物と対面するシーンが出てくるので、存在はしていたらしい。
でも、二人で一つという面はあったのではないかと思う。
このナショナル・シアター・ライブ、40カ国以上で公開されているらしいけれど、日本に来たのが今年初めて、ということもあるのかもしれないけれど、字幕が少しいい加減だった気がする。セリフに対してやけに短かったり。
あと、最初にロイヤル・ナショナル・シアターの歴史やナショナル・シアター・ライブについてのCMみたいなのが流れるのですが、そこには字幕がついていなかった。外国で観ているようでわくわくはしたけれど、宣伝効果はないと思う。
それでも、本編が字幕付きで観られただけでも、有り難い話ではある。
ソフト化の予定はないそうです。
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