『美女と野獣』


クリストフ・ガンズ監督版、実写映画。
『美女と野獣』の原作は読んだことはないのですが、あらすじを見る限り、原作そのまんまでもないようだし、もちろんディズニーアニメ版とも違う。
ただ、『マレフィセント』のように『眠れる森の美女』がまったく変えられてしまったわけではないので良かった。
また、原作はフランス文学なのを知らなかったのですが、こうしてフランスの監督さんにフランス語で撮られるのは正しいと思う。

以下、ネタバレです。






ディズニーアニメ版と似ているところは、父の代わりにベルが野獣の城にとらわれるところと、野獣の城から一時帰宅したのが原因で村の人が野獣の城を襲撃するのと、ベルの愛で野獣が人間に戻るところくらい。登場人物の名前や職業もディズニーアニメ版とは違った。

また、ラブロマンス面を期待して観ると拍子抜けだと思う。最後にはベルは野獣に「愛してる」と言うが、いつそのように気持ちが動いたのかわかりにくかった。

そもそも、それほど野獣とベルが一緒にいるシーンがない。
野獣の内面というか生い立ちも、ベルはおそらく森の精が見せた夢で知るけれど、身を以て優しさを感じたようなシーンは無かったのではないかと思う。
本当に、そもそも触れ合い自体が無かった。

ダンスのシーンもあるけれど、ディズニーアニメ版のようなロマンティックなものではなく、緊迫感のあるものだった。ベルの顔が強張っていた。ただ、野獣は傷つけないようになのか、手袋をはめ、爪を隠していた。
そもそも、家に一時帰らせてもらうための、取引としてのダンスなのだ。ベルとしては身売りに近い。けれど、このひんやりしたダンスシーンが最高だった。
ドレスもベルがヴィヴィッドなブルーで、野獣がレッドなので、色合いも綺麗。

ベルが最後に「愛してる」と言うのも、本心からとは思えなかった。野獣を救いたいというよりは、家族を救うためにわざと言ったように思えた。

ベルは姉二人兄三人の六人兄弟という設定で、そこに父親も加えた家族の描写が前半に多かった。そのため、野獣よりも家族を大切にしているように思えたのだ。
これは原作でもディズニーアニメ版でもそうだけれど、もともと野獣の城へ行ったのも、父親の代わりだったし。

私はラブロマンス目当てではなかったので別にこれで良かった。ただ、童話を子供に話す形で映画が進んでいき、ラストで話していたのがベルで、子供と父親と人間に戻った野獣と一緒に暮らしているのがわかるんですが、その時の、野獣を演じたヴァンサン・カッセルの抱擁の仕方が素敵だったので、もっとラブロマンス面に力を入れてくれても良かったと思った。

何を目当てで観に行ったかというと、役者さんと衣装・美術などです。
ヴァンサン・カッセルも前述通り良かったです。過去に王女を後ろから抱きしめるのも良かった。横を向いた時の鼻のラインが人間の姿でも野獣に似ている。

エドゥアルド・ノリエガも出ていた。スペイン俳優ですが、フランス語も話せるとは。ただ、だいぶ歳をとった感じ。前作は『ラストスタンド』で、観ていないんですが、ここでも悪役だったようです。

ベルを演じたのがレア・セドゥ。所謂、女優顔というか美形というよりはモデル顔といった感じなんですが、だからこそなのか、どんな衣装も似合っていた。
家族と暮らしているときの質素な服装も似合っていたけれど、野獣の城へ行ってからの日替わりのドレスもどれも綺麗でした。
あれは野獣セレクションなんでしょうか。アクセサリーや髪飾りもそれぞれドレスに合わせてあった。ヘアスタイルも素敵でした。
どれもわりとバキバキした色合いだったため、その衣装のまま、もともとの家に行くと随分場違いに見えた。

それくらい、野獣の城自体もバラの蔦が絡まっていたり、食卓が豪華だったりと華美なものだった。

ベルの夢の中で出てくる過去の映像の、王女のヘアスタイルがだいぶ昔のものだと察せられて、王子が野獣に変えられてから時が経っているのが説明はなくともわかった。

また、野獣の城の屋外には、水中に半分沈みかけた巨像などがあるんですが、それが、村人の襲撃の際に動き出すのが恰好良かった。あれなんだろう、不気味だなと思っていたのが、まさか、襲撃に備えていると思わなかった。苔の生えた巨像の方の部分に野獣がいて、絡まった蔦を引っ張って操っているのもかっこ良かった。

あの巨像たちは、過去に一緒に狩りに行ってた人たちなのかな。その辺も説明がなかったけれど、狩りで連れていた大量のビーグルも、謎の生き物に変えられていた。
謎の生き物、可愛かったけれど、臆病なせいで、影に隠れてて結局最後までちゃんと出てこなかったの残念。ちなみに、ディズニーアニメのように、動くティーポットや燭台などは出てきません。

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