『ドラキュラZERO』


主演のルーク・エヴァンスと衣装などはかっこよかったです。

以下、ネタバレです。






トランシルヴァニアのドラキュラのモデルとなった実在の人物ヴラドが主人公となっている。でも、伝記というわけではありません。
息子を守るために、洞窟の中の魔物と契約をして力を手にするんですが、その契約というのが、三日間は人間の血を欲すると思うけれどそれを我慢すれば人間に戻れる、血を飲めば魔物が洞窟の束縛から解かれるというものだった。
普通であれば、困難を乗り越えて、血を飲まずに我慢をし、魔物の誘惑にも負けずに、敵も倒してめでたしだと思う。

しかし、この映画では、あっさり誘惑に負けてしまう。
ルールがわかりにくかったんですが、妻が死にそうなときに「私の血を吸って」と言うんですね。たぶん、魔物に操られているんですが、ヴラドは吸ってしまう。
おそらく、これで完璧な吸血鬼になったのだと思う。でも、ここで、魔物が洞窟から解き放たれて、代わりにヴラドが閉じ込められるわけじゃなかったのか。そして、完璧な吸血鬼になることで、力が倍増するのはわかるんですが、少し前に「血を飲んでいないから十字架を怖がらない」と牧師が言っていたけれど、飲んだ後も別に怖がっていなかった。
ただのいいことづくめである。

その力というのも、自らを吸血鬼の姿にして瞬間移動とか、超能力のように無数の吸血鬼を遠隔操作して敵を蹴散らすといったもので、そもそも吸血鬼である必要があったのかどうかわからない。
吸血鬼といえば、人間の首もとを噛んで血を吸うイメージなんですけれど、この映画では獣が噛んで獲物を仕留めるイメージ。噛んでもたぶん血を吸っていなかった。殺す手段でしかない。吸血鬼の牙の使い方を間違っている。
吸血鬼映画は血を吸われている側の快楽まみれの顔が見所だと思う。もうすぐ死ぬのに気持ち良くなってしまう背徳感。そんなのはまったくないアクション映画だった。

噛んで血を吸ってるわけじゃないから、噛まれた側が吸血鬼になるわけではない。どうやって吸血鬼になるかというと、血を飲ませるんですね。
この辺のルールもよくわからなかったんですが、ヴラドは洞窟の中の魔物の血を飲んで力を手にし、血を飲んで完全な吸血鬼となった。
ここでヴラドが洞窟に閉じ込められなかったからもうここでルールは崩壊してるんですが、ヴラドが他の人に血を飲ませても、ただ吸血鬼を量産するだけだった。そもそもの洞窟ルールはどこかへ行ってしまった。

それで、とても許せなかったのは、吸血鬼にしたのは自分のところの民衆なんですよね。死にかけの人間に、生きたいかと聞いたら生きたいと言うに決まっている。それで、吸血鬼に変えて、敵軍と戦っていた。
民衆はまさに魔物のようになっていて、ヴラドだけなぜ人間の心を持ったまま吸血鬼になったのかわからない。吸血鬼になった民衆たちは、助け出したヴラドの息子を襲おうとして、挙げ句、退治されてしまった。日光を浴びて灰になってしまったのだ。まるで、息子はもう助けたから用済みとばかりに。
これで民衆を守ったと言えるのだろうか。自分の子供を守っただけではないのだろうか。

残忍な殺し方で串刺しヴラドなどと呼ばれていた人物が、近年は故国を救った英雄としての見方もあるらしいんですが、そこでぴんとくるものがあったのかもしれないけれど、いくらなんでも他の設定がいい加減すぎる。

吸血鬼だから死ぬことはなくて、現代にもヴラドが出てきて奥さんの生まれ変わりに話しかけたりするんですが、生まれ変わりなのかずっと生きてたのかわからないけど、魔物も出てきていた。スーツを着て、普通のおじさんっぽくしていた。
これは続編があると考えていいのかどうかわからないけれど、この現代の話は興味があるので、こっちをメインにしてほしかった。誕生の話は冒頭10分くらいにまとめてくれて良かった。
続編にもおそらくドミニク・クーパーが宿敵みたいに出てくると思うし、因縁を抱えたまま輪廻転生していたら楽しい。
現代版魔物が「さあ、ゲームをはじめよう」と言っていたので、もしかしたら何か見のがしているルールがまだあったのかもしれない。

これだけ文句をつけつつも、続編があるならば、たぶん観ると思う。

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