『ブラス!』


1997年公開。イギリスでは1996年。
1984年のサッチャー政権下の炭鉱閉鎖とそれに反対するストライキ、炭鉱夫たちの失業などがテーマになっている。
タイトルからもわかる通り、炭鉱の町の炭鉱夫たちのブラスバンドの話。

炭鉱閉鎖と芸術ということで、『リトル・ダンサー』に似ている。
ただ、『リトル・ダンサー』はバレエに傾倒するのが少年で、炭鉱で働いているわけではない。そのため、周囲の大人たちが団結して彼を送り出す。あたかも自分たちの夢を託すように。

しかし、この映画の場合は炭鉱夫たちのブラスバンドなため、より直接的な芸術との関わり方の難しさが描かれていると思う。
音楽を奏でることが嫌になったわけではない。しかし、自分たちの生活あってのことだし、どうしたって炭鉱閉鎖の問題と切り離して考えるわけにはいかない。
良い楽器が欲しい、でも失業を目の前にしてそんな余裕はあるわけがない。揺れ動いて、悩んだ末にピエロのバイトを始めるメンバーが出てくるが、このピエロという職の選択が絶妙。足が奇妙に大きい姿で電話をとりに行ったり、ピエロの姿のまま自殺未遂をするシーンが、その姿故に余計に哀しくなる。

ブラスバンドなので、一人ではなくバンドメンバーそれぞれの事情も出てきて、少し群像劇のようにもなっている。

20年近く前の若造なユアン・マクレガーはかつて好きだった女性との再会をして甘酸っぱい思いをしたり、若造故に諦め半分で自分の楽器で賭けをして負けたりしていた。

お相手の女性はトランペットの腕は確かだったり、バンドの指揮者ダニーの友人の孫だったりしたが、実は経営者側の人間で、炭鉱夫たちのいわば敵のような立場だった。

ダニーはバンドが何よりも大事だったけれど、結局、ブラスバンドが大会で優勝しても、トロフィーの受け取りを拒否し、その場で自分たちのおかれている状況について演説した。あんなにバンドのことを思っていたダニーでさえ、自分たちの生活を優先した。その深刻さとやりきれなさがよく伝わって来た。

原題は『Brassed off』。“be brassed off with 〜”で“〜にうんざりする”というイギリス英語のスラングらしいので、二重の意味になっているみたい。

『リトル・ダンサー』を観ている時にはビリーの味方だから、前半の大人たちの態度を見ていると許すまじと思うけれど、大人には大人の事情があるのだ。ただ、頭ごなしに反対しているわけではない。でも、子供にまで事情を察するのを求めるのは間違っていると思う。だから、揉めたにしても結局バレエ学校の入学試験を受けることが許されたのは本当に良かったと思う。この映画の中のように、大人は生活のために芸術活動を諦めなくてはならなくなったけれど、子供は夢を諦めることはないのだ。

バンドの中心であり指揮者のダニーを演じたのは、ピート・ポスルスウェイト。名前ではぴんと来なかったのですが、『インセプション』のモーリス・フィッシャー役の方。20年近く前でだいぶ若いのでわからなかった。

そして、ダニーが倒れた後、代理の指揮者をつとめるハリー役はジム・カーター。『ダウントンン・アビー』の執事カーソンさん役。面影があったのでもしかしてと思った。激しく指揮をしていた。


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