『博士と彼女のセオリー』


エディ・レッドメインがアカデミー賞で主演男優賞を受賞。スティーヴン・ホーキング博士を描く伝記映画だけれど、そのパートナーであるジェーン・ホーキングについてもしっかり描かれていて、ジェーン役のフェリシティ・ジョーンズも主演と言えると思う。
こちらも、『イミテーション・ゲーム』と同じく、脚色賞、作品賞、作曲賞など全5部門ノミネート。
以下、ネタバレです。







タイトルや予告から、ホーキング博士の病気発症の影でパートナーが献身的に支え続け、影ながら博士を成功に導く話なのかと思っていた。
しかし、そんなに単純な話ではなかった。

序盤はラブストーリー。博士とジェーンの出会いと、私が好きな恋に落ちる瞬間が描かれていた。
メイボール(May ball)はプロムの5月版みたいな感じでしょうか。字幕では舞踏会となっていた。
二人は皆が踊っている輪には入らないんですが、少し離れた場所の橋の上で抱き合う。カメラが上に移動していくと、橋の下をゴンドラが通っていく…。画面作りが丁寧で美しい。ロマンティックで完璧。他の騒がしい人たちや楽しんでいる人たちがモブに見える二人だけの世界。

でも、病気の進行とともに、次第に相手を好きとか大事に思うだけではどうにもならなくなってくる。
子供二人(途中で三人になる)とただの病気ではないALSという難病の夫の世話を一人でするなんて到底無理なんですよね。
フェリシティ・ジョーンズは『Cemetery Junction』で初めて見て、お人形さんみたいで可愛いと思っていて、今回も序盤は本当に可愛らしい。ワンピースも良く似合います。
でも、その表情がどんどん曇り、歳もとっていくから当たり前だけれど、覇気がなくなっていく。常にイライラしているし、追いつめられている様子だった。鬱病気味でもあったのかもしれない。

途中でジョナサンというジェーンの賛美歌の先生にお手伝いに来てもらうけれど、もしかしたらこの時点で、博士はいずれはジェーンのことも頼みますといった気持ちもあったのかもしれない。

肺炎を起こして、医者に安楽死をすすめられたけれど、結局声と引き換えに人工呼吸器を付けるという選択を、博士は最初は恨んだのかもしれない。
文字が表示されたボードを持ったジェーンと博士が対峙するシーンが泣ける。ジェーンだって声を奪おうとしたわけじゃない。必死でコミュニケーションをとろうとしても、いじけたかのように見える態度で拒否する博士の行動もわかる。ショックだったのだろう。

そんな博士も看護士とはちゃんとコミュニケーションがとれるんですよね。当たり前だけど、これはプロだから。
でもじゃあ、ジェーンはどうしたらいいのか。

もう、愛してるだけではどうにもならないのだ。好きでも、どんなに相手を思っていても、それだけではこえられない問題がでてきてしまう。
自分が相手にできることの限界まで尽くしても、相手の希望にはそえない。
自分は相手ではないから、相手の望むものすべてを与える事はできない。
これは、ラース・フォン・トリアー監督の『ニンフォマニアック』でも同じようなことが描かれていた。「虎のエサをあげるのを手伝ってもらおうと思うんだ」と言った後で、ジェロームが泣くシーンを思い出した。
別に嫌いになったわけじゃなくても、一緒のいることで相手を苦しめてしまう関係というのが存在する。

最後のセミナーのシーンで、博士は落としたペンを拾ってあげる想像をする。自分がもし立ち上がれたら…と考えて、でも、命があることに感謝をするスピーチをするのだ。あの時に、医者にすすめられるがままの措置をしていたら、博士はいなかった。だから、その場にジェーンはいないけれど、いまの自分があるのは彼女のおかげだとはっきりわかっているのだ。
その上で、結婚生活には終わりを告げるという選択は、切なくもあり、それでも最良と信じての行動だったと思う。

最後まで観た後で、そのメイボールのシーンは最後に撮影されたというのを読んで、驚いた。主演の二人はすべて演じた上で、あの抱擁をしたのだと考えると、あのシーンから伝わってくる想いの深さのようなものの理由が改めてわかった。

最後に文章で、ジェーンも博士号を取得したと書かれていた。劇中でも、勉強をしているけれど、他の用事で中断されるというシーンがあった。あのまま結婚生活を続けていたら、ジェーンは自分の夢は諦める事になっただろう。あくまでも、影に隠れたままだったと思うのだ。

恋愛特化のラブストーリーというよりは、人間関係の話だと思う。人と人の気持ちは複雑で、綺麗ごとだけではない。
だけれども、それをどろどろと描きはせずに、丁寧に美しい映像でエレガントに作ってあるのがこの映画のいいところだと思う。ヨハン・ヨハンソンのピアノのメロディーも切なくうっとりするものだった。

エディ・レッドメインは主演男優賞も受賞しているし、予告などで少し観ただけでも、他では見られない演技をしているのがわかると思う。でも、それと同じくらい、フェリシティ・ジョーンズも素晴らしかったです。

前半の博士の学生時代の友人役でハリー・ロイド。恰好良いけれど意地悪そうなのがいい。この人もマシュー・グードと同じく厭味なインテリが似合う。
後半、看護士エレイン役にマキシン・ピーク。それほど出てこないけれど強い印象が残った。BBCのドラマ、The Villageでジョン・シムの奥さん役の方。

イギリス映画らしく(?)、ドクター・フーネタが盛り込まれていた。
一箇所は気づかなかったんですが、「Doctor…Who?」というセリフがあったらしく、私はたぶん字幕を読んでいたので、「医者?誰?」くらいの印象だったのだと思う。
もう一箇所は、声を出せなくなった博士が指を動かしてカスタマイズPCに文字を入力し電子の音声を手に入れたシーン。電動車いすをびゅんびゅん走らせながら、段ボールを頭から被り、「Exterminate!」とダーレクの真似をする。
本当にやったのか、映画だけの話なのかはわかりませんが、博士はSF好きらしいので、本当の事なのかもしれない。
機械の音声を手に入れたらたぶん私もやるだろうなと思うし、親近感を憶えた。
それと同時に、ドクター・フーがイギリスの国民的TV番組なのが実感できました。

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