『イーダ』


アカデミー賞外国語映画賞受賞のポーランド映画。
去年の夏に公開していたようなのですが観ておらず、受賞したことにより再上映が決まって良かった。

以下、ネタバレです。





映画が始まる前にスクリーン両側が狭まって、スタンダードサイズになったのに驚いた。けれど、モノクロだし、このサイズが合うのかもしれない。
背景はシンメトリーなのに、人物が下の方の右寄りにいたりと、構図が少し変わっていた。まるで絵や写真のように、切り抜いてみても美しいと思う。

序盤は、セリフが少なく、雪が静かに降っていて、修道院と中で粛々と働く人が出てきて…ということで、『大いなる沈黙へ』を思い出した。

修道誓願という、清貧、貞操、従順の誓いをたてる前に、唯一の肉親であるおばに会って来てはどうかと言われ、一人の少女が修道院を出るところから始まる。
ストーリーを調べてはいなかったのですが、少女はおばと一緒に自分の出生の秘密をさぐる旅に出る。
結局、ホロコーストの犠牲者であることがわかるなど、事実はつらいものではあったが、旅自体は楽しそうにも見えた。煙草を吸い、酒を飲む、修道院の中のシスターなどとはかけ離れた人物であるおばと行動を共にし、修道院の外の世界に触れ、おそらく初めて男性と語らう。それは少女にとって、すべてが新鮮な体験であり、冒険でもあったのだろう。
少女とおばは、正反対ゆえに最初はお互いに気に食わなそうだったけれど、一緒に冒険をして二人の絆も深まったように見えた。

少女は修道誓願のために修道院へ戻り、おばは日常へかえっていく。
少女の無垢な心に触れたせいかもしれない、息子の行方がわかったせいかもしれない。おばは急に思い立ったかのように窓から、軽やかといってもいいしぐさで跳躍する。
もうそれはずっと考えていたことなのかもしれないし、息子の頭の骨を抱えながら歩いたときに思ったことなのかもしれない。
唐突にも見えたけれど、おそらく、悲壮感なんてものはその前からずっとあったのだろう。

少女がおばの部屋に来て、おばの靴を履き、服を着て、真似をするような仕草で煙草を吸い、酒を飲む。『太陽がいっぱい』や『フィルス』にも出てきたけれど、その人に自分がなってしまいたいほど相手のことを想うという描写が好きなんですが、ここもそれだと思った。

だから、このあとで、旅の最中に会った男性ともう一度会って、デートのようなことをするのも、結局はおばを真似ているだけだったのかもしれない。好きではあったのだろうけれど、恋愛とはまた別だったのではないか。

海辺に家を建てて、結婚して、犬を飼って…なんて夢物語、信じられなかったのだろう。
生まれてからずっと修道院にいたら、価値観のようなものを変えるのも相当難しいと思う。それに、急に外の世界に出たって、肉親が誰もいないのだ。そんなに甘くはないと考えていたと思う。

デート中はベールをはずしていた。ベールをつけていると自分のままだけれども、はずせば、別人に…おばにもなれる。
部屋を一人出る時にベールを被ったのは、もともとの自分に戻るためだろう。そして、その恰好をしているということは、修道院に帰るということで、おそらく、今度こそ修道誓願をたてるのだろう。

映画の最初の方では少女は無表情で、黒目がちな瞳は何を考えているかわからない。まるでブラックホールのようなそれに吸い込まれそうになる。けれど、後半では、表情はやわらいでいるように感じた。
少しの間だったけれど、おばとの触れ合いと二人の冒険が及ぼした影響は大きかったのではないだろうか。数日間の大きな経験で、彼女は確かに成長した。
この思い出を胸に、おそらく修道誓願をするという決断を自らしたのも、大人になった証拠だと思う。

ただ、それが幸せなのかというのはわからない。少なくともおばは、少女がベールを脱ぐ=俗世で生きることを望んでいたようだった。でも、幼い頃から修道院で生活せざるをえなかった事情もわかっているし、自分のせいでもあるのもわかっていた。それが彼女の生活を荒廃させたのかもしれない。


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