『プリデスティネーション』


イーサン・ホーク主演。
過去に戻って犯罪をくいとめる…と聞いていたので、『ミッション:8ミニッツ』みたいな感じかと思っていた。ポスターも似ていた。でも、『ミッション:8ミニッツ』は相当良くできた映画だったので、劣化版コピーのようになってしまうのではないかという心配をしていた。
結果的にはそれはとんでもない誤解でした。口コミやRotten TomatoesでのFresh 84%を信じて良かった。
タイムリープものではあるけれど、一癖も二癖もある。SFはSFなんだと思うけれど、CGなどはほとんど使われていない。予告編だとアクション映画のようだけれど、銃もほとんど撃たないし、アクション要素も少ない。

予想を覆された。ラストの衝撃度もものすごいので、ネタバレは絶対に知らずに観た方がいいと思う。

以下、ネタバレです。







オープニングは過去に戻って爆弾魔の犯行を食い止めようとするシーン。失敗するんですが、これから映画が始まるというところなので、まあ意外ではない。この爆弾魔との因縁ともいえる対決がこの映画の中心になるのだろうなと思っていた。

場面が変わって、イーサン・ホークがバーテンダーを演じる薄暗い場末のバーのような場所が舞台になる。そこへ訳ありっぽさぷんぷんの美青年が現れる。
レオナルド・ディカプリオ、エドワード・ファーロング、デイン・デハーン系の影のある顔だったけれど、声質からもしかして女性が男装してるのかなと思った。

そこから、その人が自分の数奇な半生についてバーテンダーに話し始める。「私が少女だった頃…、」という話し出しで、やっぱり思った通りだったと思った。幼い頃から喧嘩が強かったというようなことを話していたのと、この作品がWikipediaで“オーストラリアのLGBT関連の映画”というくくりになっていたことから、きっと性同一性障害なのだろうと思い込んでいた。

しかし、そんな方向へは話は進まなかった。しかも、二人の会話、というか、彼女がバーテンダーに話している時間がまったく終わる気配がない。
この映画は会話劇なのか? SFなはずではなかったのか? 爆弾魔を追ってるんじゃなかったっけ? これ、なんの話だっけ?

そう思いつつも、バーテンダーと同じく彼女の話に没頭する。孤児であり、気性の荒さのせいで友達もできず、養子にももらわれず、就職の面接で落とされ、出会ったある男性と恋に落ちるも、男性は消え、お腹には彼の赤ちゃんだけが残った。
もうここまでで悲惨なのですが、極めつけが帝王切開での出産時に命を落としそうになり、半陰陽(女性器も男性器もある)だった彼女は、男性化の手術をされてしまう。

命を救うためとはいえ、勝手な処置で取り返しのつかないことになった。望んで男性になったわけではなかった。
それでも、子供と一緒なら生きていける…と思っていた矢先、赤ちゃんが誘拐されてしまう。犯人はつかまらないけれど、おそらく消えた男、父親なのではないかと彼女は思ったし、私も思った。

腹には帝王切開の跡、おまけに胸に乳房切除の跡も残っていて、かなりショッキングな裸も映る。
一人きりで必死に男性の話し方をしようとするシーンがあるんですが、泣けてしまって仕方がなかった。
字幕だと男言葉になるだけですけれど、英語だと同じだけれど、話し方や声のトーンで男性っぽくするしかないんですよね。
最初は気丈に、男らしく自己紹介を繰り返している。けれど、何度か話すうちに、気丈な部分が剥がれ落ち、本来の自分の話し方に戻ってしまう。女性の話し方です。自分の心の性と体の性の不一致が起こっている。

バーテンダーに話してる時点では、もう男性的なふるまいにも慣れたと言っていた。それどころか、挑発するような目で、先日、射精ができるのがわかったとも言っていた。
カウンターからビリヤード台、テーブルと場所を変えながら話し込むうちに、心を開いたのかもしれない。二人が話している様子はまるでデートのようにも見えたし、彼(彼女)の表情は射精ができるようになったからためしてみるか?と誘っているようにも見えた。

でもセックスをするわけでもない。恋愛感情を抱いたわけでもなさそうだった。じゃあ、なんで、この人の半生を聞くシーンがこんなに長いのか。この人が爆弾魔で、これは因縁めいた会話なのか。

バーテンダーは彼女(彼)の話を聞き終えて、過去に戻ってお前の人生をめちゃくちゃにしたやつを殺せるとしたらどうするか?と問う。これは、最初にモノローグみたいな感じで出てきた言葉なので、ここから本編か!と思った。
そこで、ああこれは、笑ゥせぇるすまん的というか、世にも奇妙な物語的というか、不幸な目に遭った人が不思議な人に不思議な力を与えられるパターンか、と思った。話の中心は復讐だったのだ。
彼女(彼)を連れて過去へタイムスリップをする。物語が動き出す。二人の冒険が始まる! なんて、呑気な事を考えていた。間違っていた事がほんの数分後に明らかになる。

過去の彼女が好きになってしまったのは、紛れも無い彼本人だった。なんて残酷なんだろう。復讐すらも許されない。
本作のタイムリープルールでは、過去の遡って、本人に会う事もできるようだ。『時をかける少女』など、片方が現れるともう片方が消えるなど、同一人物が同時に存在できない場合が多いけれど。

バーテンダーは彼に選択肢はあると言って、自分は爆弾魔追跡へ戻っていく。
選択するのは自由だと言われたって、愛さずにはいられない。だって、一人きりなのだ。どれだけ孤独なのかは、自分のことだから自分が一番良くわかっている。誰からも愛されていないのに、自分までもが見捨てるわけにはいかない。

それでも、未来から来たのだからずっと一緒にいるわけにはいかない。バーテンダーが彼を連れて未来へ戻る。過去には彼女一人が残される。そして、お腹には赤ちゃんが…。

でもそれじゃあ、父親が彼だったということは、生まれた子供を誘拐したのは誰だったの?と思いながら観ていたら、バーテンダーが過去に戻って赤ちゃんを抱き、そのまま更に過去へ戻って、孤児院の前に置いていた。

そりゃ、両親なんていないだろう。全部自分なのだから。怒濤の如く明らかになっていく彼(彼女)の半生。前半に聞いた話の種明かしのようだった。
半生を聞いていた時点でも、悲惨だとかそりゃないよとか思っていたけれど、種明かしを見るとあっさりとそれを上回ってしまう悲惨さだった。
過去の彼女が愛したのも自分で、産んで愛しいと思い誘拐されて身を切られる想いをしたけれど、その子も自分だったのだ。
幼い頃に、家族に憧れて両親に想いを馳せた事もあるだろう。子供を産んで、やっと家族ができたとも思っただろう。すべて幻想だったのだ。永久に一人きりだったのだ。

タイムスリップで冒険なんて始まらない。時空をこえて、一人の人間が奇妙に繋がってしまっただけだった。

彼(彼女)はバーテンダーの“過去に戻って犯罪をくいとめる”仕事を引き継ぐことになる。バーテンダーは爆弾魔を捜すために、一人、最後の仕事へ出かけるためタイムスリップする。
ここでまた、そりゃないよ事象が上書きされる。爆弾魔は、度重なるタイムスリップで精神を病んでしまった彼自身だった。犯罪阻止のためによかれと思って任務を遂行していただろうに、結果的にこんなことになるとは。
バーテンダーは爆弾魔である自分自身を銃で撃ち殺すが、おそらく何年後かに彼も爆弾魔になってしまい、過去から来たバーテンダーに撃ち殺されるのだろう。

彼(彼女)だけでなく、バーテンダーもこんな因果に巻き込まれてしまった。ああ、やりきれないと思っていたら、憔悴しきったバーテンダーの裸に見覚えのある強烈でショッキングな手術跡が…。そういえば、序盤で任務失敗で顔焼かれて、整形手術してましたよね…。

最後の最後に、そりゃないよ事象が更に上書きされるとは思わなかった。層になったそりゃないよの一番外側だ。頭を抱えそうになった。

だから、バーで話を聞いていたときも、さも相談に乗っているような感じだったけれど、全部、経験してきたことだったのだ。経験してきたこと、つらい過去の記憶を自分の口から改めて聞くというのはどんな気持ちだったのだろう。
彼(彼女)がどんな気持ちで話していたかもわかるはずだ。つらい話でも、やっと人に聞いてもらえたというように、彼(彼女)の話は止まらなかった。バーテンダーはそれを黙って、すべて受け止めていた。
また、いくら誘われたって(誘っていたのかはわからないけれど)、セックスをするわけはない。子供はできないにしても、自分とのセックスで一度酷い目に遭ったのだから、もうしないだろう。

絡まった糸をほぐしてみたら、実は一本だったような感覚だ。結局、愛したもの、執念を燃やしていたものすべてが自分自身だった。一人きりだったのだ。タイムリープをこんな使い方するとは。やるせなさと絶望感が残ったが、最初に想像していたストーリーがまったく違う方向へ裏切られていくことでの新鮮な驚きがあった。

タイムリープものやどんでん返しもの特有ではあるけれど、すべて知った上で、もう一度最初から観たい。ただ、最初から最後まで苦しい想いをしながら観る事になりそう。

原作はロバート・A・ハインラインの『輪廻の蛇』。劇中で「自分自身の尻尾を追いかける蛇」というセリフも出てきた。このタイトルを知っていたら、ストーリーが予測できてしまったかもしれない。原題『All You Zombies』もなるほどといった感じ。
小説だと、登場人物などを頭の中で想像しながら読む分、最後の衝撃がより凄そう。
ただ、短編らしいので、映画は97分とはいえ、だいぶ要素が足されているのではないかと思う。

ラストの衝撃度勝負だけではなく、美術面や低予算ならではの工夫もおもしろい。

登場人物は、バーテンダー役のイーサン・ホークと彼/彼女役のサラ・スヌークとエージェント役のノア・テイラーのほぼ三人のみ。
特にオーストラリアの女優さんだというサラ・スヌークの男女の二役は素晴らしかった。無骨で勝ち気で尊大な女性と、影をたたえて皮肉っぽく笑う男性。女性の時は明るく、男性の時は暗く、と照明にも気をつけられていたらしい。

彼女が就職をしようとする会社、スペースコープの女性の制服のレトロ未来具合が絶妙だった。宇宙関連の会社なので洗練されてはいるけれど、舞台が60年代と昔だから、昔の人が考えた未来みたいなイメージ。現代から見るとレトロ。昔の万博のコンパニオンの制服のよう。

タイムマシンもギターケース型とちょっと変わっていた。タイムリープするからSFではあるんだろうけど、SFだとCGで作られた銀色で大振りな乗り物型のタイムマシンを想像してしまう。原作の通りなのかはわからないけれど、映画では携帯型のタイムマシンで、ぱっと見、流しのギタリストにしか見えない。
行き先の日付もデジタルではなくて、ダイヤル式で合わせたりする。80何年かに作られたというようなことを言っていたと思う。タイムマシンが未来ではなく今よりも30年くらい前に作られていたという設定も新しい。そのため、デザインが昔風なのだと思うけれど、おそらく予算にも合っているのだと思う。

アクションも極力控えめ。バーテンダーは犯罪阻止のやり手だったようだけれど、仕事をしているのは最初の失敗したシーンだけで、過去の活躍っぷりはわからない。
だから、カッコイイSFアクションみたいなものを想像して観に行くと拍子抜けするかもしれない。

監督・脚本・製作をこなしているのはピーター・スピエリッグ/マイケル・スピエリッグ兄弟。ピーターのほうは本作の音楽も担当している。この兄弟、一卵性の双子らしく、そんな二人が自分が自分に会うというストーリーを監督したのかと思うと、更にぐっとくる。

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