ショートショートフィルムフェスティバル2015 カンヌプログラム



セレクションにもよることはあるかとは思いますが、難解な作品が多かったのはカンヌならではという感じがした。
オチがちゃんとあるわけではなく、事実を見せられ問題が提起されて、それで終わり。あなたはどう思う?と問われているようだった。
映画の中では解決しないのだ。それは、実際に映画の中で描かれている問題は解決していないから。

以下、すべての作品についてネタバレです。



『The Last One/最後の一人』
アゼルバイジャンの作品。アゼルバイジャンの映画は初めて観た。
4章くらいに分かれていたけれど、全体で15分くらいなので1章自体も短いし、カットが割られることもなく映像が流れているそのままのところに、章とタイトルがバンと出たりしていた。
老人が人里離れた家に一人で住んでいる。家の冷蔵庫が壊れかけていて、動いたり止まったりするのをノートに記録するのがほぼ生き甲斐のようになっているようだった。
老人が冷蔵庫に向かい合ってぶつぶつ言っている様は、まるで冷蔵庫が生きているかのようだった。作品の質がわからないまま観ていたので、「うんざりだよ」と冷蔵庫が喋ったのかと思ったけれど、老人の独り言だった。冷蔵庫が喋るタイプの、少し不思議映画とは違った。

しかし、完全に壊れた冷蔵庫の下から水が出てくる様子はまるで血を流しているようにも見えて、冷蔵庫擬人化もあながち間違っていなかったのかもしれない。

老人の家のテレビで、「世界大戦の最後の生存者が死去しました」と流れているんですが、老人の家に食べ物を届ける若者が、壊れた冷蔵庫から勲章をたくさん発見して、「あなたが真の生存者なの?」みたいなことを聞くんですが、それが冷蔵庫擬人化の話と何かつながりがあったのかなかったのかがいまいちよくわからなかった。


『Tuesday/火曜日』
ある少女の一日みたいな感じなのですが、これも結局のところ何が言いたいのかがわかりづらい。
けれど、撮影の仕方がやけに性的というか、男性とふとしたことで妙な空気が流れてしまう瞬間がとらえられている。
バスケの練習をすれば、男子生徒はボールをとろうとしつつ彼女の背中に密着する。バスの中では、揺れに任せておじいさんが必要以上に体に触って来る。
本人にその気がなくても知らずに男性が近寄って来る、そのことに本人はいらいらしているように見えたけれど、瑞々しく魅力的だった。

舞台はイスタンブールだったんですが、トルコのことがわかればもっと理解できたのかもしれない。映画自体もトルコとフランスの合作。


『Foreign Bodies/リハビリ』
職業が戦場カメラマンで、おそらく戦場での事故で足を失った男性がリハビリをしている。おそらくまだ失ってそれほど時間が経っていないようで、片足を失った生活にも、人の目にも慣れていないようだった。
今は写真を撮る意味も、生きる気力も失っているようだった。

プールでリハビリをしているシーン、その後にシャワーを浴びているシーンが多いけれど、カメラは必要以上に人の背中やうなじに近寄っていた。肌の質がよく見えるくらいまで。

最後の方で、プールの端のほうにいた主人公が、少し離れた場所から、プールのコースを仕切っているヒモをはずしてくれと頼まれる。主人公は何かを悟ったような、びっくりしたような顔をしながらヒモをはずすんですが、あれはなんであんな顔をしていたのだろう。
水に入っていれば片足が無いのは見えないし、見えなければ、他の人も遠慮せずに接してくると感じたのだろうか。



『Sunday Lunch/サンデー・ランチ』

フランスのアニメーション作品。版画をアニメーションにしたような、少し変わった作りだった。主人公ジェイムスは父母とおば二人と日曜日のランチをする。
まだカミングアウトしたてなのかもしれないけれど、彼がゲイだということを家族全員は知っている。それに触れられるのが嫌で、ジェイムスはなんとなく憂鬱な気分になっている。

それに気を遣っているのかいないのか、母は自分の性生活のいままでの武勇伝めいたものをあけっぴろげに話す。たぶんジェイムスが心から聞きたくねえよと思っているのか、とても悪意のあるアニメーションだった。ひたすら明るい。遊園地の遊具が母の裸体で、その乗り物に男性が乗っていたりする。

おばたちも気を遣っているのかいないのか、野次馬根性まるだしの悪意のある質問をする。夜の公園のトイレでセックスするんでしょ?それって不衛生じゃない?とか。これもかなり悪意のあるアニメーションだった。

父も気を遣っているのかいないのか、すべてわかっているというように、女連中の助太刀には入らず、黙って酒を飲んでいる。だからかなり酔っぱらう。こちらのアニメーションは悪意はなく、女たちがアッパー系だったのに対し、だいぶダウナー系だった。

父がまた来週もちゃんと息子に声をかけないとな、あいつはすぐに忘れるからというところで終わる。また声がかかるということは、別に許容されているのだ。そして、結局、気を遣われてはいないのだと思う。彼らは大して気にしてないのかもしれない。気にしていたら、家族会議になるだろう。

ナレーションが良かった。フランス語というと流れるような優雅な印象だけれど、この映画ではいらいらしていて、ささくれ立っていた。少し掠れた声で叫ぶフランス語、いいですね。
ナレーションはヴァンサン・マケーニュ。『女っ気なし』などの主演の方。
悪意のあるシーンでかかる、人を馬鹿にしたような音楽が良かったけれど、Flavien Bergerという方でした。 サンプルを聴くとピコピコな宅録系の曲が多い。


『Love is Blind/愛は盲目』

今回のカンヌプログラム唯一の娯楽作。
女性が家に男性を連れ込んで、ベッドになだれ込んだところで、夫なのか同棲しているのか、パートナーが帰ってくる。
よくある修羅場ものっぽいけれど、帰ってきた男性は耳が聞こえない。そのため、大声を上げつつ連れ込んだ男性に指示をする。服を着て出てってとか、そっちに行くから隠れてとか。

洋服が見つからずに女性の下着をとりあえず着たり、口元をうまく隠したりする様子がコミカル。

本当は聞こえてるんじゃないかとかオチを想像したが、パートナーが『忙しくて誕生日も祝ってあげられなかった』とサプライズとして、友達を呼んでいた。もちろん彼ら彼女らは全部聞いていて気まずそうな顔をしている。極めつけに、二階の窓から女装男が落ちてくるという二段オチ。


『Invisible Spaces/見えない場所』

ジョージア(グルジア)の映画。カンヌ国際映画祭2014 短編コンペティション部門に選ばれた9作品のうちの一つ。ジョージアからは初選出だったらしい。
女性が夫に「働こうと思って」と言うと、そんな必要はないと言われてしまう。「そんなことより、向こうに行って少し寝よう」と言っていたけれど、ぼかして言っているだけで、たぶんセックスをしなければならないのだと思う。
そのあと、女性は子どもにコーランの詠唱を練習させているが、何度もやり直しをさせるなど、八つ当たりをしているように見えた。

これは、この家庭でのことなのか、宗教上でのことなのか、国ならではのことなのかわからない。でも、女性の地位の低さが描かれているのだと思う。ほとんど奴隷である。
そして、八つ当たりをしているように見えたけれど、もしかしたら、子どもは女の子だったので、女に生まれたことでの将来を憂いていたのかもしれない。


『Leidi/レイディ』

コロンビアの映画。カンヌ国際映画祭2014 短編部門のパルムドール受賞作。
レイディはまだ十代か二十代にしても前半に見える。赤ちゃんを沐浴させているが、最初はレイディの子だとは思わなかった。母親から「バナナを買ってきて」と頼まれ、赤ちゃんを連れて外出する。途中で、アレクシス(結婚しているのかどうかはわからないけど赤ちゃんの父親)が他の女の子と踊っているのを見たという話を聞いて、彼をさがしに出かける。

村で会う若い女の子のほとんどが、おなかが大きいか赤ちゃんを抱えていて、男の子はみんな親の自覚が無さそうな遊び人ばっかりのようだった。その内、ギャングにでもなりそうな風貌だった。

舞台になっているのはコロンビア第二の都市メデジンの北部の共同集落。監督自身もメデジンの出身らしい。実際に、シングルマザーが多いらしい。貧富の差も激しいらしいが、映画の舞台は明らかに貧困層の集落だった。

アレクシスをさがしている途中でバナナはどんどん黒くなる。やっと会えても、いつ帰ってくるのかと聞いてもそのうちというようなことしか言わない。バスなどの車を清掃する仕事に就いているようだけれど収入はそんなになさそう。

結局、レイディはバスで家に帰されてしまう。そのバスの後部座席から外を見ると、アレクシスが同年代の男の子と楽しげに話しているのが見える。おそらく、遊びの計画でも立てているのだろう。バスが走り出し、アレクシスの姿がどんどん遠ざかって行く。

レイディがアレクシスに凭れかかるシーンが印象的。私にはあなたしかいないのよとでもいうような感じだった。たまには甘えさせてという感情と、その裏に、甘えさせてくれるくらいしっかりしてよという感情が見てとれた。

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