『エレファント・ソング』



グザヴィエ・ドラン出演。監督は違います。
過去の映画だと勘違いしていたけれど、2014年の作品だった。続々とドラン関連の作品が公開されるけど、どんなスケジュールなんだろうと思っていたら、『Mommy/マミー』の撮影が終わった三日後からこの作品に携わることになったらしい。

以下、ネタバレです。







予告編を見る限りだと、本当か嘘かわからないけれど「母を殺した」と言う精神病の患者と話を聞く医者の密室劇なのかと思っていた。おそらく、その事実関係の調査みたいなことになるのかなと思っていた。
でも、実際に映画が始まると、医者と思っていた人は病院の院長で、彼は警察の取り調べのようなものを受けている。別の女性も同じく取り調べを受けている。この時点では何の話をしているか、まったくわからない。
合間に、患者と院長が部屋の中で話している様子も入って来る。これもいまいち何の話をしているのか、どうして二人が話しているのかわからないし、それが警察の取り調べと何の関係があるのかわからない。
ただ、院長は二つの別の部屋の中で二人の別の人物と話していて、その構造がおもしろかった。話を聞いていくうちに、どうやら、取り調べは患者とのことを聞かれているのがわかって来る。時系列がわからないまま見ていたときには、謎解きが難しかったらどうしようとも思ったけれど、普通に見ていけば、謎はほどけるように解けていった。
そして、別に母殺しが主題ではなく、ある医者の失踪事件についての話のようだった。

グリーン院長役にブルース・グリーンウッド。J・J・エイブラムス監督版『スター・トレック』のパイク船長役の方。この方もケベック州出身。初老で厳しそうなんですが、少し抜けているところもあり、だんだんマイケルに心を寄せていく優しさも持っていた。

患者マイケル役がグザヴィエ・ドラン。マイケルは人をおちょくりながら挑発するようなところがある困った人物。多少過剰だけれど、グザヴィエ・ドラン、演技もうまかった。
『トム・アット・ザ・ファーム』で、女友達が半ば助けるように牧場に乗り込んできたときに「俺が居ないと、あの人は駄目になっちゃうんだよ」とストックホルム症候群気味なことを言い出したときに目がぐるぐるになってたんですが、終始あの顔です。
あと、変に悪意を交えた馬鹿にしてるとしか思えないコミカルさ加減は、少しジョーカーを演じた際のヒース・レジャーを思い出した。

部屋の中での二人のやりとりが話の中心になっていて、話をしながらどんどん心の距離が縮まっていく感じが舞台っぽかった。最初はどちらかというと、マイケルの得体の知れなさに怯えに近いような感情を抱いていそうだったグリーン院長も、彼がただの子供だということがわかる。本心を全く話さないマイケルも次第に真実を語り始める。

マイケルは、恋人であった医者がまったく自分に触れて来ないことに対しての不満をぶちまけていた。好きなのに、まったく触れないということがあるのか!?と言っている様子からは、彼が愛を渇望しているのが伝わってきた。それは、両親、特に母親から愛されていなかったことを発端としているのは間違いない。
院長は代わりに恋人になるなんてことはしない。けれど、頭をぽんと叩いてあげるシーンがあって、それは彼なりの優しさなのだと思う。

マイケルのおちょくりの一種の下ネタで、象のぬいぐるみの鼻を口にくわえていたけれど、触れてこないことをあれだけ苦痛に思うということは、そんな事実も無かったのだろう。むしろ、あったほうがいいと思っていたくらいではないのか。
もう一つ、自分のジーンズの股間にあたりに手を突っ込んで…というシーンは、そこから重要なメモを取り出すなど、悪趣味。でも、これもそのあとの展開を考えると、こんな演技をしなくてはいけなくなることが、むなしいというか切なくなる。

カルテを読むな、(事情を知ってる)看護師長には相談するな、チョコレートを多く食べさせろ。最初に出てくるこの三つの約束からして、もう最初から自殺はしようと思っていたってことですよね。
それでも、院長と話すことで、何か救われることはなかったのだろうか。匂いを嗅いでいたし、アレルギーのあるナッツ入りのをわざと選んだのだろうし、避けることもできたはずなのに、敢えて食べたのだ。
それか、院長のことが好きになっても、また裏切られるつらさを考えたら、もう好きでわかってくれる人のそばで死ぬのが一番いいと思ったのかもしれない。

元々は2004年に初演された戯曲らしい。密室劇風なのも納得がいったが、映画用にだいぶ変わっているとのこと。原作も映画用に書き換えたのもニコラス・ビヨン。カナダ出身で、その2004年の初演当時は26歳だというから若い。彼の父とグザヴィエ・ドランが友人で、脚本を読むことになったのが発端らしい。
院長と看護師が元夫婦という設定もなく、マイケルの恋人の医者も追加されたらしい。
元夫婦設定がないということは、娘さんを死なせてしまった話もなかったのだろうか。その後悔がずっと心の奥底にあって、院長の人格が作られていると感じたので、ないとまったく違う話になりそう。娘さんのことがあるからこそ、マイケルに接しているうちに疑似親子とまではいかなくても、寄り添うことができたのだと思う。
恋人の医者が出て来ないということは、元の戯曲は母殺しのほうに焦点があてられているのかもしれない。

監督はケベック州出身のシャルル・ビナメ。
奥行きというか、層になり方というか、物の配置の仕方が凝っていて、画面の作り方がうまかった。飛び出す絵本のようだった。作品のジャンル的にも絶対にないんだけど、3Dではえそうだと思った。
例えば、マイケルの好きな象のぬいぐるみが手前に置いてあって、それに焦点が当たっていて少し遠くにいて座っているマイケルがボケている。その状態で、テーブルに足を乗せると、遠近感がよく生かされていると同時に靴の裏がよく見えた。
手前で院長と看護師が言い合いをしていて、後ろでマイケルがふらふらしていて、カメラがゆっくり動いて二人の言い合いだけを映したシーンでは、カメラが戻ったらマイケルがいなくなってしまうのではないかと思った。けれど、そのまま立っていて、この人は逃げる気はないのだと思った。
最後のシーンでも、ベンチで二人が寄り添っているシーンも、カメラが後ろに引いていくと、近くにある赤い実を付けた木の枝が手前側に来て、後ろの二人が枝の向こうでぼやける。

奥行きとは別だけれど、院長が象の写真を持っているシーンでは、顔のあたりに写真をかざしたときに、院長の顔の部分がちょうど象の顔に重なっていた。あれも多分わざとだと思う。

わざとと言えば、色合いにも相当気が配られていたように思う。特に最後の心臓マッサージのシーン。マイケルが白いタンクトップを来ていたのも、アドレナリンを探しに行くのが院長だったのも、薬の棚が空かないのも、全部計算ずくだったのだ。院長は必死にガラスを割り、手を怪我し、マイケルを心臓マッサージすると、白いタンクトップに血が付く。悲しくはあるけれど、美しくも見えてしまうシーンだった。

最初に母がオペラを歌っているのがキューバの劇場で、父に一度だけ会ったのがアフリカなのだけれど、エンドロールを見ていたら、CUBAN CREW、AFRICA CREWという文字があって驚いた。両方とも重要なシーンではあるけれど、ちゃんとキューバにもアフリカにもロケに行っていた。
密室劇というか、W密室劇(取り調べと病院の一室)と思わせておきながら、回想シーンでここまでしっかりと撮影してくるのは珍しいと思う。

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