『家族の波紋』



2010年イギリスで公開。日本では未公開。原題は『Archipelago』で“群島”みたいな意味らしい。
舞台はイギリス南西部のシリー諸島。アフリカにボランティアのために旅立つエドワードと家族が別荘で過ごす。

トム・ヒドルストン初主演作と書いてあったけれど、彼だけが主役というわけではないように思われた。家族全員の話です。

別荘にはエドワードと姉のシンシア、母パトリシア、パトリシアの絵画教室の先生クリストファー、雇われコックのローズが集まる。父は来ない。

カメラはほとんど動かず、音楽もない。セリフも常にあるわけではない。ワンカットも長いため、もしかしたらアドリブもふんだんに含まれているのかもしれない。

会話自体も特に事件に向けての前触れとか、ドラマチックだったりするわけではなくて、本当に家族が話しているのをこっそり撮影させてもらったような感じだ。何気なくて、どうでも良さそうなものが多い。そして、遠慮がない。
そんなだから、何日間か一緒に過ごすうちに少しずつ関係にほころびが見え始める。

姉は最初からイライラしているようだった。「アフリカにボランティアに行くのなんか、若い頃に済ませておけば良かったのよ」と言い、将来のことをまったく考えていないエドワードを批判した。でもそれは、姉特有の弟に対する強気な態度で、それほど気にすることでもないのかなと思っていた。

でも、そのあとのレストランでの店員に対する態度などを見ていると、家族と一緒に過ごすうちに不満がどんどんたまってきているのがわかった。

はっきりとは描かれないので、どうして姉がイライラしていたのかはわからない。でも、エドワードのアフリカ行きには反対しているようだった。これは、母も同じ気持ちのようだった。
やはりいい年の男が、仕事を辞めてアフリカへ行くという身勝手さが頭に来たのかもしれないし、心配でもあったのかもしれない。

どちらにしても、母も姉も、一向に現れる気配のない父親に電話で助けを求めていた。もう限界だ、耐えられない、はやく来て。家長に治めてもらわなくてはもう埒があかないというところまで来ていたのだ。
一方、エドワードは特に父親とも話してないし、来ないことに不満もないようだった。あまりにも鈍感で、鈍感故に二人の神経を逆撫でしていたのではないか。
そして、そんな様子は父親に似ているのかもしれない。

結局、父親は現れず、その理由は明らかにはならなかったが、母の怒りの矛先はエドワードではなく父親へ向かっていた。

ラスト付近で、エドワードはアナグマのぬいぐるみを使って姉に謝っていた。おそらく、母と姉は、エドワードが何も考えずに夢見がちにアフリカ行きのことなどを真っ直ぐな目で語るからイライラしていたのだと思う。でも、ちゃんと気づいたのだ。エドワードが気づいたことを、姉も察した。

エドワード役のトム・ヒドルストンが肩が抜けていて、自然体でとてもいい。いや、肩が抜けた演技をしていたのかもしれない。コックの女性に好意を持って、親しげに話す様子が良かった。顔の小ささ、手足の長さなど、スタイルの良さも目立った。

絵画の先生クリストファーはクリストファー・ベイカーという実際の画家が演じていたようだ。彼は映画の中で、「青をあまり使わないようにしている。すると、他の色が青の役割を果たす」というようなことを言っていた。映画の中でも青空は出てこないし、最後に出てきた海を描いた絵も波が黒で描かれていた。

音楽がほとんどなく、音と言えば生活音や外の自然な音、特に鳥の声がよく聞こえてきた。エンドロールもアカペラということで、こだわりがあったのかもしれない。



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