『チャッピー』


ニール・ブロムカンプ監督。チャッピーの声とモーションキャプチャーはシャールト・コプリー。動きもシャールト・コプリーだというのは後で知ったので、あの動きもあの動きも…と思い出すと興味深い。

話題のカット箇所ですが、一箇所ここが切られてるなというところはわかった。もう一箇所、繋ぎがおかしいところが気になったけれど、それはカットかどうかわかりません。

以下、ネタバレです。








最初、CNNの本物のアナウンサーであるアンダーソン・クーパーがテレビ画面で喋っていたり、有識者みたいな人がインタビューに答えていたりとドキュメンタリーっぽい作りになっていて、『第9地区』を思い出した。
近未来のヨハネスブルグが舞台だけれど、まさに世紀末都市というか、犯罪が多発していて、警官が殺されてしまうので代わりに警官をロボットにしましたというどれだけ荒廃しているんだという極端な世界である。

最初の薬物売買の現場にロボット警官が押し寄せてくるシーンからして、映像が恰好良かった。ギャングたちが持っている銃もピンクや黄色に塗られているのも可愛い。
その時点でわかるけれど、そういう細かい小道具や背景のちょっとしたところが凝っていて、できれば一時停止しながらじっくり見たくなる映画であり、ストーリーよりも映像的な恰好良さに重きが置かれていると思った。

小道具関連だと、ロボット警官を作っている会社の個人のデスクの上が気になった。活躍しているAI搭載のロボット警官を開発したディオンの机の上にはそのロボットのフィギュアが置いてあり、AIが搭載されていない人の脳波で操る大型のロボットを開発したヴィンセントの机の上にはそのロボットのフィギュアが置いてある。それぞれが自分の開発したロボットを愛しているのがわかる。
別の、セリフすら無い人の机には、子供が描いたと思われる絵が飾ってあった。

また、会社のパソコンで私用の検索をするときに、画面の横に会社の広告が出ているのも細かいと思った。おそらく、前に見たサイトを広告で出す行動ターゲティング広告だと思う。

パソコン関連だと、ヴィンセントが使っていたからか、その大型のロボットが置いてある場所だからなのか、大型ロボット・ムースの壁紙が使われているパソコンがあったのもおもしろかった。

チャッピーを開発したのはディオンだが、中盤あたり、ディオンとチャッピーの触れ合いはほぼ無い。チャッピーはギャング団と一緒に生活をする。チャッピーと名付けたのもギャングのヨーランディだし、チャッピーもヨーランディをマミー、ギャング団のリーダー・ニンジャをパピーと呼んでいる。

ヨーランディとニンジャは、ケープタウン出身のラップグループのダイ・アントワードのメンバーである。名前も役名というより、音楽活動をしているときと同じものみたい。
“ダイ・アントワード”で画像検索をすると、少し変わった写真がたくさん出てくる。

この二人にアメリカ(というあだ名っぽい。アメリカ出身のようだった)を加えた三人組のギャング団は最初は嫌な感じでも、映画が終わると結局愛しくなってしまう。

電源が入りたてのチャッピーは小動物のようで可愛かった。左右に付いている角のような形状のものが耳の役割を果たしているようで、興味を持ったときにはピンと立つし、怯えているときにはしょんぼりしたように寝てしまう。

そんなチャッピーを、他のギャングの中に置いてくるシーンは怖かった。普通、映画では夕焼けはいいシーンで使われることが多いけれど、このシーンの夕焼けは、すぐに来る闇を連想させて怖かった。何も出来ないと知るやいなや、石を投げたり火をつけたりと、ロボットなのに残酷すぎて涙が出た。

次第にギャングっぽい動きをするけれど、それをモーション・キャプチャーでシャールト・コプリーがやったのだと思うと楽しい。

決戦に赴く前にメンバーが横一列になって勇ましく歩く様子がスローでとらえられる、チームものでよくあるあれがパロディ的に取り入れられていた。あれは笑うところだと思う。だって、強盗に向かうのだから、本当は勇ましくなっていてはいけないシーンだ。でも、あったほうが盛り上がるシーンでもある。

このように、観たいシーンは逃さずにちゃんと入れてきているのを感じた。

一番個人的に盛り上がったのは、ムースの起動シーンだ。
ムースはその名の通り、動物のムースを連想させるような形をしている。四角っぽくて、スター・ウォーズのAT-ATの後ろ足だけみたいな形状だ。
でも、その重量感のある体で悠々と飛んでしまうのである。
そういえば前半で対空云々と言っていたけれど、自分が飛ぶとは思わなかった。飛び立ったときには、変な笑いがもれるくらいワクワクした。

ヴィンセントはディオンのAIロボットのせいで自分のロボットが追いやられていることに納得がいかない。強く憤りを感じているのは、自分のロボットの方が絶対にいいのにという自負があるからだ。そのせいで、少しずつ道を外れていく。
ヴィンセントを演じているのが、ヒュー・ジャックマン。このクソ真面目ゆえの暴走は少し『プリズナーズ』を思い出した。あれだって、最初は悪気がなかったけれど、どんどん道をそれていってしまった。
それでも、今回のムースを使うシーン、遠隔操作なので、実際に殺している感覚がないのか、ゲーム気分でニッコニコ笑いながら殺戮しているのを見ると、それはただの悪役でしたけども。

ディオンを演じたのは、デーヴ・パテール。『スラムドッグ$ミリオネア』の主役のあの人です。想像出来ると思いますが、ヒュー・ジャックマンとデーヴ・パテールが同じ会社のライバル開発者というのは少し違和感がある。

ヴィンセント(ヒュー)はディオン(デーヴ)の倍くらい体が大きい。ロボット開発者としてはディオンくらいの体つきでちょうどでは…と思ってたけど、ヴィンセントは元兵士という設定だった。元兵士らしく、作り上げたロボットもマッチョなのだとも思うけれど、元兵士でロボットまで開発できてしまうのは、かなりのスーパーマンではないかと思う。

最後のほうの展開はもしかしたら賛否両論なのかもしれない。だって、意識を移してロボットとして生きていく、なんてことをやったら、もう死すら怖くなくなるからだ。なんでもありになってしまう。ストーリー的にも倫理観的にも、大丈夫なのかなと思ってしまう。
でも、私はこのあまりにもSFー!という展開が好きだし、ニール・ブロムカンプっぽさも感じた。
『第9地区』では主人公は最後にエビ型宇宙人に変容してしまう。『エリジウム』も半分機械の体を手に入れる。それと同じである。

また、主人公だけでなくヨーランディもロボットになるということで、ニンジャ一人だけが人間という、この先の生活も大いに気になる。
ヨーランディだけロボットの形がチャッピー型ではない。ビョークの『All is Full of Love』のPVに出てくるロボットに似ている。別に同じ形でいいのに、一人だけ変えてきて、しかも、目をばっと開くシーンで終わる。
その辺も映像のかっこよさの追求なのかなと思います。

そもそも、PS4大活用してのそんな方法で人の意識が取り出せるの?とか、USBフラッシュメモリ(にしか見えなかったけど違うのかも)におさめられるの?とかいろいろと考えてしまうけれど、そこは近未来とかチャッピーが天才であるとか、いろんな逃げ道もあるので細かいことはいい。実際、後半のストーリー展開はパッパッパッとかなり早いので、あんまり深く構うなということなんでしょう。

エンドロールで知ったのですが、音楽がハンス・ジマーで、それがとても納得した。いやでも気持ちが盛り上がるブォーンという音がまさにハンス・ジマーでした。


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