『チャイルド44 森に消えた子供たち』



主演はトム・ハーディ。先々週の『マッドマックス』、先週の『オン・ザ・ハイウェイ』に続いて三週連続公開、しかもそのすべてが主演だからすごい。海外では公開時期がこんな重なり方をしていないことを考えると、日本は『マッドマックス』に合わせたのかもしれない。
けれど、『マッドマックス』は結構いい評価を聞くけれど、トム・ハーディが良かったと言っている人は、もともとトム・ハーディが好きだったor知っていた人ばかりのようなので、あの映画をきっかけに人気が出たりはしていない模様。

2009年版『このミステリーがすごい!』の海外版第一位ということで、この作品は、たぶんどんでん返しがあるのではないかと思い、いつも以上に情報を入れないで臨んだ。原作も未読です。

追記:原作を読みました。文末に原作の感想を加えました。


以下、ネタバレです。






この小説の内容、例えばどこが舞台になっているか、どの時代の話なのかくらいは頭に入れておいたほうが良かったかもしれない。
トム・ハーディ、ゲイリー・オールドマン、パティ・コンシダインが出ているのに、舞台がイギリスではない。トム・ハーディ演じるレオはソ連にいるようだけれど、イギリスがソ連側についているときの話なのかと思いながら観ていたけれど、まるで自国のような態度をとっている。
そして、レオの上官役がヴァンサン・カッセル(フランス人)だったので更に混乱した。ただ、その時はヴァンサン・カッセルがイギリス人の役をやっているのかと思った。

ただ、軍服や髪型がイギリス兵っぽくない。しかも、なぜスターリンを崇め、恐れ、従おうとしているのかわからなかった。粛正と言っていたけれど、別の国の人も粛正されるのだろうか。

このイギリス人たちはソ連で何をやっているのだろうと思いながら観ていたけれど、途中から、この人たちはもしかしてロシア人なのではないかと思い立った。
劇中ではほとんどファーストネームで呼び合っているからわからなかったけれど、エンドロールで役名の部分を見ると“v”で終わっていることが多く、ロシア人の名前なのがわかった。
ちなみに、MGBというのが何なのか私は知らなかったんですが、KGBの前身だと知っていたら、もっとはやくわかったと思う。

イギリス人もフランス人も、ロシア人を演じている。監督のダニエル・スピノーサがスウェーデン出身らしく、ジョエル・キナマン、ノオミ・ラパスと、スウェーデンの俳優さんも出てくる。ジェイソン・クラーク(オーストラリア人)も少し出てきます。すべて、ロシア人(ウクライナ人)役です。とても妙な感じ。
もちろん全員ロシア語ではなく英語を話している。聞きづらいような、聞きやすいような、少し変わった発音だと思ったんですが、ロシア語訛りの英語にしたらしい。東京の人が関西弁で芝居をするののもっとひどい版。

新聞の紙面が映るシーンがあるんですが、それはロシア語で書かれていた。写真はトム・ハーディで、英雄と讃えられていた記事だったので、ロシアの新聞がイギリス人をあんなに大きく取り上げるのか…と思っていたら違った。

これ、ロシア人俳優を使うことはできなかったのだろうか。この前観た、『あの日の声を探して』のロシア兵役の青年のことを思い出していた。
ただ、この映画はロシア国内での上映が禁止になっているらしいので、それもできないのだろう。“第二次世界大戦に関する歴史的事実が歪曲されている”とのこと。

怒っているということは、原作者は?と思ったら、イギリス人らしい。イギリス人が書いたソ連を舞台にした小説を、スウェーデンの監督が映画化し、イギリス人とスウェーデン人とフランス人とオーストラリア人がロシア人役を英語で演じる。ソ連の話でありながら、ソ連の人は制作には一切関わっていない。妙な感じである。ちなみに原作本もロシアでは発禁らしい。

“このミス一位”=どんでん返しというのが安直すぎた。原作がどうなっているかはわかりませんが、劇中の犯人は中盤くらいで明らかになる。
最初に出演者の名前が出るタイプの作品ですが、その中でまだ出てきていない人が犯人だろうと思ったらその通りだった。

どんでん返しがあるとすれば犯人のいきさつですが、パティ・コンシダインが概要をわりと早口でべらべら喋って、結構早めに別の人に撃たれちゃうんですよね。これも原作通りなのかもしれないけれど、もっと、喋っているところが聞きたかった。彼も演技のうまい俳優さんだし、じっくり見たかったのだ。
そこでレオ(トム・ハーディ)が言い返すんでもいい。二人が話すところは、たぶん映画の中でも一番大事なシーンだと思うし、もっと丁寧に撮ってほしかった。

それが、急に現れたワーシリーにすぐに撃たれる。その前のシーンでも同僚を後ろから撃っていたし、その早急に撃つというのはもしかしたらワーシリーの性格なのかもしれない。

それでも、映画の中では“ため”みたいなものや緩急が大事だと思うし、なんというか、情緒が無い。連続殺人事件に不気味さが足りないのも、結局情緒の無さが原因だと思う。

ゲイリー・オールドマンとトム・ハーディのシーンを見ながら、もっとうまくやったら『裏切りのサーカス』のような雰囲気になれたのではないか。
いい俳優が集まってていい原作(読んでないけれど)があるのに、もったいない。

トム・ハーディは、最初のほうは「綺麗な女性に名前を聞いたら嘘の名前を教えられましてね、はははは。それが今の妻です」みたいな話をレストランでみんなの前で自慢げに話していた。スターリンの時代に、自分の仕事に疑問を持たないMGBというのは、仕事に熱心であっても良い人とも言いきれない気がする。
序盤はかっちりとした制服を着て、後ろに髪の毛を撫で付けて、顔の色も白かった。悪い奴に見えた。けれど、左遷され、ついには制服自体を脱いだりと、どんどん人間臭くなっていっていた。
最後の、妻と一緒に姉妹を養女に向かえようというシーンでは、すっかり弱い男というか、おどおどしてしまっていて可愛い感じすらした。

三週連続のトム・ハーディの比較ですが、アクションが見たいなら『マッドマックス』、演技が見たいなら『オン・ザ・ハイウェイ』、軍服が見たいなら『チャイルド44』といったところ。三作品でまったく違う印象なのはすごい。トム・ハーディ自体の印象ももちろん違うけれど、印象の違う三作品に呼ばれるトム・ハーディという俳優の幅広さに驚く。また、今回の三作品は主役ということもあって、結構かっこいいタイプのトム・ハーディでしたが、ブロンソンとかベインの時もあることを考えると…(ブロンソンも主役です)。

あ、あと、三作の共通点は車です。




以下、トム・ロブ・スミス『チャイルド44』原作の感想です。
映画は原作の一番大切なところを削っているようだった。
原作のネタバレあり感想です。





イギリス俳優が主役で、その妻役と同僚役がスウェーデン俳優で、上司がフランス俳優で…というロシアが舞台なのになぜ欧州俳優でかためているのか、それがこの映画が印象がよくなくなっている理由ではないかと思っていたけれど、俳優さんたちに罪はなかった。
そもそも、原作者のトム・ロブ・スミス自体がイギリスの作家で、母がスウェーデン人、父がイギリス人だそうなので、もしかしたら、キャストは作者のリクエストだったりするのかもしれない。それか、キャスティングした人が考慮しているのかも。

そもそも、この原作本自体が、ロシアで発禁になっているそうなので、ロシア俳優を使って映画化などできないのだ。

原作を読んでみると、映画では人物描写が薄いことがわかる。そのくせ上澄みを救うようにして、話の流れだけは原作通りなので、本を読んでいても話がわかってしまったのは残念だった。小説を先に読むべきだった。

映画では、ワーシリーのレオに対する執着心がまったく感じられなかった。原作では、家族はいても、それは国民として当然という義務のように妻をめとり子をもうけただけで、深く思っているのはレオのことだった。憎んではいても、愛しているようにも見えた。憎んでいても、他の人に殺されたり勝手に死ぬのは許さない。殺すのは自分だと思っていても、本当に死なれるのは困ると思っている。彼の生き甲斐のようだった。
死ぬ間際にレオの肩に手を置くという描写も素晴らしかった。

拷問シーンもなかったが、あそこでレオが朦朧としながら本名を吐き、それを聞いたワーシリーがレオの秘密に触れて興奮するのだ。原作は下巻の後半半分以降が特に良かった。

映像化するにあたってのことだし仕方がないのかもしれないけれど、残酷描写などがすべて省かれているようだった。
ライーサの過酷な過去についても、話だけでもいいから入れて欲しかった。あれがあるとないとで、彼女の味方がだいぶ変わる。

あと、もうこれは映画が一番駄目な部分だと思うんですけど、犯人の正体がしっかり描かれてなかったのではないかと思う。描かれていたとしても、観ても忘れてしまうくらいあっさりしたものだった。

まず、発端としての兄弟の猫の狩りの部分が無い。もしかしたらこれも、映像化するにあたっての残酷描写の排除なのかもしれない。猫が可哀想、みたいな感じに。
子供の殺され方も映画では描かれなかった。これも残酷描写だからかもしれないけれど、殺され方が本作のキモであり、一番重要な部分なのだ。

それで、そこが省かれてるものだから、犯人がぼんやりしたものになってしまった。車の工場に犯人をさがしにレオが潜入する。犯人はそれに気付き、逃げ出す。森の中でレオが犯人を捕まえる。ワーシリーもここでどさくさにまぎれて撃たれていた気がする。子供だけの連続殺人事件という凶悪犯罪を起こしておきながらあっさりしたものである。犯人にまったく個もない。

本を読んでびっくりした。犯人は最初に出てきた弟なのだ。
愚図でのろまな弟が、小さい頃から兄をずっと探していて、兄に教わった狩りの方法で子供を殺し、いつか自分をさがしてくれるのを待っていた…という部分が映画ではまるまる省かれていた。
兄に対する憧れがいつしか憎しみに変わってるんですよ。部屋にはレオの新聞記事の写真を切り抜いたものがたくさん貼られている。病的である。レオは愛憎に近い気持ちを二人から向けられているのだ。濃い。
最後の、対峙のシーン、二人で子供の頃のようにカードゲームをやるシーンはぞくぞくした。
実は一番近い人物が…というのは、どんでん返しとしても有効である。

映画ではレオの過去もほとんど描かれなかった。だから、主人公についても薄い。犯人もぼんやりしている。一体何を描きたかったのだろう?  本当に見所はトム・ハーディの軍服姿だけである。





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