『アベンジャーズ エイジ・オブ・ウルトロン』(二回目)



映像の情報量が多い作品なので、二回目は吹替で観ました。

以下、ネタバレです。







もはやヒット作特有になっていますが、『アベンジャーズ』シリーズにも芸能人が吹替で参加している。『アベンジャーズ』がテレビ放映された際に初めて吹替で観たけれど、竹中直人のニック・フューリーは似合っていて違和感がなかった。ホークアイの宮迫も下手というほどではなかったけれど、今回はホークアイ自体のセリフが多いしどうだろうと思った。けれど、そこまで気になりませんでした。
ブラック・ウィドウの米倉涼子は棒読みではないけれど、米倉涼子の顔が見えてきてしまう。特に今回はナターシャの気持ちの変化やバナー博士に対しての行動などがいまいち納得がいかなかったため、吹替で観たら余計に気になってしまった。これは米倉涼子だけのせいというわけではないので申し訳ないけれど。
ナターシャは『キャプテン・アメリカ/ウィンター・ソルジャー』のガムくっちゃくっちゃやってるみたいなのが好きだったから、今回の女性っぽい部分を見せられても戸惑ってしまう。

その他、キャプテン・アメリカが言葉遣いについて注意したことをずっと引きずられるのとか、「あらかた片付いたな」「全然片付かないな!」みたいな掛け合い部分はなぜか英語のほうがわかりやすかった。観ていて、ああこれ、さっきのあのセリフから繋がってるのかという、お遊び部分というかストーリーを粋に見せるだけだから、直接話の進行には関係ない部分ではあるけれど。原語版のほうがそのようなニュアンスが伝わってきやすかった。

J.A.R.V.I.S.とヴィジョンについては、私はポール・ベタニーの声がおぼえられていなかったため、吹替のほうが、J.A.R.V.I.S.と同じ声というのに気づきやすかった。ただ、ヴィジョンは外見がポール・ベタニーなので、J.A.R.V.I.S.が体を手に入れたんだなというのはわかりますが。
二回目では、ヴィジョンの無敵っぷりが目立った。特に、ソーのハンマーを軽々持ち上げられた理由がわかった上だと、余計に神々しい。
最後、円になって戦うシーンでも、ヴィジョンを目で追ってしまった。飛び方も力みがなくて、ふわっと飛ぶ感じがかっこいい。敬語なのも、底知れなさが感じられてたまらない。

最初のほうのパーティの余興でみんながハンマーを持ち上げようとするシーン、バナー博士がどんなに力を入れても持ち上がらなくて、そのあとウガー!とハルクに変身しちゃうぞ!みたくやるのに笑った。周りのみんなが、え、笑えないよ、冗談と思えないよといった感じにひいているのが面白い。

吹替で観ると、二回目なせいもあるかもしれないけれど、確かに画面に集中もできるし、ストーリーの流れもわかりやすかった。
ただ、一番わかりやすかったのはウルトロンの歌う歌だった。♪自由ってやつは、楽しいもんだぜ…。
これは、ピノキオの『もう糸はいらない』という曲で、英語で歌っていてもいまいち何の曲かわからなかった。それは、ピノキオ自体を吹替で観ていたからで、この曲も日本語で歌われているものしか知らなかったからだ。トニーの手を離れて自由に暴れるウルトロンが楽しげにこの曲を歌うのは不気味である。

最初に、「避難せよ。これは訓練ではない」という放送が流れるんですが、これって、前作でもこれと同じ始まり方なんですよね。
前作では、四次元キューブのことを調べていて、ロキが襲ってきたところでこの放送が流れる。
今作ではこれはソコヴィアの研究施設内で流れる。避難せよというからには何か危機が迫っているんですが、今作ではその危機がアベンジャーズだというのが皮肉である。
初っ端から敵にされているんですが、ソコヴィア市民からも、アベンジャーズは嫌われている描写が入っていた。
また、ヨハネスブルグでもハルクとハルク・バスターで町中をめちゃめちゃに破壊して、もうアベンジャーズはヒーローとは言えないような存在になっていた。

前作ではニューヨークを宇宙からの侵略から救い、テレビでも報道されて、皆がアベンジャーズを讃えていた。その時点では正義の味方だった。
でも今作ではこのざまだ。ソコヴィア市民の避難は手伝っていたから、彼らからの信頼は勝ち取ったかもしれない。けれど、世界の他の人々はどうだろうか。
更に、今回の騒動の原因であるウルトロンをトニーが作ったということが知れたらどうなるのだろうか。今作では、最後のほうのことについて、マスコミがどの程度の報道をしているのかがわからなくて、一般市民の感情も、ヨハネスブルグのあたりまでしかわからない。その時点では、ハルク逮捕まではいかなくとも時間の問題というような感じだったらしいけれど。

今回、前作のような打ち上げがなかったのが残念だけれど、そもそも、原因がトニーなのだから、打ち上げもなにもない。ラストでバラバラになってしまうのも仕方ない。さみしいけれど。

でも、トニーが原因とはいっても、トニーはトニーでこれが最善策と思ってやったことでの結果だから仕方ない。みんなを死なせたくないから代わりに人工知能に戦ってもらおう、俺にはそれが作れるはずだ。発端は、アベンジャーズメンバーが傷つくのは耐えられないという優しい気持ちなのだ。
トニーは「学級会を開いたら反対されるから」という理由でバナー博士を味方につけてこっそりウルトロンの開発をしたが、学級会を開くのも、反対するのもスティーブだと考えていたのだろう。

破天荒で終わりよければすべて良しというようなトニーと、徹頭徹尾きっちりやっていきたいスティーブでは性格が合わない。
そうなると、今回何回か出てきたやりとり、キャップがアイアンマンの言葉遣いを注意したことすら伏線に思えてくる。
バートンの家での薪割りシーンや最後の会話など、なんとなく二人の確執めいた関係が見え隠れしていたようだった。

次のキャプテン・アメリカのサブタイトルがシビル・ウォーというのもいろいろと考えさせられる。

今作では、一番の聖人に思えていたキャプテン・アメリカがなんとなく普通の市民と同じように暮らすのに抵抗をおぼえ、住む家もないという裏の部分を見せてきた。
また、自分の過去について卑下するような発言もしていた(“進んで実験台になるなんて”)。
アベンジャーズのリーダーとしてキリッとしてはいたけれど、ヒーロー然としていない部分も見えてきたのは、ヒヤヒヤするけれどドキドキもしてしまう。

ともかく、これまでとこれからがあってこその本作だと思う。これ単体ではなかなか語りづらいというのは、一本の映画としてはもしかしたら正しくない姿なのかもしれないけれど、シリーズを楽しんできているファンからしたら、次のMCUが待ちきれない。

0 comments:

Post a Comment