NT Live『スカイライト』



ナショナル・シアター・ライブ2015にて上映。去年も上映していたらしい。
この前のトニー賞にて、リバイバル作品賞を受賞。三人芝居なのですが、ビル・ナイとキャリー・マリガンがそれぞれ主演男優賞/女優賞にノミネート、マシュー・ビアードも助演男優賞にノミネート。演出賞、装置デザイン賞、照明デザイン賞にノミネートされた話題の作品を、日本にいながらにして映画館で字幕付きで観られるなんて、本当にありがたい。

作者のデヴィッド・ヘアーも「ロンドンでは3〜4ヶ月やっているけれど、地方へは行けない。多くの人に見てもらいたいので、ナショナル・シアター・ライブでの上演を条件に再演することになった」と言っていた。

1995年初演。1995年初演でそれが18年前ということは、今回上映されたのは2013年の上演分だと思う。
ビル・ナイは初演時も同じ役を演じたらしい。その情報を聞いていたせいか、ビル・ナイだけ、役に合わない年齢ではないかと思ってしまった。けれど、見た目70歳くらいに見えたけど、63歳か62歳らしい。それなら、そんなものかなという気もする。
ただ、初演時は45歳なので、そうするとさすがに作品全体の印象が今回とは違うのではないかと思う。どちらがいいとかではなく。


三人芝居とはいっても、舞台に出て来るのは二人。キャリー・マリガン演じるキーラの部屋が舞台になっていて、そこにビル・ナイ演じるトムと、その息子エドワード役のマシュー・ビアードが訪ねてくる。

序盤はわりとコミカルで、ビル・ナイ演じるトムが飄々と部屋を動き回りながら話し、それをキャリー・マリガン演じるキーラが料理を作りながら(実際にステージ上で料理を作っていたので、劇場には料理の香りもしたらしい)相づちをうつという展開だった。観客からも笑いが漏れていたし、もしかしたらコメディだったかなとも思ってしまった。

しかし、途中から本心が出てくる。「チーズを削って」と頼まれて、「こんな使いかけのを? パルメザンを送らせるよ?」などのあたりからでしょうか。

二人の不倫が妻に見つかった話になる。妻は友人と夫に裏切られた。おまけに病に伏す。キーラが出て行ってしまったので、トムは妻の看病を一人でして、罪悪感と戦っていたと。
もちろん、ショックにより病気になったわけではなくても、そうなのではないかと考えていた。因果応報。

そこで彼が何をしたかというと、寝たきりの妻のために、天窓(SKYLIGHT)のある寝室を作って“あげた”。
そうすることで、何かをつぐなったつもりなのか。贖罪のつもりなのか。
妻の意見も聞かずに。
妻の心配をしていたわけではなく、結局自分が救われたかっただけだ。

妻は何故私を許さない?(私が)寝室を作ってあげたのに。君は何故私の元を去った?(私の)許可も無く。
そのようなことを言っていた。どれだけ傲慢なんだろう。自分が動けば相手が意図した通りになると思ったら大間違いだ。
途中で“女”と侮蔑的な意味で使ってしまい口を噤んでいたけれど、結局、男が上で女は下と思っているのだろう。
また、それは富裕層/貧困層にも同じことがあてはめられそうだった。貧困で女一人。それで幸せなのか?と聞いていた。そんな辛辣な言葉にも、悪気がないあたりがおそろしい。

トムは今までの暮らしや生活の中で、低所得層とは直接触れ合ってないのではないか。
あんまり年齢が上の役者さんだと、ここまで生きてきた途方も無い時間を感じてしまい、今更違った考えは受け入れられないのではないかと思ってしまう。私はビル・ナイが70歳くらいに見えたので、ここまでこれで生きてきた人が、この先の人生で考え方を変えるとは思えないと思ってしまった。でも、これが45歳だった初演時なら、まだ考えが変わる余地がありそうと思ったかもしれない。観ていないのでわかりませんが。

家を出て、外の世界に触れて、変わったのはキーラのほうなのかもしれない。トムがもっとも憎むべき存在の一部になってしまった。

不倫関係だった二人が…というあらすじから、もしかしたらラブストーリーなのかなと思っていたのだけれど、そうではなかった。特に二幕になってからは、イギリスの階級の話が強く出てくる。憎んでいるのも恋愛のせいではなく、もっと大きな理由からだ。

ただ、階級の闇の根深さはイギリス特有のもので、日本だといまいち実感がわかない。貧富の差が顕著になってきているとはいえ、もっとひどいものなのだと思う。

口ばかりの議員たちに向けて“Come and Join Us!”(一緒にやってみなさいよ!)と怒鳴る長台詞で、観客からは拍手が起こっていた。

敵になったわけではなく、元々敵で、それに気づいたのかもしれない。
キーラが全身全霊をかけて、想いをこめた手紙を、トムはキッチンに置き忘れた。夜に読んで忘れちゃったとは言っても、結局そういう人間だということではないか。それが悪いとか良いとかではない。根本的に違うのだろう。

そんな人間に、いくら何を言っても、トムには通じない。意見はすれ違い、わかり合えない。不毛な言い合いのようだった。
心底ぐったりする言い合いを終えて、ベッドに潜り込んで、呼び鈴で起こされる。

そこにはエドワードが居て、大きな荷物を持って「サプラーイズ!」と叫んでいた。朝食を持ってきてくれたのだ。
相手のことを考えるというのは、こういうことだろう。天窓を作ってあげたなどと言うことではない。

キーラだって、生活も仕事も楽なわけではない。孤独に戦っているのだ。それを、かつて愛した男はまったくわかってくれなかった。
やっと気が緩んだのか、優しさに涙を流していた。

エドワードが空気の読めない男で良かったと思う。まだ幼いというか、少し馬鹿というか。あまり賢いと、育った環境から考えて父親と同じようになりそうだから。

二人で向かい合って朝食を食べるシーンで終わる。本当だったら、このようにして、前の晩に作っていたパスタを、トムと二人で食べられれば良かった。
向かい合っての食事が持つ意味の大切さも感じた。

セットが恰好良い。ブロックと呼ばれる日本で言う団地のようなものだけれど、もっと巨大な建物とその一室。二幕からは雪が積もり、最後は雪が降っていた。
『アタック・ザ・ブロック』を観ると、建物の外観やどのような人物が住んでいるか、治安の悪さなど雰囲気が想像しやすい。
背面のセットはたぶん、同じ建物のコの字になってる向こう側なのではないかと思う。
『アタック・ザ・ブロック』ほどではないにしても、塀にスプレーで落書きもしてあったし、それなりに治安は悪そう。

夜中のシーンでは各部屋の電気が消えている。朝になると、電気がぱらぱらとつき始める。登場人物として出てこなくても、そこにはそれぞれ家庭や生活がある。
トムがけなした人々の生活。みんな必死で生きている。結局、キーラに部屋を貸した友人のこともけなしている。そしてその自覚は無さそうなのが手に負えない。

トム役がビル・ナイでなかったら、もっとただの嫌な奴になっていたのではないだろうか。
ひょろっとした体格で、長い手足を使った動きがスマート。姿勢の良さから育ちの良さもわかる。
軽快な口調、おじいちゃん演技が醸し出すお茶目さ。老人の頑固は仕方が無いというか、年上過ぎて自分の意見は通らなそうというか。
本当に悪気が無さそうなのがよくわかった。ただ、わかり合えないだけだ。
あと、私がビル・ナイが好きなせいもある。どうしても憎めない。


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