『アナとオットー』



2000年公開。スペインでは1998年公開。
原題は『Los Amantes del Círculo Polar』。スペイン語で“北極圏の恋人たち”という意味らしいけれど、北極圏が出てくるのは最後のほうだけだし、二人の名前も意味のあるものなので、“ANA & OTTO”でもいいような気がするけれど、英語にしてみたら案外グループ名っぽかった。

不思議な縁と偶然と運命の話。
アナ視点とオットー視点で同じ事柄が描かれるのは裏表のようにも見える。二人とも名前が前からも後ろからも読めることも、同じように意味を感じた。
更に、二人だけの縁ではなく、家族や周囲の人物を巻き込んで、二重三重にも縁が重なっていて、二人の絆をがっちりとかためているように思えた。

だからこそ、いくらすれ違っても、最後の最後では出会って幸せになってほしかった。あれだけの運命の出会いをしても、結局幸せになれないのではやりきれない。誰に邪魔されたわけでもない。誰も悪くない。それに互いに想い合っていても、結ばれない。

ハッピーエンドでは安っぽくなってしまうかもしれないのもわかる。悲恋が持つ様式美もわかる。それでも、しみじみと、いろいろあったけど良かったなァ…で終わってほしかったのだ。ヨーロッパ映画っぽい終わり方でもあると思うけれど…。

運命があるとするならば、広場のシーンであんなに近くにいたのに出会えなかったせいなのかもしれない。あそこで何らかの選択肢を間違えて、もうあの先はどう足掻いても結ばれなかったのかもしれない。

ほぼ背中合わせのような場所にいて、オットーがタバコを吸ったときにアナは何かを感じとる。そこで、声ではなく匂いで相手を感じるとは、なんてロマンティックなんだろうと思ったけれど、結局、アナはタバコを吸っている違う人に話しかける。間違えたとしたらここだろう。
まさに映画の中に出てくるセリフの“偶然を使い果たした”という状態だったのかもしれない。

その後も、アナが出した手紙を運んだのはオットー自身だったり、飛行機が上空ですれ違うことはあった。それでも、白夜を水辺で過ごしてもオットーは来ないし、木を見上げても引っかかっているオットーを見つけられない。
完全に行き違いばかりだ。

映画を観ていてラストでびっくりしてしまったけれど、あとから良く考えてみたら、きっとあの広場のシーンですべては決まっていたのだ。

パイロットってやりたいと思ったらすぐになれるものなのか?とか、フィンランド語はいつ学んだんだろうとか、気になることはいくつかあったけれど、偶然や縁の話もかなり出来過ぎと言えば出来過ぎだったので、全体的におとぎ話として楽しむものなのだろう。リアリティを追求する作品ではないのだから、細かいことは気にしてはいけない。

音楽はアルベルト・イグレシアス。ペドロ・アルモドバル監督の作品や、『裏切りのサーカス』などの方。マイナートーンで哀しげながら、美しい。

オットーを演じたのがフェレ・マルティネス。彼目当てで観ました。吉井和哉、氷室京介、ISSAY、玉木宏あたりに似ている。『バッド・エデュケーション』の6年前なのに驚いた。『バッド・エデュケーション』のほうが若く見える。髪型のせいかもしれない。

十代前半くらいのオットーを演じたVíctor Hugo Oliveiraという子が若い頃のダニエル・ブリュールのような美少年だったのですが、IMDbを見ても、他に出演作の記載はないようです。


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