『17歳の肖像』『ワン・デイ 23年のラブストーリー』のロネ・シェルフィグ監督。
プロパガンダ映画の脚本をまかされた女性が、1940年のダンケルクの戦いを題材に映画を作る。
イギリスでは今年4月に公開されていてこれはクリストファー・ノーラン監督の『ダンケルク』の前になるが、日本ではダンケルクの戦い自体があまり知られていないためか、『ダンケルク』の二ヶ月後の公開になった。これは(私のように)『ダンケルク』でダンケルクの戦いに興味を持った人も見るし、いいタイミングだと思う。
主演はジェマ・アータートン。共演はサム・クラフリン(ニコラス・ホルトかと思った)、ビル・ナイ。

以下、ネタバレです。












舞台は1940年、実際にダンケルクの戦いが起こった年である。民間船がフランスに取り残された兵士33万人を救ったというのは、“奇跡の撤退劇”として厳しい戦況ながらも明るいニュースではあったようだ。
『ダンケルク』は兵士たちがフランスから逃げる話だったが、本作はその頃ロンドンでは…といったことが描かれている。違う方向から見ることができておもしろかった。

民間船の召集はラジオで行われたらしい。きっとそれを聞いて、『ダンケルク』のドーソンさんとピーターも家の船を出すことにしたのだろうなと考えた。

ロンドンが激しい空襲に遭っていて、市民は地下鉄に避難していましたが、これが、1940年9月から翌年5月まで続いたロンドン大空襲ですね。
一方その頃、空軍はバトルオブブリテンに駆り出されていたというのが流れでわかっておもしろい。

戦争中でも兵士は軍服のままパブに来ているし、映画も観に来ている。市民も家に閉じこもって震えていたわけではないようだ。ただ、急に空襲が始まったりはしていて、やはり大変ではあったようだ。
映画は娯楽の中心だったようだ。なので、それを市民の戦意向上にあてようと、プロパガンダ映画が作られたらしい。

双子の姉妹がダンケルクの兵士の救助に漁船を出したというのは変わってるし、確かに題材にしやすそう。ところが、実際に話を聞きに行ってみたら途中でエンストしてしまい、大型船に牽引されて兵士を乗せただけだったということがわかる。

でも、兵士が持っていた鞄から犬が出てきたとかフランス人兵士にキスされたとか細かいエピソードを中心にして、脚本を膨らませていくのがおもしろい。

しかし、『ダンケルク』を観ていたら、武器はフランスに置いていっていたようだったが、犬は連れて帰ったんですね。可愛かったのだろうし、撤退できるかわからない間の癒しでもあったのだろう。
あと、フランス人は助けてくれたイギリスの姉妹にキスするなんてロクなことしないと思った。そりゃあ、カエル野郎とも呼ばれますよ。

脚本家たちが話し合いながら、三人でプロットを組み立てていく様子はスリリングでおもしろかった。意見を交わしながら、少しずつ物語が出来上がっていく。

しかし、プロパガンダ映画である。そこに、軍や政府が関わってくるからすべて自分たちの好きには作れない。
お偉いさん役にジェレミー・アイアンズ。彼が出ているのを知らなかったので嬉しかった。
アメリカ人も出したいということで、俳優ではない空軍に属している軍人さんを連れてくる。歯は白く恰好は良くても演技ができない。「あの歯は本物?」というセリフにも笑った。なんとなく、『ヘイル、シーザー!』のカウボーイを思い出しました。

ビル・ナイ演じるピークを過ぎた老俳優もクセモノ。わがままだけど恰好良くてチャーミングだった。歌も披露しています。
彼のエージェント役にエディ・マーサン。彼も出ているとは知らなかったので驚いた。
しかし、空襲に遭って結構序盤で死んでしまうのが残念。本当に死と隣り合わせなのだ。

ダンケルクに見立てたロケ地の海辺の町は、ロンドンの市街地よりは穏やかなようだった。
透明なプラ板に多数の兵士と駆逐艦などが描かれているのを海に透かして撮影していた。『ダンケルク』でもノーラン監督は兵士を書き割りで作ったらしいのでほぼ同じである。工夫が感じられる。

ロンドンの空襲はどんどん激しくなっていっているようで、ロケが終わり、他の部分をスタジオで撮影している最中にも襲われる。

主人公のカトリンと一緒に脚本を書いていたバックリーはいい雰囲気になるが、バックリーのいた場所が空襲を受けてしまう。でも、生きていて、良かった…と思ったのもつかの間、スタジオの中のものが倒れ、下敷きになり死んでしまう。
一度ほっとしたので、このまま終わるのかと思ったのにショックだった。

部屋にこもりきりだったカトリンは、老俳優のヒリアードに促され、完成した映画を観に行く。
テクニカラーで本当におもしろそうな出来になっていたので、完全版を観てみたい。DVDなどには特典映像として入らないだろうか。

カトリンの横のご婦人は映画内のセリフを同時に発して、観るのは5回目よと言っていた。
映画内で船のスクリューにロープが絡まるトラブルを解決する役割を双子の姉妹にまかせたことで、現実の双子の姉妹も整備士を目指すことにしたと言っていた。
カトリンが作った物語が人を動かしている。

また、この劇中劇の映画のラスト、なくなってしまった映像の代わりに、現代の映像を加わっていた。海辺の町でのロケ中、バックリーが食べかけていたポテトをカトリンが奪ってポイと捨てるシーンが入っていたのだ。
ここ、最初に出てきたときに、そんなー!と思って爆笑してしまったシーンだったのだ。もうバックリーは死んでしまった今となったらちょっと違う意味合いになってしまうけれど、それでも微笑ましい。
その人自体はいなくなってしまっても、思い出や物語の中では生き続けるというのに涙が出た。これ、実は『KUBO』と同じテーマではないかと思った。
これもまた、人はどうして物語を必要とするのかを考えさせられる映画だった。

『戦争と平和』



BBCウェールズ製作(2016年)。NHKでも2016年に放映されました。全八回。
ジャック・ロウデンとアナイリン・バーナードが出ているということで見直してみました。

前回見たときには、トルストイの『戦争と平和』だとは知らなくて、イギリス人(と一部アメリカ人)がロシア人を演じているのに違和感があったのと、歴史ものなのでどこか重苦しい雰囲気に馴染まずにだいぶ適当に見てしまった。

しかし、今回、目当ての俳優がいるとなるとだいぶ違った感じで、最後までおもしろく見ることができた。
前回も一応ポール・ダノ目当てではあったのですが…(地上波の連続ドラマでポール・ダノ主演!と大喜びしていた)。

『戦争と平和』ですが、読んだことがなかったんですが、あらすじを読んでみる限りでは結構原作通りだったみたい。だけど、すごく長いことと、もっと膨大な量の人物が登場するみたいなのであらすじをなぞった感じなのかもしれない。

ポール・ダノ演じるピエールとリリー・ジェームズ演じるナターシャ、それに、ジェームズ・ノートン演じるアンドレイの三人が中心。
それにいとこや兄弟などが絡み合って複雑に恋愛をしていく。男たちは戦争に行く。
ですが、この感想は、ジャック・ロウデンとアナイリン・バーナードについて書いています。


ジャック・ロウデンが演じるニコライはナターシャの兄、アナイリン・バーナードが演じるボリスはナターシャの幼馴染で結婚の約束もしている。
二人とも最序盤から出てきて驚いたんですが、出てきて早々、ニコライはナターシャたちのいとこのソーニャとキスするし、それが見えるくらいの場所でボリスもナターシャとキスをしているのでこれにも驚いた。
恋愛の要素もあるし、二人のキスシーンなんかもあるのかなと思ったら、おそらく開始10分も経ってないうちに、二人まとめて見ることができた。

ボリスの母親は上に取り入るのがうまくて、近衛兵になるし、女性も金持ちを取っ替え引っ替え味見していた。ナターシャのことはそんなに好きではない風で、ピエールの金を目当てに結婚したエレンと愛人関係にもなっていた。
エレンに会いに行くときの黒いコートが恰好良かった。目がぎょろっとしていて整った顔をしている人が黒い服を着ると、悪魔的な美しさになる。
また、終盤、ロシア皇帝からナポレオンに伝令を伝える役目を担い、ナポレオンに耳を触られて気にする様子が可愛かった。

満遍なく、ちょこちょこと出てくる感じでした。ただ、ちょっと太っていて、顎の肉が気になった。もう少し痩せていていい。
吹き替えが川田紳司さんでした。それを演じているのがアナイリンだとは知らなかった。前回も川田さん目当てではあったのだけど…。

ニコライに至っては五話以外には全部出ているし、三人の次の準主役級に出番が多かった。『ベルファスト71』とは比べものにならないくらい多い。
今から考えると、なんで前回ジャック・ロウデンを見て全然引っかからなかったんだろう?と思うくらい、すべてのシーンで恰好良かったです。

最初に戦地に赴くときにナターシャが「お兄様の軍服姿、素敵」と言っていたけれど、本当にナターシャの気持ちがよくわかりました。素敵でした。
しかし、最初の戦地では、馬が撃たれ、単身、剣をかざして敵の只中に勇敢に立ち向かっていこうとするも、正気になって逃げ戻る。情けないけれど、それが彼の命を救ったし、ジャック・ロウデンに合う。
『The Tunnel』のときにも思ったけれど、結構ダメ男を演じさせて輝くタイプではないかと思った。

三話では愛するソーニャにちょっかいをかけてきたドーロホフにカードの勝負を挑み、ムキになって一晩続けた結果、莫大な金額の借金を背負う。
取り返しのつかないことをした朝、自宅に戻るとソーニャのピアノでナターシャが歌っている。それに合わせてニコライも歌うシーンがある。
ジャック・ロウデンのロシア語の歌が聴けるのも貴重ですが、このときに、涙ぐんでいるのが本当に良い。この娘たちはこんなに純真で美しいのに、自分ときたらどうだとでも思っていそうだった。大変なことをしてしまったという後悔しかなさそうだった。
結果、家を破産させてしまう。キング・オブ・ドラ息子。やっぱりダメ男である。

四話ではナターシャとソーニャと一緒に親戚の家へ行くのですが、そのときの服装がもこもこと着膨れしていて、帽子も毛のもふっとしたもので本当に可愛い。

幼い頃からずっとニコライのことが好きだったソーニャに感情移入して見ていたんですが、ニコライは途中でアンドレイの妹マリヤに心変わりしてしまう。マリヤもいい子だったし、マリヤと結婚すれば家の借金もどうにかなるし、家を潰したニコライはそうするしかないけれど、ソーニャが可哀想だった。ニコライが二人いたらよかったのにと思ってしまった。

ラストではその後の様子が描かれている。ここにもニコライは出ているので、本当に最初から最後までちゃんと出ている。軍服姿もよかったけれど、ここで着ているテロッとした記事の真っ赤なシャツも似合っていた。
ここまでちゃんと出ていてこんなに恰好いいのに、本当になんで見逃していたのかまったくわからない。しかもこれがNHKで放映されていたというのは今から考えたらまったく想像がつかない。地上波でこんなにジャック・ロウデンの姿が見られたとは…。



マーベルのヒーロー集合ものがアベンジャーズですが、こちらはDCのヒーロー集合もの。
様々な企業とのコラボの方向性が少しおかしかったのでどうなることかと思ってましたが、前作の『ワンダーウーマン』がおもしろかったし予告編も恰好良い仕上がりだったので期待をしていました。

まだMCUほど作品が出ていないし、いきなり本作から観ても大丈夫といえば大丈夫ですが、『バットマン vs スーパーマン ジャスティスの誕生』は観ておいたほうがいいかもしれない。サブタイトルからも本作の直接的な前日譚だと思う。

以下、ネタバレです。











相変わらずアメコミの原作を読んでいないため、細かいこだわりなどはあとから調べて知ったので、たぶん知っていたらもっと楽しめたと思う。

おおまかなストーリーは、海底とワンダーウーマンの故郷セミッシラと地球に分散されてい保管されていた三つのマザーボックスを、今回のヴィラン、ステッペンウルフが入手するのを阻止する。
セミッシラはワンダーウーマンですが、海底を守るのはアクアマン、地球で保管されている場所はサイボーグであるビクターの父が働くラボである。

ワンダーウーマンとバットマンは、『ワンダーウーマン』の最後でメールを送っていたこともあって、最初から顔見知りの状態で、すでにチームに参加することになっている。なっているが、ブルース・ウェインがいまいち積極的ではないというか、アルフレッドがいないと何もできないというか、ダイアナが積極的なしっかり者で良かったねという感じだった。

フラッシュをスカウトに行くときにもバリー・アレンにいきなりコウモリ型のカミソリ(何か名前があるのかも…)を投げつける始末。バリーはブルースがバットマンだとわかり、ノリノリで仲間になるけれど、ブルースには他に方法がなかったのだろうか。でも、このシリーズのブルースらしいといえばらしいのかもしれない。

バトルでもバットマンだけあまり活躍してなかった。バリーに「あなたの能力は?」と聞かれて「I’m RICH.」と答えていたけれど、本当にそれだけの可能性があるし、映画を観た後だと“この映画内ではあまり活躍しないけれどそうゆうことですよ”という前振りにも思える。

一回目のバトルの時に出してきたカニのような乗り物(追記:クモらしい)のナイトクローラーは恰好良かったけれど、その操縦もサイボーグが機械と一体化することで行っていた。バットマンは一体化できませんものね…。

序盤、人々の希望であるスーパーマンの死を市民が悼んでいていて、そこで流れる歌とスーパーマンの胸のマークが黒くなっている大きな喪章が掲げられている画が陰鬱でとても良かった。

でも、どこかで復活するんだろうなとは思いながら観ていた。復活させようと言い出したのはブルースなんですが、原作を知っている人たちからすると、それがかなり意外だったらしい。私はなんとなくこのメンバーのリーダーだし、特に意外には感じなかった。
ただ、蘇らせるためにバリーとビクターが墓を掘り返していて、これは常識的じゃない方法なのだなと実感した。なんであの二人が墓をあばく係になってしまったのだろう。若手だからでしょうか。

バリーがここで『ペット・セメタリー』のタイトルを出して怯えていて可愛い。とにかく友達が欲しいバリーは、一緒に墓あばきをしたからビクターともイエーイと拳を付き合わせようとしていたけれど、相手にされていなかった。かわいそうではあったけれど距離のつめ方がおかしいのかもしれないとも思った。

結局、復活したクラークは大暴れをしていて、バリーが「やっぱり『ペット・セメタリー』だった!」と言っているのも可愛かった。暴れているクラークを止めようとしてメンバー総出で押さえ込もうとするシーンでは、速いバリーの姿をギロリとクラークが目を動かしてとらえている様子がぞくっとしたし恰好良かった。

ザック・スナイダーの手法として見せ場でスローになるというのがあるけれど、フラッシュは速いから相対的に周囲がスローになる描写が使われていて、この手法によく合っていると思った。けれど、ザック・スナイダーは途中で降板しているので、ザックの手によるものなのかわからない。

復活したクラークが大暴れしているときにブルースだけ遅れてくるので、何かしらブルースがクラークを鎮める役目を担うのかと思ったら、アルフレッドに「“切り札”を」と言ってロイスを連れてこさせていた。最初に切り札と言ったときからロイスのことだろうなとは思っていたけれどそのまんまで少しがっかりした。

大規模なチーム戦は映画内で二回あるんですが、一回目は地下、二回目はロシアの住民が少ないところと、市街地を避ける傾向が見られた。おそらく、『マン・オブ・スティール』や『ジャスティスの誕生』でも、市民がだいぶ巻き込まれていると言われたから意識的に避けたのではないかと思う。
二回目のバトル時も、フラッシュが少ない住民(というか一家族だけですが)を精一杯遠いところへ移動させていた。

一回目のバトルではメンバーの協力プレイが見られた。二回目も途中までは協力プレイでしたが、スーパーマンが遅れてくると彼の独壇場になる。ものすごく強い。たぶん、一人でも倒せそうだった。
でも三つのキューブを離すのはサイボーグとスーパーマン二人でやっていたから一応協力プレイかな…。

最後にはフラッシュもサイボーグと拳を突き合わせてもらって、ちゃんと友情が芽生えていたのを見てホッとした。

ビクターは父親に勝手に体を改造されて生き返ったことを怒っていたけれど、最後はラボで父親の手伝いをしていたので和解も見られた。

今回の新メンバーとしてもう一人アクアマンがいますが、全身刺青上半身裸のビジュアルがものすごく恰好良いのと、強がっていてもワンダーウーマンの真実の投げ縄で本当は怖いことを告白しちゃうあたりが可愛い。マッチョでコワモテなのに。

フラッシュ、サイボーグ、アクアマンについてはおそらくこれから単独の映画が控えているのだと思いますが、それも楽しみになった(『アクアマン』は北米で2018年公開予定とのこと)。

今回の映画の中でのバトル関連だと、序盤、セミッシラでのマザーボックスを守る様子も良かった。アマゾンたちが、まるでラグビーかアメフトのようにボックスを次々にパスしながらなんとかステッペンウルフから遠ざけようとする。結局奪われてはしまうけれど、恰好良いアクションで見ごたえがあった。

ジャスティス・リーグのメンバーたちは、なんとなくまだ全員が意気投合している感じではない。かといってギスギスしているわけではない。ある程度仲が深まらないとギスギスもしない。まだその前の段階という気がする。
アベンジャーズの場合、寄せ集められてもすぐに意気投合していたように見えたけれど、ジャスティス・リーグのほうがリアリティがある。急に寄せ集められたら実際はこんなものだと思う。

この人たちがどんどん仲を深めていくのだと思うとわくわくするので、早く続編を公開してほしい。

おまけ映像では、フラッシュとスーパーマンがブランチを賭けて競争していた。バリーはクラークとも仲良くなれたんだね、友達できたね、良かったねとほっこりした。

バリー・アレンを演じているのはエズラ・ミラー。イケメンだけれど、早口だったりとオタク気質なのが合っていた。全体的に本当に可愛かったので、単独作も早く観たい。けれど、ジャスティス・リーグメンバーとの絡みももっと観たい。
あと、できるならば、アルフレッドにおやつを用意してもらっているバリーが見たかった。

今回も、ジェレミー・アイアンズのアルフレッドはとても良かった。小粋なことを言いつつ上品。アルフレッドはノーラン版のマイケル・ケインもドラマ『ゴッサム』のシーン・パートウィーも好きです。

もう一つのおまけ映像ではレックスも出てきていた。この辺も原作を知らないのでわからなかったのですが、次作へのつながりに期待。

エンドロールでは予告編でも使われていた『Come Together』のカヴァーが流れた。言わずと知れた“Come together right now over me”の歌詞がよく合っている。彼らのテーマ曲にしてほしい。



監督はスティーブン・ソダーバーグ。
チャニング・テイタムとアダム・ドライバーが冴えない兄弟役で、強盗を計画するクライムムービー。

以下、ネタバレです。








中盤以降は強盗シーンであり、強盗シーンになるとそれほど気にならないが、前半のテンポが悪く感じた。
説明不足な面も多く、ローガン兄弟がそもそもなぜ強盗をすることになったのかがいまいちわかりづらかった。仕事を解雇されたからだろうか? ジミー(チャニング・テイタム)が離婚した妻が親権を持つ娘が引っ越してしまうからだろうか。
しかも、弟のクライド(アダム・ドライバー)を誘っての強盗は二回目らしく、一回目の時には失敗して弟は刑務所に入ったらしい。

ただ、金庫破りのプロで現在は刑務所に入っているジョー・バング(ダニエル・クレイグ)とも友達のようだった。友達というか知り合いかな。
予告編を見る限りだと冴えない兄弟が急に刑務所の面会に行ったのかなと思われたけれど、まったくの初対面ではない様子だった。
小さな田舎町が舞台なので、全員知り合いみたいなところがあるのだろうか。

ただ、舞台となる場所についても、どこどこ州のどこと場所が日本語テロップで出る。英語での字幕は出ていなかったので、日本語でのみ丁寧に付けられたのだと思う。やはり説明不足な面がありそう。
でも、もしかしたらアメリカ人には理解のできることなのかもしれない。

いわゆるニューヨークなどの都市が舞台ではない。
そこまでちゃんとは理解できなかったのだけれど、想像以上に背景の厳しさがあるのかもしれない。
仕事がない、離婚率も高い、犯罪も多発している地域で、だから兄弟も手軽に強盗を計画してしまったのではないだろうか。
ましてや、ジミーはNFL花形選手だったのに足を怪我して挫折している。そのことも周囲には知れ渡っているだろう。弟のクライドはイラクに戦争に行って片腕を失った。
だから、ローガン家は呪われているなどとクライドは言っていたけれど、周囲にも噂をされていたのかもしれない。


ジミーの娘が、発表会でリアーナの『アンブレラ』を歌うべきところを、急遽、パパの好きな曲ですと言って、ジョン・デンバーの『カントリーロード(TAKE ME HOME,COUNTRY ROADS)』を歌うシーンがある。
まさにウエストバージニア州の、地元の歌で、会場は合唱に包まれる。歌の内容は故郷の美しさと、生活のつらさが歌われている。
この土地柄のことは日本人にはなかなか理解しづらい。
脚本のレベッカ・ブラントが実際にウエストバージニア州ローガンの炭鉱の家庭で育ったらしく、その辺のテイストが組み込まれているのではないかとも思う。
(ただ、このレベッカ・ブラントという方の素性は不明らしくソダーバーグの妻ではみたいな話も出ているらしい。謎)

あと、日本人というか、私は知らなかったのですが、NASCAR(National Association for Stock Car Auto Racing、全米自動車競争協会)の方々が多数カメオ出演されていたらしい。強盗の場面がレーシング場なので、全面協力してもらったのだろうか。

強盗シーンは地上でレーシングが行なわれていて、その地下でわたわたやっているという作りが面白かった。また、強盗を行うにあたっての前段作戦として、ジョー・バングの脱走作戦もある。それにあたって弟のクライドがわざと捕まって刑務所に入ったりと凝っていた。

ただ、ジョーの弟さんたちはあまりにも雑で強盗向きではないし、ローガン兄弟もあまり向いているようには見えなかった。ローガン妹は運転とサポートで活躍していたと思うが、地下にいなかったのでいまいち登場シーンが少なかった。
ジョーだけが玄人で、一人大活躍をしていた。グミベアは娯楽で買ったのかと思っていたら、それで爆発物を作るというアイディアがおもしろかった。
爆発物を仕掛けた後、ジョーがひょいひょい逃げて、顔を見合わせたローガン兄弟が慌てて逃げ出して建物が爆発というシーンが予告編で使われていたけれど、これは騙しで、本編では違うシーンで爆発する建物だった。

ここで、不発だった手作り爆発物がクライドの手に戻ってきちゃうのが面白かったので騙し予告にしてくれてよかった。一瞬何が起こったのかわからない感じになりつつも、完全に固まってしまうクライドが可愛い。

ただ、タイトルで言われているからそうなんだろうとは思うけれどまさにラッキーの連続でトントン拍子で進んでいき、わりとスムーズにことが済んでいた。

成功をして、でも結局お金は返して…ということでなぜかなと思ったら、自分たちの必要な分や、計画に巻き込んでしまった人の分はちゃんと別の場所に取ってあった。
ジョーの弟たちを信用してなかったのかもしれないけれど、強盗は実は二重作戦で、本当の計画はローガン家の三人で行われていたというネタバラシも面白かった。

ただ、この後にFBIがしつこく追いかけてくるのはちょっと蛇足気味かなと思ってしまった。
しかも、最後にはクライドの店に現れていて、不気味でした。
クライドは簡単に騙されてしまいそうだから、FBIの女性に心を開いた末に犯罪を告白する未来が見える…。

内容やテンポなどを考えると完全に好みという感じではなかったけれど、キャラクターや演じた俳優さんは好きでした。
特に、クライドを演じたアダム・ドライバーが本当に可愛い。
結局演技でしたけれど、腕を吸い込まれた時の取り乱しかたは笑ってしまった。
ジミーが最初に強盗計画を話す時も「朝食を作ってくれたし、ベーコンの焼き加減が僕好みだったから話を聞く」と言っていて、可愛すぎてびっくりした。図体の大きい大人の男の言うことではない。

兄のジミーを演じたチャニング・テイタムも体が大きいから、二人ともぬぼーっとしていて朴訥兄弟具合が愛らしかった。
結局ネタバラシの時には二人が素早く動いていたけれど、その前にはとても強盗向きではないと思った。素人臭すぎる。動きも鈍そう。

だから、ダニエル・クレイグ演じるジョー・バングの凄腕具合が目立った。007で見せたスマートさがまったく無くて、刺青が入っているし、ランニングも似合う。田舎のヤンキーくささも出てたし、演技がうまいのだなと思った。

あと、ちょい役だけれど、いい役だったのが上でレースをしているドライバー役でセバスチャン・スタン。
立て看板が作られるくらいだから人気なのだろうし、やり手なのだけれど、「自分の中のOSを…」とか言うことがいちいち胡散くさくて笑ってしまう。嫌な感じだけど憎めない役が彼に合っていた。



『コララインとボタンの魔女』、『パラノーマン ブライス・ホローの謎』のスタジオライカ作品。ストップモーション自体もものすごいけれどストーリー展開の確かさにおいて、スタジオライカの右に出る制作会社はいまのところないと思う。

今回もまったく心配をしないで観て、やはり安定しておもしろかったのですが、それより日本の公開が一年と三ヶ月も遅れているのが納得いかない。
日本が舞台で主人公が三味線を持って戦うのもそうなんですが、日本の文化にまで言及されているから、はっきり言って、外国の人よりも生まれながらにその文化に触れてきている日本人の心に沁みる作品だと思うし、これが日本でヒットしなかったらスタジオライカに失礼です。

本当はお盆の時期に合う作品だと思うけれど、夏休み映画として弱いのはわかるので、夏休み前、7月上旬くらいには公開して欲しかった。それか、アカデミー賞やゴールデングローブ賞を始め、アニメのアカデミー賞といわれるアニー賞にも多数ノミネート、受賞もしているので、アカデミー賞直後くらい、今年の春くらいには公開できなかったのか。それか、これだけ遅れるならもっと大々的に宣伝をしてほしかった。宣伝次第では人が入る映画だと思う。

今回、吹き替えで観ましたが、ピエール瀧や小林幸子も合っていてうまかったし、クボを狙うおば役の方も声が歪ませてあるからそれほど気にならなかった。

また、エンディングが吹き替え版では吉田兄弟なのですが、これはスタジオライカ側からのオファーだったらしい。吉田兄弟が弾くビートルスの『While My Guitar Gently Weeps』、三味線が主人公の武器のようになっている映画だし、当然合っていた。オリジナル版を観ていないのでわかりませんが、こちらの主題歌の方が合っているのではないかと思ってしまった。

(追記:字幕も観ました。シャーリーズ・セロンのサルの凛々しさとマシュー・マコノヒーのクワガタの飄々としていて剽軽ながらも強さを見せる様はよかったけれど、今回は吹き替えも負けていないと思う。字幕を読まずに画面に集中するためにも吹き替え推奨。また、エンディングテーマは吹き替え版よりも歌が多かった印象。三味線も入っていたけれど、こちらも日本版だとちゃんと吉田兄弟という名のある方々が手がけているからいいと思う)

以下、内容についてのネタバレを含みます。








ストップモーションアニメということで一週間で平均3秒しか制作できないとか、主人公のクボの顔だけで4800万通りあるとか、途方もない労力が費やされている。メイキングを見るのも楽しいです。

クボは赤ん坊のころ、闇の力を持つ祖父に父を殺され、クボも片目を奪われて母と一緒に暮らしていた。
昼間には村に出て行き、三味線の音色で紙を折り、その折り紙を動かして物語を紡ぐという不思議な力を使って大道芸を行っていた。
このシーンからして本当にわくわくする。
クボの周囲に人の輪ができて、みんな目を輝かせていたが、私も同じ顔で見守っていた。
三種の神器を使って侍が悪者を倒すという昔話のようなストーリーもよかった。

ある日、クボは夜になっても外にいたために、母の姉妹で祖父と同じく闇の力を持つものたちにもう片方の目も奪われそうになる。そこへ母が来てクボを助けたが、命を落としてしまい、クボの三種の神器を手に入れて、祖父を倒す旅が始まる。

一緒に旅に出ることになるサルは珍しく女性の声で、クボにやたらと世話を焼いている様子がお母さんっぽいなと思ったらお母さんだった。
クボとこのサルと折り紙で作ったハンゾウ(父?)とクワガタとの冒険である。仲間がだんだん増えていく様子や、三種の神器を探して敵を倒すという目的がゲームっぽいと思った。

そして、クワガタも父だったんですが、それは観ているとなんとなく予想はつく。
途中でサルが母、クワガタが父だとわかっても、意外性はそれほどない。でも、そこが主題ではないのだ。
だって、この先、クボはサルとクワガタとクボは末長く仲良く暮らしていきましたとさ、おしまい。という話ではない。母上、父上と会えてよかったねという話ではないのだ。
もちろん会えてよかったとは思う。それに、物心ついた時から父の姿のなかったクボが「いつも母上と二人だったから、食卓を囲んだのは初めてだ」と言ってたのも、良かったね…とは思った。
しかし、この時間が長くは続かないだろうというのはなんとなくわかる。
実際の母も父も死んでいて、魂だけがクボに一時寄り添っているのがわかる。なんというか、濃厚な死の予感が漂っている。

そして、実際にサルもクワガタも消えてしまう。それでも、クボの中には、母と父と一緒に冒険をした思い出は残る。

クラマックスでは村民が川に流した灯篭のぼんやりとした美しい灯りが亡くなった人の形になる。明確なワードは出てこないが、もちろん、時期はお盆でこれは灯籠流しである。

お盆の時期だけ亡くなった家族の魂は戻ってきて、時期が過ぎればまた帰って行ってしまう。でも、心の中に生前の人々の思い出はずっと残っている。
死者の魂を弔う気持ち、すでに亡くなった人に想いを馳せるこの感じは、もうどこから学ぶでもなく、生まれた時から備わっているものというか、日本人ならば根本的な部分でわかるものだ。
海外の映画でも感動できる映画は山ほどあるが、文化的な面では初めて見るものや理解できないものもある。それは映画で学べばいいことだ。
この映画は海外の映画なのに、日本人の心の奥を突いてくる。
海外ではかなりヒットした映画だけれど、外国の人よりも、日本人のほうが自然に受け入れらる部分が多い内容だと思う。だからこそ、日本でヒットしてほしい。
感動というか、自分で体験したことなどを思い出して、自然と涙が出てくる。

最後、月の帝だった記憶をなくしたクボの祖父に対して村民たちが優しく接しているのも良かった。村をぐちゃぐちゃにされるなど、酷い目に遭わされたのに。それでも、優しかったエピソード(おそらく嘘)を話して、記憶を上書きしてあげる。

サルとクワガタのことはそれほどびっくりするネタばらしではないが、それでも、最初から知った上で観るとまた違った伏線などにも気づけそう。
できれば、もう一度観たい。今度は字幕で。


2013年公開。ライブDVDかと思ったらライブツアードキュメンタリーだった。
曲も一曲まるまるは入っておらず、音も悪い。曲を聴くための映画ではない。

しかも最新のものではなく、1998年に行われた113本という長期のツアーを振り返るという内容。なぜこんなに間が空いているかというと、ツアー長すぎるが故に、裏でかなり大変なことが起きていたからだ。時間が経たないと明かせない真実。
ANNIEが腰がおかしくなって、インタビュー中は座れなかったけどライブ中は座らざるをえなくてきつかったみたいな話は序の口。吉井の妻が精神的におかしくなって、途中からツアーに帯同してたという話は壮絶。途中で事故でスタッフが亡くなったりもしている。

最初のほうで『SUCK OF LIFE』でおなじみギターフェラもおさめられている。ひざまずいた吉井がエマのギターを歯で弾くんですが、股の間から手を突っ込んでエマの尻を鷲掴みしてて変な声出た。ギターだけじゃなくて腹とか胸あたりにも頬を寄せたりキスをしたりしていた。ものすごく綺麗に撮られていたけれど、これはこの映画のサービスシーンで、他のシーンは結構ずっと厳しい。

ホール公演の最終日のMCで、吉井が「このツアーは失敗だった。ほかのメンバーはどうかわからないけど個人的には失敗だった」とMCで言っていて、いつもの冗談だと思ってる客席が笑ったり、「えー」と言ったりしてるけど、このドキュメンタリーを観た後だと、冗談でもなんでもなく、吉井が本心で言っていたのがわかってぞっとする。


スタッフの「フラッシュバックが起こる人はもう一回その場所に行って何もないんだって確かめないと克服できない」という話をしていてそれもつらかった。もう一度その場所を訪れる前にバンド自体が解散してしまったとのこと。


監督は高橋栄樹。『SPARK』以降のPVを多く手がけているけれど、最近だとAKB48のドキュメンタリーでも話題になってた。AKB48はまったく知らないから観てないけど、かなり厳しい内容だという話は聞いたことがある。本作の厳しさ見るとそれも納得出来る。
厳しいというのは駄作という意味ではなくて、観ていて、心が削られる。観ていてつらいから、二度は観られない。


『PUNCH DRUNKARD』というアルバムはそこまで好きじゃないからこのツアーは行ってないだろうと思ったけど、この前年がフジロックで、フジロックの時はイエモンが大好きだったのでこのツアーも多分行ったのだと思う。

『真珠色の革命時代』をステージにオーケストラを配して演奏したものは、観に行った気もするけれど、このことを雑誌で読んだか行った人の話を聞いたのか、情報として仕入れただけなのかわからない。

終盤の『ROCK STAR』は普通のライブDVDのように音もちゃんとしてるし、一曲丸々入ってる。横浜アリーナでのツアーファイナルの様子なので、私が行ったとしたらここかもしれない。113箇所のツアーをやると、こんなことになるんだって知らなかった私は、たぶん無邪気に観てたのだろうし、でもその楽しみ方で正解なのだとも思う。

この時に、「内容の濃い充実した旅でした。みなさんにもこの先、内容の濃い旅が絶対に待っています。頑張って乗り越えてください」というMCをしていて、“濃い”の部分を卑猥に強調して言っていてここでも客席からは笑いが起こっているけど、“頑張って乗り越えてください”と言ってしまっているということは、濃い=つらいorしんどいだったのだと思う。君らも乗り越えて大人になってねということ。

ただ、これを観て、またイエモンが好きになるかといったら、それはまた別の話だ。あの頃の、イエモンが好きだった頃の私と対話をするだけです。

最後に入っていた『SO YOUNG』もフルバージョンだった。今あらためて聴くと“いつか忘れて/記憶の中で死んでしまっても/あの日僕らが/信じたもの/それはまぼろしじゃない/ない/ない”のあたりがまさに現在の私とイエモンの関係みたいでちょっとだけ泣いた。

ブラーのドキュメンタリー映画、『ニュー・ワールド・タワーズ』を観た時にも思ったけれど、バンドのドキュメンタリー映画だと思ってひとごとのように観ていると、急にその奥に自分が透けて見えてきて、映画の内容と自分が繋がってしまいハッとする。




トム・フォード監督作品。
前作『シングルマン』がとても好きだったので楽しみにしてました。7年ぶりの新作(しかも日本では約一年遅れでの上映)。

エイミー・アダムス主演、ジェイク・ギレンホール、マイケル・シャノン、アーロン・テイラー=ジョンソン、アーミー・ハマー出演。

以下、ネタバレです。











太った女の人が裸で踊っているというちょっとギョッとしてしまうようなオープニング。これがエイミー・アダムス演じるスーザンの作品だとわかる。
ちょっとこのセンスは理解できなかったけど、どうやら芸術家として成功しているらしく、展覧会会場も会社も家も高級そうだしとてもハイソだった。
この辺の美術が素晴らしくて、さすがトム・フォードだなと思った。
色はモノクロと赤が中心。形もぱっきりしていて無機質。いる人間にも血が通っているように見えない。

スーザンも目の周りを黒く縁取っていて、濃い赤の口紅の攻撃的なメイク。不眠症とのことだったが、人間味が感じられないのでそれも納得の風貌。
また、会社にいる人(デザイナー?)も通常では着ない服、ファッションショーで披露されるような服を着ていた。
仕事相手の女性が、ベビーシッターが信用ならないと言って子守アプリを見せてきたのにはどんな理由があったのだろう。赤ちゃんが映っていて、その信用ならないベビーシッターが出てくるびっくり描写は個人的には最近観た『IT』よりビクッとしてしまった。
『IT』は怖いという話だったけれど、青春描写や出てくる子役たちが可愛いとかピエロの中のビルスカルスガルドがイケメンであるとかの癒しがあった。本作はただただひんやりしている。

スーザンのパートは全体的にさめた印象で、悪夢のようだった。ハットン(アーミー・ハマー)と結婚していても、浮気されていることもわかっているし、お金や名声があってもとても幸せには見えなかったし、自分でも不幸だと言っていた。

そんなスーザンの元に、別れた夫エドワードから小説が届く。
スーザンは小説を読み進めていくのだが、それが映像として出てくる。
スーザンパートではそれほど登場人物が多くなさそうだったし、出演者はみんなどこで出てくるのだろうと思ったら小説の中の登場人物だった。

小説の舞台はテキサス州。砂ぼこりと気だるく張り付くような空気感とテンガロンハット。こちらのほうが映像的に人間味にあふれている。これが、スーザンパートの合間に挟み込まれる。映画が進むうちに、逆に小説パートの合間にスーザンパートが入るようになってくる。また、スーザンがエドワードとの再会から結婚、別れを思い出すスーザン過去パートも少し入ってくる。

小説の最初のページにはFor Susanの文字。“君との別れからインスパイアされた”と同封の手紙に書かれていた。

小説パートはスーザンの頭の中で展開されていることだ。エドワードが自分を題材にして書くことを知っているからなのか、小説の主人公トニーにはエドワード(ジェイク・ギレンホール)が配役されている。
トニーと妻と娘で旅行に行くために車を運転しているが、夜中に人気のない道でチンピラたちの乗った車にイチャモンをつけられる。
ここで気になったのが、トニーの妻役はスーザンではないんですよね。トニーがエドワードなのに。スーザン自身はスーザンの頭の中には出てこない。あくまでも物語なのだ。

チンピラの一人がアーロン・テイラー=ジョンソン演じるレイ。こいつが嫌な部分しかない悪党キャラクターなのだけど、アーロン・テイラー=ジョンソンがとてもうまい。何も言わずに挑発するような表情をするのが最高だった。

イチャモンをつけられた上、妻と娘はさらわれてレイプされ殺される。ここでスーザンは苦しそうな顔をしていたけれど、自分と重ねていたわけではなく、ただ内容に衝撃を受けただけだと思う。自分と重ねるなら頭の中でも自分で配役すると思うから。
トニーは地元の刑事(マイケル・シャノン)と一緒にチンピラを追いつめていく。

結局、肺がんで死ぬのがわかっている刑事が違法な手段でチンピラを監禁、一人を撃ち、銃を渡されたトニーがレイを撃つ。相討ちのようになっていたが、トニーはよろよろになりながらも生きていた。結局、自分の銃の暴発(?)で死んでしまう。

スーザン過去パートでは、エドワードと別れた理由やエドワードとの間にできた子供を堕胎したことなどが明らかになる。
過去パートのスーザンは過去なこともあるけれど、メイクもナチュラルで、現在のスーザンパートのような悪夢っぽさはない。
スーザンが不幸な理由はおそらく過去への郷愁なのではないかと思う。あの時こうしなければ今の不幸はなかったのにという後悔。

でも、エドワードとは根本的な考え方が違っていたようだから、どちらにしてもうまくいかなかったのではないかと思う。

スーザンが現在、アーティストとして成功(自らの幸せではなく名声や金銭面での成功)したのはエドワードと別れたからだと思うし、育ちのせいもあったと思う。
エドワードとスーザンは育ちも違っていたみたいだし、スーザンの母親(超保守)も反対していた。

スーザンは過去パートで、エドワードのことを「あなたは弱い」と罵っていて、その喧嘩が別れた直接の原因ではないのかもしれないが、かなり印象的に使われてる。

そして、小説内でレイがトニーを「お前は弱い」と罵ったのでぞっとしてしまった。
そうか、スーザンは小説には出ていないと思ったけど登場していた。。悪を固めたような存在として描かれていたレイがスーザンだったのだ。

トニーが小説内で妻子を守れなかったと慟哭していた。妻はスーザンなのかもしれないし、家族というぼんやりしたものなのかもしれない。娘はあの時スーザンがおろした子供だろう。生んでいたらあれくらいの年齢だ。別れて19年と言っていたから。
小説内ですべてをめちゃくちゃにしたのはレイで、現実世界ではエドワードのすべてをめちゃくちゃにしたのはスーザンだ。

スーザンの会社に芸術作品としてREVENGEと書かれたポスターだかタペストリーだかが飾られていた。

それが関係あるのだとしたら、小説はエドワードからの復讐だったのではないか。
でも、スーザンは頭の中でレイに自分を配役していなかったから、たぶん気づいていなかったのかもしれない。

気づいてたら、怖くて、申し訳なくて、とても食事になんて誘えないだろう。
スーザンはエドワードとの食事に行く前に、ワクワクしているようだったしおめかしもしていた、指輪まではずして何を期待していたのか。
現実が不幸だから過去にすがりたいという気持ちもわかるけれど、エドワードのことをまったく考えていない。
読解力がなさすぎる。読解力というよりは物語を読む能力かな。

案の定、待ち合わせのレストランにエドワードは現れないまま映画は終わる。
あの後来た派の人もいるみたいだけど来るとは思えない。

ただ、レイがスーザンだとかも、すべては私の解釈なのでどうかわからない。特にREVENGEのくだりはどうかなとは思う。トム・フォードにしては俗っぽすぎる気もする。

もう少し俗っぽい方向の解釈をすると、小説の中に出てきたマイケル・シャノン演じる刑事は現実世界のスーザンの兄なのではないかと考えた。
スーザン過去パートで、スーザンの兄はエドワードのことが好きだったと明かされていた。そして、スーザンは「喜ぶと思うから兄にも連絡してみて」と言っていた。

その時点で連絡したかどうかはわからないけれど、エドワードはスーザンが好きだったのだし、スーザンに言われたらいずれかの時点で連絡はとったのではないかと思う。スーザンと別れた後、スーザンがエドワードの人生をめちゃくちゃにした後、連絡をとったのかもしれない。
小説ではトニーが刑事に助けを求めるし、刑事と一緒にレイを追い詰める。現実世界でも、あの後にエドワードに誰か協力者がいたのだと思う。

現実世界ではスーザンの兄は、ゲイだと超保守の親にバレたときに勘当されている。
エドワードも結局上流社会に負けたという部分もあると思うし、エドワードとスーザンの兄が協力して上流社会(=スーザン)にREVENGEしたということもあるのではないか。

実際のところどうなのかと知りたいので、原作小説があるようだし読んでみようかなとも思うが、映画はだいぶ変えられているようなので読んでもわからないかもしれない。

おもしろい作りだと思うし、特にアーミー・ハマーや過去のジェイク・ギレンホールはとても綺麗に撮られている。美術もさすがに素晴らしかった。
でも、好きかどうかというと、特に好きではなかったのが残念。つまらなくはないので好みの問題です。



1990年の映画のリメイク。原作はスティーブン・キングの小説(1986年)。
一言で言ってしまえばピエロが怖いホラー映画だけれど、本作はその実、青春映画である(旧作は未見)。
特に、今年公開された映画『パワーレンジャー』のような、それぞれに悩みを抱えたスクールカーストでも下のほうになりそうなはぐれ者たち(この映画では“Losers(負け犬たち)”と言われている)が好きな人にはたまらないと思う。また、彼らがまだまだ少年なのもたまらない。

ただ、ピエロが怖いことには変わりないので、ペニーワイズ役のビルスカルスガルドの素顔(イケメン)を思い出して乗り切りました。

以下、ネタバレです。











『パワーレンジャー』はヒーロー物でありながら、彼らがなかなか変身しないことで賛否両論だったようだが、私はもういっそのこと、返信しないで彼らの日常だけ見せて欲しいというくらいに思っていたので賛成側でした。今作もホラー要素はもっと少なくしてくれても良かった。

いじめっ子から逃げたり、いじめられているところから助けたりして、はぐれ者たちが次第に集まっていく展開も良かった。全員揃ったところで、川に飛び込むシーンの甘酸っぱさには泣いてしまった。『パワーレンジャー』でも水に飛び込んでましたね。水に飛び込む青春映画は良作という法則ができつつある。『スイス・アーミー・マン』然り。

ただ、こうゆうきゅんとしてしまうような日常シーンの合間合間にホラーというか、非日常のピエロが混ぜ込まれているので余計に怖い。

ベバリーの家の洗面台の排水溝から声がして覗き込んでいたら髪の毛が中から出てきて引っ張られるシーンは本当に怖かった。その後、大量の血が排水溝から噴出して、バスルームが血まみれになる。個人的にはここが一番怖かったかもしれない。

でも、その風呂も友達みんなで掃除をする。そして、そこで流れるのがThe Cureの『Six Different Ways』という…。これが青春映画じゃなくてなんなんですか。

そのあと、みんなで不良グループに石を投げるシーンがあるんですが、その時の曲がANTHRAXという。XTCも使われてました。80年代が舞台ということでこのような選曲になっているのかもしれないけれど、良かったです。

怖かったシーンは他に、止まらなくなったスライドのシーンでしょうか。これは予告にも出ていて、風で女の人の髪の毛が舞い上がって顔が隠されているのですが、次第にピエロの顔が見えてくる。予告の時点で怖いと思っていたのですが、この後、スクリーンから巨大なピエロが出てきてさらに怖い。
あと、個人的に動きが速くなるのが怖いんですが、結構何度か出てきて怖かった。

屋敷探索のシーンでも、ところどころに出てくるのが怖い。あんなに怖くなければ子供たちの肝試し感覚でほっこりシーンとして見られるのに。
ただ、びっくり表現(急に大きい音とともにバン!と出てくるやつ)はあっても、基本的に出てくるものと思って構えているから、椅子に座りながらビクッとすることはなかった。もっとタチが悪い驚かせ方をしてくる映画はたくさんある。

結局、大筋は主人公のビルが行方不明になってしまった弟のジョージーを探すことが目的なので、他の友人たちは巻き込まれた感はある(ちょっと『インセプション』で結局コブが入国するためにみんなが付き合わされただけでは…みたいなのを思い出した)ので、ラストの「僕を置いて逃げて!」という場面ではどうするのかと思った。でも、リッチーが熱い言葉を吐いて、みんなで協力して恐怖に打ち勝つ。私はリッチーが一番好きでした。ドラマ『ストレンジャー・シングス』にも出演しているとのこと。

ただ、ビルがジョージーを探すためにピエロを倒すという単純な話ではなく、その裏に、子供達による恐怖の克服という面もある。
一人一人の日常はそれはつらいのだ。悩みもたくさんある。怖い絵や病気、両親を火事で亡くしたこと、親からの虐待、いなくなってしまった弟…それぞれが抱えている暗い出来事や心の闇。
それは友達と一緒なら忘れられるし、克服もできる。

それでも最後にそれぞれが散り散りになってしまう切なさは少年期の終わりを意味しているのかもしれない。
最高のジュブナイルムービーなのに、これがR15というのはもったいない。怖くない版を出して欲しい。でも克服する恐怖の象徴としてのピエロだから、ホラー要素を除くわけにはいかない。

黒人のマイクやラビの息子スタンリーについてはもう少し掘り下げて欲しかった。
軽口をたたいて乗り切るリッチーについても掘り下げももう少し欲しかった。のらくらかわしながらも、最後でぐっとくるセリフを吐くというキャラクターの時点でいいんですが。

そして、最後に第1章という文字が出る。
少し前に二部作だとは聞いていたんですが、一応終わるし、最後にやっと第1章と出ることから考えても、二部作というのは事前には知りたくなかった。最後にタイトルと一緒に第1章と出た時点で絶望感に包まれたかった。最後にピエロの笑い声も聞こえる。まだ死んでないよー終わってないよーというお知らせでもある。

でも、大人になってはいても、またLosers clubのあいつらに会えるというのは嬉しい。はやく観たい。
(『パワーレンジャー』の続編も待ってます)

俳優関連では、すごく怖いいじめっこのヘンリーを演じていたニコラス・ハミルトンは『はじまりへの旅』の一人だけ妙にさめてる弟さん役だった彼でした。確かに同じ顔。少し意地悪っぽい顔だと思っていたけれど、こんな本格的ないじめっこの役をやるとは…。
(自分が書いた『はじまりへの旅』の感想を読んだらニコラス・ハミルトンについて、“小さい頃のリヴァー・フェニックスにも似ている。テオ・トレブス系の顔”と書いているけれど、もうちょっと意地悪顔方面に育っちゃったかなーという印象…)






MCU17作目、『マイティ・ソー』としては3作目。
とはいえ、『マイティ・ソー』の前2作とは作風もだいぶ違うし、復習の必要はなさそう。でもそれよりはMCUを観てないとわからない部分がいくつかあるが、そっちの復習のほうがソー・シリーズを振り返るより数倍大変。
でも、中でも『アベンジャーズ』シリーズだけでも観ておいたほうが楽しめると思う。笑いどころが過去作関連だったりするので…。
でも『アベンジャーズ』シリーズを観るためにはどちらにしてもMCUを振り返っていかないとわからなかったりするのでどうにもならない。『アベンジャーズ』の一作目だけでもという感じはする。

監督は『シェアハウス・ウィズ・ヴァンパイア』のタイカ・ワイティティ。
『シェアハウス・ウィズ・ヴァンパイア』は未見なのですが、本作はおそらく監督の色が濃く出てるのではないかと思う。系統としては『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』です。あれも、ジェームズ・ガン色なので。

以下、ネタバレです。











『マイティ・ソー』の前2作は、アスガルドから地球に来た王子が女性を好きになって…という感じで、ラブストーリー風味が強かったように思う。
それでも2作目は王子様のイギリス観光メイン(という印象)なのと、ジェーンの家の入り口のフックにムジョルニア(ソーのハンマー)を引っ掛けるなどコミカルな面もあった。

ただ、ソー自身の馬鹿真面目さが作品のトーンになってしまっていた。それは王子として必要ではある真面目さなのだと思うけれど、ちょっとかたい印象だった。もしかしたら、ジェーン役のナタリー・ポートマンのせいかなともちょっと思う。

本作では前作でジェーンと別れたのでナタリー・ポートマンは出てきません。地球もほとんど出てこない。これも良かったと思う。
オープニングからソーが網の中に捕まっていて、しかもこれはワザとだというようなことをカメラに向かって話しかけてくる。さながらデッドプールである。

そして、鎖に吊るされたまま悪いやつの口上を聞いていたのだが、その鎖が回転しちゃって、ごめんちゃんと聞いてなかったみたいなことになって…。
そのシーンいる?という無駄感とくすっと笑っちゃう感。最初のこの雰囲気が作品全体のトーンになっている。

そのあとに入るアスガルドで上演されているロキを讃える芝居もめちゃくちゃ。趣味の悪い、ロキのでかい銅像の下でロキの死を美談として受け継ぐ芝居が屋外劇場で演じられている。ここでのソー役がクリス・ヘムズワースの実際の兄のルーク・ヘムズワース、ロキ役がマット・デイモンというこのふざけ方。最高です。
演じさせていたのがオーディンに化けたロキだったんですが、今回、ロキがとにかく可愛い。

今まで、悪役なんだけどなんかかわいそうだった…という印象だったけれど、今作ではロキの愛されキャラっぽさが作品の中でとても目立っている。たぶん、監督がロキを好きなんだと思う。

悪いやつなんだけど、結局イタズラの範囲なんですね。しかも、兄の気を引こうとしてやってるフシがある。
あと、弟ならではのちゃっかりさと狡猾さを持ち合わせている。

本作はアスガルドで姉のヘラが大暴れしてるんですが、兄弟は辺境の地サカールへと飛ばされる。
そこでロキはちゃっかりしてるからグランドマスターの懐にすっと入ってしまう。ソーは闘技場で戦わされてるというのに。
でも、ああ、ロキならそうするだろうなーというのがよくわかる。
ハルクが出てきて怯えるのは『アベンジャーズ』一作目でのことを思い出してるのだと思いましたが、ハルクがソーの足をもって左右の床にバンバン叩きつける様子で「イエー!」となっていたのも一作目の自分が受けた仕打ちを思い出していたのだと思う。

ソーが話す「8歳のとき、蛇が好きな俺のもとに蛇に化けたロキが来て、近くで元の姿に戻って刺した」というほっこりエピソードも、映像はなく語られるだけだけどその様子が容易に想像できる。子供の頃から、今まで何回もそんな目に遭ってたんだろうし、はたから見ていると、結局じゃれているようにしか見えない。
そして、この語られるエピソードはクリス・ヘムズワースのアドリブだという…。

最近だと『お!バカんす家族』や『ゴーストバスターズ』でコメディっぽい役もやていて、意外さとギャップで笑ったんですが、もしかしたらすごく愉快な人なのかもしれない。

ホログラムのロキにぽいぽい石を投げつけているのもおもしろかったけど、本人がそこにいるか確かめるために別のシーンでも物を投げつけるのもおもしろかった。がつんと当たってた。
そのシーンでは笑うんですが、最後に「ここにいたらハグするのに」と言って投げた物をキャッチして「いるよ」というシーンはグッと来た。物を投げつけるのが三回出てくるのもおもしろいんですが(天丼…)、ここではいなかったりがつんと当たったりはせずにキャッチするのもいい。この後、ちゃんとハグしてもらったんでしょうか。

結局、ソーとロキは仲がいいですよね。兄弟だもんね。
助けて作戦もすごく笑った。ロキがぐったりしてて、ソーが「怪我人なんです!助けて!」と言って相手が油断したところにロキを投げつけるという。
これ、兄弟が協力しないとできない技だし、話しっぷりからして今までも何回もやってきてるようなんですね。今までの作品以上に二人の一緒に過ごしてきた時間の長さと絆の深さが感じられた。
しかもこれが壮大な話ではなく、ちょっとしたエピソードやくだらない話を通して感じられるのがうまい。

今までのアベンジャーズシリーズやソーシリーズを観ていて、ロキについては様々なおかしな想像をしていたけれど、想像の上をいく可愛さだった。

ソーはきっとここまでもロキに相当苦労させられていたんだろうなというのも想像に難くないんですが、今回はハルク/バナーもかなり面倒。
ハルクとバナーはどうもお互いを嫌い合ってるみたいで、ソーはハルクの機嫌をとるために「バナーより君の友達だよ」と言い、バナーの機嫌をとるために「ハルクより君のほうが」と言う。どっちも大事だろうし、協力してもらいたい気持ちが本心でも、どっちも大事では彼(ら)は納得しない。だから「君のほうが好きだ」と嘘をつく。
ハルクもバナーも、「どうせ僕なんて…あっちのほうが好きなんでしょ?」みたいな感じでまるで面倒くさい彼女である。「そんなことないよ!」と必死で取り繕うソーの苦労が見えておもしろかった。ただでさえ、ロキ(と今回はヘラ)に苦労させられているのに大変。

ハルクについては予告にもバンバン出ていたから知っていたのですが、本当なら知りたくなかった。本編では、闘技場でのソーの相手、グランドマスターの隠し玉についてはだいぶもったいつけられるので。
ただ、バナー姿のシーンがあんなに多いと思わなかったからそれは嬉しかった。今回もハルクのモーションキャプチャーもマーク・ラファロなんだと思いますが、緑の粉末みたいなのをかけられたバナーは本当にハルクに見えてなるほどと思った。

バナーが出てきたときにすごく怯えていて、それが違う星にいるからだとわかったときには納得した。地球の普通の研究者が目覚めたら違う星にいるんだからそりゃそうですよね。なんとなく、『スター・ウォーズ』とか違う星で人間と宇宙人が普通に暮らしていてもおかしくないファンタジーSFのつもりで見ていた。
スタークの服を着てるバナーも可愛かった。デュラン・デュランの『RIO』のアルバムジャケットTシャツだった。とてもスタークっぽい。

本作はどちらかというとキャラ萌え映画だと思うんですが、サカールを抜け出すとき、宇宙船での撃ち合いではなく、追っ手の宇宙船の上に乗って生身の人間が戦うというアクションも楽しかった。

また、序盤でムジョルニアを壊されているから、ソーには武器がない。だから、自身が最終兵器というか、力を解き放って雷を操りながら戦うのもかっこよかった。短い髪も似合ってる。

ただ、それでも全員束になってかかってもヘラには敵いそうにない。それで、最初に倒した敵をアスガルドに復活させ、星もろとも滅ぼすという…。乱暴だけれど仕方ないのか。宇宙船で逃げ出した民たちは故郷を失い、難民になってしまった。

予告でレッド・ツェッペリンの『移民の歌』が使われていて、本編中でも戦いの盛り上がるシーンで使われていて恰好良かった。最近は予告で使われていても本編で使われないことも多いからうれしかった。
和訳を見ると、本編の内容とも合っていて、まさに主題歌である。

ソーは『アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー』で帰ってくる、とのことでMCUはまだまだ続く。一応、2018年4月27日公開予定とのこと。
そういえば、今回、ドクター・ストレンジもちょっと出てきた。『ドクター・ストレンジ』の本編のおまけ映像で、ストレンジがソーに魔法の力でビールを注いであげるシーンがあったけれど、本作ではあれが本編に入ってました。おまけシーンがそのまま本編に入るのも珍しい気がする。
それ以外にもストレンジの魔術に翻弄されるソーがおもしろかった。ソーはビールこぼしまくるし、ストレンジのアジトの物を壊しまくる。雑。性格が合わなそう。

MCUとしては次は2018年3月1日(日本公開日。アメリカは2月16日)の『ブラックパンサー』かな。最近公開になったポスターも恰好良いし楽しみです。



BBC Oneにて放映中のトム・グリン=カーニーが出演しているドラマ。アデン危機の話。全六話の最終話感想。

一話、二話感想
三話感想
四話感想
五話感想

以下、ネタバレです。











前回の最後で逮捕されたジョーの裁判が中心の回。
逮捕されたのはフィルムを隠していた件かと思っていたけれど、ゲリラ(NLF?イエメン国民解放戦線)のリーダーを解放した件だった。エドはハリーの息子を助けるためだったと証言していた。
クリスマスの日にジャーナリストの女と会ってた理由も聞かれていて、関係ないだろうに…と思ったけれど、前回オナーが単独でジャーナリストに会っていたから、余計なジェラシーもなく。しかもオナーの人懐っこい性格のせいか、意気投合とはまではいかないけれど、ちゃんと信用してもらっていたのがよかった。フィルムを返したせいかも。結局、彼女の助けでジョーも無罪に。このジャーナリストは本当に厄介だと思っていたけれど、最後には男らしい(女性だけど)面を見せた。利害が一致すれば強い。
これで、大団円かと思いきや。

今回、最序盤でトニー(トム・グリン=カーニー)がユースラを探しに基地を出ていってしまう。
ユースラの家が燃やされているのを見て取り乱すが、前回出てきた情報屋のような男性がユースラはここにはいないと言う。
ターバンを巻いて(ターバン姿も恰好良い)探しに出て、一話で逃げてすっ転んでたあたりかな。簡易的な家を作っているユースラを見つける。
見つけた瞬間にいきなり「I love you」と言っていた。英語ではなくアラビア語です。
ここにいちゃいけないとか、あなたには危険な場所だとかいろいろ言われてもそばにいるのが男らしい。

そして、最後のほうにはキスシーンも! トニーどうなるかと思ったけれど良かった…。
というか、このキスシーンがちょっと稀に見る綺麗さで驚いた。後ろから夕日が当たっているというシチュエーションも神々しいまでなんですが、トム・グリン=カーニーが贔屓目で200パーセントくらいアップしてるにしてもめちゃくちゃ美しい。
傾けた顎のラインに惚れ惚れしてしまって、一時停止して30分くらい眺めていました。素晴らしい。こだわりがないとあの角度では撮れない。

このキスシーンにしてもそうなんですが、一話の転んでの大股開きとか前回のやさぐれとか、トム・グリン=カーニーに関してはもう全体的にちょっとフェチシズムすら感じられる撮られ方をしていた。
贔屓目だけではないと思うけどどうだろうか。

しかし、そのキスの後、油断もあったのかもしれないがユースラは丘の上で何者かに撃たれる。たぶんNLFだと思うけれど、正体は明かされない。同じ場所にトニーも出て、「僕のことも撃てよ!」と叫ぶが弾は飛んでこない…。ユースラが殺されたこともつらいが、自分は死ぬことすら許されないつらさ。

ジョーたちの隊はイエメンを離脱する。旗をおろしていたし、交代ではなくイギリス軍自体が撤退するのかもしれない。
けれど、トニーは戻ってこず、ジョーが「カモン、アームストロング」と呟くシーンで終わるという…。
全六話といっていたし、次回予告がなかったからこれで最終話ですね。

トニーだけ残されてしまうのだろうか。
それとも、あの後、一話のようにふらふらと帰ってくるのだろうか。それで、一話のジョーに「遅いぞ。アームストロング」と言われるのだろうか。

このあとはあなたたちの想像におまかせしますということなのか、二期に続くなのか不明。
アリソンの子供もどうなるのだろう。今回、ほとんど裁判だったからアリソンが酒飲んでタバコぷかぷかやるシーンがないのが物足りなかった。
ここまでアリソンのことを好きになるとは思わなかった。トラブルメーカーかと思ってた。

トム・グリン=カーニーに関しては上で書いた通り、申し分なし。
女性陣濃すぎる…と思っていたけれど、彼女たちも全員好きになってしまったし、60年代の服装がおしゃれで可愛かった。
軍服も半袖半ズボンで良かったです。というか、軍服とかイギリス軍とか書いてますが、ロイヤルミリタリーポリスが軍なのかいまいち不明。ミリタリーだから軍でいいのかな…。
英語でしか見る手段はなかったのでわかりにくい部分がありつつもおもしろかった。つらい部分は多いですがそれも含めて良いドラマだった。

二期、あるとして残されたトニーがイエメンでゲリラ側についたりしたらおもしろいな…。元々はハリーがユースラを守ってくれなかったのがいけないんだし。
でも一応実話ベースだしないだろうけども。
というか、全員イギリスに戻るみたいだったし二期が作りようないか。




監督はスペイン出身のナチョ・ビガロンド。
スペインとカナダの共同製作。
アン・ハサウェイ演じるアル中寸前のダメ女が巨大モンスターとシンクロしてソウルの町を壊しまくる…というあらすじだけ聞いていて、荒唐無稽でおもしろそうと思ってたけど、それとは少し違うタイプの映画だった。でも、想像していたよりもおもしろかった。

以下、ネタバレです。










アン・ハサウェイ演じるグロリアは、酔っ払って朝帰りし、同棲している彼氏に怒られて捨てられる。既視感というか、あるあるな気持ちになったのがちょっと厳しい。
この彼氏役がダン・スティーブンスなんですが、圧倒的に言ってることは正しいし怒る気持ちもわかるけれど、まともで真面目すぎる感じ。結局、彼女のことは考えずに自分のことを中心に考えているのかなと考えてしまうような男性でダン・スティーブンスに合っている。

グロリアは同棲していたニューヨークのハイソなマンションから、昔住んでいた田舎町へ戻る。そこで小学校時代の同級生オスカー(ジェイソン・サダイキス)に再会し、テレビをもらったり、自分のバーでの仕事を紹介してもらったりする。
このまま、田舎での暮らしが順調に行くのかなと思ってたところに、急遽ソウルに出現したモンスターが彼女の動きとシンクロしていることに気づく。

最初は驚いていたけれど、酔った勢いでオスカーとオスカーの友人にシンクロしている姿をダンスしたり変なポーズをとって見せていた。
突然手に入れた不思議な能力を無邪気に使う様子はアニメ版の『時をかける少女』の真琴を思い出してしまった。他人や他の事象に影響を与えない、些細に遊ぶ感じが可愛い。悪い人が能力を手に入れると悪いことに使うけれど、グロリアも真琴も根がいい子だからこんなことをして遊んでしまう。主人公にさらに愛着がわく。

ところが、グロリアは酔っていたので、転んでしまう。ソウルではモンスターが転んでいるのだ。被害を与えてしまったことを反省して、グロリアはもうしませんと韓国語で教えてもらってモンスターを操ってソウル市民に謝る。

これでめでたしめでたしの映画なのかと思っていたのだが、ここからがストーリーが動く部分だった。

なんと、オスカーも巨大なロボットとシンクロしてソウルの町に現れる。それだけではなく、そこから徐々にオスカーが豹変して行く。
オスカーの友人とグロリアが寝たのがきっかけだったのかもしれないけど、オスカーの中のタガがはずれる。

酔った勢いでロボットとしてソウルの町へ。グロリアはもうしませんしたのにこれはまずい。でも、追い出せるのは彼女しかいないから、モンスターになってロボットをソウルから追い払う。
ネットで配信もされてるから、良いモンスターが悪いロボットを追い払ったみたいな図が出来上がっておもしろかった。
公園でグロリアがオスカーにビンタすると、近所のネット配信でソウルの様子を見ているだろう家々から歓声が上がる。わざわざソウルの町を映さなくても、ソウル側の動きが想像できるのがうまい。

けれど、それと同時にオスカーは悪いロボット=悪い人間ということが露呈していく。バーではグロリアに無理な仕事を押し付ける、グロリアの家に勝手に入っているなどかなり怖い。

オスカーは小さい頃からずっと同じ田舎町にいて、その中では大将なんですよね。ただ、くすぶってる部分もあって、ニューヨークで成功したグロリアが許せないし、グロリアのことも支配したい。
言及はされないけど、グロリアと寝た友人もグロリアが何言われても黙ってたし、酔ったオスカーの助手席に座ったりしていた。無言で従っているのだ。たぶん、ここまでの間に従わないと殴られたりしていたのだろうと思うとつらい。殴られるだけならまだしも、あの様子だと殺されかけたのかもしれない。逆らえない。

だから、グロリアも言っていたけれど、最初はオスカーはグロリアのことが好きで、優しく面倒見てやったのに友人のほうと寝やがってこの恩知らずが!みたいな気持ちかと思ったけれど、そうではなくて、グロリアだけでなく、友人と寝たことも許せない。自分に黙って勝手なことをされるのが許せないのだ。

小学生の頃にグロリアの作った町のジオラマを踏み潰したのも、俺より上手いのは許せないみたいな気持ちなのだろうか。子供の頃からそんな感じで、大人になるに従ってその支配欲や権力志向は強くなっていったのだろう。
狭い世界の中なら、他人を従わせるのも簡単だったはずだ。

そんな人が簡単に町を破壊できる能力を手に入れたらどうなるかは簡単に想像できる。その力を使って、グロリアを脅してニューヨークに戻さないようにする。こうしてやるぞ、と言いながら、実際に町を破壊していた。

グロリアがモンスターになってロボットを止めようとしても、結局は生身の男女の取っ組み合いだから力では勝てない。
それでもソウルのことは放っておいてグロリアはニューヨークに帰ってしまうのかなと思った。勝ち目がないし。
けれど彼女が向かったのはソウル。ソウルとあの田舎町がシンクロしているなら彼女がソウルに行けば、田舎町にモンスターが現れるのだ(多少強引だけどまあ)。

逃げ惑うソウル市民の中、一人巨大ロボットに向かって行くグロリアはヒーローのようだった。そうだ、いい奴が悪い奴を倒す、この映画はヒーローものだったのだ。
オスカーを手で掴み、食べそうなくらいに口に寄せて脅したあとでぽいと遠くに放り投げていた。もうオスカーの姿もロボットの姿も見ることはないと思う。
悪者がやっつけられた時の爽快感もヒーローもののそれとまったく同じである。

ダメ女グロリアがモンスターの力を使って自分の道を切り開き立ち直る話かと思ったけれど、モンスターの力は戯れにしか使わず、中盤でまともになるのが良かった。
そして、そのあたりからのオスカーの豹変っぷりはさすがのジェイソン・サダイキス。なぜ彼がキャスティングされたかわかった。ただの親切な男なわけがなかった。

ラスト、悪者を倒したグロリアは、ソウルの店に入る。多少興奮気味に「すごい話を聞かせてあげるわ」と言う。店員さんに「お酒は?」と聞かれて、飲めるものなら飲みたいけど飲めないんだったわという顔をするのがめちゃくちゃキュート。

あんな時、ぜっっっったいにお酒飲みたいもの。ヒーローもので最後に打ち上げがない状態ですね。耐えられない。
でも、彼女と酒の関係は通常とは違う。あそこでお酒もらったら台無しである。ふりだしに戻ってしまう。
だから、酒を飲まなかったあたりで彼女がちゃんと一歩先に進んだことがわかるようになっているのだ。うまい。




フランスCanal+、イギリスSkyの共同制作のドラマ。トンネルってタイトルはドーバー海峡のトンネルのことだった。もともとはデンマークとスウェーデンの共同制作で『The Bridge』というドラマだったらしい。
見たのは2013年のシリーズ1(全10話)。来年シーズン3が放映されるとのこと。
ジャック・ロウデンが出ているので見ました。

以下、ネタバレありです。









ジャック・ロウデンはシーズン1にしか出ないみたいなのに主人公の息子役ということは、犯人か死ぬかどちらかだな…と思いながらの鑑賞だった。あんまり調べなければ良かった。
一話は1分ないくらいですが、出番は最終話に行くにしたがって少しずつ増える。

ドーバー海峡のトンネル内で死体が見つかる。退かそうとすると、上半身下半身が分かれていて、しかも別人ということがわかる。片方は議員、片方は売春婦。イギリスの刑事とフランスの刑事の共同捜査が始まる…という導入部分。

すごく猟奇的だし、一話で3人以上は死ぬという感じで連続して見ると自分の精神状態がまずくなってしまうような感じだった。社会問題を正すようなメッセージがありつつの殺人で、しかもイギリスとフランス両方を巻き込んでいっているのでどうなるのだろうと思っていたが、途中から話が小さくなっていき、結局個人的な恨みだというのがわかるので結末はどうかなと思った。残念ながら6話くらいからわくわく感が薄れていく。

主人公の妻役どこかで見たことがあると思ったら『魔術師マーリン』でグウェン(グィネヴィア)を演じたAngel Coulbyだった。あと、ジョン・シム出演のドラマ『Prey』に出ていたAnastasia Hilleが出てきた(この方はフィン・ホワイトヘッド出演の『HIM』にも出ているらしい。観たい)。あと、同じくジョン・シム出演の『Intruders』に出てきたJames Frainが出てきた。
この方は、調べると『ゴッサム』やら『エージェント・カーター』やらにも出ていて、意外といろんなものに出ているのに主演ではなく途中からあやしい感じで出てきた…と思っていたら本作の犯人だった。やはりあまり調べないほうがいい。

ジャック・ロウデンはイギリス側の刑事役の息子のアダム役。アダムは働きもせず家の手伝いもせず親とも不仲、音楽のポスターなどが貼ってある部屋でパソコンをいじっている。ニートかなと思ったんですが、途中で明らかになる(というか最初から隠されているわけではない)んですが18歳だった。年の割に幼いという役柄かと思ったら、本当に子供だった。今よりちょっと体がぷよぷよしてそうだけどそこまで風貌は変わっていないので18歳には見えない。今27歳のようなので、実際には23歳のようです。それくらいに見える。

家にいるからパジャマとは言わないけどゆったりした服を着ている。首元がわりとだらしない。『ダンケルク』だと軍服をきっちり着ているから新鮮です。
首元もそうなんですが、顎の下にもわりと肉がついていて、色も白いのでもちもちしてそうな感じ。一回、フランス側の刑事の家に泊まっちゃったりするんですが、その時は上半身裸なんですよね…。筋肉がほぼついていない。おなかとか二の腕とか触りたい裸だった。仕草も家の中で家族相手に会話をしているのでゆるゆるというか、リラックスしていて可愛い。

8話の終わりでアダムがずっとチャットをしていた元恋人のベッキーが実は犯人だったと判明して、見ながら「やだー!」と言ってしまった。ここまで、そのチャットを生きがいしにしていたみたいだし、心の拠り所が奪われてしまったらアダムはどうなるんだ。でも父との不仲も解消してきたみたいなので良かったね…と思っていたら、9話の終わりではうきうきで待ち合わせ場所に出かけていってしまう。またここでつらい気持ちに。
もちろん10話ではさらわれてしまう。そして、モルヒネを打たれて殺されてしまう。「数カ月眠ってもらう」と言ってたから大丈夫かと思ったのに…。
なんか結局可哀想なだけの役だった。これなら犯人だったほうが良かったかな…。途中からイギリス側の刑事(アダムの父)への恨みなのでは?というのが明らかになってきたときに、嫌な予感が増してきて、8話終わりからはひたすらつらかった。

ジャック・ロウデン自体の風貌はとても可愛いけれど、最後は可哀想なことになってしまうからおすすめもしづらい。
事件も序盤の雰囲気から尻つぼみになってしまうのが残念。
つまらなくはないし、フランスの女刑事エリーズ役のClémence Poésy
(クレマンス・ポエジー)の冷めていて人付き合いが苦手でみだしなみに気をつけてなくて、でも仕事はできるというキャラクターが魅力的です。でも、イギリスの刑事側に話が移るので、その面でも終盤は脇役のようになってしまう。

シーズン2もドーバー海峡のトンネル関係の話なのだろうか? エリーズ側の話なら見たい。



現在丸の内ピカデリーにて行われている爆音映画祭での上映に行ってきた。
その他、スクリプトの感想も少し。

映画の内容にも触れますので、以下にネタバレがあります。









まず最初の、兵士たちが町を探っていて急にバンバンバンバン!と銃声が鳴る部分の音はかなりびっくりするような音。知らなかったらビクッとしていたと思う。

呼吸音が聞こえやすいとのことだったので気をつけていたのですが、最初のほうのトミーとギブソンが担架を運ぶところでだいぶ目立っていた。ただ、意識して聞いたのが初めてだったので別にいつも聞こえてたのかも。
また、商船の中でのシーンは陸の人たちが唯一会話があるシーンなのですが、ここでも呼吸音が気になった。

ファリアが一人残って、残燃料と相談するシーンは誰と会話するでもないけど表情は迷っていて、音も静かだ。
そして結局高度を上げていくときのエンジン音が力強かった。まるでファリアの気持ちが示されているようだった。

コリンズが「カモン、ファリア」と言ってる終盤あたりで陸海空の時間が重なるんですが、そこは画面が変わってもずっと同じ音楽が流れていて一番緊迫感がある。陸海空それぞれが大変な目に遭っているシーンです。
『インセプション』の各階層で各々がやるべきことをして戦ってるシーン思い出す。第三階層でフィッシャーがモルに撃たれて失敗するまでの盛り上がりの部分です。

ハイランダーズがホスピタルシップから乗り換えた船が魚雷で攻撃されるシーン、ギブソンが扉を開けて沈む時に、ブオンブオンと反響するみたいな音がなっていて、その低音がすごく強調されていた。

また商船(トロール船)が沈むときにもおなじような音が鳴っていて、これも反響してるみたいな音だけど、魚雷で攻撃された船が沈む時よりも速い音でびりびりいっていた。音とともに絶体絶命感も強調されている。
そして、ここから画面が変わって桟橋に行き、桟橋でも絶体絶命。不協和音のような音がしていて、もうこれどうにもならないのでは…と思ったところで、市民たちの民間船がかけつけてくるのをボルトンが発見する。
ボルトンが「Home.」と言った後で音楽も一気に優しいものに変わって、見ている方も安堵の息を漏らす。

ここも爆音上映『インセプション』のときも思ったけれど、より落差が付いていて観ている側の感情の振り幅も大きくなった。

『インセプション』同様、銃声がかなりクリアで鋭角な音にされている印象だったのですが、爆音職人が一番盛り上がってるなと感じたのが、桟橋に多数の兵士がいて、スツーカが来たのに徐々に気づいて、ホスピタル船が爆撃されるシーンです。ここの音が一番迫力があった。

爆音以外の感想ですが、もう気付いたことはそれほどないんですが、ファリアが機体を三回揺らすのが言われてわかった。
コリンズが水面に不時着するときに、ファリアがグッドラックというように右手を三回動かすんですが、その時に機体も動かしていたのかな。別の時かもしれない。
スクリプトも読んだのですが、この時にコリンズは迫ってくる水から逃げようともがいているのですが、機体を三回揺らすのは見ていたらしい。

あと、魚雷に攻撃されたとき、ギブソンは律儀に一回戻ってトミーたちのために扉を開けてあげるんですが、商船に水が入ってきたときもアレックスはギブソンを救うために一回戻っていた。あれだけギブソンのこと責めてたのに。
銃を突きつけはしたけれど、アレックスが直接殺したわけではなく、ギブソンは逃げ遅れたんですよね…。
また、スクリプトだと、この時、アレックスはギブソンの肩を掴んでるようなのですが、直接触れてる感じはなかったと思う。もう一度観たい。

スクリプト関連だと、ギブソンとトミーが桟橋の下に隠れる時にトミーが音を出してしまって、ギブソンが人差し指を口に当ててしーっってやってるんですが、それは絶対にない。やってたらさすがに覚えてる。

また、ドーソンとピーターは仲が悪かったのではないかという話も出ていて、そうではないと思っていたけれど、ピーターが最後にジョージの記事の載った新聞をドーソンに見せたときに、顔を見合わせて頷くんですが、そのあとピーターだけもう一度ドーソンを見ていた。
あの二度見は、ジョージが怪我した時にすぐに戻っていてくれたらジョージは救えたかもしれないのにという怒りが入っていたらどうしようと思った。

でも、字幕だとあの時のセリフが「手遅れだ」になっていたけれど、これもスクリプトを読むとイギリス側とフランス側を見て、結構イギリスからは離れちゃったのでもう戻るには時間がかかってしまうよということだったらしい。
ただ単に「手遅れだ」だと、ピーターはそんなの医者でもないのにわかるのか?と怒りそうだけど、場所のことを出しているならそれもそうだと納得したかもしれない。
だから仲が悪かったとかドーソンに怒っているとかは思いたくない。

また、トミー、ギブソン、アレックスが魚雷で攻撃された船から浜へ戻ってきた時の寝姿が三人三様でおもしろかった。
トミーは大の字で、ギブソンは横向きで丸まった胎児の姿勢。アレックスはうつ伏せでもしかしたらスフィンクス型と呼ばれるような膝が曲がった形だったかもしれない。いつでも起き上がれるようにという警戒の意味もあったのかなと考えてしまった。ハイランダーだし。少なくともあの場で大の字で寝るのはトミーくらいのものだろう。

このシーンのあとで、トミーが何かの缶詰に穴をあけて汁を飲もうとして、ギブソンがちょうだいと両手を伸ばすシーンがありますが、あれは野菜の缶詰だったらしい。スクリプトを読むと直接内容に関係のないけれど詳しい部分がわかっておもしろかった。
ジョージとアレックスがだいぶ動くしよく喋ると思った。




低予算ながら全米週間興収で1位をとったり、批評サイトでもでも高評価だったとのこと。
ジャンルとしては、ホラーとかスリラーになると思うけれど、監督はコメディアンのジョーダン・ピール。キー&ピールって何か聞き覚えがあると思ったら、『キアヌ』の主演二人組のうちの一人だった。本作が監督デビュー作とのこと。
確かに、ホラーなのに、不謹慎すれすれだったり、笑える要素もあった。

ネタバレ厳禁ものなのでなるべく早めに観た方がいいと思う

以下、ネタバレです。













ネタバレが怖かったので、何も情報を入れないまま鑑賞。
最初、夜道を歩いていた黒人男性が車で誘拐されるのだが、その時に車で流れているのが、なんとも愉快な音楽なのが怖い。普通なら緊迫感があったりおどろおどろしい音楽が流れるシーンである。

しかも、なんだかわからないまま舞台が変わる。
瀟洒なマンションで音楽もおしゃれ。黒人の男性クリスと白人の彼女ローズは幸せそうで、彼女の両親に紹介するために実家に行くところらしい。
最初に誘拐されていたのは薄暗かったしクリスなのかなとも思うが少し違いそうな感じもする。

車で向かう途中に鹿と衝突する事故を起こし、車に血はべったり付くし、不吉な予感。警察も来るが、警察(白人)は運転していないクリスにも免許証を見せろと言う。
無いなら身分証でと言っていたが、私は別にこれは普通のことだと思ったけれど、ローズはクリスが黒人だからね?と言って異常に警戒する。
守ろうとしたと言っていたが、クリスが黒人だということを過剰に意識することで逆に差別している気がして、ローズはあやしいなと思いながら観ていた。

というか、ホラーとかサスペンスだとどうしても何のかはわからなくても犯人さがしをしながら観てしまう。

ローズの家に着いたら、黒人差別をしないという両親の家には黒人の召使いが二人いる。これって現代の設定ですよね?と思ってしまった。今でも金持ちの白人の家では黒人を使役することがあるのだろうか?
わからないけれど、これで「オバマの3期目があったら投票する」と言われても、嘘だろうと思ってしまったし、これで差別してないと言われても…と思った。

けれど、そんな観ている側の気持ちを察するように、父親自ら、二人を雇っている理由を説明していた。それほど納得できるものではなかったが。

母親も催眠療法を使うということで相当あやしい。二人の黒人はどこか不気味な雰囲気だったし、きっと催眠術にかけられて雇われているんだ…と思っていたら、それも見すかすように、クリスの友人ロッドが催眠術にかけられて性奴隷にされているんだ!と言っていた。
こう考えていることを先回りされてしまうと違うのかと思ったが、結果的には性奴隷ではなかったけれど、彼の言っていることは正しかった。

ローズの家に滞在中に両親の知り合いを呼んだパーティーが開かれる。この客人たちも白人ばかりでいよいよあやしい。
ローズの弟もそうだったけれど、気軽に体にぺたぺた触ってくる。確かにクリスは綺麗な筋肉をしているが、何か、「(黒人だから)身体能力が高いんでしょう?」とでも言いたそうだった。また、「時代はめぐっている!今は黒の時代だ!」とも言われていた。
歓迎ムードだし、けなされているわけでもない。けれど、ここでも特別扱いというか、白人の中に一人だけ黒人が混じっているのを腫れ物を触るがごとく対応されていた。

何かわからないけれどとても注目されている感じとか、場違いとか居心地の悪さを感じる。嫌でも他の人と違うことがわかってしまう。「黒の時代」とか言わなくてもいい。

しかも、やっと仲間がいたと思って話しかけた黒人は様子がおかしい。
自分の感じている居心地の悪さをまったく感じていない。白人のだいぶ年上のご婦人と親しげにしているからだけではない。あの不気味さは、白人だらけの状況で穏やかで幸せいっぱいの表情の黒人はいないという強烈な皮肉だったのかもしれない。

今まで、黒人差別はいけない!というメッセージのこめられた映画はいくつか観てきた。けれど、当事者の気持ちがわかったのは初めてだった気がする。
それは、なんとなく自分にも身に覚えがあることだったからだ。飲み会でもなんでもいい。行った先で、よくわからない場違い感をおぼえ、はやく帰りたいと思ったことはないか。やっと知っている人を見つけて話しかけたら他人みたいな顔をされたことはないか。

クリスは結局ローズの家に捕られてしまうのだが、そこで調査に乗り出すのが友人のロッドだ。黒人である。ロッドのノリを見ていると、白人のご婦人といた黒人男性の異常さがよくわかる。

ロッドは最初から「白人女の実家になって行くな」と言っていて、それが正しかったのだ。
連絡がとれなくなったので警察(黒人)に届け出るが、「白人女にからかわれてるのよ」と笑って相手にされない。ここでも、そんなことよくあることという皮肉がきいている。

黒人男性が行方不明で白人女性が関わっているとこんな対応ととられるのか。もどかしい。

よく、子供が警察に行って状況を伝えても、「はいはい(笑)」みたいな蔑ろな態度をとられて、映画を観ている側は本当のことだと知ってるから、本当のことなのにー!ともどかしい思いをすることがあるけれど、黒人も同じような態度をとられるのか。しかも聞いている警察の方々も黒人である。あの状況に慣れてしまっている。

ホラーとかサスペンスの形をとりながら黒人差別の実態をリアルな形で見せる手法がおもしろい。直接的ではないあたりがうますぎる。

ただ、黒人差別の話だけではなく、ホラー部分も伏線が回収されていくのがおもしろかった。
単純なところだと車で逃げようとしたら、あの最初に出てきた愉快な曲が流れ出して、この車だった!とわかったり。もうあの曲自体が怖い。あんな愉快な曲を流すなんて、誘拐自体をなんとも思っていないか慣れているのだろう(曲のタイトルが『Run Rabbit Run』。余計に怖い)。

クリスを落札したのは盲目の画商で、クリスの写真を褒めていたけれど、あとで君の目を通して世界が見たいと言っていて、才能は本当に買っていたのかと思った。

また、最初にあやしいと思っていたローズがやっぱりただのクリスの彼女ではなかったが、身分証の件は、来る途中のあんな人通りのなさそうな場所でクリスの身元が警察に割れたら行方不明になったときにすぐにバレてしまうからかとあとで気がついた。

もっとたくさん気づいていない細かい伏線がありそう。最初に轢いた鹿と捕らえられていた部屋の鹿の首は何か関係があるのだろうか(轢いた鹿とクリスの母親が轢き逃げされた件がかかっているのではないか…との話もあるみたい)。

家に雇われていた黒人二人はいずれも頭の傷が痛々しい。男性のほうはフラッシュで正気を取り戻してから、ローズを撃ち、自分に銃口を向けた。あまりにもつらい。

そしてラスト、撃たれてもなお起き上がろうとしたローズの首を絞めるクリス。そこへパトカーが…。
周囲には他にも死体が転がっていて、血まみれの黒人男性が白人女性の首を絞めている状況。せっかく逃げてきたのに終わったと思った。
前のシーンで、警察に黒人男性の人権が軽んじられているような発言をされていたのを聞いたせいだけではない。黒人の不当な逮捕はニュースでもたびたび報じられている。

しかし、パトカーは空港の警備にあたる車であり、乗っていたのは空港警備員の友人ロッド! 良かった! ほっとした。もう本当に、最初からこの友人の言うことを信じていればよかった。きっとクリスがローズと付き合っている最中にも、ロッドはローズのことをボロクソに言っていたと思う。

これが、元々は逮捕されるラストだったらしい。現実でたくさんこのような事件が起きてしまったために敢えて変えたとか。DVDにはアナザーエンディングとして収録されるらしい。

多少、びっくり表現(大きい音が鳴って怖いものが映る)があったり、グロテスク描写もあるけれど、そこまでホラー色は強くないと思う。
それが主体ではなく、黒人差別問題が、説教くさくなく、でも私にもリアリティを持てるように作られているのがおもしろかった。
悲痛さというよりは、淡々と、そうゆうものだと描かれているからリアリティがあったのかもしれない。
あと、コメディ要素(特にロッド関連)もあったのに、笑いは全然起きてなかった。私もにやにやするのに止めておきました。もっと笑って大丈夫です。監督コメディアンだし。