『ノクターナル・アニマルズ』



トム・フォード監督作品。
前作『シングルマン』がとても好きだったので楽しみにしてました。7年ぶりの新作(しかも日本では約一年遅れでの上映)。

エイミー・アダムス主演、ジェイク・ギレンホール、マイケル・シャノン、アーロン・テイラー=ジョンソン、アーミー・ハマー出演。

以下、ネタバレです。











太った女の人が裸で踊っているというちょっとギョッとしてしまうようなオープニング。これがエイミー・アダムス演じるスーザンの作品だとわかる。
ちょっとこのセンスは理解できなかったけど、どうやら芸術家として成功しているらしく、展覧会会場も会社も家も高級そうだしとてもハイソだった。
この辺の美術が素晴らしくて、さすがトム・フォードだなと思った。
色はモノクロと赤が中心。形もぱっきりしていて無機質。いる人間にも血が通っているように見えない。

スーザンも目の周りを黒く縁取っていて、濃い赤の口紅の攻撃的なメイク。不眠症とのことだったが、人間味が感じられないのでそれも納得の風貌。
また、会社にいる人(デザイナー?)も通常では着ない服、ファッションショーで披露されるような服を着ていた。
仕事相手の女性が、ベビーシッターが信用ならないと言って子守アプリを見せてきたのにはどんな理由があったのだろう。赤ちゃんが映っていて、その信用ならないベビーシッターが出てくるびっくり描写は個人的には最近観た『IT』よりビクッとしてしまった。
『IT』は怖いという話だったけれど、青春描写や出てくる子役たちが可愛いとかピエロの中のビルスカルスガルドがイケメンであるとかの癒しがあった。本作はただただひんやりしている。

スーザンのパートは全体的にさめた印象で、悪夢のようだった。ハットン(アーミー・ハマー)と結婚していても、浮気されていることもわかっているし、お金や名声があってもとても幸せには見えなかったし、自分でも不幸だと言っていた。

そんなスーザンの元に、別れた夫エドワードから小説が届く。
スーザンは小説を読み進めていくのだが、それが映像として出てくる。
スーザンパートではそれほど登場人物が多くなさそうだったし、出演者はみんなどこで出てくるのだろうと思ったら小説の中の登場人物だった。

小説の舞台はテキサス州。砂ぼこりと気だるく張り付くような空気感とテンガロンハット。こちらのほうが映像的に人間味にあふれている。これが、スーザンパートの合間に挟み込まれる。映画が進むうちに、逆に小説パートの合間にスーザンパートが入るようになってくる。また、スーザンがエドワードとの再会から結婚、別れを思い出すスーザン過去パートも少し入ってくる。

小説の最初のページにはFor Susanの文字。“君との別れからインスパイアされた”と同封の手紙に書かれていた。

小説パートはスーザンの頭の中で展開されていることだ。エドワードが自分を題材にして書くことを知っているからなのか、小説の主人公トニーにはエドワード(ジェイク・ギレンホール)が配役されている。
トニーと妻と娘で旅行に行くために車を運転しているが、夜中に人気のない道でチンピラたちの乗った車にイチャモンをつけられる。
ここで気になったのが、トニーの妻役はスーザンではないんですよね。トニーがエドワードなのに。スーザン自身はスーザンの頭の中には出てこない。あくまでも物語なのだ。

チンピラの一人がアーロン・テイラー=ジョンソン演じるレイ。こいつが嫌な部分しかない悪党キャラクターなのだけど、アーロン・テイラー=ジョンソンがとてもうまい。何も言わずに挑発するような表情をするのが最高だった。

イチャモンをつけられた上、妻と娘はさらわれてレイプされ殺される。ここでスーザンは苦しそうな顔をしていたけれど、自分と重ねていたわけではなく、ただ内容に衝撃を受けただけだと思う。自分と重ねるなら頭の中でも自分で配役すると思うから。
トニーは地元の刑事(マイケル・シャノン)と一緒にチンピラを追いつめていく。

結局、肺がんで死ぬのがわかっている刑事が違法な手段でチンピラを監禁、一人を撃ち、銃を渡されたトニーがレイを撃つ。相討ちのようになっていたが、トニーはよろよろになりながらも生きていた。結局、自分の銃の暴発(?)で死んでしまう。

スーザン過去パートでは、エドワードと別れた理由やエドワードとの間にできた子供を堕胎したことなどが明らかになる。
過去パートのスーザンは過去なこともあるけれど、メイクもナチュラルで、現在のスーザンパートのような悪夢っぽさはない。
スーザンが不幸な理由はおそらく過去への郷愁なのではないかと思う。あの時こうしなければ今の不幸はなかったのにという後悔。

でも、エドワードとは根本的な考え方が違っていたようだから、どちらにしてもうまくいかなかったのではないかと思う。

スーザンが現在、アーティストとして成功(自らの幸せではなく名声や金銭面での成功)したのはエドワードと別れたからだと思うし、育ちのせいもあったと思う。
エドワードとスーザンは育ちも違っていたみたいだし、スーザンの母親(超保守)も反対していた。

スーザンは過去パートで、エドワードのことを「あなたは弱い」と罵っていて、その喧嘩が別れた直接の原因ではないのかもしれないが、かなり印象的に使われてる。

そして、小説内でレイがトニーを「お前は弱い」と罵ったのでぞっとしてしまった。
そうか、スーザンは小説には出ていないと思ったけど登場していた。。悪を固めたような存在として描かれていたレイがスーザンだったのだ。

トニーが小説内で妻子を守れなかったと慟哭していた。妻はスーザンなのかもしれないし、家族というぼんやりしたものなのかもしれない。娘はあの時スーザンがおろした子供だろう。生んでいたらあれくらいの年齢だ。別れて19年と言っていたから。
小説内ですべてをめちゃくちゃにしたのはレイで、現実世界ではエドワードのすべてをめちゃくちゃにしたのはスーザンだ。

スーザンの会社に芸術作品としてREVENGEと書かれたポスターだかタペストリーだかが飾られていた。

それが関係あるのだとしたら、小説はエドワードからの復讐だったのではないか。
でも、スーザンは頭の中でレイに自分を配役していなかったから、たぶん気づいていなかったのかもしれない。

気づいてたら、怖くて、申し訳なくて、とても食事になんて誘えないだろう。
スーザンはエドワードとの食事に行く前に、ワクワクしているようだったしおめかしもしていた、指輪まではずして何を期待していたのか。
現実が不幸だから過去にすがりたいという気持ちもわかるけれど、エドワードのことをまったく考えていない。
読解力がなさすぎる。読解力というよりは物語を読む能力かな。

案の定、待ち合わせのレストランにエドワードは現れないまま映画は終わる。
あの後来た派の人もいるみたいだけど来るとは思えない。

ただ、レイがスーザンだとかも、すべては私の解釈なのでどうかわからない。特にREVENGEのくだりはどうかなとは思う。トム・フォードにしては俗っぽすぎる気もする。

もう少し俗っぽい方向の解釈をすると、小説の中に出てきたマイケル・シャノン演じる刑事は現実世界のスーザンの兄なのではないかと考えた。
スーザン過去パートで、スーザンの兄はエドワードのことが好きだったと明かされていた。そして、スーザンは「喜ぶと思うから兄にも連絡してみて」と言っていた。

その時点で連絡したかどうかはわからないけれど、エドワードはスーザンが好きだったのだし、スーザンに言われたらいずれかの時点で連絡はとったのではないかと思う。スーザンと別れた後、スーザンがエドワードの人生をめちゃくちゃにした後、連絡をとったのかもしれない。
小説ではトニーが刑事に助けを求めるし、刑事と一緒にレイを追い詰める。現実世界でも、あの後にエドワードに誰か協力者がいたのだと思う。

現実世界ではスーザンの兄は、ゲイだと超保守の親にバレたときに勘当されている。
エドワードも結局上流社会に負けたという部分もあると思うし、エドワードとスーザンの兄が協力して上流社会(=スーザン)にREVENGEしたということもあるのではないか。

実際のところどうなのかと知りたいので、原作小説があるようだし読んでみようかなとも思うが、映画はだいぶ変えられているようなので読んでもわからないかもしれない。

おもしろい作りだと思うし、特にアーミー・ハマーや過去のジェイク・ギレンホールはとても綺麗に撮られている。美術もさすがに素晴らしかった。
でも、好きかどうかというと、特に好きではなかったのが残念。つまらなくはないので好みの問題です。

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