アカデミー賞短編の実写部門とアニメーション部門のノミネート・受賞作をまとめて。『The Missing Scarf』のみ、ノミネートの前段階だったのかな。
ショートフィルムはDVDなどにもなりにくいし、なかなか観られる機会がないのでまとめてあるのはとても嬉しかった。しかも入場無料。

以下、全作品について、ネタバレなど含みます。






『The Voorman Problem/ミスター・ヴォーマン』
マーティン・フリーマンとトム・ホランダー主演。監督さんがケヴィン・スペイシーに脚本をもちこんで、豪華キャストが決定したらしい。アカデミー賞授賞式を見 ていたときに、ノミネートでマーティンが出てきたので気になっていました。iTunesでも300円で買えるらしいけれど、字幕がついていないとのこと。
一応、マーティン演じるウィリアムの奥さんと上司みたいな人は出てくるけれど、ほぼ二人芝居。囚人であるヴォーマンと精神科医ウィリアムの対話。自らを神だ というヴォーマンを最初は馬鹿にしていたけれど、奇怪な現象が実際に起きて信じざるをえなくなって、結局…というあらすじ。
12分ほどの作品で、謎の解明はなされないまま終わる。世にも奇妙な物語的な感じに不思議で不気味な後味を残す。

巻き込まれ系の役が多いマーティンは今回も順調に巻き込まれる。その前のベルギーの件にしても、奥さんはベルギーを知らないみたいだったので、ウィリアム以 外の人間もそっくり変わってしまっている。自分以外の世界が変わってしまったことを考えると、いくら叫んだって、最後のあのシーンは他の人から見たらきっ と狂人にしか見えないのだろう。

トム・ホランダーの囁くような話し方と、万能で怖いものなしというような余裕が恐ろしかった。

それほどセリフは多くなく、簡単なものなため、字幕がなくても大丈夫だと思うので購入してみようかな。



『Feral/野生の少年』
アカデミー賞短編アニメーション部門のノミネート作品。
今回観た6作品の中で、少しわかりにくかった。セリフはほとんどない。森の中で狼と共に育った少年が猟師に発見され、町に連れて帰られて学校に行くけれど結局馴染めずに帰っていくというあらすじだと思う。
少年の心象が映像で表される。学校で他の子供たちともめ、檻に入れられた時に、木になってしまうのが印象的だった。
最後、結局綺麗な召し物も脱いで裸に戻り、姿が鳥に変わって空を飛んでいたので、野生に戻っていたのだと思う。
ほぼ白黒のアニメが綺麗だった。



『Helium/ヘリウム』
デンマークの作品。アカデミー賞短編実写部門受賞作品。
受賞したと聞いていたせいもあるかもしれないけれど、ダントツでこの作品が良かった。

病院の清掃員の男性が、余命僅かな少年に、死が怖くないように物語を聞かせる。飛行船好きの少年に合わせて、その飛行船の中に入っているヘリウムをヒントに、君はヘリウムの国へ行くんだよと言う。少年は徐々に弱っていくけれど、ヘリウムへ行くのを楽しみにし始める。

単純に少年役の子の演技もうまさも際立っていた。
ヘリウムの世界はまるでファンタジー映画のようにCGを使ってちゃんと作ってあるのもすごい。その世界ではしゃぐ少年の姿は、少年の想像なのか、清掃員の男性の想像か。
最後、迎えにくる飛行船の映像もしっかり作ってあった。

案内人はレッドという犬で、バルーンドッグを作ってプレゼントしてあげるのですが、ラスト、カメラがひいていくと、複数の病室の窓辺に赤いバルーンドッグ が…。そりゃそうだ。病院のしかも隔離病棟なのだから、亡くなるのはこの少年だけではない。そして、清掃員の男性は、他の子供にも同じように物語を聞かせ てあげていたのだろう。
この辺は説明がないので、もしかしたら、ここの病室でも人が亡くなっているというイメージとしてのバルーンドッグで、実際には置いてなかったのかもしれない。

途中、清掃員の男性は看護士の女性に、「君はよくこの仕事が耐えられるな」と言うのですが、ラストでそのセリフが重みを増した。

この映画もわずか23分ですが、映像も内容もしっかりと丁寧に作られていて、感動作でした。



『The Missing Scarf/なくなったマフラー』
一人のナレーションで進んでいく絵本形式。リスのアルバートがマフラーを無くし、森の仲間にヒントを得ようとするけれど、森の仲間にもそれぞれ悩みがあった。アルバートはその悩みに対するアドバイスをするけれど、なぜか仲間の不安が的中してしまう。

この様子をコミカルにテンポ良く描いている。アルバートのみ折り紙で作られている。映像がおしゃれで、原色使いがカラフル。ミュージックビデオっぽい。

クマの悩みは大袈裟だろ、と思ったけど、実際に地球が滅亡して終わる。映像がおしゃれなので、滅亡も地球がぱかっと割れるという真剣味のないもの。

可愛いながらもブラック。6分半、駆け抜けて終わる感じ。

ナレーターはジョージ・タケイさん。クマのあたりの盛り上がり方がおもしろかった。



『Do I Have to Take Care of Everything?/結婚式の朝』
フィンランドのコメディ、初めて観ました。

結婚式の朝に寝坊をしてしまい、何もかもがうまくいかない家族のすったもんだ。
人が慌てているだけなんだけれど、その様子がすごくおもしろかった。慌てていると何もかもがうまくいかないというのは、誰しもが経験があることで、共感を呼んで更におもしろかったのかもしれない。
ド レスが洗濯機に入れっぱなしで、「パーティー用の服を着て!」と子供らに任せたらハロウィンの服を着ちゃう。夫はコーヒーをワイシャツにこぼす。ヒールが 折れて転び、鉢を割っちゃうあたりとか、夫が「それ、持とうか?」って提案した時点から嫌な予感がしたけれど、そんな予感の次の瞬間にもう転んでた。さす がショートショート。

これも、6分間ノンストップ駆け抜け系。
でも、最後に教会の外で、家族みんなでわははははってやっているのがほのぼのした。こうゆう作品、大好きです。



『Just Before Losing Everything/すべてを失う前に』
フランス映画。セザール賞受賞。
最初、何が起こっているのかまったくわからないけれど、観ているうちに事態がどんどん明らかになっていく。この説明しない感じが緊迫感の持続に役立っているのだと思う。

女性の車に子供たちが乗せられる。どうやら、その女性は母親らしいと途中でわかる。
車でスーパーに到着。どうやら、女性の職場だとわかる。上司や同僚との話を聞いていると、告訴だの逃げるだの、なにやらトラブルに巻き込まれていることがわかる。
その内、着替えるときの女性の体の痣や、子供の「パパがママに銃をつきつけるときも…」というセリフで、やっと状況がわかる。

DVでした。しかも、相当深刻なところまできているというのは銃発言からもわかるけれど、スーパーに夫が来ているという話を聞くと、それまで平然としていた子供が泣き叫んでいることからも察することができる。

この夫役の俳優さんがかなり怖い。ガタイはいいし、目がすわっていて、尋常ではない雰囲気でした。

ラスト付近の駐車場で車の影に隠れているシーンはさながらゾンビ映画のようだった。人間相手とは思えない。
ただごとではない状況から逃げてる様子や、夫がなにをしたかをちょっとずつ明らかにしていくといういままでの手法により、家族と同じ気持ちでこんなに恐怖を感じられる。

ちゃんと逃げられるの?大丈夫なの?というハラハラドキドキなエンターテイメントとしても観ることができるけれど、DVという問題自体は深刻なものなのだから、心から楽しむことはできない。今回は逃げられても、ずっと逃げ続けるわけにはいかなそうだし…。・

『X-MEN:ファーストジェネレーション』の続編。監督は前作とはかわってブライアン・シンガー。『X-MEN:ファイナル ディシジョン』の続編とも位置づけられるとのこと。

できれば、旧三部作と前作とウルヴァリンを観ておいたほうが良さそう。単体でももちろん楽しめるけれど、観ておくと、キャラクターに愛着がわいてより楽しめそう。私はだいぶ前に観たため、ほとんどおぼえていませんでした…。原作も未読です。

以下、ネタバレです。






ウルヴァリン役のヒュー・ジャックマンが来日していましたが、日本贔屓だからかと思ったけれど、実は、今作の主役はチャールズとエリックではなく彼なのではないかと思う。話の中心として描かれているのは二人だけれど、ローガンがいなければ成り立たない。

話の作りとしては、地獄のようになってしまった現在を変えるために、過去に戻ってそうなってしまった原因を滅するために戦うという、タイムスリップものではよくあるといえばよくあるもの。私はこのタイプの話が好きなので、過去キャラについてはぼんやりとしかわからなくても楽しめた。
現実とは違うとこ ろで死闘を繰り広げて現実を変えるという点で『インセプション』にも似ている。最後戻ってきた時に放心したように、恐る恐る状況を窺っているローガンの様 はコブのようだった。エレン・ペイジは見た目がアリアドネの外見と一緒だったし、最後の学校のシーンで建築云々の話をしていたのも気になってしまった。

未来と過去を知っているのはローガンだけなので、両方を観ている観客を投影しているのも彼なのかもしれない。途中、ローガンが不安定になったり、海に沈められていたので、完全な傍観者ではないけれど。

未来と過去と両方の世界が描かれているので、前作のキャラも出れば、旧作のキャラも出て、まさにオールスター。キャラクターは勿論なんですが、演じている役者さんたちも豪華。

若いチャールズとエリックですが、前作の続きなので、あたりまえだけれど仲違いした状態から始まり、その後を観てもわかる通り、仲違いしたまま終わる。ただ、それでも、未来のチャールズとエリックは手に手をとって一緒に居る。過去のあの時点ではわかりあえなくても、将来、本当にピンチになれば一緒になると いうのがわかっていれば、いくらいがみ合ってくれてもいい。
でも、これは前に別のX-MENシリーズの別作品を観てても思ったんですが、エリック は別にチャールズのことが嫌いなわけではなくて、人間が憎い。けれど、チャールズは人間も守ろうとするから意見が対立しているだけなんですよね。過去にお いても、別に憎み合っているような関係ではない。

前回はキューバ危機、今回はJFK暗殺事件というように、実際の事件がストーリーに組み 込まれている。原作通りなのかはわからない。劇中でJFK暗殺の件でエリックとチャールズの言い合いがあるのですが、ちゃんと話せばわかり合えていた。し かし、やはり、後半ではエリックが暴走してしまう。
暴走シーンはことごとく派手でした。まさか、スタジアムを枠だけ切り取るとは。映画的なみどころはこの辺なのかもしれない。
でも私は、後半のシリアスな戦いが続くシーンよりも、前半のどこかとぼけたほのぼのとするシーンが好きでした。

ペンタゴンの地下に投獄されているエリックを、チャールズ、ハンク、ピーターで助けにいく一連のシーンは大人の社会科見学といった雰囲気が良かった。
ハンクだけはガイドさんについて一緒にまわっているのですが、まさに観光客風というか、おのぼりさんのような服装が可愛かった。ニコラス・ホルトにチューリップ帽がこんなに似合うとは。

あと、ピンチのシーンでのクイックシルバーの1秒もかからない間にこなした仕事の数々を、周りの動きを止めて全部見せてくれる、その映像の作り方がおもしろかった。若者なせいもあるのかもしれないけれど、飄々としていて、でも、きっちりとやることはやるキャラクターにも好感が持てた。
クイックシルバーを演じているのがエヴァン・ピーターズ。『キック・アス』だといまいち冴えない役だったけれど、今作では恰好良かった。だいぶ顔が痩せたせいか、髪の毛が長かったのでホームベース状の顔の形を隠したのか。

今作ではチャールズが酒とクスリに溺れた状態で登場するので、少し『フィルス』のジェームズ・マカヴォイを思い出した。髭もはえている。目の色が綺麗なブルーで、それが強調された撮られた方をしているように思った。

俳優関連だと、やっぱりジェニファー・ローレンスの演技の上手さが目立っていた。前作の時は特に感じなかったのは、私自身が彼女をあんまり意識していなかったからか、今作の方が出番が多いからか。とにかく、今作では目立っていました。人間の姿をしたときはもちろんなのですが、元の青い姿でもジェニファー・ ローレンスとわかった。

『カニバル』


マヌエル・マルティン・クエンカ監督。いままでは短編やドキュメンタリーを撮ってきたらしい。スペインのアカデミー賞ともいえるゴヤ賞に8部門ノミネート、うち、撮影監督賞を受賞しました。
主演はアントニオ・デ・ラ・トレ。『アイム・ソー・エキサイテッド!』の機長役の方。機長と副機長のやりとりが好きだったのでまた見れて嬉しい。
タイトル通り、殺して人肉を食べる話ですが、残虐描写はほとんど削除され、美しい映像で作られているし、ホラーではないです。

以下、ネタバレです。




ホラーではないけれど、まったく残虐描写がないわけではない。女性の足だけが映っていて、ナタか何かをふるう音と足が上下して、ああ、解体してるんだなと思う。
なんの説明もないけど、冷蔵庫に入っていた肉は人肉に違いない。フライパンで焼いて、おいしそうに食べていた。
はっきりと描かれてはいなくても、想像力でいくらでも残虐にできる。この映像の作り方がうまい。

また、最初のシーン、遠くのほうの人をカメラがずっととらえてるんですが、その人たちが車で移動すると、カメラが自動車内にあるのがわかる。主人公目線というか、犯人目線だったわけです。獲物を見つけて、じっと観察してたんですね。スプラッター描写がなくても、不気味さが十分に伝わる。

主人公のカルロスは普段は仕立て屋なんですが、仕立て屋だから当たり前なのかもしれないけれど、きっちりと長さをはかったり布を裁断していて、神経質で潔癖症っぽい。スーツ姿もびしっとしていて、印象は暗いけれど不思議な魅力がある。

神経質さは、すぐ食べられるようなさばきかたをした肉を小分けにラップで包んで、冷蔵庫にストックしてあることでもうかがえる。彼のこの性格のおかげで、切断した人体にそのままかぶりついて口の周りが血まみれ、というような描写はない。しかしそれでも、静かな猟奇性が不気味さを強調していてたまらない。ハー ブみたいなのを擦り込んで焼いて食べてた。

彼の行為に性的な興奮があったのかはわかりませんが、女性だけを狙ったということは、おそらくあったんだろうと思う。殺す前に、腹のあたりの匂いも嗅いでいた。
彼にとっては、好き=喰う(死)だったのに、包丁を突きつけるところまでやって殺せないというのは初めての経験だったと思う。
好き=生になって、自分でもどうしたらいいかわからなくなってしまったのかもしれない。

ただ、妹を殺して食べたと言ったら、うまくいくわけはない。でも、告白しなくては気が済まなくなってしまったのだろう。

彼の行動に共感できるわけはないから、どんな行動に出るのか、彼の考えてることがまったく想像できない。けれど、黙っているわけにもいかなかったのだろう。

自分が殺したわけではなく死んでしまい、亡骸を胸に泣いていた。たぶんあの後は、彼女を食すことはしなかっただろうし、死の意味が初めてわかったのではないか。

ラスト、キリスト教の祭りか何かの山車みたいなもののマリア像を見て険しい顔をしていたが、あれは懺悔の気持ちだったのではないか。
あの後、彼が再び殺して喰うという行為をしたかどうかはわからない。でも、あの時一瞬でも生にひかれたのだろうし、初めての気持ちだったのだろうし、その先のカルロスに何かしらの影響は与えたと思う。

テレビで、サッカーだったかな、何かのスポーツの映像が流れるのですが、アップでわざとらしく映った男性がハビエル・カマラに見えたんだけど、確かめようがない…。

『バロウズの妻』


2001年公開。アメリカでは2000年公開。
タイトルにもなっている通り、ウィリアム・バロウズの妻であるジョーンが主役です。演じているのはコートニー・ラヴ。
真実の話と最初に書かれていて、実話なことが強調されていた。時代的には、この前観た『キル・ユア・ダーリン』のラストあたりからかぶっている。ルシアンがデイブを殺す少し前から始まる。

私は『キル・ユア・ダーリン』がとても好きになってしまったので、もっとルシアンやアレンのことが知りたいと思って観ました。実際にあった話なので、彼らの自伝的なものでも読めばわかるのかもしれないけれど。

『キル・ユア〜』のラストのあたりの感じだと、二人はあの後絶縁をしたのではないかと思ったけれど、ルシアンが投獄されていたのは2年間らしいし、出てきてか らはアレンとも一緒に遊んでいて、友情は続いているようだった。ただ、今回のラスト付近でも、ルシアンはアレンのことを壊れた車と一緒に荒野に置き去りに して自分だけ別の車で帰るというひどい仕打ちをしていたので、今回こそ絶縁したのかもしれない。
しかし、あの投獄が原因で離ればなれになったわけではないらしいというのがわかっただけでも、『キル・ユア〜』のラストでつらくなる気持ちがやわらいだ。

ただ、今作ではルシアンとデイブの間には肉体関係はないようだったし、ルシアンもはっきりと自分は同性愛者ではないと言って拒んでいた。『キル・ユア〜』で は、二人は愛し合っていた過去があるようだったので、その辺は実際にはどうなんだろう。はっきりしないのかもしれない。
あと、アレンの気持ちもルシアンは気づいていなかったのかもしれない。少なくとも、投獄前に『キル・ユア〜』で描かれたような拗れ方はしていなかったようだ。

今作では全員片想いだった。アレンはルシアンが好きで、ルシアンはジョーンが好きで、ジョーンはバロウズが好きで、バロウズは若い男が好き。
ル シアンはわりと子供っぽいというか、無邪気にジョーンにぐいぐい行くんですが、それを近くで見ているアレンが切ない。ルシアンとアレンとジョーンとで旅行 に行くんですが、アレンは常に遠慮して、二人で行動できるようにしてあげてた。まるでルシアンの幸せが自分の幸せだと言うように。それに、当のルシアンに も「あいつは片想いに耐えられる」などと言われている。

ジョーンはコートニーが演じているからそうは見えないけれど、バロウズのことがわりと一途に好きなようで、アレンとジョーンの間には同じ境遇の者同士の友情が芽生えていた。

ルシアン、アレン、バロウズ、デイブ、ジャックと『キル・ユア〜』にも出てくる人物の外見がとても似ていたんですが、『キル・ユア〜』のキャスティングを考える時にこの映画を参考にしたのか、それとも、実在のご本人たちに似せたら両方とも似てしまったのか。
今 作でバロウズを演じているのはキーファー・サザーランドなんですが、顔はジャック・バウワーでもジャックっぽさは無い(『24』の一年前らしい)。喋り方も『キル・ユア〜』でバロウズを演じたベン・フォスターと同じで、多分これは、ご本人の真似なのだろう。口をあまり開かないような独特の話し方。
アレンもくせっ毛、黒縁の大きなメガネ、濃いめの髭という外見が一緒。
ルシアンも髪型は同じようだったし、蟲惑的な印象が同じ。ルシアンを演じているのは、ノーマン・リーダス。いまだと、悪人枠とかファニー枠ですが、若いノーマンは美青年。ちなみに『処刑人』が1999年なので、この映画の前年です。

メキシコのバロウズ家からニューヨークまで車で帰る二人に「長旅気をつけてね」という言葉がかけられるので、どれくらい遠いのか調べたところ、メキシコから ニューヨークまでは車で1日12時間らしい。休まず走り続けた場合の話なので、寝たり休憩をしたり食事をすることも考えると、もっと時間がかかるだろう。


『ネイビーシールズ』のスコット・ワウ監督。エレクトロニック・アーツから発売されている同名のゲームが元 になっているらしい。主演は『ブレイキングバッド』のアーロン・ポール。ライバルというか、ほとんど敵みたいな役にドミニク・クーパー。女性ドライバー役のイモージェン・プーツは『フィルス』の捜査官役をやった人。
以下、ネタバレです。




車の映画というと 『ワイルド・スピード』が思い浮かんだんですが、『ワイルド・スピード』自体、一作目とユーロ・ミッションしか観たことがないので、比較のしようがなかっ た。イメージだとワイルド・スピードのほうがヤンキーっぽい感じがした。今作はそれほどみんなマッチョではなく、入れ墨も入ってない。アーロン・ポールと ドミニク・クーパーが二人まとまってかかっていっても、ヴィン・ディーゼルに一撃で吹っ飛ばされそう。復讐や無実の罪をはらすためのレースというのも、少 し暗めではあるけれど、ワイルド・スピードとの違いを出しているのかもしれない。

ただ、“デレオン”という違法レースが、いまいちよくわからなかった。ゲームをやっていたら前提としてわかっていることなのか、それとも、アメリカでは公道でスポーツカーを走らせるレースが日常茶飯事に行われ ているのか、頭文字Dみたいなものなのか。世界観に馴染めなくて、映画の最初の方は内容が頭に入って来づらかった。

監督自身もスタントマン出身とのこともあるのか、CGをほとんど使っていないとのこと。実際に公道を使っているとのことで、エンドロールのスペシャルサンクス欄には様々な都市名が連なっていた。
この作品は高級スポーツカーが盛大に大破するのが魅力なのかもしれない。だから、車に詳しい方がきっと楽しめると思う。私は、マスタングやランボルギーニの 名前を聞いたことがあるくらいだった。でも、最後の勢揃いしてのレースは、もう車が車じゃないみたいで、まるでSFに出てくる変わったかっこいい形をした 乗り物のようだった。こんな車が実際にあるんだというところから感動。
ただ、話の面からすると、ドミニク・クーパー以外の人間でその車に乗ってたのが誰だかまったくキャラ説明がなかったので、ドミニク・クーパー以外の車は途中で脱落するんだろうなというのがわかってしまう。

あと中盤、ピンチのシーンでマスタングがヘリに釣られて飛ぶんですが、あれもCGじゃないならすごい。でも、重さに耐えられなさそうだからCGかな。CGだ としても、釣り上げられてるマスタングの図はなかなか痛快で、映画『特攻野郎Aチーム』の戦車で大砲を撃ちながら位置を調整して湖に落ちてくシーンを思い 出した。

2003年公開。イギリスでは2002年公開。
マッドチェスター、ハシエンダ、ファクトリー・レコードなどについて描かれている実話。テレビで活躍するジャーナリストであり、レコードレーベル設立者のトニー・ウィルソンが主役で、ドキュメンタリー形式がとられている。

最初の方のセックス・ピストルズやイギー・ポップの映像は本物だったらしい。そっくりな人が演じているのかと思った。
バンドとしては、前半がジョイ・ディヴィジョン、後半がハッピー・マンデーズが中心になっている。両バンドともちゃんと聴いたことがなかったし、ファクトリー・レコードやハシエンダも名前を知っているくらいだったので、流れや歴史がわかって勉強になった。

元々ジョン・シム目当てで観たんですが、他にも知っている俳優さんがたくさん出ていて、それぞれの20年前の若い姿が見られた。

トニー・ウィルソンを演じたスティーヴ・クーガンは最近だと『あなたを抱きしめる日まで』で観た。ジャーナリスト役なのも同じで、『あなたを〜』では政治記者をほされてゴシップ記事の取材に行かされていたが、今回は仕事が無い時期にはUFOの取材をしていてなんとなく似ていた。あんまりいままで意識してなかったけれど、いままで観たいろんな映画に出ていた。

トニー・ウィルソンの最初の奥さん役にシャーリー・ヘンダーソン、別れた後の恋人役にジョン・シムの奥さん、ケイト・マゴーワン。

マネージャー役に『ワールズ・エンド』のパティ・コンシダイン。彼に関しては20年前と現在とあまり外見の違いがわからなかった。

アンディ・サーキスは観終わったあとでも何役だったかわからなかったけれど、プロデューサーのマーティン役だった。食わせ物の役。サングラスで気づかなかった。

ジョイ・ディヴィジョンのボーカル、イアン・カーティス役にショーン・ハリス。ジョイ・ディヴィジョンのライブ映像を見ると、ステージングをだいぶ真似していたのがわかる。カリスマ性がありながらも繊細で神経質そうな役がうまかった。この前のBAFTAドラマ部門で『Southcliffe』で主演男優賞をとりました。

ジョン・シムはジョイ・ディヴィジョンのギタリスト、バーナード・サムナー役。イアン・カーティス自殺後はニュー・オーダーのボーカリストになるんですが、後半はハピマンについてが中心だったので、出番が減ってしまう。ニュー・オーダーについてももっと描かれていたら良かったのに。
でも、deleted scene扱いになっていた『Blue Monday』のレコーディングシーンがちゃんと入っていたのは嬉しかった。ギターを弾きながら歌うジョン・シムがとてもかっこいい。

エンディングでも使われているニュー・オーダーの『Here to Stay』のPVにはジョン・シムが出ていて、これを何度も繰り返し観ているんですが、彼が映画で登場しているシーンは大体使われているようで、見たことがある映像が多かった。
映画を観た後だと、劇中でのニュー・オーダーのシーンがほぼないため、ジョン・シムのニュー・オーダーが見たい人のためのサービスPVな感じがしてしまう。
最後のほうの、カメラ小僧と目が合った時にちょこっとだけ笑うシーンがすごくいい。笑顔じゃないんですよ、表情はほとんど変わらないけど口の端がわずかに上がる。
壁をよじ登ってきたファンをバカにするような、よくやるよなと感心するような、でもほんの少しだけ感情が動く瞬間。たまらない。至近距離であの顔されたい。


綾野剛については出演作はまったく観ていなかったんですが、ドラマ『ロング・グッドバイ』の原田保が良かったので観ました。
函館が舞台。大きな括りでみればラブストーリーなのかもしれないけど、もっと広くその周辺の家族、仕事、人付き合いなどについて描かれていた。
以下、ネタバレです。




函館というと朝市とか夜景とか華やかな観光地のイメージが強いが、この作品は函館が舞台とはいってもそんな面はまったく描かれていない。実際に暮らしている 人たちの姿がリアリティをもって描かれているが、これがいまの町の姿なのかわからない。原作の小説自体が25年前のものらしいので、25年前なのかもしれ ない。海沿いの田舎の話である。仕事は海産物加工業か林業くらいしかなく、それも不定期で、コミュニティが小さく、しきっているのはヤクザまがいの人物 で、その人物に逆らうと文字通り村八分にされる。海も出てくるけれど、空が曇っていたせいもあるかもしれないけれど、いかにも北の海という撮られ方をして いる。

そんな土地で、家は小さな番屋のようだし、そこには病気の父親がいて、刑務所帰りの弟がいて、結局自分は生活を支えるためにスナッ クの裏で体を売って…。池脇千鶴が演じる千夏は、何度も町を出て行こうと思ったと言っていたけれど、結局、家族を置いては行けなかったのだろう。
ただ、彼女の身になって考えると、土地に縛られ、仕事に縛られ、家にも縛られ、もうがんじがらめでまったく動きがとれない。いつまでも終わらない地獄が続き、これを終わらせるためにはすべてを捨ててゼロからやり直すしかないように思える。

彼女の状況が壮絶だから、主人公達夫の悩みがちっぽけに思える。友人を死なせてしまって、その姿を見たにしても、意図的に殺したわけではなく事故だ。しかも、周囲の人から仕事への復帰を望まれている。自分という存在が求められているなんて、むしろ、恵まれているといってもいいくらいだ。

だから、人を好きになるにしても、達夫は無防備だったけれど、千夏は思いきり警戒していた。そりゃそうだ。もうあとがないのは千夏のほうだけなんだから。
似た状況の二人が出会って恋に落ち…みたいなことが書かれていたけれど、確かに置かれている状況が悪く、悩みがあるのは二人とも同じだけれど、その度合いがまったく違う。

綾野剛は、前髪が長く表情が隠れていて、猫背ですべてに対するやる気を失っているような役だった。演技というより、雰囲気を作るのがうまい役者さんなのかもしれない。
それよりも千夏の弟役の菅田将暉の演技が良かった。ドラマや映画に多数出ていたようですが、全く知らなかった。仮面ライダーWの主演だったらしい。綾野剛も仮面ライダー555に出ていたらしいけれど知らなかった。

千夏の弟拓児と達夫も、はみだし者が出会ってひかれるという点では千夏と一緒。達夫は最初は喧嘩しつつぶつかり合ったり、鬱陶しがっていたけれど、そのうち 仲良くなっていく。映画を観ている側としても、最初パチンコ屋で出会ったシーンでは関わりたくないと思ったけれど、この子はピュアで怒りにしても喜びにし ても感情を出し過ぎているだけなのだというのがわかり、好感が持てるようになっていく。

高橋和也が中島という地元の有力者みたいなのを演 じていて、パンチパーマのろくでなし具合が相変わらずうまい。その中島について、後半、本当に怒りをおぼえるシーンがあり、許せないのですが、映画を観て いる私たちよりも、拓児のほうが感情がおさえきれない。ナイフのようなもので刺してしまう。

刺した後逃げた拓児は達夫の家の前に座り込ん でいて、発見した達夫は最初は思いきり殴る。そして、その後、よくやった、よくやったけど、駄目なんだよ、我慢しなきゃ駄目なんだよというように、殴る力 が弱くなって、肩をぽんぽんと叩く。達夫だって、その場にいて、中島の言葉を聞いたら、どうなっていたかわからない。拓児の気持ちもわかるからこそ、で も、逃げ切れることなんてできないのもわかっていて、やりきれない気持ちがよく出ている。二人の演技が特に印象に残っているいいシーンだった。
その後、警察まで自転車で二人乗りをしていくのがまた切ない。拓児の最後の「ありがとう」も。逃げも隠れもしないで素直に交番へ走っていく背中は少し大人になったようにも見えた。

エンドロールの最後で監督が女性だったのに驚いたんですが、しかも若かったので更に驚いた。渋めの作風だったけれど、それは原作が昔の作品なのも影響しているのだろうか。

『BLUE ブルー』


1993年公開。吉祥寺バウスシアターの爆音音楽祭にて。今回は“THE LAST BAUS さよならバウスシアター、最後の宴”の一環として行われている。

『BLUE』 はたぶんデレク・ジャーマンが亡くなった94年か、公開時の93年に、特集を組んでいた池袋のACT SEIGEI THEATERと中野武蔵野ホールで観ていますがほぼ20年ぶりだった。今年は亡くなって20年経つし、どこかでまた特集でも組んでくれたらいいのにとも思うけれど、上映していた映画館が二つとも無くなっているし、今回観るバウスシアターも無くなるということで、難しいのかもしれない。

この『BLUE』は画面は青一色で、映画というよりはポエトリーリーティングと少しの音楽を“聴く”という感じなので、爆音でやってくれたのはとても嬉しい。特に音楽シーンがクリアに聴こえたのと、ベルリンのクラブで流れていた曲が恰好良かったのと、HBが好きだった洗濯機の回る騒音にも近い音が良かった。

デレク・ジャーマンが視覚を失っていくのですが、映画を観ている私たちも画が無い分、耳だけでとらえようとして感覚が研ぎすまされていく。音に集中することで、画が見えてくる感じがする。まるで疑似体験をしているよう。

また、時間の感覚がなくなり、いまが映画のどの辺だかがまったくわからなくなる。雰囲気からも、中盤なのか、終盤なのかまったくわからない。けれど、青一色の世界に没頭し、どっぷりつかりきったところで、ぱっと急に画面が暗転して、現実に戻される。この体験はなかなか貴重だと思う。余計なものが目に入ってくるし、家でDVDで観賞するものではない。サントラというか、すべての音が入ったCDも出ていたと思うので、それを聴いて目を閉じた方が近い感覚が味わえるかもしれない。

ちなみに、ポエトリーリーディングには、デレク・ジャーマンの他にティルダ・スウィントンも参加している。彼女はデビュー作もデレク・ジャーマン作品だったし、常連でした。

『ドラキュラ』


1992年公開。フランシス・フォード・コッポラ監督作品。今回は爆音

爆音上映、単純に大きい音だったり、重低音がすごかったりなのかと思っていたけれど、もっとこだわりを感じた。

銃声や剣で戦うときの金属音はより鋭角的になっていたし、雷鳴は本当に響くような感じだった。序盤の屋敷に連れて行かれる途中の狼の声も、不気味さがよく伝わってくる音になっていた。

ドラキュラ伯爵がロンドンに向かうシーンや、ヴァン・ヘルシングたちが城に攻めいるシーンでは流行るようなオーケストラ曲が使われていて、その焦燥感を掻き立てるようなシンバル音はシャンシャンと耳に刺さるようだったし、ホーンの音もぷわっと割れるほどに音量が上げられていた。
大袈裟な曲がより大袈裟になっていて、映画の世界により没頭できた。なんせ、観ていないのでわからないが、爆音上映ならではなのではないかと思う。

この映画をより大袈裟にしているのが石岡瑛子さんの衣装です。彼女らしさがよく出ていた。
剥き出しになった筋肉みたいな鎧が最初に出てきた時点で、この映画の衣装が誰だったか思い出した。
スカートがふんわりしたドレスはもちろん可愛らしいし、あやつられている女性は風になびく薄い生地の妖艶な衣装だった。ドラキュラに血を吸われたあとでの真っ赤なドレスも美しい。ラストでドラキュラが着ている金色のローブも綺麗だった。

ストーリーですが、キャラクターがそれぞれ中心になっては離れていくのと、キャストも有名な人ばかりだったので、誰が主役だかわかりにくかった。

最初はハーカー(キアヌ・リーブス)が主人公なのだと思ってた。恋人であるミナ(ウィノナ・ライダー)をドラキュラ(ゲイリー・オールドマン)から守るべく 戦うのかと思った。しかし、悪役だと思っていたドラキュラは決して悪役ではなく、ミナと前世絡みのラブロマンスを繰り広げ始め、ドラキュラを倒す役割としても、ヴァン・ヘルシング(アンソニー・ホプキンス)が出てきてしまう。

恋人は奪われる、ドラキュラは倒せない、じゃあ、ハーカーの役割って何なのだろうか。ドラキュラの元へ行ってしまったミナを追おうとしたヴァン・ヘルシングを「ミナの好きにさせてやってくれ」と止めていた。悲しい。

せめて、ヴァン・ヘルシングを出さないわけにはいかなかっただろうか。ヴァンパイアハンターだとしても、倒す役割をハーカーにあたえて欲しかった。ブラム・ストーカーの原作通りなのかもしれないけれど。

出演シーンの半分くらいは特殊メイクですが、ゲイリー・オールドマンが美しいです。若いキアヌもかっこいい。
吸血鬼ものではおきまりですが、今作でも吸血シーンがエロくなっていて、血を吸われてるゲイリーとキアヌの恍惚とした表情がセクシーでした。二人とも半裸で乳首を出すシーンがあります!


ウディ・アレン監督作品。アカデミー賞でも主演女優賞、助演女優賞、脚本賞にノミネートされていました。
以下、ネタバレです。





個人的にウディ・アレン監督作品が合わないと感じているんですが、今作もクラシックな感じは無かったけれど、やっぱり合わない感じはした。
主人公を演じるケイト・ブランシェットの演技は素晴らしかったです。実際に近くにいたら怖いし関わり合いたくはないけれど、知らぬ間に独り言が出てしまうシーンは笑いが漏れていた。

破産した主人公が妹の家に来る時に高そうな服を着て、高級ブランドのスーツケースを持ってきた時点でもう、この人のこと好きになれないと思ってしまった。何も自分の状況がわかっていないし、世間知らず加減に苛々してしまう。
セレブ男性の前で保身のための嘘をついたときにも、その見栄の張り方が許せなかった。セレブな生活をしていたら、そうなってしまうのかもしれないけれど、まったく共感ができない。
別に共感を求めているわけじゃなくて、そんな様を滑稽だと見て楽しめばいいのかもしれないけれど、誰かに感情移入しながら観るくせがついているみたいだ。

妹は妹で、あんな姉(しかも血が繋がっていない)がいて不憫だとは思うけれど、彼女が選ぶ男はどれもこれも酷くて、こちらにも共感できない。でも、パー ティーでちょっと素敵な男性に言い寄られて、「このパーティーのホストは僕の妻です」って言ってたのに、あとから「奥さんがいるなんて聞いてない!」と 言っていたのは、彼女のうっかりした性格をよく表していておもしろかった。観客ですら憶えてるのに忘れちゃったのか。

セレブからどん底に落ちた女性が這い上がれるか、みたいなキャッチコピーがついていたけれど、ラストは嘘がバレて更に精神的に不安定になっていた。出てきた時から不安定だったし、結局どうにもならなかったという印象。
過去が織り交ぜられていたけれど、彼女の全てはもうその回想シーンで終わってしまっていて、映画で描かれていた現在はその後だけだったんだなと思うと、手法はおもしろい。
結局、前のパートナーであるハルのことを愛していたっていう、ただそれだけの話だったのではないか。ラブストーリーのその後だけが描かれていたのかもしれない。

『青天の霹靂』


劇団ひとりの原作、脚本、監督、出演作。『陰日向に咲く』も監督したのかと思っていたら、今回が監督デビュー作らしい。
以下、ネタバレです。




『陰日向に咲く』と同じく、明るい話ではない。“人生うまくいかないことばかりだけど、ひたむきに一生懸命に生きる人”にスポットが当てられている点も似ているかもしれない。
序 盤の、売れた後輩が自分の働いているバーに来る→その後輩の吐瀉物の始末→帰りにスーパーで半額になったホットドッグを買う→帰宅するとアパートの水道管 が壊れ、ゴミだらけの部屋が水浸し、電気も切れる→外で半額ホットドッグを食べようとしたら電話がかかってきて、でようとするとホットドッグのソーセージ が地面に滑り落ちる→その電話が父の死を知らせるものだった、という一連のやりきれない出来事が連鎖的に起こっていく様子は見ていて本当につらくなった。 よくぞここまでのオンパレードを思いつくなあと思った。自分の身に起こったら…と、想像するだけで気が滅入ることばかりだ。

ただ、この役に大泉洋がよく合っていた。いままで、彼の舞台っぽくて大袈裟な演技があまり好きではなかったけれど、今回の抑えめの演技は良かったと思う。
手品シーンもたくさんあるけれど、練習してノースタントで挑んだというからすごい。手先の器用さにあらためて感心する。

話の持っていきかたというか、細かい行動にいちいち理由がついていて、納得しながら観た。例えば、タイムスリップした先で牛乳を30円で買う。十円玉は昔と 今で変わらないからおもちゃのお金!みたいなことがなくなる。タイムスリップした先で小学生に新聞紙で浦島太郎の亀のごとく叩かれ、逃げていって落とした 新聞紙の日付にてすぐにいつにタイムスリプしたかがわかる。現代に帰る時、マジックショーの最中だから、ステージ上で消えても拍手喝采。全部計算ずくなのがわかって、肩肘はった感は否めないが真面目に映画を作っているのが伝わってきて好感が持てた。

ラストの土手のシーンも、現代での配置がカメラが人物の後ろにまわりこむと、そのまま過去の配置に変わって…という演出がニクい。ベタではあるかもしれないけれど、うまいし、好きです。さらっと爽やかに終わるのもいい。

途中、音楽の使い方や泣き顔の見せ方などは泣かせようというあざとさも感じられるけれど、実際に泣いたので文句は言えません。

タイムスリップした先の昭和っぽさは舞台は良かったけれど、柴咲コウが現代の顔立ちというかメイクが現代的というか、まったく昭和っぽさが無かったのが残念。
風間杜夫が浅草のホールの支配人役で出てくるけれど、派手なスーツにストロー帽で昭和な様子はどう見ても『蒲田行進曲』の銀ちゃんで、これは狙って配役されたのではないかと思う。

『Prey | S01』

イギリスのITVで放送されたジョン・シム主演のドラマ。一応シリーズ1で、全三回。マンチェスターで撮影されていた。

日本語字幕無しなので理解しきれてないですが、事件を追う警官と汚職警官と罪を着せられて逃げる警官という、元は仲間だった人たちの三つ巴で展開していくのがおもしろかった。

ジョン・シムは妻と子殺しの罪を着せられて逃げる警官マーカス・ファロウ役。走ったり、撃たれたり、川の中にずぶずぶ入っていったり、アクション俳優のような活躍ぶりだった。
マーカスも事件を追っていて、一番真実に近づくのは彼だけれど、警官はマーカスが犯人だと思っているから、逃げながら捜査をしている。

追う警官役が女性なんですが、いわゆる美女タイプではないのが好感が持てる。正義感は強そうだったけれど、プライベートで問題を抱えていたようで、影がある。その辺は次シリーズ以降でしょうか。彼女の部下役でベネディクト・ウォンが出ていて驚いた。

妻と子殺しの容疑は晴れていたので、次シリーズは逃げないのだと思う。なんとなく、ジョン・シムが警察から逃げるシリーズなのかと思っていた。
たぶんフロッピーディスクに関わる謎は解けていなかったと思うので、その解決をやっていくのかな。
女刑事とマーカスが組んだら嬉しい。今回、マーカスはずっと孤独だったので。
妻殺しの容疑がかけられているので当たり前ですが、恋愛もなし。逃げているからこれも当たり前ですが、気が休まるところがなく、笑顔も無かった。過去の回想シーンで少しだけ笑ってたかな。

E01で読み聞かせをするジョン・シムの裏声が可愛かった。あと、E03だったか、ショーンの家にいたマーカスが「サプラーイズ、サプラーイズ」って言いながら出てくるシーンも好きでした。おどけているようで激怒してる。

毎回、終盤にしっとりした曲が流れていた。E01は忘れてしまったんですが、E02はRadioheadのKarma Police、E03はDamien RiceのCold Water。

2012年公開。イギリスでは2011年。監督のジョー・コーニッシュは『タンタンの冒険/ユニコーンの冒険』の共同脚本にも参加している。
主役のジョン・ボイエガは『24』の新シリーズや2015年公開予定の『スター・ウォーズ エピソード7』への出演も決まっている注目株。
ニック・フロストはパッケージでいかにも戦いそうな感じですけれど、安全な場所にこもっていて、特に危険な目には遭うまでの活躍はない、友情出演のような扱いだった。
ルーク・トレッダウェイはパッケージには出てませんが、巻き込まれて大変な目に遭う彼らしい役。鼻血も出す。
戦いに挑むときの音楽が恰好良かったけれど、ベースメント・ジャックスが担当していた。

ブロックというのは団地のことかと思っていたけれど、一続きのコンクリートの建物のことをさすらしい。でも、団地と同じく、おそらくあまり裕福ではない、労働者階級の人々が住んでいるようで、主人公たちもギャングまがいのことをしているし、建物内の温室では大麻が栽培されている。
言葉遣いも独特でイギリス訛りが強烈でほとんど聞き取れない。たぶん、スラングっぽいのも織り交ぜられていたのではないか。

ゾンビとの戦いだと思っていたのだが、宇宙人だった。どこかで『ロンドンゾンビ紀行』と混ざっていたのかもしれない。両方ともCockneysということ で、印象は似ています。その宇宙人も、映画内でもゴリラと言われているんですが、四つん這いで毛むくじゃらの不思議な形状。牙が目立つので、友好的には見えない。ブラックライトで体液が光るというのも見たことがなかった。

ロクでもない少年たちの成長物語というとよくありがちな話に思えるけれど、Cockneysが中心なのが好みだし、彼らやその周辺の暮らしぶりが見られるのもいい。ほぼ建物内で事件が解決するのもおもしろかった。


セス・ローゲンとエヴァン・ゴールドバーグという『スーパーバッド 童貞ウォーズ』の脚本コンビの監督作品。『童貞ウォーズ』の登場人物のモデルにもなってる二人ですね。『50/50 フィフティ・フィフティ』『グリーン・ホーネット』『スモーキング・ハイ』あたりにも名前が連なっている。
出演者もWikipediaなどで見ていると、どこかしらで繋がりがあっておもしろい。
ただ、その界隈の作品をまったく観ていないとおもしろくないかもしれない。俳優さんたちが実名でその人として出ていて、前の映画関連でのギャグや、演じた役とのギャップで笑わせもするので…。内輪受けに感じるだけだろうし、『スモーキング・ハイ』『スーパーバッド』や『21ジャンプストリート』も公開がなかった日本では、劇場公開は難しいと思う。この作品もDVDスルーです。

逆に言うと、その界隈の映画ファンにはたまらなかった。大サービス作品です。

以下、ネタバレです。






セス・ローゲンの元にカナダ時代からの旧友、ジェイ・バルチェルが遊びに来る(『無ケーカクの命中男/ノックトアップ』で共演)。セスは「ジェームズ・フランコが家を建てて、新築パーティーをやるから遊びに行かないか」とジェイを誘う。
セスとフランコの行き過ぎなくらいの仲良し加減は、現在、ブロマンスの代表みたいな感じで知られてますが、それを作品にちゃんと入れてきている。
この辺も、セスとフランコがブロマンスという基本知識が頭に入ってないとなんでジェームズ・フランコの家に行くのかがわからない。登場人物というよりは俳優そのままがキャラクターなので、作品中での説明はないのだ。

パーティー向かう道すがら、「チャニング・テイタムもこの辺に住んでるんだ。セクシーストリートだよ」というセリフが出てきて、テイタムの扱いに笑った。

パーティー会場ですが、マイケル・セラも来てるんですがこれが酷い役。『童貞ウォーズ』では、一番の常識人というか、色白ベビーフェイスで一見モテそうでしたが、クスリとセックスでやりたい放題、パーティーの中で一番乱れてる。これはおそらく、マイケル・セラが実生活ではこんなだったらおもしろくない?というアイデアだと思う。彼の出演作をいくつか観ておいたほうが、そのギャップで笑える。

ちなみにパーティーにはクリストファー・ミンツ=プラッセも来ていて、ジョナ・ヒルも出てるから、『童貞ウォーズ』の同窓会みたいになっていた。クリストファー・ミンツ=プラッセのほうが「俺はコカインやらないんだ!」ってマイケル・セラのことを怒っていたのがおかしかった。
そして、マイケル・セラは死に方もかなり酷かった。たぶん、実際はきっといい奴なんだと思う。作中、ほかのシーンでも、「奴は酷い死に方して当然!」みたいなことを言われてたけど…。

フランコのパーティーに来ていた有名人が次々に襲われるんですが、もうリアーナが穴に落ちていって「リアーナ!」って言ってるだけでちょっとおもしろいので、実名は正解だったと思う。

この先はフランコの新居に籠城するので、ほとんどワンシチュエーションコメディです。狭い中で男たちがわちゃわちゃともめたり仲間割れしたり仲直りしたり。

ジェームズ・フランコがあらゆる場面でセス・ローゲンを好きすぎて気持ちが悪い。褒め言葉です。ブロマンスをネタで使っているので、好き具合が誇張されていてより気持ち悪い。
“Seth”“James”と名前を書いた紙を自慢の新居に横に並べて飾ってるのだけでも、もう、少しひいてしまう。籠城するのに窓に貼るためはがそうとすると「セスのほうはダメだ。俺のを使え」と言ったり。おらゆる面でセスを大切にしてた。

ジョナ・ヒルは作中で嫌みだ嫌みだと言われてましたが、確かに片耳のキラリと光るピアスからして嫌みで、しかもなんの説明もない。気味悪いくらいいい奴で人当たりもいい。けれど、隠れてジェイを殺してと神に祈ったりと、外面だけがいいようだった。
その時に神様にわかるようにか、「『マネーボール』のジョナ・ヒルです」と言うのにも笑った。そりゃあ、知名度的にもアカデミー賞にノミネートされてたし、その作品を出すのが適当でしょう(『ウルフ・オブ・ウォールストリート』公開前です)。でも、この映画を観てる人はどう考えても、『マネーボール』以上に、『童貞ウォーズ』とか他の作品を観てるはずである。この辺の嫌みも関連作品を観てないと通じない。
また、エマ・ワトソンが逃げ込んできて部屋にこもったときに、「アメリカの人気者、ジョナ・ヒルだよー」と言うのもかなり嫌み。その前に、「彼女はイギリス人だからまずい飯も大丈夫だろ」とか、もう軽い人種差別発言があってそれも笑った。

家の中の揉め事で、ダニー・マクブライドがエロ本に精液をかけたことをフランコが激怒する場面もおもしろかった。「21世紀なのにエロ本でヌイてるのか?」とか、言葉の応酬が酷い。
あと、ジョナ・ヒルが悪魔にとりつかれたとき、低血糖で倒れたと勘違いしてミルキーウェイを食べるシーン。親鳥が雛に与えるように、と一旦口に含んだミルキーウェイを、というかもう唾液をフランコがジョナ・ヒルに垂らすシーンも引き気味ながらも笑った。
全体的にフランコは色んなシーンで気持ち悪いんですが、懺悔でリンジー・ローハンとヤッたと告白するのも、なんか本当にありそうで気持ち悪かった。おもしろかったけど。

ここまでも、何度も笑えるシーンが出てきて、声出して笑ってたんですが、後半のたたみかけ具合がものすごい。

まず、フランコの家を追い出されたダニーが暴徒と化してるんですが、手に四つん這いにした人間を連れてるんですね。ほぼ全裸で性奴隷として飼ってると言っていて、マスクをとったらそれがチャニング・テイタムっていう…。
序盤に話には出てきたけど、パーティーにはいないみたいだったし、すっかり出てこないと思いこんでた! こんな場面でこんな姿で出てくるとは、すっかり裏をかかれた。
四つん這いになりながらダニーの股間を触ってたし、“欲しがりチャニング”などと呼ばれてたし、本当に酷い扱い。仕事を選べと思ったけど、そもそも『21ジャンプストリート』でジョナ・ヒルと共演しているのを観て私の中での好感度が上がったので、今回、ますます上がりました。

セスだけ光に 選ばれずに天国へ行けないかと思われたその時、光がセスを包んだときに、♪エンダアア!と流れてきて爆笑した。『I Will Always Love You』が満を持したときのBGMとして使われるのって、世界共通なんだ。でも考えてみたら、もともと外国映画だし当たり前か。笑いは世界共通だと感じた。

それで天国ではしゃぎまくるんですが、なんでも手に入るって言って、セグウェイを出すのがまたおもしろいしわかる。なんとなく、みんなの憧れ感があるというか、チョイスが絶妙。ちょっと古いところがまたいい。

そして、本当になんでも願いが叶うのかとジェイが出したのが、バックストリート・ボーイズ!! 前半のパーティーでもBGMだけ使われてて、古いけどこうゆうイケイケパーティーに似合うなあと思ってたら、最後はご本人登場。みんなで踊って終わりですよ。
天国なんで確かにTHE END、でも、楽しい!

小ネタ全部は拾えてないけど、おもしろかった。でも、予備知識というか、関連作品は少し観ておいたほうがいいんじゃないかなと思う。観る人を選ぶけど、好きな人にはたまらないです。オールスターといった感じ。
私はこれから『スモーキング・ハイ』を観ようと思います。


劇場公開を待っていたのに、DVDスルーになってしまいました。
詩人、アレン・ギンズバーグとその周辺の人物の実話。アレン役にダニエル・ラドクリフ、彼の友人ルシアン役にいまをときめくデイン・デハーン。ウィリアム・バロウズ役にベン・フォスター。
以下、ネタバレです。









どの程度の実際にあった話なのかはわかりませんが、前半は文学やら芸術かぶれの若者たちの青春物であり、後半はこじれて結局はドロドロになってしまう。

友人ルシアンと書いたんですが、友人というよりはアレンは同性愛者だし、ルシアンに一目惚れしたんだろうなと思う。最初に彼を見たとき、緊張していた顔が一気に緩んでしまっていた。もうあの瞬間だけで、完全に恋に落ちてたし、ダニエル・ラドクリフのあの表情が良かった。

秘密クラブみたいな場所に一緒に行ったり、芸術家かぶれだからだと思うけどふざけて一緒に首つり自殺しようとしてきゃっきゃしてたり、クスリでトリップして、たぶん幻覚の中で血の契りを交わしたり、本の一文を切って壁に釘で打ち付けたり、図書館に忍び込んでわいせつ文書を陳列したり。
本当に学園青春ものでした。合間合間で、相手のことが友達には見られなくなる瞬間が描かれているのも切ない。

そして、キスを交わしてからは、関係がぎくしゃくしてしまう。これは、ルシアンはどんな気持ちだったんだろう。論文を書いてくれる人が新しく見つかって都合がいいやというようにあしらっていたけれど、本心は違うのは、キスした後の動揺混じりの泣きそうな顔でよくわかる。自分から深入りはしたくなかったのか。キスなんかしてしまった自分が嫌になったのか。それか、アレンもデヴィッドのようにストーカーじみてしまったら嫌だと思ったのか。自分がアレンの詩を書くことの邪魔になると思ったのか。
タイトルである『Kill Your Darlings』は“愛しいものは葬り去れ”という意味のようだけれど、その行為なのか。それとも、アレンがそうするように、自分を捨てるように仕向けたのか。
ここでのルシアンの拒絶と、この先の展開はつらかった。
ルシアンは「ほっといてくれ!」とアレンを部屋から追い出した後、自分も泣いていて、本当にこれが最良の選択だったのかと思った。また、泣き顔が少しだけ映って、すぐにぱっと画面が変わるのもいろいろ考えさせられる。

ストーリー自体は青春愛憎劇ですが、この映画はとにかくデイン・デハーンがすごい。
色男と言われてるライアン・ゴズリングが『ラブ・アゲイン』でモテモテの男前役をやったのが迫力あったように、美少年と言われてるデハーン君が美少年役やってるから迫力がある。ただでさえ美少年なのに、美少年の演技が加わるともう…。更に今回、外見が金髪蒼眼だから、大変ですよ。ダニエル・ラドクリフが黒髪黒目(加えて黒縁巨大メガネ)なので、その対比でも映える。

また、今まで『クロニクル』も『欲望のバージニア』も『プレイス・ビヨンド・ザ・パインズ』も『アメイジング・スパイダーマン2』も、彼が演じた役って童貞っぽかったんですよ。女のにおいがまったくしなかった。ある意味潔癖というか、触れられない、純粋さの残った役だった。
今回も暗めは暗めだし、過去に自殺未遂をしているので影はある役です。でも、明らかに経験済み、しかも、相手は男。
なんというか、色気がものすごい。ただ煙草を吸っているだけでも、めちゃくちゃ色っぽい。暗い過去と色気が混ざって、大変な事になっている。

シーンによっては、アレンの目線フィルターもかかっていてより色っぽく見えるのかもしれない。
完全にフィルターがかかってるのは、酔って膝枕で寝てしまったところを髪を撫でると、ふっと顔をあげてアレンを見て、その指を口に含むっていう、もうエロいとしかいいようのないシーン。実際には膝の上で泥酔しているだけで、アレンの妄想でした。

図書室の倉庫で、ルシアンに見られながら司書の女子に口に含まれるシーン。ここのルシアンも、最初興味深そうにしながらも、じっとアレンを見る瞳が完全に欲情してたし、少し目線を落として股間のあたりも見ちゃってた。こんな目で見られていたら、同性愛者のアレンもたまらないでしょう。

それと、やっぱりキスシーンはものすごかった。デハーンのキスシーン自体も初めて見たかもしれない。アレンが口唇のあたりを触ると、ルシアンは怪訝そうにしながらも、拒絶はせずに結局キスする。それで、一回やめて、やっぱり怪訝そうな少し相手が怖いような顔をしながらも、またキスをするっていう。
ここのデハーンくんの表情は色気というよりは、逆に幼くなってる。暗さとか影とか皮肉っぽい笑みとか、全部とっぱらわれてる素の表情にも見える。

このキスシーンのあとは、もう終始、悪魔みたいな顔と牢屋の中に捕らえられた絶望と恐怖が入り混じった顔をしていて、色気はなくなっている。
ただ、アレンにお願いをするときだけさりげなく牢屋ごしに手を触れたりして、もう本当に魔性。つくづくうまい役者だと思う。




追記:日本語字幕と吹替は入っていませんが、 北米盤がおすすめです。日本盤はDVDしか出ていませんが、北米盤はBlu-rayで観られます。日本と北米はリージョンが同じなため、PS3でも再生出来ました(DVDもセットで付いてきますが、リージョンが違うため、PS3では再生出来ませんでした)。
また、日本盤は特典映像が予告編のみでしたが、北米盤は
▼ダニエル・ラドクリフ、デイン・デハーン、ジョン・クロキダス監督、共同脚本/原案オースティン・バンのオーディオコメンタリー
▼ダニエル・ラドクリフとデイン・デハーンのインタビュー
▼ジョン・クロキダス監督、共同脚本/原案オースティン・バンのQ&A
▼トロントフィルムフェスティバルのレッドカーペットの模様
▼未公開シーン
▼予告編
と盛りだくさんです。特にオーディオコメンタリーの裏話が素晴らしい。