『そこのみにて光輝く』


綾野剛については出演作はまったく観ていなかったんですが、ドラマ『ロング・グッドバイ』の原田保が良かったので観ました。
函館が舞台。大きな括りでみればラブストーリーなのかもしれないけど、もっと広くその周辺の家族、仕事、人付き合いなどについて描かれていた。
以下、ネタバレです。




函館というと朝市とか夜景とか華やかな観光地のイメージが強いが、この作品は函館が舞台とはいってもそんな面はまったく描かれていない。実際に暮らしている 人たちの姿がリアリティをもって描かれているが、これがいまの町の姿なのかわからない。原作の小説自体が25年前のものらしいので、25年前なのかもしれ ない。海沿いの田舎の話である。仕事は海産物加工業か林業くらいしかなく、それも不定期で、コミュニティが小さく、しきっているのはヤクザまがいの人物 で、その人物に逆らうと文字通り村八分にされる。海も出てくるけれど、空が曇っていたせいもあるかもしれないけれど、いかにも北の海という撮られ方をして いる。

そんな土地で、家は小さな番屋のようだし、そこには病気の父親がいて、刑務所帰りの弟がいて、結局自分は生活を支えるためにスナッ クの裏で体を売って…。池脇千鶴が演じる千夏は、何度も町を出て行こうと思ったと言っていたけれど、結局、家族を置いては行けなかったのだろう。
ただ、彼女の身になって考えると、土地に縛られ、仕事に縛られ、家にも縛られ、もうがんじがらめでまったく動きがとれない。いつまでも終わらない地獄が続き、これを終わらせるためにはすべてを捨ててゼロからやり直すしかないように思える。

彼女の状況が壮絶だから、主人公達夫の悩みがちっぽけに思える。友人を死なせてしまって、その姿を見たにしても、意図的に殺したわけではなく事故だ。しかも、周囲の人から仕事への復帰を望まれている。自分という存在が求められているなんて、むしろ、恵まれているといってもいいくらいだ。

だから、人を好きになるにしても、達夫は無防備だったけれど、千夏は思いきり警戒していた。そりゃそうだ。もうあとがないのは千夏のほうだけなんだから。
似た状況の二人が出会って恋に落ち…みたいなことが書かれていたけれど、確かに置かれている状況が悪く、悩みがあるのは二人とも同じだけれど、その度合いがまったく違う。

綾野剛は、前髪が長く表情が隠れていて、猫背ですべてに対するやる気を失っているような役だった。演技というより、雰囲気を作るのがうまい役者さんなのかもしれない。
それよりも千夏の弟役の菅田将暉の演技が良かった。ドラマや映画に多数出ていたようですが、全く知らなかった。仮面ライダーWの主演だったらしい。綾野剛も仮面ライダー555に出ていたらしいけれど知らなかった。

千夏の弟拓児と達夫も、はみだし者が出会ってひかれるという点では千夏と一緒。達夫は最初は喧嘩しつつぶつかり合ったり、鬱陶しがっていたけれど、そのうち 仲良くなっていく。映画を観ている側としても、最初パチンコ屋で出会ったシーンでは関わりたくないと思ったけれど、この子はピュアで怒りにしても喜びにし ても感情を出し過ぎているだけなのだというのがわかり、好感が持てるようになっていく。

高橋和也が中島という地元の有力者みたいなのを演 じていて、パンチパーマのろくでなし具合が相変わらずうまい。その中島について、後半、本当に怒りをおぼえるシーンがあり、許せないのですが、映画を観て いる私たちよりも、拓児のほうが感情がおさえきれない。ナイフのようなもので刺してしまう。

刺した後逃げた拓児は達夫の家の前に座り込ん でいて、発見した達夫は最初は思いきり殴る。そして、その後、よくやった、よくやったけど、駄目なんだよ、我慢しなきゃ駄目なんだよというように、殴る力 が弱くなって、肩をぽんぽんと叩く。達夫だって、その場にいて、中島の言葉を聞いたら、どうなっていたかわからない。拓児の気持ちもわかるからこそ、で も、逃げ切れることなんてできないのもわかっていて、やりきれない気持ちがよく出ている。二人の演技が特に印象に残っているいいシーンだった。
その後、警察まで自転車で二人乗りをしていくのがまた切ない。拓児の最後の「ありがとう」も。逃げも隠れもしないで素直に交番へ走っていく背中は少し大人になったようにも見えた。

エンドロールの最後で監督が女性だったのに驚いたんですが、しかも若かったので更に驚いた。渋めの作風だったけれど、それは原作が昔の作品なのも影響しているのだろうか。

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