『青天の霹靂』


劇団ひとりの原作、脚本、監督、出演作。『陰日向に咲く』も監督したのかと思っていたら、今回が監督デビュー作らしい。
以下、ネタバレです。




『陰日向に咲く』と同じく、明るい話ではない。“人生うまくいかないことばかりだけど、ひたむきに一生懸命に生きる人”にスポットが当てられている点も似ているかもしれない。
序 盤の、売れた後輩が自分の働いているバーに来る→その後輩の吐瀉物の始末→帰りにスーパーで半額になったホットドッグを買う→帰宅するとアパートの水道管 が壊れ、ゴミだらけの部屋が水浸し、電気も切れる→外で半額ホットドッグを食べようとしたら電話がかかってきて、でようとするとホットドッグのソーセージ が地面に滑り落ちる→その電話が父の死を知らせるものだった、という一連のやりきれない出来事が連鎖的に起こっていく様子は見ていて本当につらくなった。 よくぞここまでのオンパレードを思いつくなあと思った。自分の身に起こったら…と、想像するだけで気が滅入ることばかりだ。

ただ、この役に大泉洋がよく合っていた。いままで、彼の舞台っぽくて大袈裟な演技があまり好きではなかったけれど、今回の抑えめの演技は良かったと思う。
手品シーンもたくさんあるけれど、練習してノースタントで挑んだというからすごい。手先の器用さにあらためて感心する。

話の持っていきかたというか、細かい行動にいちいち理由がついていて、納得しながら観た。例えば、タイムスリップした先で牛乳を30円で買う。十円玉は昔と 今で変わらないからおもちゃのお金!みたいなことがなくなる。タイムスリップした先で小学生に新聞紙で浦島太郎の亀のごとく叩かれ、逃げていって落とした 新聞紙の日付にてすぐにいつにタイムスリプしたかがわかる。現代に帰る時、マジックショーの最中だから、ステージ上で消えても拍手喝采。全部計算ずくなのがわかって、肩肘はった感は否めないが真面目に映画を作っているのが伝わってきて好感が持てた。

ラストの土手のシーンも、現代での配置がカメラが人物の後ろにまわりこむと、そのまま過去の配置に変わって…という演出がニクい。ベタではあるかもしれないけれど、うまいし、好きです。さらっと爽やかに終わるのもいい。

途中、音楽の使い方や泣き顔の見せ方などは泣かせようというあざとさも感じられるけれど、実際に泣いたので文句は言えません。

タイムスリップした先の昭和っぽさは舞台は良かったけれど、柴咲コウが現代の顔立ちというかメイクが現代的というか、まったく昭和っぽさが無かったのが残念。
風間杜夫が浅草のホールの支配人役で出てくるけれど、派手なスーツにストロー帽で昭和な様子はどう見ても『蒲田行進曲』の銀ちゃんで、これは狙って配役されたのではないかと思う。

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