『サラの鍵』



2011年公開。フランスでは2010年公開。
2006年に出版された小説を原作にしている。

ユダヤ人の迫害というとドイツのイメージだけれど、フランスでも行われていたのを知らなかった。1940年のドイツ軍フランス侵攻で負け、フランスはナチスドイツに占領されていた。

その時代、1942年に行われたフランス在住のユダヤ人が大量に検挙されたヴェル・ディヴ事件と、そこから逃げ出した少女サラと、そのサラの行方を追うジャーナリストジュリアの話である。
ヴェル・デイヴ事件というのも知らなかったのですが、ユダヤ人が競輪場に大量に集められ、そこから、強制収容所へ送られていったらしい。女子供問わずだったとのこと。

ホロコーストが題材ではあるけれど、政治色が強すぎたり、変に説教臭かったり、ガチガチにかた苦しくはならない。1920年代だけではなく、現代も平行して描かれているからかもしれないし、ジュリアによるサラの素性調査という形をとっているからかもしれない。
パリ、ブルックリン、イタリアと飛び回り、縁のある人に話を聞いて、徐々にサラの人生が明らかになっていく様子は探偵ものの謎解きミステリのようだった。

一体、サラの身に何が起こったのか、そして、今どこにいるのか…など、先が気になって仕方なくなる。これは、映画がそういう風な作りになっているせいもあるが、実話ではなく原作が小説だからかもしれない。ちゃんと、次々読み進められるように、ページを捲る手がはやくなるように書かれている。

サラが逃げた時に匿った老夫婦とその孫、サラが以前住んでいたマンションのオーナー(夫の祖父)、サラの夫、サラの息子…。話を聞くたびに、サラが形になっていく。
しかし、同じマンションに住むというだけで、そこまで入念に調べる必要があったのだろうか。気になるのはわかるし、ジャーナリスト魂みたいなものが疼いたのかもしれない。でも、墓をあばくようなことにはなっていなかったのだろうか。

ジュリアは調べていけばサラご本人に会えるのではないか、と考えていたのかもしれない。しかし、サラは若くして自殺をしていた。
両親が強制収容所へ送られたこと、そして、弟を納屋に閉じ込めたまま、結局は殺したような形になってしまったことをずっと考えていたのだと思う。
そんな辛い現実を知る必要があったのだろうか。サラの息子も何も知らないようだった。

息子に関しては、自らのアイデンティティーが揺らぐような事柄を、まったく自分と関係のない、初めて会う人から聞かされたわけである。家庭内で解決すべき問題だった。言うタイミングなども、父親は考えていただろうし。
ただ、父親ももう施設に入るような年齢だし、息子も「50年間知らないままだった!なんで教えてくれなかったんだ!」と怒っていたようだったので、きっかけを作ったのは良かったのかもしれない。

ジュリアは高齢出産を決意し、産まれた子供にサラと名付ける。元々、同じマンションだったというだけで、縁もゆかりもなかったけれど、詳しく調べることによってもう他人とは思えなくなったのだろう。平行して描かれていたサラとジュリアの人生が、初めて交わったのを感じた。

観ているのが苦にならないようなミステリ風の語り口で、重要な歴史を白日の下にさらす。それは映画の役割の一つでもあると思う。



0 comments:

Post a Comment