『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』(二回目)



二回目。一回目より落ち着いて観られました。
以下、二回目で気づいたことなど少し。ネタバレです。








一回目の時は、どんな話なのかもわからなかったし、リーガンが常に不安定で何をやらかすかわからなかったのでひやひやしながら緊張感を持って観てたんですが、今回は流れがわかっていたのでリラックスしながら観られました。
何をやらかすかというのは、人に危害を加えるのではないかということと、自殺するのではないかということだったんですが、最後付近になるまでそれは起きないのはわかっていた。
要は、この人はただ単に、初舞台を前にナイーヴになっているだけなのだ。

飛行シーンも、もしかしたらビルから飛び降りるのではないかと思っていた。あのシーンも二日酔いで街を歩き、屋上へ行き、自分で(もしくは屋上で声をかけてくれた人に付き添われながら)下へ降りて、タクシーで劇場へ向かったということなのだと思う。タクシーも人に呼んでもらったのかもしれない。お金も、あれは他の人、マネージャーのジェイクあたりが払ってそう。

それで、元妻が「ナイフを投げた一時間後に愛してると言った」と言っていたことと、マイクを「コーヒーを飲みにいこう」と誘うところなどから、もしかしたらアルコール中毒なのかなとも思った。はっきり描かれているわけではないのでわかりませんが、酒を飲むのに躊躇するシーンが何度か出てきていた。

サムですが、おそらく死ぬ気はなかったと思うけれど、あまり楽しい気分ではなく屋上に居て、そこでのマイクとの出会いが彼女の気持ちを生きる方へ変えたのだと思う。
「インポじゃなかったら私に何をしたい?」と聞かれたときにマイクが「目をくりぬく」と言ったときにはぎょっとしたけれど、そのあとすぐに「その若い目で街を見てみたい」という素敵なセリフが続くのが粋。
間接的に、そんなに若いんだから死ぬなよと言っているようにも思える。
サムもなんとなくそれを感じ取ったのかもしれないし、人を好きになることで、前向きな気持ちになったのかもしれない。

ラストの解釈ですが、開いてる窓を見て、当たり前ですが、サムは飛び降りたと思って、下を先に見るんですよね。その時に、一瞬、絶望の表情を浮かべているように見えた。よくわからないという怪訝な表情なのかもしれない。
おそらく、自殺はしているのだと思う。
その後で上を見上げて晴れやかな表情をするので、たぶん、これで良かったという、肯定的にはとらえてそうだけれど…。
それとも、本当に窓を開けて飛んでいってしまったのか。あまり深く考えるところではないのかもしれない。

映画内で演じられるレイモンド・カーヴァーの『愛について語るときに我々の語ること』も読みました。
特に盛り上がりがないというか、淡々とした話で、テーブルを囲んで、二組の夫婦が“愛について”話しているだけの短編である。
少なくとも、トナカイは出てこないし、どこで出したのかもわからないので、どんな使われ方をしていたのか確認したい。
銃のシーンはストーカーのような感じなのだけれど、殺されそうになった元パートナーの女性が「そんな愛し方もあることがわかる」と話している。他の三人からは同意されない。
映画の中の劇は、リーガンが脚色したことになっていたし、そのストーカーもリーガンが演じ、しかも、クライマックスに持ってきているということは、リーガンもその男に同意していたのかもしれない。

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