BBC Oneにて放映中のトム・グリン=カーニーが出演しているドラマ。アデン危機の話。全六話の五話感想。

一話、二話感想
三話感想
四話感想

以下、ネタバレです。









ハリー少佐の息子ジョージ救出回。
一話、二話くらいは登場人物がわりと好き勝手に動いていたけれど、今回はみんながそれぞれジョージの救出に向けて動いていた。

前回撃たれたエドは回復していた。良かった。
その中でそばにいた妻アリソンとも仲が回復していたが、妊娠している子供がエドの子供ではないということは言えていないようだった。どうなるのか。

最初は女性陣がアクが強くて困っていたけれど、今回、アリソンと、ジョージの帰還をひたすら待つマリー(ジョージの母)の二人は演技が素晴らしかった。
マリーは前回も「私のせいだ」と言うオナーを聖母のような微笑みで許していて、ここもうまいなーと思ったが、今回の、人前では背筋を伸ばして表情を変えず、気丈に振る舞いながら、一人になったときに自分で自分の口に布を押し込んで声が漏れないようにして泣き叫ぶシーンは本当につらい。

このドラマが他の戦争ものと違うのは兵士中心ではなくその家族の描写もきっちりあるところだと思う。普通なら、息子の救出のための交渉で一悶着あるくらいだろう。兵士とその妻たちまで描かれることで、戦争ものというよりはヒューマンドラマの印象が強くなっている。
赴任先での生活を経験したピーター・モファットが手がけているということで、リアリティもあるのだと思う。

それぞれのキャラクターに愛着がわいてきたところで多分次回最終回。さみしい。
ラストではジョーが逮捕されていた。たぶんフィルムを隠蔽したからかな。

ジョージは結局、逮捕していたテロリスト(ゲリラ?)のリーダーの解放と交換になった。
ユースラはジョージに喘息?の薬を与えてあげたいと言っていたので、やはりやらされているだけだった。ユースラも被害者です。

交渉の場に行ったのはジョーとトニー(トム・グリン=カーニー)。中でも直接交渉したのはトニーで、ジョージだけでなくユースラの解放も条件に加えたのは彼の機転だったのだろうか。最初、2対1なんてだめだと言われたけれど、女子供とリーダーの交換だと食い下がって条件を飲ませていた。

しかし、そのあと、ユースラとトニーはどうにかなったりするかなと思いきや、特に進展もなく。
ジョージが帰ってきたので、花火は上がり、パーティーも盛り上がっていたけれど、そんな中でトニーは酒をあおって、ふらつきながら、外へ出て、煙草をふかして、柵を蹴っ飛ばしていた。
やさぐれたトム・グリン=カーニー、なかなか新鮮でいいです。
それでも、外に出るときにちゃんと上着を羽織るあたりが律儀で良い。

ただつらすぎるシーンではあった。
トニーがハリー少佐に、NLF(ゲリラ)に身元が知られている彼女を守ってくれと言っても、彼女の家族ごと連れてくるわけにはいかんだろと断られていた。
「それじゃあ、家族ごと殺されますよ?」と言っても聞く耳持たず。ハリー少佐は自分のことでいっぱいいっぱいなこともあるのかもしれない。ジョージが解放されても手が震えていたし。
パーティーは盛り上がり、年が明けてもトニーだけは外にいた。全然めでたくないから祝うことなんてできない。そこでのやさぐれである。

次回予告では、やっぱりユースラがどうにかなりそうだった。アジトを秘密裏に教えたのは彼女だし、そりゃそうだろう。「彼女はどこだ!」と叫ぶトニーが出てたから、トニーはそれを止めようとしていたんだと思うけれど、このへんもどうなってしまうの。もう少し恋人っぽいことになるのかと思いましたが、もっと厳しい。プラトニックなまま終わりそう…。

というか、プラトニックどころか、ユースラは自分の父親がイギリス軍に殺されたことも知らないかもしれないし、これから知ったらもうトニーとは会わないかもしれない。会ったとしても、母と兄だか弟が一回イギリス軍に逮捕されたりもしているわけで、もう周囲も許さないだろう。ちょっとしたロミオとジュリエットって言うからもっと軽いのかと思っていたけれど、それどころではない。絶対に許されない。つらい。

(余談ですが、トム・グリン=カーニーが、トニー・アームストロングがジョーを救った旨をツイッターに書いていて、それに対してジョー役の男の子が「助けてくれてありがとう!!」ってリプを返していたのがとても可愛かった。可愛かったけど、私は本編を見る前にこのやりとりを見てしまったよ…)





2015年公開。イギリスでは2014年公開。
『シタデル』と同じく『ダンケルク』関連でジャック・ロウデンとバリー・コーガン目当て。
しかし、そんな軽い気持ちで観る映画ではなかった。

舞台は1971年の北アイルランド。あまり詳しいことがわかっていなかったので、どの陣営とどの陣営の争いなのかよくわからなくなってしまい、上官の説明部分をもう一度見返しました。
イギリスの新兵たちが暴動の起きている北アイルランド(ベルファスト)に派遣される。そこでは、イギリス軍を敵視しているカトリック系(IRA?)とイギリス寄りのプロテスタント系が対立していた。IRAの中でも、非武装の穏健派と武器を持った暫定派で分かれているとのことだった。新兵たちは警察の家宅捜索(武器はあるか?と聞いていたので、たぶんIRA暫定派の家?)に同行する。

主役はジャック・オコンネル演じるゲイリー。映画を観る前は軍隊のドンパチものだと思っていたから、いろんな兵士たちに出番があるのかと思っていたが、ほぼゲイリー一人の話だった。警察の家宅捜索の同行という簡単な任務だと思われたが暴動に巻き込まれてしまい、ゲイリーだけが敵地に残され、そこからの帰還を目指す。
予告を見ているとデイリー・テレグラフの評として“完成度の高いサバイバル・スリラー”というのが出てきたり、「必ず生きて帰る」というセリフが出てきたりとほぼ『ダンケルク』です。手持ちカメラでゲイリーを追っていくあたりのリアリティも似ている。ただ、こちらは残されたのは一人きりである。

あと、私の知識不足なんですが、イギリス兵は軍服を着ているからわかるのですが、他の私服の人たちがどの陣営かわからなくて混乱した。髭の感じも似ている。最初の方に工作員と説明されていたのはIRAと対立している陣営だったのだろうか…。

ジャック・ロウデンなのですが、あまり詳しくは説明されないけれど、ゲイリーと親しそうなトンプソンという兵士で、カメラは主人公のゲイリーを捉えているから、結構いつも近くにいるトンプソンも見切れて映ることが多かった。
また、兵士で並んでいるときもニコニコしていたり、ゲイリーをバシバシ叩いたりと無邪気。IRA側(たぶん)の子供達に小便の入った袋を投げつけられたときも舌をぺろっと出していた。
軍隊らしからぬちょっとふわふわしていそうな体も可愛い。太っているまでは言わないけど。色が白くて、背が高いのも目立つ。
しかし、序盤の暴動に巻き込まれた挙句、顔を撃たれて死んでしまう。よりによって顔である。
映画自体、ゲイリーのサバイバルが中心だから、中心に行く前にいなくなってしまうのは残念だった。二人で逃げる展開なら良かったがそう甘くもなかった。
いい役ではあったけど、出番は思ったよりも少なかった。辛い内容です。

バリー・コーガンはIRA暫定派(たぶん)の青年、ショーン役。序盤の揉み合いのシーンではバリー・コーガンとジャック・ロウデンが同じ画面に映る。
『ダンケルク』では無垢で勇敢なジョージ役だったけれど、本作ではほぼ無表情で何を考えているかわかりにくい役。でも人の多いシーンでも一人だけ異質というか、目立っていた。無表情になると一気に冷たい印象になるのがとてもいい。怒りをおさえつつ何をしでかすかわからない爆弾を抱えてそう。でも、いざとなると撃てない少年っぽさも残っている。
今、北米で公開されているヨルゴス・ランティモス監督の『The Killing of a Sacred Deer』は、おそらくこれ系に悪魔成分をプラスした感じだと思う。ニコール・キッドマンとコリン・ファレルだし、日本でも公開されるのではないかと思うけどどうだろう。





前作が公開されたのが1982年ということで、実に35年ぶりの続編。
だいぶ時間が経っているのでそれほど関係ないかと思いきや、がっつり続きなので、前作は観ておいたほうがいいと思います。

あと、10分程度の前日譚が3作品公開されていますが、観なくても文字での説明があるので話はわかるけれどこちらも観ておいたほうが映画の世界観に入り込みやすいです。
前作が2019年、本作はタイトル通り2049年。短編はその間の2022年、2036年、2048年に起こったことが描かれている。特に、2、3作はキャラの掘り下げにもなっているので観ておいたほうが本編で愛着がわくかもしれない。
2作目にはベネディクト・ウォンが出ているが、本編には出ません。

監督はドゥニ・ヴィルヌーヴ。美術の面で特に彼らしさが出ていたかなと思う。ところどころで『複製された男』を思い出しました。

以下、ネタバレです。














まず最序盤に、主人公のK(ライアン・ゴズリング)がレプリカントであるということが知らされて、それすら知らなかったので驚いてしまった。

そして、骨が出てきてそれがレイチェルのものだとわかったときに、劇場内の人たちが、あ!と息をのむのがわかっておもしろかった。しかも、どうやら妊娠、出産した跡がある。ということは、この時点では説明はされないけれど、父親はデッカードである可能性が高い。
Kは生まれた子供を捜す役目を担うが、そのうち、どうやら、K自身がその子供なのではないか?という流れになっていく。
しかし、これは私がK目線で観ているからそう思っただけだった。前作でもレイチェルはタイレルの姪の記憶を植え付けられていただけだったのは知っている。でも、Kについてはそれが他の誰かの記憶だと言われても、信じたくなかった。主人公だし…とも思っていた。きっと彼がデッカードとレイチェルから生まれた特別なレプリンカントなのだろうと。
でも、決定的に違うということが知らされて、Kだけでなく、私も絶望してしまった。

Kの恋人と思われたジョイも、結局ウォレス社の量産型であることが途中でわかる。どこまで精密なのかはわからないけれど、量産型とはいえ、長く一緒に暮らすうちにそれぞれ個々で違った気持ちも芽生えるのだろうか。別のレプリカントと同期してのラブシーンはすごく妖艶だった。観たことない映像。素晴らしい。

それでも、結局まやかしだったのだろうか。
彼女のデータが壊されて、K自身も瀕死になったあとで、広告の巨大なジョイが裸で誘ってくるのは胸が痛んだ。一緒にいたジョイではなく、他のところのジョイだ。孤独感が際立っていた。

最後、Kはデッカードになんでこんなに親切にしてくれるんだというようなことを問われていた。Kは何も言わなかったけれど、父親と思っていたし、一度そう思ってしまったから、違うのはわかっていても気持ちは変えられなかったのだろう。違うと言われても、記憶は自分の中にある。拠り所にしてしまっていたのだと思う。
自分が特別な存在では無く、普通のレプリカントだったというのがわかっても認められない気持ちも、K目線で観ていたからよくわかって本当につらかった。
デッカードはジョーと名乗った青年が、自分にそんな思いを抱いているなんてまったく気づいていなかったと思う。完全なる片想いです。

ステリンがKの記憶を見たときに涙を流していた理由も、後からわかってなるほどと思った。それ、私の記憶だもんと、彼女だけがあの時点でわかっていたのだ。あの時点で、あなたの記憶じゃないですよと泣きながら、ちゃんと真実を告げていた。彼女もつらかっただろう。

研究所まで送って行って、外の階段で一人死ぬというのはあまりにもつらいラストだ。でも、SF的な切なさはあるし、実は父親でした!親子愛!みたいな感じにされるよりは良かった。それではベタすぎる。

よくある映画なら、ジョイは体を手に入れて量産型ではなくなり、Kとこの先も幸せに暮らし、デッカードとKは感動の再会、これからは親子としてよろしくみたいになると思う。それか、親子と認識して、デッカードがKを守って死ぬとか。
そんなよくあるパターンはことごとく裏切られたが、この物悲しさがとても良い。ひんやりした肌触り。ディストピアの世界観とも合ってる。
よくあるパターンのハッピーエンドでは空が晴れていそう。ディストピアな未来はそのままなのだ。

結局、人間対レプリカントの対決は終わってない(Kはデッカードの殺害をたのまれていたが無視していた)し、レプリカントが繁殖ができるできないもわからない。ステリンがどうやって生まれたのかも謎のままだ。
デッカードが人間だから、レイチェルとの間にハーフのようなものとして生まれたのかもしれないし、レプリカント同士でも愛があれば繁殖が可能とかロマンティックな理由かもしれない。

そして、レプリカント同士での繁殖を夢見ていたウォレス(ジャレット・レト)も野放しのままである。野望を抱えたまま、この先も研究を続けるだろう。それどころか、本作ではウォレスの出番はそんなに無かったかなと思う。前日譚のほうが出番が多かったくらいではないかと感じた。

上映時間が163分と長い割にいろいろと解決してない。でも、考えてみれば、前作も別に解決していない。侵入者を倒しただけだ。

大枠として世界があって、その世界自体は変わらないけれど、その中で起こった一つの事件が解決したという感じなのかなと思う。
たぶん、本作でウォレスを倒す的な結末を迎えたところで、違う人が現れてレプリカントの研究開発をしそうだし。もう、そういう世界なのだと思う。
レプリカント殲滅しましたね、人間だけになってめでたしめでたしという話ではない。
それよりは、あの世界の中でのKの個人的な話でよかったと思う。

それとも続編を作る余地を残したのかもしれない。

ディストピアな世界観がどれも美しかった。
私は、汚染されたラスベガスが特にぐっときました。砂煙なのかスモッグなのか、視界が悪く、変に赤い。有毒っぽさが伝わってくる。

裸の女性の巨大な像だけは残っていたが、朽ち果てた猥雑さがとてもいい。
デッカードが住処にしていた遊興施設もよかった。地下の劇場のようなところで、ホログラムのエルビス・プレスリーがショウを繰り広げているが、壊れていて映像も音楽も途切れ途切れになっていた。ジュークボックスもホログラム式だった。

美術はどれも美しくて、それを観るだけでも大満足。私は通常2Dで観てしまったけれど、できればIMAXのほうがいいのではないかと思う。
ウォレスのレプリカント工場の無機質さと不気味さも素晴らしく、少ししか出てこなかったけどもっと見たかった。特に予告編でも流れていた、ビニールの中から新しいレプリカントがずるっと落ちてくるのは、そうやって生まれるのかとレプリカントの製造の一端が見られて興味深い。ジョイとのラブシーンもそうだけど、このように、存在しないものを一から作り出している映像を見ていると、頭の中を覗いてみたいと思ってしまう。新しい映像の宝庫だった。


『シタデル』



2012年公開。アナイリン・バーナード主演でたぶん唯一日本で観られる映画。
ジャケットからはホラーかと思われたし、たぶんジャンルとしてはホラーなのかなとも思うがあまり怖くはない。

トミー(アナイリン・バーナード)は、住んでいたマンションから、臨月の妻との引越し作業中、妻が何者かに襲われる。赤ちゃんは助かるものの、妻は死亡。
以降、何者かの影に付きまとわれ、怯えて暮らす日々を過ごすが…という内容。

最初のほうで、事件の被害者同士が集まるセラピーのようなものに出ていて、被害者が再び被害に遭う可能性が高いのは被害者オーラが出ているせいだという話をされる。
だから、トミーは妻が殺される不幸な事故の後遺症のような感じで、強迫観念にかられているのかと思った。襲ってくる何者かも妄想。

しかし、病院で優しくしてくれた看護師さんが「大丈夫よ、怖くないところを見せてあげるわ」と言って何者かの集団の中に入って行って、結局本当に殺されてしまった。看護師さんはもちろん強迫観念にとらわれていないから、何者かは本当に存在するということになってしまったのだ。

また終盤、看護師さんが「病気なのよ」と言っていた神父の言うことが正しいとも証明されてしまった。彼女が唯一まともっぽかったので彼女の言うことを信じたのに。

トミーの住んでいたマンションが悪の巣窟みたいな感じになっていて、最後には爆破して事なきを得ていたけれど、トミーは長らくここに住んでたんですよね? 今までおかしいことは起こらなかったのだろうか。他の住民はいなかったのだろうか…。
序盤で妻にキスするトミーは幸せ真っ只中といった具合だった。何も心配事などなさそうだった。さすがにあれだけの悪の巣窟なら気づきそうだけど。

怯えや強迫観念、恐怖心を抱くことで異形の者たちに見つかるようだったから、今まではそのような感情がなかったから気づかなかったということだろうか。

ラスト付近では心を強く持つことで、異形の者たちの中を見つからずに歩いていた。これは、妻が殺されてしまったことで生まれた恐怖心などを克服して強くなったという捉え方でいいのだろうか。異形の者たちは何かのメタファーなのかもしれない。
でも、もしそうならば、看護師や神父を殺すのはやめてほしかった。特に看護師までも殺されるのは理不尽すぎるし、話の中でも必要性を感じない。トミーのサポート役兼ほのかなラブ要員として活躍させてほしかった。
神父はそのマンションに因縁があったようだから殺される必要もあったのかもしれないけど、そこまでの怨念マンションなら、トミーが幸せに暮らしていたのも疑問。

強迫観念とか恐怖心の克服をテーマにするか、本当に異形の者が存在して邪悪にどんどん殺していくホラーにするか、どちらかに振り切ってほしかった。中途半端です。

ゾンビものにしても、ゾンビが走る走らないとか、頭を撃ち抜けば死ぬとか、噛まれるとゾンビになるとかルールを徹底してくれないとおもしろくない。ホラー自体をそれほど観ているわけではないからわからないけれど、ルールが徹底されていないと世界観に入り込めない。この映画は異形関係でのルールも徹底されていなかったと思う。この点でも中途半端。

ただ、アナイリン・バーナードはとても良かったです。終盤以外は赤ちゃんを抱きしめて怯えている。守ってあげたい感じ。
たぶん看護師も同じ気持ちだったのだろうけど、目をつぶって怯えているトミーに口づけるシーンがあって、すごく共感しました。

アナイリン・バーナードは2009年にローレンス・オリヴィエ賞主演男優賞を受賞してるのに、もっとそれが活かせる映画を…と思ってしまいました。
中盤までは、赤ちゃんを抱いてはいるけれどほとんど一人芝居なので、演技は堪能できる。けれど、ストーリーがこれではもったいない。


監督は『ジョン・ウィック』の のデヴィッド・リーチ。『デッドプール2』の監督も決まっている。

ベルリンの壁崩壊の裏で起こっていた各国スパイの暗躍が描かれている。グラフィックノベル『The Coldest City』が元になっているらしい。

シャーリーズ・セロンが女スパイを演じる。ジェームズ・マカヴォイとビル・スカルスガルドが出ているが、マカヴォイはイケメン枠ではないと思う。
他、ジョン・グッドマン、トビー・ジョーンズ、エディ・マーサンというアクの強い俳優が揃っている。

以下、ネタバレです。









シャーリーズ・セロン演じるMI6のロレーンが任務について報告しているのを上司とCIAが聞きとりをしているという作りなので、本編中にロレーンがピンチになっても、でも過去の出来事だから死にはしないんだなと思いながら観ていた。

東西冷戦のスパイ物というとちょっと重めだったり暗くなったり地味になったりしそうだが、この映画は色合いが青みがかっていたりと独特でおしゃれ。
また、曲がいいと聞いていたので、わざとサントラの曲目は見ずに臨んだら(ライブ前に他のライブハウスのセットリストを確認しないのと一緒)、一曲目からニューオーダーの『ブルーマンデー』で盛り上がった。他、デヴィッド・ボウイやジョージ・マイケルなども使われている。
色合いや曲から、所謂冷戦物ではないなと思ったが、最初にベルリンの壁が崩壊した時のレーガン大統領の演説を流して、これとは関係ないですと言われていたので別物なのかもしれない。

シャーリーズ・セロンのアクションも恰好よかった。
仲間らしい仲間は出てこず、常に単独で複数を相手にするバトル。でも、女一人で複数の男を倒さなくてはならないので、単純に銃や腕力というよりも、相手が持ってる武器を奪ったり、避けた拍子に流れで攻撃したり、鍵で顔を刺したりと、知恵を絞っていた。
中盤のスパイグラス(エディ・マーサン)が撃たれてからの長回しは迫力があった。7分半らしいがもっと長く感じた。ロレーンもかっこいいだけでなくさすがに疲弊してきていて、なんとなく『フリー・ファイヤー』を思い出した。這いつくばって銃を撃つあの感じ。顔や服も汚れてくるし、殴る時には声も漏れる。体裁など気にしてられない。ズタボロになりながらもなんとか攻撃する。

ジェームズ・マカヴォイは少し前まで可愛い系のイケメン俳優のイメージだったけれど、『フィルス』っぽい役が増えてきていて、今回もそっちです。サイコっぽい。髪型はシニード・オコナー(と映画内で言われてた)。スキンヘッドですね。最初にベルリン支部にこんな男がいるよって紹介ではイケメンマカヴォイだったんですが。

代わりといってはなんですが、ビル・スカルスガルドが恰好よかった。そこまで出番のないサポート役ですが、仕事が確実そうで信頼できる男役。
ビル・スカルスガルドは『IT イット“それ”が見えたら、終わり。』もそろそろ公開される。ほぼピエロメイクだと思いますが…。

ソフィア・ブテラはフランスのエージェント役として出演。ソフィア・ブテラは『キングスマン』のガゼル、『スター・トレック BEYOND』のジェイラ、『ザ・マミー/呪われた砂漠の王女』のアマネットと、素顔を見せかったり、少し変わった役が多かったけれど、今回は諜報員になりたての女の子ということで、私が見た彼女の中では一番キュートな役だった。
一応、ロレーンと関わりのある男性としてはマカヴォイとスカルスガルドなんですが、シャーリーズ・セロンとこの二人よりも断然ソフィア・ブテラとのベッドシーンが見たいよな…と思っていたら、ちゃんと入っていて大満足でした。

ロレーンが主人公でシリーズ化もできそうだなと思ったけれど、彼女はMI6ではなくCIAだったという一応のオチがついてしまったのでここでおしまいっぽい。でも、真実を知らされたところで、そうですよねという感じもする。というのも、シャーリーズ・セロンはどう考えてもイギリス人ではないし、イギリス人っぽくもないから、トビー・ジョーンズの部下としてMI6で働いているという設定からして違和感をおぼえたからだ。
そして、KGBとMI6との二重スパイでもあったということで、壁崩壊にも一役買っていたという…。序盤で関係ないよと言われていたが、やっぱり関係あった! 結局冷戦物だったが、映像・音楽のスタイリッシュさからか、またグラフィックノベルが元になっているからなのか、重厚さはなく、軽いかなと思う。冷戦スパイ物だと思ってしまうと物足りないが、ストーリーよりはシャーリーズ・セロンの美しさなど、映像や音楽で堪能できる部分が多かった。




BBC Oneにて放映中のトム・グリン=カーニーが出演しているドラマ。アデン危機の話。全六話の四話感想。

一話、二話感想
三話感想


以下、ネタバレです。





前回の最後でさらわれたハリー少佐の息子ジョージ捜索回。
ハリー少佐はつかまえられているゲリラに息子の居場所を聞くが、それなら国から出て行けと言われているようだった。テロリストと交渉するか否かは次回の焦点になるのかも。

エドはジョージに関しての危険な取引をしていて、情報を得て行動する。ジョージを一旦発見するが、結局撃たれてしまう。重症。

ジョーはジャーナリストから情報を得ようとするが失敗していた。それどころか、ジャーナリストが泊まっているホテルに入っていくところをBPクラブにいた人(?)に目撃されてしまう。

オナーはアリソンと同じく、仕事重視の夫に不満を持ち始める。イギリス兵士の死体が写っているフィルムについての話は聞くが、破棄したという言葉が信じられずに探して見つけてしまう。これは絶対に後のいざこざの元になりそう。

アリソンが双子を妊娠していることが明らかになったが、死んだ大尉の子らしい。自分で棒か何かをつっこんで流産させようとしていたができなかった。マーティン大尉の妻オナーと一緒に病院に行っていた。初回の時点ではこの二人が友達になることで、何か悪いことが起こるのではないかと思っていたが、いい方向へ進んで行っているかもしれない。

トニー(トム・グリン=カーニー)はもう今回は笑顔はないです。
前半は砂嵐の中、マスクをしてユースラの住む家を捜索。悩みながらも母と兄(弟?)を逮捕。その影で父親を撃ち殺しているので、二人からイギリス側への信頼はない。たぶん、ユースラもこの事実を知ったらトニーのことを信じられなくなると思う。
ジョー・マーティン大尉にユースラと手紙のやりとりをしていたことを知らせていた。それと同時に、彼女のことが好きだったことや、彼女は悪くないようなことも言っていたようだった。しかも、命を賭ける、と。簡単にそんなこと言っちゃいけないよ。青臭い…(かわいい)。
大尉にも言われていたけれど、恋心由来であまりにも幼いと思う。若手らしいし、純粋で可愛いけれど、信じすぎるのは命取りなのかもしれない。
今回も一人でユースラの家に行っていた(母と兄(か弟)には追い返されていた)が、次回予告を見ると、銃を向けられながら敵の只中に一人で入っていくシーンがあった。文字通り命を賭けるのか…。
エドは撃たれただけで死んでしまったかどうかは今回の時点ではわからないけれど、主要キャラがわりとどんどん死んでいくスタイルのドラマなので、次回のトニーは大丈夫なのだろうか。心配。
今回はひたすらつらい回だったけれど、タバコシーンはありました。

というか、ジョージの誘拐をこのドラマの中心に置くならば、愛の力で交渉を試みるトニー・アームストロング(トム・グリン=カーニー)が実質主役でもいいんじゃないですかね…。



現在丸の内ピカデリーにて行われている爆音映画祭に行ってきました。
『インセプション』自体は好きなので家でも何度も観てるんですが、映画館で観るのは久しぶり。たぶん、『ダンケルク』絡みだとは思うけれど、とりあげてもらって嬉しかった。
映画の内容にも触れますので一応、以下ネタバレありです。









まず、最初の制作会社のロゴが出て、次第に音が大きくなっていくところからして迫力。普通に聞いていてもちょっと割れ気味だけれど、さらに強調されていた。
サイトーの屋敷から一階層上がった場所での暴動と爆発も迫力があった。

テーマ曲が最初のキックに向かって盛り上がっていくのも堪能できた。このテーマ曲は後半の第一階層でユスフが橋から飛び、第三階層でフィッシャーがモルに撃たれてインセプションが失敗するまでの間、ずっと流れているんですが、それも曲がより強調されているようで、階層同士がばらばらではなく全て繋がっているのがよりわかってよかった。
『インセプション』、好きなんですが、ハンス・ジマーのスコアもとても好きなのだというのをあらためて思った。

アリアドネと一緒に夢の中へ行った時に、動揺して周囲が爆発しますが、そこのポスン、ポスンという音も意外と軽い音でおもしろかった。爆発するけど轟音じゃないのが夢の中っぽい。

モンバサもおもしろかった。最初の音楽が一旦静まって、コブがカフェのような場所でコーヒーをくれと店員に言うがうまく言葉が通じないのか逆に騒がれてしまい、追っ手に見つかってしまうシーンがある。そのあと、モンバサのテーマ曲がひときわ大きくなるのが興味深かった。また、ここは銃撃戦(というか一方的に撃たれるだけですが)があるが、銃声がクリアになっていてこだわりを感じた。多分、これは『ダンケルク』の爆音上映もいいに違いないと思いました。

あとは、フィッシャーを救いにコブとアリアドネが虚無(Limbo)に落ちるシーンですね。ブォーン、ブォーンという音がばりばり言っていて、さあここが最終地点ですよ!感でかなりの盛り上がりを演出していた。

ラスト、飛行機から降りて入国スタンプを押してもらった後のスコアも次第に盛り上がってくる系のものですが、ここでもその盛り上がりの幅が強調されているようで良かった。ジェームズとフィリッパが振り返る前までのところです。最後のコマのシーンに向かって音楽が小さくなっていくが、その前のシーンが過剰にドラマティックになることによって、違いが出て、ラストが強調されていると思った。

エンドロールのエディット・ピアフもクリアに聞こえて、満足感が高かったです。

エンドロール中もコマの回る音は続いていて、エディット・ピアフで目を覚ますというようなことがよく言われてますが、その辺はよくわからなかった。

あらためて観て、やっぱり最高におもしろいと思った。アイディアの宝庫で、本当によくこんなこと考えつくな…というのの連続で、なんども観ているのに驚いてしまう。後半なんて10時間寝てるだけなのに、全部夢の中であんなに豊かな世界が作り上げられている。

第一階層でユスフがシャンパンを飲みすぎたせいで大雨が降っているのも面白いんですが、第二階層の瀟洒なホテルはどうですか。キャラクターもスーツを着て、髪をまとめているのも良い。第三階層は雪山ですよ。お揃いの白いスキーウェアと白い毛糸の帽子もお似合いですね。虚無の無機質感あふれる建物も素敵。
どこを見てもいいものしか映っていない。うっとりしてしまう。

前半の仲間探しもおもしろい。アーサーは想像力がないと言われていたけれど、本当に想像力がない。作戦をストーリー仕立てで考えることができないんですね。人の気持ちを考えられないというか。だから、無重力でのキックは一人でよく思いついたと思う。
アーサーと正反対なのがイームスで、フィッシャーはこうこうこうしたらこうなるはずだって全部考えられるんですね。第三階層でもフィッシャーが撃たれ、サイトーが死にそうで、コブとアリアドネが虚無に落ちても一人で立ち回っていた。メンバー内で一番よく働いている。

それより何より、イームス時代のトム・ハーディがすごくチャーミング。最近『ダンケルク』ばかり観ているせいで、ついファリアと比べてしまいますが、ファリアの無骨さも好きだけれど、イームスはいたずら心もあって、飄々としていて、でも仕事はしっかりきめるあたりがいいキャラ。あと、トム・ハーディ自体が細く、笑顔が可愛かったり、全体的に美形として通用する。

また、キリアン・マーフィーにしても、『ダンケルク』の不安定でかわいそうな役もいいんですけれど、市場を独占しようかという巨大企業の社長の一人(たぶん)息子ということでおぼっちゃんでとてもいい。夢の中から抜け出そうと、銃で頭を撃とうとするけれどぷるぷる震えていたり、第三階層の雪山で「どうせならビーチの夢にしてくれ!」ってサイトー突き飛ばしたり。

キャラクターもいい、話もおもしろい、美術も良ければ音楽もいい。本当に好きな映画です。



BBC Oneにて放映中のトム・グリン=カーニーが出演しているドラマ。アデン危機の話。全六話の三話感想。

(一話、二話感想)

以下、ネタバレです。







一話二話もつらかったけど、今回もさらにつらい。
クリスマスイブとクリスマスの話で、前回のような潜入作戦とかはないからちょっとした休憩回かなと思ったら裏で暗躍しているものがちらちら映ってつらい。

マーティン大尉の妻はクリスマスなので七面鳥?チキン?を調理するために取り寄せるが、マーティンは仕事に出かけてしまう。
このままではアリソンと同じ道を辿りそうだし、実際二人の仲も深まっていた。アリソンの夫はそれを歓迎しているようだったけれど、マーティンはやっぱり気に食わなそうだった。

前回出てきた女性レポーターは、やっぱりクセモノっぽい。悪人というよりは野心家かもしれない。前回、ゲリラに処刑されたイギリス兵の首を写真におさめていたけれど、それをめぐってのいざこざがあった。マーティンはフィルムを取り返したものの捨てなかったのでまだ問題になりそう。

トニー(トム・グリン=カーニー)の想い人ユースラはハリー少佐の家で息子のジョージの子守をしていて、だからなのか、ゲリラ(たぶん)に目をつけられたようだった。三話の最後ではマーティンがジョージをユースラに預け、その結果、さらわれてしまう。

今回のトニーの見所は最初に七面鳥だがチキンをマーティンの家に届けに来るのが彼で、帰りにユースラに偶然会う。前回、ちょっと避けられたので、しどろもどろに「届け物をした帰りで…。でも君に会えて嬉しい」と言っていた。ユースラは英語があまりできないので教えてあげたり。
ユースラがお皿を持っててそれは何?って聞かれて「Christmas deer.」って答えて、「reindeer!(トナカイ!)」って返してたけど、 ユースラは本当はディナーって言いたかったんたんじゃないのかな…。それで、トニーはサンタの連れてるトナカイの名前を教えてあげてて(「ルドルフ、ダッシャー、ダンサー…」)、キューピッドがクーピッドになっちゃてたユースラに「ノー、ノー、キュー」って教えてあげてて、この人(トニーというよりトム・グリン=カーニー)が先生の英語教室に通いたいと余計なことを考えてしまった。
ちょっとでも話せて嬉しそうだった。恋するトム・グリン=カーニーくん、良い。ちょっと唇をなめるところとか本当に良かったです。
あと、病院にハリー少佐の妻と生まれた赤ちゃんを迎えに行く時に車に乗っていた。ちょっと赤ちゃんを覗き見たりして可愛い。
あと、クリスマスにテントで簡易教会を作って歌を歌ったり説教を聞いたりしていたが、そこにユースラが現れて、もう会えないと言う。そして、手紙を渡して明日以降に読んでと言っていた。
そのあと、プールの遊興場みたいなところにハリー少佐を乗せてきたときに偶然ユースラを見かけ、車でどこかへ出かけるマーティン大尉を見かける。マーティンがジョージをユースラに預ける前とあとの話で、これとユースラからの手紙でトニーは全貌を察することができると思う。

トニーに関しては、戦場の中でも癒し枠というか、戦い以外の面で、もっと切なくて可愛い感じのラブストーリーになるのかと思っていたが、案外えぐい感じになってきてしまった。ユースラ関連のことで何かしらゲリラ側に巻き込まれそう。かばって死ぬとか…。



1997年のオフ・ブロードウェイにて上演。その後、2001年(日本では2002年)に映画化もされた。
日本では2004年、2005年に三上博史主演版、2007年、2008年、2009年に山本耕史主演版、2012年に森山未來主演版が上演されたが、今回は本家、ジョン・キャメロン・ミッチェルご本人版が上演。東急シアターオーブにて。

以下、『ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ』のストーリーと今回の演出についてネタバレです。








森山未來版については触れたくないので置いておきます。森山未來が悪いわけではなくて大根仁のせいですが。

三上博史主演版と山本耕史主演版は演出がほとんど同じだった。水を口に含んでから噴水みたいに吹き出して、「パンクロックの精神は自己犠牲!」というセリフがあるんですが、これは三上博史版のアドリブみたいなものかと思っていて、でも山本耕史版でもやっていたので、こんな細かい部分まで一緒にしなくてもいいのにね、と思っていたけれど、今回の本家版でもそのセリフがあったので元々あったものらしい。

ライブ形式だと聞いていたから、本当にジョン・キャメロン・ミッチェルが歌だけ歌うもかと思っていたけれど、よく考えれば三上博史版、山本耕史版もライブ形式といえばライブ形式なのだ。
ヘドウィグがライブをしていて、観客(私たち)はそれを観に来ているという設定。ヘドウィグのMCで過去が語られるという流れ。場所は小さいライブハウス。隣りの巨大な会場ではトミー・ノーシスがライブをしている。

ただ、三上博史版、山本耕史版はもちろん、MCの部分もヘドウィグで演じていたが、今回はMC部分はヘドウィグの夫でありしもべでありバンドメンバーでもあるイツアク役の中村中が担当をしていた。この部分で賛否両論あるらしい。
ヘドウィグ部分はすべてジョン・キャメロン・ミッチェルにやってほしかったし、私もやってくれると思っていたから気持ちはわかる。

でも、最初のあたりは、「あなたはヘドウィグの操り人形ね」と言ってきたないウィッグを雑にかぶせて、ヘドウィグ自身は後ろのソファにゆったりと座っていたから、前までのヘドウィグよりも態度が横柄で自分の役割までイツアクに任せたと思えばキャラクター的にも納得がいった。
ちなみに、後ろのソファに座っていて、それがシルエットになってもものすごい存在感で、私は正面で話しているイツアクよりもシルエットのヘドウィグを見てしまっていた。親に暴力を振るわれることを語っているシーンで頬を叩かれた動きをしていて、それだけでもドキドキした。

また、イツアクの語りのシーンでヘドウィグがステージからいなくなることも多かったが、その分、お色直しも多く見られたと思う。
あとは、語りの部分はテンポが大事だから、いちいち字幕を読んでいたら楽しみにくいとも思うし、ジョン・キャメロン・ミッチェルは体力的に厳しいという話も聞いていたから仕方がなかったのかなとも思う。いくらでもこのような演出になった要因はわかるし、私はこれでも別に良かったです。

それより、ご本人が最初に“HELLO TOKYO”と書かれたマントで出てきたときにこんな日がくるとは夢にも思っていなくて感動してしまったし、あのメイクも動きも本物だった。『SUGER DADDY』のときにフリンジが付いた衣装で出てきて、その時からわくわくしていたけれど、生カーウォッシュ(ステージから降りてきて観客にまたがって腰を振る)が見られたのも感動。

『WIG IN A BOX』のみんなで歌おうのコーナーは一回しかなかったけどもう少し長くてもよかったかなと思う。でもそれも体力の問題かもしれないしなんとも言えない。

ベビーシッターの仕事でトミーの家に行くシーンとそのあとのシアトルコーヒーのカフェでライブをするシーンは、トミーがヘドウィグを女性と思っているくらいなので化粧もごてごてせずにウィッグも抑えめのボブ。ここは映画でもヘドウィグがとても綺麗なんですが、ステージでもご本人がとても綺麗だった。また、『WICKED LITTLE TOWN』がいい曲なんですよね…。もちろん顔拓タオルもあり。後ろのトミーに投げていた。

『THE LONG GRIFT』も好きなんですが、これはイツアクが歌っていて少し残念でした。が、三上博史版でも(山本耕史版もかも)バンドのギターの人が歌っていたと思う。ヘドウィグ(三上博史)がこの曲を歌おうとして、ジャジャジャジャ…というカッティングギターの不協和音のイントロのあとワンフレーズだけ歌って、“だめ、歌えない”というように歌うのをやめて、ステージの端にあるソファに座って丸くなってしまうんですね。で、代わりにギターの人が歌うという。この時はイツアクにも愛想を尽かされているのでステージにはいない。
最初に見に行った時に、ヘドウィグというか三上博史が本当に歌えなくなっちゃったのかと思って驚いた記憶があるのでよく覚えている。もちろんそんなことはないんですが、ヘドウィグが小さく見えて悲しいシーン。
ただ、あの不協和音イントロが好きだったので、それが変わってしまっていたのは残念だった。

『EXQUISITE CORPSE』の最後で三上博史版は(山本耕史版もかも)胸につめていたトマトを投げて前方の席のお客さんがトマトまみれになったものですが、それはなかった。これに関しては別にやってほしかったとか残念とかの話ではないです。

トミー・ノーシス姿のジョンキャメロンミッチェルは上半身裸ではなかった。これも別に裸がよかったとかの話ではないです。見えないけど54歳ということなので、まあ普通に考えて裸じゃないでしょう。
トミー関連だと、ヘドウィグの語りで何度か隣の大きい会場の様子をうかがうんですが、三上博史版は(山本耕史版もかも。山本耕史版はほぼ一緒だったという記憶しかない)重そうな扉をよいしょと開けると眩しいくらいの光源が差し込む演出だったんですが、本当は今回もそれがよかった。球場のライトくらい眩しい。
今回はトミーの『WICKED LITTLE TOWN』か『MIDNIGHT RADIO』の最後にヘドウィグ(トミー)が帰って行く時に同じような光が使われていたので、そこを強調するためかもしれない。

『MIDNIGHT RADIO』の最初で、ヘドウィグがイツアクから奪ったウィッグを戻してあげるシーンでいつも泣いてしまう。ヘドウィグは歌いながらなんですが、ウィッグを渡し、イツアクがいつものようにヘドウィグにかぶせようとすると、“いいえ、あなたのよ”というように戻すんですよね。それは、しもべとしていたイツアクを解放してあげているような仕草で、ここまで横柄だったヘドウィグが慈愛に満ちて見える。

このあと、イツアクはそのウィッグを持ってステージから降りるんですが、かつてのドラァグクイーン、クリスタルナハトの姿で戻って来る。本当はイツアクとクリスタルナハトの違いが大きければ大きいほどいいから、本当はイツアクがむさければむさいほどいいんですよね。RENTのTシャツにバンダナ、ヒゲのコスプレの人もいましたが、あの姿が一番いい。森山未來版のイツアクはただの女の子だったので本当に論外なんですが、今回はヘドウィグの操り人形役を兼ねていたので仕方がない。でも、女性の服装でも華美にはならない真っ黒な衣装だったし、ヘドウィグをやるときのウィッグも適当なものだったのは好感が持てた。

そして、クリスタルナハト姿で戻ってきたイツアクの頰にヘドウィグが優しくキスしてあげていたのが本当にぐっときました。反則。これが見たかったんだと思った。思いながら、♪Lift up your hands で両手をあげました。

ちょっと中村中に頼りすぎな部分もあるかなとも思うけれど、仕方ない面もあると思うし、私は納得できました。それよりなにより、本家のヘドウィグがこんなタイミングで見られると思っていたかったので、それだけで十分嬉しいです。あの声であの姿だった。動きも愛らしいし、綺麗で、なによりキュートで可愛いかった。観られて良かったです。

また、東京楽日のみのお楽しみとして、『THE ORIGIN OF LOVE』の対になる新曲『THE END OF LOVE』がカーテンコールで披露された。歌詞が知りたい。またどこかで聴けるといいな。




BBC Oneにて放映中のトム・グリン=カーニーが出演しているドラマ。主演なのかと思ったが違った。けれど、群像劇のため、明確な主役がいないのかもしれない(二話現在)。一応、一話の最初で基地に駐留してきた大尉が主役かも。
1965年のイエメンのアデンが舞台(撮影は南アフリカ)。アデン危機の話。
脚本はジョン・シムが出ていた『The Village』のピーター・モファット。彼も軍人の家族として基地に駐留していたことがあるらしい。自伝のような部分があるのだろうか。

まとめて書くとすごく長くなりそうなのでとりあえず二話まで。

以下、ネタバレです。












ネタバレといっても英語字幕で観ているので完全には理解できていないと思う。
出て行く大尉の代わりの大尉が来るところから始まる。運転手として迎えに行くトニー・アームストロング下級士官(これがトム・グリン=カーニー)が迎えに行くのが遅くなってしまって怒られていた。トニーはドライバーとしての仕事を任されることが多いようだ。下級士官だからか。

駐留している兵士の妻たちも独特。アリソンはアルコールに溺れているがたぶん夫が仕事で忙しくて相手にされていないことが理由みたい。別の兵士と浮気をしている(入れ替わりでアデンを離れる大尉)。一人は新しく来た大尉の妻で天真爛漫。たぶん新婚かな。二話ではアリソンと友達になっていたが夫には反対されていた。私もアリソンのせいで彼女が傷つく出来事が起こりそうな気がする。もう一人は小さい息子を育てていてお腹が大きい。二話では出産していて、出血多量で死んでしまうのかと思ったけれど命を取り留めていた。妻たちはこの三人が中心(二話現在)。兵士の戦いと同じくらい彼女たちの生活も描かれている。基地の兵士ではない家族の生活が描かれるのはおもしろい。
女性陣はだいぶクセ者揃いかなんですが、二話で出てきた女性レポーターもいちいち兵士にちょっかいをかけていて、今後何かやらかしそう。三話の予告で新米兵士に手を出している風だった。

一話では兵士たちと妻たちの日常と新任大尉の迎い入れがありつつ、最後に反イギリスゲリラ部隊(たぶん)によって戻る大尉が殺されてしまう。二話はそのゲリラ部隊の掃討作戦だったが、結局、一部隊が滅ぼされ、首のみを持ち帰るという屈辱の結末になっていた。その裏でアリソンと新任大尉の妻がプールで楽しく遊んで仲良くなったり、危険な出産があったりする。

群像劇なのでトニーも飛び飛びに出てくる。最初、アラビア語(?)を復唱していて、現地の女性ユースラに手紙を渡していた。そして、一話の後半のゲリラ部隊に襲われるシーンにも彼はいる。車を運転していたが、スコッチをズボンにこぼしてしまい、脱いで車の上で乾かそうとすると、同乗していた大尉がいたずら心で車を発進させてしまう。「止まってください!」と言いながらパンツ一丁で追いかける様はコミカルでもあるけれど、銃を持ったゲリラ部隊に待ち伏せされているのを発見。本気で「止まってください!」と言っても、冗談だと思われてしまう。
トニーは命からがら逃げ出して、ユースラに手当をしてもらい、駐屯地へ帰る。
一話はここまで。

二話は一話であれだけ大怪我をしてしまったのでもう出番がないかと思ったけれど、ちゃんと出てきた。ただ、足を怪我しているので掃討作戦には置いて行かれる。相変わらずユースラには手紙を渡すが、会わないほうがいいと言われてしまう。上官にも手当をしてもらったことを言えない。悲恋の予感がする。

もちろんトム・グリン=カーニー目当てで見てるんですが、『ダンケルク』よりだいぶ普通の青年っぽい感じ。『ダンケルク』のピーターは理知的すぎるというか冷静すぎたけれど、こちらは年相応というか。どちらも好きです。

それはいいんですが、もう少し歪んだ見方をすると、車の上で目玉焼きが作れるくらい暑いため、最初のシーンでは兵士たちが上半身裸でトランプに興じている。もちろんトムもです。
あと、パンツ一丁で逃げるシーンはトランクスなので、そのまま転んだり崖を転げ落ちたりしていて、あわや中が見えそうな感じでつい身を乗り出してしまう。下尻くらいは映ります。
二話だと怪我した足を冷やすために素足を氷水に突っ込んでいたり。また、兵士たち全員なのですが、暑い地域のせいか軍服が半ズボンで、そのまま車の荷台に座り込んだりすると太ももがいい感じに見えます。

戦争ものだから人がばんばん死にそう(二話時点でもだいぶ死んでる)だし、つらいことはこの先も起こりそうだけれど、話の内容自体もおもしろいし、トムのいろいろを見るのにも良いと思うので最終話まで見たいし、DVDが出たら買いです(二話現在)。
できれば日本語字幕版が欲しいけど、アデン危機の知名度などを考えると内容的に厳しそう。



そろそろIMAXでの公開が終わってしまうようなので最後のつもりで行ってきました。感想というより『ダンケルク』と私というまとめ。

以下、ネタバレです。





エキスポシティの次世代IMAXレーザー後の鑑賞なのでやはり比べてしまうと断然次世代IMAXレーザーのほうがいいです。
わざわざ行ったという思い出補正が入っているかもしれないけれど、没頭感とVR感がまるで違った。あと色合いもレーザーのほうがくっきりしていたと思う。
中でも一番違うと感じたのが、コリンズが水面に不時着するシーンのコリンズ目線のところ。普通のIMAXでは迫力不足に感じてしまった。



あと、IMAX関係なく気づいたところとして、前回気づいたドーソンさんの家にいる女性は、料理をしているというより洗濯物をたたむか、何か作業をしているようだった。

最初に降ってくるチラシの音と最後の紙の音が同じという話を聞いて、耳を澄ましてみればなるほどと思った。最後の紙の音は新聞紙をたたんでいるのかと思ったが違ったらしい。最後にトミーが視線を上げるのはアドリブということだったが、私はこれもアレックスを見ているだけかと思っていたけれど、チラシと同じ音だとするならなにか別の意味があったのかもしれない。

結局ここまで試写会含めて7回観ました。通常スクリーン(試写会)、IMAX(としまえん・試写会)、フィルム、IMAX(品川)、次世代IMAXレーザー(エキスポシティ)×2、IMAX(新宿)という内訳でした。エキスポシティと品川はいつか行ってみたいと思っていたのでこの機会に行けて良かった。フィルム上映はもう少しどうにかなったのかなと思う。

もちろん、CGほとんど使ってないのすごい!とかスピットファイアから作ったとかIMAXカメラの無理な使い方とか陸海空に分けての群像劇とか、見所はたくさんあるしそれありきだと思うけれど、それだけではここまで何度も観に行かなかったと思う。
私は出演俳優陣の魅力にやられました。
7回目の時にはトム・グリン=カーニーが出てきただけでにやっとしてしまったから(まったくにやけるシーンではない)、“Afternoon.”でどんな顔してたかはもうわからない。

元々はトム・ハーディとキリアン・マーフィのノーラン組とジェームズ・ダーシー(好き)が出ることしかわからずに、若手は(日本では?)ほぼ無名の役者さんばかりだったのでわからなかった。ワン・ダイレクションも知らなかったので、ハリー・スタイルズもわからなかった。
それより何より、一回目は俳優を追っている余裕などなかった。常に追い詰められててすごく疲れるという印象の映画だった。こんなに何度も観ることになるとは思わなかった。

ところが、何度が観ていくうちに登場人物を判別し、細かいシーンを見て彼らのキャラクターの奥深さにはまってしまい、ついには出演者のことまで調べ始めたから今は大変なことになっている。
ほぼ知らない出演者ばかりだったので、調べ甲斐があるし、今後出演予定の映画もたくさん控えている。原作本を読むなどもしている。
こんなはまり方をしてしまったから、映画はどのシーンにも好きな人が出ているという状態で幸せ極まりない。以前は、どのシーンもピンチで心が休まらなくて大変…と思っていたのに。

『インセプション』を今観ると、なんていい俳優が揃えられてるんだ、出ている人全員好きという気持ちになるけれど、そもそもが『インセプション』がきっかけだったと思うのだ。だから、後々『ダンケルク』を観たときに同じようにいい俳優が揃えられてていい映画みたいなことを思いそう。
この二作品、両方とも同じ監督というのが驚く。クリストファー・ノーランおそるべし。

出演者の中でも、ピーターを演じたトム・グリン=カーニーが一番好きになってしまったんですが、彼の出演しているドラマ『The Last Post』を見ていると、もうだいぶ大人になってしまってるんですよね。もちろん髪型とか演技のせいもあると思うけれど。『ダンケルク』のプロモ中に南アフリカで撮影をしていたみたいなので、今年の春先くらいだと思う。
『ダンケルク』の撮影が2016年5月とのことなので、ちょうどその1年前くらい。少年の面影が残るぎりぎりの季節を撮影したのかもしれないと思うと、もう本当にノーランおそるべし。

『ドリーム』



原題は『Hidden Figures』。直訳すると“隠された数字”という意味。1961年、NASAの有人宇宙船計画に関わるある計算手の実話だから“数字”なのかもしれない。けれど、この計画に黒人でしかも女性が関わっていたというのは今まで知らなかった事実で、彼女たちにスポットが当てられているのでタイトルにはこの辺の意味も含まれていそう。

監督は『ジーサンズ はじめての強盗』のセオドア・メルフィ。

以下、ネタバレです。












NASAで働く三人の女性が主人公。その中でも計算手のキャサリンが中心になっている。
女性であるというだけでも差別されるのに、おまけに黒人であることでも差別される。おまけに1960年代のアメリカ南部である。コーヒーのポットも別、トイレも別だ。
才能があるから仕事は任される。その辺でしっかりと評価されていたのはほっとしたが、キャサリン以外の二人は才能を発揮する場を与えてもらうのにも一苦労だった。

黒人の男性陣は怒りを爆発させ、デモなどへも参加していたが、彼女たちはそちらへは進まない。もちろん怒りが原動力になっているのかもしれないけれど、ひたすら前進していくのが気持ちいい。捻くれることはない。

徐々に肌の色、性別関係なく、認めてもらえるのが観ていても嬉しい。特に、冷淡かとも思われる上司のハリソンを演じたケビン・コスナーが良かった。仕事一番だから仕事ができる人間は外見を問わずに認めるのだ。有色人種用というトイレの看板を壊すシーンは涙が出た。

また、同じように差別なくキャサリンを認めていたのが宇宙飛行士のジョン・ハーシェル・グレン。最初からキャサリンたちに一目置いているようだったが、会議の場で計算を展開したキャサリンに完全な信頼を置いていた。君に任せれば間違いないねという顔をしていたのが印象的。最後の飛行の時もキャサリンに検算を頼んでいた。いくら火の玉になっても、着地だけは安心していたのだと思う。

もちろんそんな人だけでなく、心無い人もたくさん出てくる。冷たく当たる女上司や同僚は、仕事ができるできない以前にとにかく気に食わなかったのだと思う。
でも映画の中ではそこまで陰湿ないじめは出てこず、冷たい人々も必ずギャフンと言わされる展開があるのでスカッとする。

会社でのことだけでなく、家族内や黒人コミュニティの話も出てくる。でもそこでも迫害されて悲観にくれるというわけではなく、さりげなく背中を押してくれたり愛を与えてくれたりと、ほっとするエピソードが多かった。
夫がデモに参加して警察沙汰なんていうギスギスしたエピソードはない。

頑張る人がしっかりと報われたり、痛快さや爽快さはなるほど、監督が『ジーサンズ』の脚本の方だなと思ってしまった。泣いてしまうシーンがないわけではないけれど、感動を押し付けられたり説教くさくなることがない。

メイクやファッションについても色合いが明るいのも良かった。キャサリンを演じるタラジ・P・ヘンソンと中心となる二人、ジャネール・モネイ、オクタヴィア・スペンサーの三人が並んでいるポスターや画像を見ていると元気が出てくる。
また、作品のポップさにファレル・ウィリアムスの音楽がよく合っているのも良かった。



映画の感想ではないのでネタバレはないと思います。
本作ではキリアン・マーフィー、トム・ハーディといったクリストファー・ノーラン監督のお気に入り俳優に加え、ケネス・ブラナー、マーク・ライランス、ジェームズ・ダーシーといった実力派も揃えられている。
それに加え、本作が映画初出演になる俳優や舞台に多く出ていた俳優など若手がかなりフレッシュでとても良い。ノーラン監督はどこから見つけてくるんでしょうか。趣味が合う。
よく出ている海外俳優ムックのニューカマー欄を完全に過去のものにする面々の今後の活動について調べた。どちらかというと自分用のメモ。


トミー役:フィン・ホワイトヘッド(Fionn Whitehead)
なぜか“フィオン”表記のところもあるけれど、呼び方はフィンなのでフィンでいいと思う。
イアン・マキューアン原作の『The Children Act』が今年9月にトロント国際映画祭でお披露目された。原作小説の邦題は『未成年』。
夫婦関係がうまくいっていない裁判官フィオナと、彼女が担当することになった信仰を理由に輸血を拒む少年アダムの交流が描かれている。
原作はまだ途中までしか読んでいなくてアダムが出てきていません(追記:読みました。アダムはいろんな意味でまっすぐで信じるものを決めたら考えを変えないイノセントの塊みたいな男の子。これをフィンが演じるのはとても合っているし、一刻も早く観たい。キャスティングしてくれた方に感謝)。フィオナ役はエマ・トンプソン。日本で公開してほしいがどうなるか。


ギブソン役:アナイリン・バーナード(Aneurin Barnard)
今年12月2日に『プラハのモーツァルト 誘惑のマスカレード』が日本公開されます。モーツァルト役なのでタイトルからすると主演かもしれない。
彼とコリンズ役のジャック・ロウデンはBBCドラマ『戦争と平和』でも共演している。
トミーとギブソンは同い年くらいに見えたが、フィンが1997年生まれなので19歳か20歳(誕生日は秘密らしい)、アナイリンは30歳です。


アレックス役:ハリー・スタイルズ(Harry Styles)
ワン・ダイレクションのメンバー。だけど、私は1Dを知らなかったので、今回俳優として初めて観ました。ミュージシャンには見えなかった。逆に、え?歌えるんだ?と思ってしまった(いい声)。今年12月にソロでの来日公演があり、来年5月にも神戸と東京で来日公演があるみたい。


ジョージ役:バリー・コーガン(Barry Keoghan)
今年の11月3日に『The Killing of a Sacred Deer(原題)』がイギリスで公開される。監督は『ロブスター』『籠の中の乙女』のヨルゴス・ランティモス。たぶんカリスマ医師役のコリン・ファレルが主役でその妻役にニコール・キッドマン。三番目の主役がバリー・コーガンかな。よくわからないけど予告編を見る限りは不気味そうな少年役。
コリン・ファレルとニコール・キッドマンなら日本公開もありそうだけど、夜ゴス・ランティモス作品、シュールでわかりにくいのだけど今回はどうなんだろう。


コリンズ役:ジャック・ロウデン(Jack Lowden)
アメリカで去年6月、イギリスでは今年1月に公開された『Danial(原題)』が『否定と肯定』というタイトルで今年の12月8日に日本公開。
主役はたぶんレイチェル・ワイズ。マーク・ゲイティスやアンドリュー・スコットも出ます。ホロコーストまわりの実話。映画を観る予定なので内容は詳しくは調べない。
ジャック・ロウデンは黒髪です。予告編を見る限りだとちょっとした役の様子。

日本公開が決まっていないものとして、『Tommy's Honour(原題)』というジェイソン・コネリー監督(ショーン・コネリーの息子)の作品がある。2016年のBAFTAスコットランド・アワードで作品賞を受賞している。全英オープンで四回優勝したトム・モリスとその息子という親子の物語。息子のトム・モリス・ジュニアも全英オープンで優勝している。ジャック・ロウデンはこの息子役。実在する人物なので実話だと思うが、なかなか馴染みの無い選手(ゴルフを知っている人にどれくらい有名なのかはわからない)なので日本公開はあるか。ただ、アメリカでも今年4月公開だったようなので、まだ希望は捨てない。金髪。

 また、モリッシーの伝記映画『England Is Mine』が今年8月にイギリスで公開された。ジャック・ロウデンはモリッシー役なので主役です。これも黒髪。これも実話。モリッシー役なので歌うシーンもある。
『ダウントン・アビー』のシビル役のジェシカ・ブラウン・フィンドレイも出ている。
モリッシーは日本でも人気があるし公開されると信じているがどうなるか。
(この予告のサムネイルはSuedeのブレット・アンダーソンにも似てる)

(追記:『ダンケルク』にも出ていたジェームズ・ダーシーが監督・脚本をつとめる『Made In Itary』に出演するらしい。あらすじは“自由奔放なロンドンのアーティスト、ロバート(ビルナイ)は疎遠になっている息子ジャック(ジャックロウデン)と亡くなった妻から引き継いだ家を売るためにイタリアに戻る”とのこと。奥さんがイタリア人ということかな。コメディで、来年トスカーナとロンドンで撮影予定とのこと。詳しくはこちらの記事参照(http://deadline.com/2017/10/billy-nighy-jack-lowden-made-in-italy-1202190489/)『ダンケルク』の俳優さんたちが今後もノーランの映画に続けて出たらいいなあと思っていたんですが、俳優さん同士のつながりでも嬉しい。楽しみです)


ピーター役:トム・グリン=カーニー(Tom Glynn-Carney)

BBC Oneにて『The Last Post』というドラマが10月1日より始まった。脚本はジョン・シムの『The Village』のピーター・モファット。
南アフリカロケで1965年のイエメンが舞台。イギリスの兵士が現地の女の子と恋に落ちる話。このイギリス兵士役がトム・グリン=カーニーなので、主役かなと思っていたけれど、いろんな兵士がいろんな女性と恋に落ちるのかもしれない。また、恋に落ちないイギリス兵なのかもしれない。「ちょっとした『ロミオとジュリエット』だよ」とインタビューで話していた。
(追記:一話だけ見ました。アデン危機の話。トム・グリン=カーニーは若手兵士の役。で、現地の女性と恋に落ちるのは多分彼だけ。序盤から手紙を渡し、終盤はその女性に怪我を治してもらっていた。でもラブストーリー要員なら怪我をしていてもいいのかも)(感想を別の記事にしました

また、『アメリカン・ビューティー』『007 スペクター』のサム・メンデスが手がける舞台、『THE FERRYMAN』にも出演中。主役はパディ・コンシダイン。1981年のアイルランドが舞台。IRA後のある家族の話らしい。かなり評判が良さそう。
サム・メンデス監督がトム・グリン=カーニーのオーディション映像を気に入ったが、彼は南アフリカで『The Last Post』のロケ中だった。しかしちょうど、『ダンケルク』の宣伝のために一時ロンドンに戻ってきたときに会ったらしい。
アイルランドには縁もゆかりもないので言葉が難しかったし完璧にはできていないとインタビューで言っていた。
エモーショナルで野性的な役らしく、ピーターとはだいぶ違うので気になる。革ジャンを着ていてピアスをしていて(追記:ピアスはこの舞台に限らずプライベートでもしている模様。片耳だけ開けているみたい。おしゃれ)髪色も赤い。

両方とも観たいけれど、日本からでは難しそうなのが残念。

(追記:『ロード・オブ・ザ・リング』の著者、J・R・R・トールキンの伝記映画に、トールキンの友人クリストファー・ワイズマン役で出演するようです。トールキン役はニコラス・ホルト。10/24にリバプールにいるらしきツイートをしていましたが、10/18に撮影クルーがリバプールの博物館のあたりにいるのが目撃されているので、彼もこの撮影のためだったみたい。詳しくはこちらの記事参照http://variety.com/2017/film/news/tom-glynn-carney-tolkien-movie-1202598670/




『ダンケルク』はほとんどのシーンが70ミリ15パーフォレーションフィルムを使っている。鮮やかさなどもそうなのですが、一番ぱっとわかる違いとしては、普通のIMAXスクリーンとは画角が違い、上下が大幅に切られてしまう。(109シネマズの記事参照:http://109cinemas.net/news/2983.html
IMAX次世代レーザーは大阪のエキスポシティの109シネマズにしかないし、切られたサイズで観ていたのですが、せっかくなので遠征してきた。

劇場に入った瞬間から明らかに違っていて、ほとんど真四角に見えたけど、高さ18メートル幅26メートルらしい(ちなみに大きさの比較としてガンダムが18メートル)。ただ、IMAXの中でも大きい成田HUMAXシネマズが高さ14メートル幅24.5メートルなので、他のスクリーンと比べると真四角気味です。

予告編は普通のスクリーン向けで撮られているせいか上下が黒くなっていた。上映時に真四角に変換されるのかどうかはわからないけれどどうだろう。

そして、実際に『ダンケルク』の上映が始まったとき、最初のドイツ軍からチラシがばらまかれるシーンからもう違っていて感動しました。
視界がぱっと開けたようになるし、空が高く、チラシも大量だった。

以下、ネタバレです。









圧倒的に明るいし、空もダンケルクのビーチも広大だった。
ドイツの戦闘機の目線だろうか、上空から桟橋にいる兵士を見下ろすシーンでは、浜で逃げようとする大量の兵士が米粒のように見えて、適当に爆弾を落としても簡単に着弾しそうで、もう逃げることはできないという危機感を感じた。

真ん中に兵士が待機する桟橋をとらえたショットでは、より奥行きが感じられて、兵士の数も多く見えた。

編隊を組む飛行機が広い空を飛ぶ様子や、ファリアのスピットファイアがビーチへゆっくり降下していく様子はより綺麗に見えた。スクリーンが広いため、ドッグファイトや追いかけっこも縦横無尽に動いていてより迫力があった。また、各戦闘機の動きも把握しやすかったと思う。

攻撃するファリアの目線になるシーンがあるが、IMAXの“スクリーンが視界いっぱいに広がっています”が上にも広がっているから本当に視界いっぱいで、それはスクリーンというよりももはや自分の視点のようになっていて、これぞメガネなしのVRだった。私もトム・ハーディと一緒にコックピットにいる気持ちになった。
コリンズとも一緒に水面への不時着した。この映画に関しては4DXはいらないと思った。

撃墜された戦闘機が煙をあげて堕ちていくときの煙も長く引いていた。
人物に関しても足まで映っているのが新鮮なシーンがあった。

何度か観ていても、今回は違った印象を受けた。わざわざ遠征して観る価値はあった。せっかくなので二日連続で観ました。

一応、2019年度には池袋に開業する109シネマに次世代レーザーが入るらしいので、その際にはリバイバル上映があるといいなと思っています。

ちなみにIMAXシーンがくっきりしてるし上下に広がるし明るいしで、普通に撮ったシーンとの区別がよくわかった。
ドーソンの船の上でのシーンと、桟橋のシーンと、商船の中のシーンと、最後の電車のシーンがIMAXではなかった。電車はすべて違ったが、他は一部IMAXもあったと思う。

特に桟橋のシーンは、狙ったわけでは無いのだろうが、ニッチもサッチもいかなくなってウィナント大佐がボルトン中佐に文句っぽいことを言っているシーンはスクリーン上下が黒くて圧迫感があるが、そこへイギリスからの民間船がたくさん来るシーンでぱっと上下に広がって明るくなる。音楽も不穏なものからガラッと安心感があるものに変わる。印象の変わり方がより明確になった。

以下、次世代レーザー以外で気づいたことと思ったこと。


ギブソンについてですが、特にトミーは彼に何回も助けられている。出会ったシーンでは水を分けてくれる、一緒にけが人の担架を運ぶ、桟橋の下に隠れるよう導いてくれる、戻るボートからロープを投げてあげる。
どれも眉間に皺を寄せながらのちょっとしたサポートなんだけど、魚雷が来たときには逃げようとして、船室にトミー(とアレックス)がいるから律儀に戻る。しかも船が傾いているから船室の扉のところへ行くのも大変。このような必死な様子をトミーとアレックスにも見てもらいたかった。
ギブソンはフランス兵だから喋らないからわからないけれど、あのシーンではすでに友情を感じてたんだな…。

商船の中でゴタゴタするシーンのアレックスには何も通じていなかったのだろうかと思う。ギブソンのことを「フロッグ!」と呼びますが、これはイギリス人が使うフランス人を示す蔑称で、カエルを食べることに由来するらしい。カエルらしく(イギリス人の)列を飛び越えてきたのか?みたいなことを言っていた。
ひどいなと思うけれど、逃げるときには、ちゃんと「ギブソン!」と名前で呼んでいた。もうギブソンって名前じゃ無いこともわかっているのに。さっきまではフロッグと馬鹿にしていたのに。
本当に憎かったらそもそも呼びかけもしないだろう。アレックスがギブソンにひどいことを言ったのは追いつめられていたからだけだろうとは思うけれど、さっきまで一緒に行動してたのに銃をつきつけるのはどうなのかと思う。本当にドイツのスパイだと思っていたのだろうけれど。
もちろん本当にギブソンがドイツ軍の人間だとしたら追い出していたか、その場で撃っていたとも思う。

ハイランダーの乗った船が沈められて、桟橋に隠れていた二人がアレックスを救ったのが出会いである。ボルトン中佐は「ハイランダーは別の船へ移れ」と言うのを聞いて、トミーとギブソンも一回海に潜って体を濡らしてハイランダーに混じって脱出しようとする。ずぶ濡れになった二人を見て、アレックスはお前らよくやるなという顔でにやりとしていた。助けられた直後だからかもしれないけれど、このときはハイランダーに二人が混じっていても隊が違うくせに云々と文句は言わない。

その次に乗った船でギブソンが船室に入らなかったのを見たときに最初におかしいなと思ったのだろうか。
それで、船室でトミーに「友達はどうした?」と聞いたのも探りを入れていたのかもしれない。トミーもギブソンが見つけられなくて、「逃げ道をさがしてるんだよ」と答えたあとで、二人ではっとした顔をして、扉付近へ移動する。呑気にジャムパンを食っている場合ではないのかもしれないと思い出したのだろう。この判断がなければ二人はここで魚雷の攻撃を受け、死んでいたかもしれない。

トミーとアレックスは同じ商船から逃げ、おそらくアレックスのほうが抜け出したのは遅かったのでは無いかと思う(ギブソンに声をかけていたから)けれど、ドーソンの船に着いたのはアレックスがだいぶ早かった。
ハイランダーの身体能力の高さなのかもしれないと思ったけれど、商船の中でリーダー格だった男はオイルに火がついたときに燃えてしまったし、判断力もあるのかもしれない。

空が一時間、海が一日だからということもあるかもしれないけれど、時間軸的にも空がだいぶはやい。
一番最初に登場したときに、3機で編隊を組んで飛んでいる下にドーソンの船が見える。これが、ドーソンがロールスロイス製エンジンの音が心地いいと言っているシーンである。その前にドーソンが見てないのに「わが軍だ」と言うシーンがありますが、この時に飛んでいるのは1機なので、他の隊員は撃ち落とされて、生き残った一機が帰るところだったのかもしれない。帰還した1機と交代で、ファリアたち3機が出て行ったのではないだろうか。

陸よりも時間軸がだいぶはやくて、沈みゆく商船から人が海へ逃げ出しているのもファリアは空から見ていた。その近くには船(ヴァンキッシャー?)が倒れ、オイルが流れ出ている。ドーソンの船も近くにいる。
陸のほうでは商船すら出てきてないうちに空のほうではすでに沈むことがわかっていたのだ。このあと「射撃訓練だ」とか「穴を塞げ」とか「オランダ人です」とか「フロッグ!」とか狭い中でだいぶゴタゴタするがわかっていたのだ。

あともう一つなんですが、ドーソンとピーター、そしてハリケーンで出撃して3周目に亡くなった兄の話は出てくるけれど、妻(母)の話は出てこないし、なんとなく父と息子二人暮しなのかなと思っていた。
けれど、最後、ジョージの記事が載った新聞が届いたときに、一瞬だけ台所が映り、そこで、誰だかはわからないけれど女性が洗い物をしていた。
妻(母)かもしれないし、娘(姉)かもしれないし、お手伝いさんかもしれない。ピーターよりは年上のようだった。ソフト化されたら一時停止して確認したい。後ろ姿だったし説明もないからどちらにしてもわからなさそうだけど。

あと、改めてですが、ピーター役のトム・グリン=カーニーの見る演技が素晴らしい。セリフ無くじっと見つめるシーンが多く思えたけれど、その力強い視線から感情が溢れ出してる。
キリアンのいる船室に迷ったすえ鍵をかける判断を決めた顔、ジョージを突き飛ばしたキリアン(仮名)に向けられた怒り、墜落した空軍兵を救うため船を飛ばすドーソンを見る心配そうな顔、ジョージが死んだあとにキリアンに大丈夫だと嘘をついてその後ドーソンにこれで良かったよね?と問うような顔、イギリスに帰ってきた後、船から運び出されるジョージの遺体を見て振り返ってキリアン(仮名)を探す顔。
あの時、キリアンは一瞬前にジョージの姿を見ていたから、大丈夫ではなかったのがわかっただろうし、大丈夫ではないのに大丈夫だと言ったピーターのことも何か思ったはずだ。でも何もせずに行ってしまった。今回のキリアンはここを含め、すべてにおいて仕方が無いにつきる。
ピーターは振り返ってもたぶんキリアンの背中すら見つけることはできなかったと思う。