『ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ SPECIAL SHOW』



1997年のオフ・ブロードウェイにて上演。その後、2001年(日本では2002年)に映画化もされた。
日本では2004年、2005年に三上博史主演版、2007年、2008年、2009年に山本耕史主演版、2012年に森山未來主演版が上演されたが、今回は本家、ジョン・キャメロン・ミッチェルご本人版が上演。東急シアターオーブにて。

以下、『ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ』のストーリーと今回の演出についてネタバレです。








森山未來版については触れたくないので置いておきます。森山未來が悪いわけではなくて大根仁のせいですが。

三上博史主演版と山本耕史主演版は演出がほとんど同じだった。水を口に含んでから噴水みたいに吹き出して、「パンクロックの精神は自己犠牲!」というセリフがあるんですが、これは三上博史版のアドリブみたいなものかと思っていて、でも山本耕史版でもやっていたので、こんな細かい部分まで一緒にしなくてもいいのにね、と思っていたけれど、今回の本家版でもそのセリフがあったので元々あったものらしい。

ライブ形式だと聞いていたから、本当にジョン・キャメロン・ミッチェルが歌だけ歌うもかと思っていたけれど、よく考えれば三上博史版、山本耕史版もライブ形式といえばライブ形式なのだ。
ヘドウィグがライブをしていて、観客(私たち)はそれを観に来ているという設定。ヘドウィグのMCで過去が語られるという流れ。場所は小さいライブハウス。隣りの巨大な会場ではトミー・ノーシスがライブをしている。

ただ、三上博史版、山本耕史版はもちろん、MCの部分もヘドウィグで演じていたが、今回はMC部分はヘドウィグの夫でありしもべでありバンドメンバーでもあるイツアク役の中村中が担当をしていた。この部分で賛否両論あるらしい。
ヘドウィグ部分はすべてジョン・キャメロン・ミッチェルにやってほしかったし、私もやってくれると思っていたから気持ちはわかる。

でも、最初のあたりは、「あなたはヘドウィグの操り人形ね」と言ってきたないウィッグを雑にかぶせて、ヘドウィグ自身は後ろのソファにゆったりと座っていたから、前までのヘドウィグよりも態度が横柄で自分の役割までイツアクに任せたと思えばキャラクター的にも納得がいった。
ちなみに、後ろのソファに座っていて、それがシルエットになってもものすごい存在感で、私は正面で話しているイツアクよりもシルエットのヘドウィグを見てしまっていた。親に暴力を振るわれることを語っているシーンで頬を叩かれた動きをしていて、それだけでもドキドキした。

また、イツアクの語りのシーンでヘドウィグがステージからいなくなることも多かったが、その分、お色直しも多く見られたと思う。
あとは、語りの部分はテンポが大事だから、いちいち字幕を読んでいたら楽しみにくいとも思うし、ジョン・キャメロン・ミッチェルは体力的に厳しいという話も聞いていたから仕方がなかったのかなとも思う。いくらでもこのような演出になった要因はわかるし、私はこれでも別に良かったです。

それより、ご本人が最初に“HELLO TOKYO”と書かれたマントで出てきたときにこんな日がくるとは夢にも思っていなくて感動してしまったし、あのメイクも動きも本物だった。『SUGER DADDY』のときにフリンジが付いた衣装で出てきて、その時からわくわくしていたけれど、生カーウォッシュ(ステージから降りてきて観客にまたがって腰を振る)が見られたのも感動。

『WIG IN A BOX』のみんなで歌おうのコーナーは一回しかなかったけどもう少し長くてもよかったかなと思う。でもそれも体力の問題かもしれないしなんとも言えない。

ベビーシッターの仕事でトミーの家に行くシーンとそのあとのシアトルコーヒーのカフェでライブをするシーンは、トミーがヘドウィグを女性と思っているくらいなので化粧もごてごてせずにウィッグも抑えめのボブ。ここは映画でもヘドウィグがとても綺麗なんですが、ステージでもご本人がとても綺麗だった。また、『WICKED LITTLE TOWN』がいい曲なんですよね…。もちろん顔拓タオルもあり。後ろのトミーに投げていた。

『THE LONG GRIFT』も好きなんですが、これはイツアクが歌っていて少し残念でした。が、三上博史版でも(山本耕史版もかも)バンドのギターの人が歌っていたと思う。ヘドウィグ(三上博史)がこの曲を歌おうとして、ジャジャジャジャ…というカッティングギターの不協和音のイントロのあとワンフレーズだけ歌って、“だめ、歌えない”というように歌うのをやめて、ステージの端にあるソファに座って丸くなってしまうんですね。で、代わりにギターの人が歌うという。この時はイツアクにも愛想を尽かされているのでステージにはいない。
最初に見に行った時に、ヘドウィグというか三上博史が本当に歌えなくなっちゃったのかと思って驚いた記憶があるのでよく覚えている。もちろんそんなことはないんですが、ヘドウィグが小さく見えて悲しいシーン。
ただ、あの不協和音イントロが好きだったので、それが変わってしまっていたのは残念だった。

『EXQUISITE CORPSE』の最後で三上博史版は(山本耕史版もかも)胸につめていたトマトを投げて前方の席のお客さんがトマトまみれになったものですが、それはなかった。これに関しては別にやってほしかったとか残念とかの話ではないです。

トミー・ノーシス姿のジョンキャメロンミッチェルは上半身裸ではなかった。これも別に裸がよかったとかの話ではないです。見えないけど54歳ということなので、まあ普通に考えて裸じゃないでしょう。
トミー関連だと、ヘドウィグの語りで何度か隣の大きい会場の様子をうかがうんですが、三上博史版は(山本耕史版もかも。山本耕史版はほぼ一緒だったという記憶しかない)重そうな扉をよいしょと開けると眩しいくらいの光源が差し込む演出だったんですが、本当は今回もそれがよかった。球場のライトくらい眩しい。
今回はトミーの『WICKED LITTLE TOWN』か『MIDNIGHT RADIO』の最後にヘドウィグ(トミー)が帰って行く時に同じような光が使われていたので、そこを強調するためかもしれない。

『MIDNIGHT RADIO』の最初で、ヘドウィグがイツアクから奪ったウィッグを戻してあげるシーンでいつも泣いてしまう。ヘドウィグは歌いながらなんですが、ウィッグを渡し、イツアクがいつものようにヘドウィグにかぶせようとすると、“いいえ、あなたのよ”というように戻すんですよね。それは、しもべとしていたイツアクを解放してあげているような仕草で、ここまで横柄だったヘドウィグが慈愛に満ちて見える。

このあと、イツアクはそのウィッグを持ってステージから降りるんですが、かつてのドラァグクイーン、クリスタルナハトの姿で戻って来る。本当はイツアクとクリスタルナハトの違いが大きければ大きいほどいいから、本当はイツアクがむさければむさいほどいいんですよね。RENTのTシャツにバンダナ、ヒゲのコスプレの人もいましたが、あの姿が一番いい。森山未來版のイツアクはただの女の子だったので本当に論外なんですが、今回はヘドウィグの操り人形役を兼ねていたので仕方がない。でも、女性の服装でも華美にはならない真っ黒な衣装だったし、ヘドウィグをやるときのウィッグも適当なものだったのは好感が持てた。

そして、クリスタルナハト姿で戻ってきたイツアクの頰にヘドウィグが優しくキスしてあげていたのが本当にぐっときました。反則。これが見たかったんだと思った。思いながら、♪Lift up your hands で両手をあげました。

ちょっと中村中に頼りすぎな部分もあるかなとも思うけれど、仕方ない面もあると思うし、私は納得できました。それよりなにより、本家のヘドウィグがこんなタイミングで見られると思っていたかったので、それだけで十分嬉しいです。あの声であの姿だった。動きも愛らしいし、綺麗で、なによりキュートで可愛いかった。観られて良かったです。

また、東京楽日のみのお楽しみとして、『THE ORIGIN OF LOVE』の対になる新曲『THE END OF LOVE』がカーテンコールで披露された。歌詞が知りたい。またどこかで聴けるといいな。


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