『ブレードランナー 2049』



前作が公開されたのが1982年ということで、実に35年ぶりの続編。
だいぶ時間が経っているのでそれほど関係ないかと思いきや、がっつり続きなので、前作は観ておいたほうがいいと思います。

あと、10分程度の前日譚が3作品公開されていますが、観なくても文字での説明があるので話はわかるけれどこちらも観ておいたほうが映画の世界観に入り込みやすいです。
前作が2019年、本作はタイトル通り2049年。短編はその間の2022年、2036年、2048年に起こったことが描かれている。特に、2、3作はキャラの掘り下げにもなっているので観ておいたほうが本編で愛着がわくかもしれない。
2作目にはベネディクト・ウォンが出ているが、本編には出ません。

監督はドゥニ・ヴィルヌーヴ。美術の面で特に彼らしさが出ていたかなと思う。ところどころで『複製された男』を思い出しました。

以下、ネタバレです。














まず最序盤に、主人公のK(ライアン・ゴズリング)がレプリカントであるということが知らされて、それすら知らなかったので驚いてしまった。

そして、骨が出てきてそれがレイチェルのものだとわかったときに、劇場内の人たちが、あ!と息をのむのがわかっておもしろかった。しかも、どうやら妊娠、出産した跡がある。ということは、この時点では説明はされないけれど、父親はデッカードである可能性が高い。
Kは生まれた子供を捜す役目を担うが、そのうち、どうやら、K自身がその子供なのではないか?という流れになっていく。
しかし、これは私がK目線で観ているからそう思っただけだった。前作でもレイチェルはタイレルの姪の記憶を植え付けられていただけだったのは知っている。でも、Kについてはそれが他の誰かの記憶だと言われても、信じたくなかった。主人公だし…とも思っていた。きっと彼がデッカードとレイチェルから生まれた特別なレプリンカントなのだろうと。
でも、決定的に違うということが知らされて、Kだけでなく、私も絶望してしまった。

Kの恋人と思われたジョイも、結局ウォレス社の量産型であることが途中でわかる。どこまで精密なのかはわからないけれど、量産型とはいえ、長く一緒に暮らすうちにそれぞれ個々で違った気持ちも芽生えるのだろうか。別のレプリカントと同期してのラブシーンはすごく妖艶だった。観たことない映像。素晴らしい。

それでも、結局まやかしだったのだろうか。
彼女のデータが壊されて、K自身も瀕死になったあとで、広告の巨大なジョイが裸で誘ってくるのは胸が痛んだ。一緒にいたジョイではなく、他のところのジョイだ。孤独感が際立っていた。

最後、Kはデッカードになんでこんなに親切にしてくれるんだというようなことを問われていた。Kは何も言わなかったけれど、父親と思っていたし、一度そう思ってしまったから、違うのはわかっていても気持ちは変えられなかったのだろう。違うと言われても、記憶は自分の中にある。拠り所にしてしまっていたのだと思う。
自分が特別な存在では無く、普通のレプリカントだったというのがわかっても認められない気持ちも、K目線で観ていたからよくわかって本当につらかった。
デッカードはジョーと名乗った青年が、自分にそんな思いを抱いているなんてまったく気づいていなかったと思う。完全なる片想いです。

ステリンがKの記憶を見たときに涙を流していた理由も、後からわかってなるほどと思った。それ、私の記憶だもんと、彼女だけがあの時点でわかっていたのだ。あの時点で、あなたの記憶じゃないですよと泣きながら、ちゃんと真実を告げていた。彼女もつらかっただろう。

研究所まで送って行って、外の階段で一人死ぬというのはあまりにもつらいラストだ。でも、SF的な切なさはあるし、実は父親でした!親子愛!みたいな感じにされるよりは良かった。それではベタすぎる。

よくある映画なら、ジョイは体を手に入れて量産型ではなくなり、Kとこの先も幸せに暮らし、デッカードとKは感動の再会、これからは親子としてよろしくみたいになると思う。それか、親子と認識して、デッカードがKを守って死ぬとか。
そんなよくあるパターンはことごとく裏切られたが、この物悲しさがとても良い。ひんやりした肌触り。ディストピアの世界観とも合ってる。
よくあるパターンのハッピーエンドでは空が晴れていそう。ディストピアな未来はそのままなのだ。

結局、人間対レプリカントの対決は終わってない(Kはデッカードの殺害をたのまれていたが無視していた)し、レプリカントが繁殖ができるできないもわからない。ステリンがどうやって生まれたのかも謎のままだ。
デッカードが人間だから、レイチェルとの間にハーフのようなものとして生まれたのかもしれないし、レプリカント同士でも愛があれば繁殖が可能とかロマンティックな理由かもしれない。

そして、レプリカント同士での繁殖を夢見ていたウォレス(ジャレット・レト)も野放しのままである。野望を抱えたまま、この先も研究を続けるだろう。それどころか、本作ではウォレスの出番はそんなに無かったかなと思う。前日譚のほうが出番が多かったくらいではないかと感じた。

上映時間が163分と長い割にいろいろと解決してない。でも、考えてみれば、前作も別に解決していない。侵入者を倒しただけだ。

大枠として世界があって、その世界自体は変わらないけれど、その中で起こった一つの事件が解決したという感じなのかなと思う。
たぶん、本作でウォレスを倒す的な結末を迎えたところで、違う人が現れてレプリカントの研究開発をしそうだし。もう、そういう世界なのだと思う。
レプリカント殲滅しましたね、人間だけになってめでたしめでたしという話ではない。
それよりは、あの世界の中でのKの個人的な話でよかったと思う。

それとも続編を作る余地を残したのかもしれない。

ディストピアな世界観がどれも美しかった。
私は、汚染されたラスベガスが特にぐっときました。砂煙なのかスモッグなのか、視界が悪く、変に赤い。有毒っぽさが伝わってくる。

裸の女性の巨大な像だけは残っていたが、朽ち果てた猥雑さがとてもいい。
デッカードが住処にしていた遊興施設もよかった。地下の劇場のようなところで、ホログラムのエルビス・プレスリーがショウを繰り広げているが、壊れていて映像も音楽も途切れ途切れになっていた。ジュークボックスもホログラム式だった。

美術はどれも美しくて、それを観るだけでも大満足。私は通常2Dで観てしまったけれど、できればIMAXのほうがいいのではないかと思う。
ウォレスのレプリカント工場の無機質さと不気味さも素晴らしく、少ししか出てこなかったけどもっと見たかった。特に予告編でも流れていた、ビニールの中から新しいレプリカントがずるっと落ちてくるのは、そうやって生まれるのかとレプリカントの製造の一端が見られて興味深い。ジョイとのラブシーンもそうだけど、このように、存在しないものを一から作り出している映像を見ていると、頭の中を覗いてみたいと思ってしまう。新しい映像の宝庫だった。


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