『ビール・ストリートの恋人たち』



前作『ムーンライト』がアカデミー賞を受賞したバリー・ジェンキンス監督。
1974年の『ビール・ストリートに口あらば』が原作。
レジーナ・キングがほとんどの映画賞の助演女優賞を受賞していて、アカデミー賞の助演女優賞も確実では?と言われていたけれど、その通り受賞した。

以下、ネタバレです。







ティシュは幼馴染のファニーと恋人同士になり、幸せな日々を過ごしていたが、突如、無実の罪でファニーが刑務所に収監されてしまう。その状態で妊娠していることが発覚する。
ストーリーは刑務所へ面会をしに行くティシュと、彼女が思い出す過去が中心になって描かれていく。

過去のシーンは黄色のあたたかなライティングが印象的。『ムーンライト』は青で、冴え渡るような美しさでしたが、今回の美しさはふんわりと優しい。音楽も同じ印象だった。
それは、ティシュがファニーと一緒にいた過去の柔らかくてあたたかくて優しい思い出のカラーなのだと思う。
過去の思い出が優しいほど、その日常が突如奪われたという事実が重くのしかかってくる。

最近刑務所から出てきたファニーの友達が、いかに刑務所が酷いところだったかというのを話すシーンでは、なんとも言えず、音楽が歪む。とても不気味で怖かった。映画は全体的にあたたかな印象なのに、そこだけがひんやりしている。
このシーンに限らず、映画全体がティシュの心中を表しているのだそうだ。そう考えると、あのシーンも不安感が表れているのだろう。

ファニーは白人警官によって誤認逮捕され、収監される。レイプされた側も証言をしている。
『デトロイト』もそうでしたが、『フルートベール駅で』にしても、誤認逮捕というよりははめられたのだろう。
この映画は70年代が舞台であり、悪徳白人警官なんていうものはさすがに現代には…と思っていたが、『デトロイト』にしても『フルートベール駅で』にしても、わりと最近の話だし、黒人に対する白人警官の暴力はニュースでもちょくちょく取り上げられる。現在でもまったくなくなっていない。珍しい事件ではないのだ。

ただ、特に『デトロイト』が怒りをおぼえ、憤る作品だったのに対し、本作はもちろん許せないのは許せないが、アプローチの仕方がまったく違うせいか、そこまで怒りの感情は湧き上がってこない。
悲惨である。許せない事件である。けれど、映画のタッチはひたすら優しい。
これは、怒りをぶつけるのではなく、僕らは僕らで正しいことをしようよというメッセージに思えた。まさにDo the right thingなのだ。アカデミー賞でのスパイク・リー監督もスピーチの最後にこの言葉を残していた(『Do the right thing』自体も未見なので近いうちに観たい)。
そう考えると、白人警官に啖呵を切った売店のおばちゃんは正しいことをしたと思う。
また、ティシュの視線で描かれるので、刑務所の中で実際に何が起こっているのか、そんなえぐい描写もない。だから、強烈に憤るということもなかった。ただ、明らかに殴られた痕がある顔で登場するシーンはあった。

母役がレジーナ・キングで彼女はレイプ被害者に会いにプエルトリコへ出かけて行く。レジーナ・キングが助演女優賞に選ばれたのは、このプエルトリコ・パートだと思う。そこまで長くはない。
そこで被害者の夫(ギャングのボス?)と会食をするが、その前に鏡に向かって精一杯のおしゃれをする姿は相手になめられないようにと外見をしっかり作ったのだろう。鏡に向かっている姿が不安そうではあっても勇ましくも見えた。
ここまでも薄氷の上を歩くように大変だったのだろう。夫も情に流されたのか、会わせる手はずを整える。
しかし、ここで母は言ってはいけないことを言ってしまい、本当はファニーにレイプされたわけではないという証言を引き出すことはできなかった。
「しくじった…!」と言って、頭を抱え込む。決定的に間違った選択をすることでもう元には戻れないことがわかる。場所をつきとめ、プエルトリコまで来て、会う算段を立ててもらったのに台無しにしてしまった。偽証でしたと証言してもらわなければ、ファニーは釈放されない。自分のせいだ。
ここまで、ティシュの前では優しく頼れるお母さん然としていたのに、一気に崩れてしまう。
失敗を悔やむこの演技が助演女優賞だったのだと明確にわかった。

邦題は原作『If Beale Street Could Talk』の直訳の邦題『ビール・ストリートに口あらば』のほうがよかったと思うけれど、映画向けに少しキャッチーに変えたのだろう。でも、観終わってから、口あらば…と思う。口あらば、偽証と認めてもらわなくても釈放されるのに。ビール・ストリートは見ていたはずだ。

レジーナ・キングの演技はずば抜けていましたが、主役の二人も良かったです。ティシュの純粋さとファニーの優しさがよくわかった。
また、脇役が、え?この人も?と思うような豪華さだった。それぞれ、そんなに出番はありません。
ディエゴ・ルナは二人がよく行くレストランの店員さん。ファニーによくしてくれていて、いつもニコニコしていて感じがいい。とてもかわいい。
悪徳警官役にエド・スクレイン。70年代なので厚手のヒゲ。帽子のひさしの奥から、少しでも綻びを見つけて逮捕してやるぞとじっと見てくる爬虫類のような瞳が怖い。
バリー・ジェンキンス作品の特徴として、登場人物が映画の中の人物ではなく、スクリーンのこちら側、私たちを見てくるというカメラワークが使われるのだけれど、主人公の二人の他にもこの悪徳警官が執拗にこちらへ目線を向けてくるショットがあり、こんな目で見られたらびくついてしまい、挙動がおかしくなりそうだし、やっていないこともやったと証言してしまいそうだと思った。これについて、監督は、「登場人物が登場人物を見ているシーンは彼らの中での気持ちの受け渡しだけれど、カメラに向かっているということは映画を観ている人との気持ちの受け渡し」だと言っていた。撮影は『アメリカン・スリープ・オーバー』のジェームズ・ラクストン。
プエルトリコのボス役にペドロ・パスカル。ガラが悪そうながらも、情に厚く、ちゃんとした人のようだった。
デイヴ・フランコ演じる不動産屋は、何の説明もないが、キッパーをかぶっていたので、おそらくユダヤ人なのだと思う。白人だけれど、ティシュとファニーに優しく、なんで優しくしてくれるんですか?と聞いたら、幸せな人を見るのが好きだからと答えていた。白人が黒人に優しいのが不思議なことであるという状況がまずおかしいが、周囲には優しい人たちもちゃんといた。
若手弁護士役にフィン・ウィットロック。実は彼目当てでこの映画を観た部分もあります。心からファニーを救ってやりたいとは思っていたようだが、コネも何もなく、情熱だけでは力不足という役だった。やり手一歩手前という感じです。あと眼鏡をかけていた。久しぶりにフィン・ウィットロックを見たなあと思ったが、製作会社がプランBでなるほどと思った。彼はまだブラッド・ピットに気に入られているようだ。

衣装がまさに70年代で、シャツの柄などが可愛かったのですが、『ペーパーボーイ真夏の引力』、『アンダー・ザ・シルバーレイク』のキャロライン・エスリン=シェイファーが担当というのがすごく腑に落ちた。どちらも可愛かった。



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