『マジカル・ガール』



ペドロ・アルモドバル監督もコメントを寄せるスペイン映画。監督のカルロス・ベルムトは今作が劇場デビュー作らしい。スペインの映画賞をいくつか受賞しています。
なんというか、妙な気持ちになる映画だった。
日本の魔法少女に憧れるスペインの少女…というキーワードからは想像のつかないストーリーの映画です。ただ、ここまで日本に寄っているスペイン映画も珍しいと思う。

以下、ネタバレです。






まず映画の出だし、長山洋子の『春はSA-RA SA-RA』に合わせて、スペイン人の少女が鏡の前で踊っている。スペイン映画を観に来て、いきなり日本語を聞くことになるとは思わなかった。これだけで相当シュールで、これは笑っていいシーンなのか…?と考えていたら、急に少女はばたりと倒れてしまう。

部屋にも魔法少女のアニメイラストが飾られていたんですが、どうやら彼女は日本の魔法少女が好きで、長山洋子はそのアニメの主題歌らしい。はっきり言って、歌詞はまったく魔法少女のそれではないんですが、スペインの人には特に関係がないのでしょう。昔の歌謡曲特有のメロディの切なさはどことなく、『美少女戦士セーラームーン』っぽさを感じる。セーラームーンが魔法少女なのかはともかくとして。
Aメロのキラキラキラキラという音の入り方は変身しそうな感じもするので、どこから引っ張って来たのかはよくわからないけれど、いい選曲だと思う。

少女はハンドルネームがユキコで、マコトという同じく日本のカルチャー贔屓の友達がいるらしく、「一緒にアニメを見て、ラーメンを食べるの」などというセリフも出てきた。
スペイン映画というと、英語でもないし、まったく関わりのない世界の話という雰囲気を受けるけれど、なんとなく親近感がわいてしまう。

ただ、この少女が冒頭で倒れたことでも示唆されたんですが、病気で余命僅かなんですね。そこで、父親は娘の願いをなんでも叶えようとする。
少女は自分が大好きな魔法少女のコスチュームが欲しいと言うが、それが高額でとても手の出る価格ではない。

ここで、普通の映画ならば、「父親ががんばって働いて、でもその金額まで手が届かなかった…、けれど、娘はその父親の気持ちを知って感謝する」など、感動方面に話を持っていくと思う。余命僅かな娘と、その願いを叶えてやろうとする父親である。いくらでも、感動話にできたはずだ。
でも、この映画は安易にそちらへは話を進めない。普通はこう進むだろうというのがどんどん裏切られ、おかしな方向へ向かっていく。

そもそも最初、娘は父親に感謝の気持ちを伝えようとしていた。けれど、ちょっとしたすれ違いで、父親にそれは伝わらない。まあ、序盤の話なので、そこで伝わっていたら、映画はあっという間に終わってしまうのだけれど。

画面が変わって、女性が出てきたので、少女の母親なのかなと思った。けれど、二人にはまったく関係のない人物だった。そういえば、別れた母親を出して感動方面に持っていく手法もあると思うけれど、まったく言及されなかった。
この女性と父親がちょっとしたことで出会ってしまう。要は群像劇だった。

ただ、普通の群像劇だと、それぞれのなんとなくうまくいかない人生を歩んで来た人物たちがちょっとしたことで出会い、幸せな“化学反応”が起こって、最終的には丸くおさまるというパターンが多いように思われる。
けれど、この映画の群像劇は人と人が出会うほど不幸になっていく。話が悪いほうへ悪いほうへどんどん進み、途中で引き返せば良かったものの、最終的には取り返しのつかないところまで行ってしまう。
なぜ、引き返せなかったのかというと、愛故である。途中で、テーマ曲のように何度か流れる曲の歌詞に“愛は盲目”という言葉が使われていた。

娘を愛するあまり、犯罪に手を染めた父親。バルバラと出会わなかったとしても、その前に宝石強盗をしようとしていたし、遅かれ早かれ捕まるか殺されるかしていたかもしれない。

夫を愛するあまり、迷惑はかけたくないと自分の身を切り売りする女。あまり詳細は明らかにされなかったけれど、“挿入はなし”とか“客を何人取る?”とか話していたので売春斡旋業者だろうか。金持ちそうな豪邸に、水着の男女がその姿のまま酒をのんでパーティーのようなことをしていた。

女を愛するあまり、過去に逆戻りする初老の男。この人に関しても過去に何があったかは明らかにはされないんですが、12歳のバルバラに狂わされたとのことだったので、小児性愛のようなことで捕まったのだろうか。刑務所の中ではカウンセラーに「外に出たらバルバラに会いそうで怖い」とまともなことを言っていたが、やっぱり会ってしまったら駄目でした。
最初に授業中にやりとりをしていた手紙を手品のように消したのが、女学生だったバルバラなのだろうか。最後に同じように手の中で携帯を消したのは、もしかしたら復讐だったのかもしれない。
この初老の男、ダミアンを演じる役者さんがちょっとウディ・アレンに似ていたのもおもしろかった。スペイン女性に夢中なウディ・アレン…。

普通の群像劇と違って、偶然会った人々の間に愛が生まれないから不幸な方向へ進んでいくのかもしれない。それぞれが別の人物を盲目的に愛しているのだ。文字通り、周囲は見えない。

明らかにされないことは多いんですが、一番謎なのが、バルバラが派遣されて行く屋敷の部屋です。部屋の中で何をされるのかはわからない。でも、合い言葉を言うまでは止まらないし、我慢するほど報酬が多くなるというルールがあった。部屋に入る前に裸になっていたし、売春斡旋業者からの紹介なので、性方面のことではあると思う。
また、そことは違う、もっとハードなことをされると推測される部屋には、黒蜥蜴のマークが入っていた。出てきたバルバラは顔もめちゃくちゃになり、瀕死の状態だった。エロ以外のことも行われていたようだし、限界まで我慢したのだと思うけれど、まったく明らかにされない。

中でのことを映像として見せることもいくらでもできたと思う。それを、観る人の想像に任せるのは、江戸川乱歩や夢野久作のような昔のエログロ日本文学に通じる奥ゆかしさを感じた。黒蜥蜴って言っても、黒いトカゲなだけでしょ?深読みしすぎでは?と言われそうだけれど、エンディングテーマが美輪明宏が作詞作曲した『黒蜥蜴の唄』なのだ(ピンク・マルティーニのカヴァー)。最初と最後に日本語の歌を聴かされる、スペイン映画を観ている日本人の気持ちになってみてほしい。

屋敷で起こったことは、普段から何にしても妄想をしてしまう人、想像をしてしまう人ほどダメージが大きいと思う。私は映画を観た次の日に、謎の頭痛と吐き気に悩ませれた。長山洋子の曲を聴くだけでちょっと怖い。
シニカルな中にシュールな笑いが取り入れられているのはスペイン流なのかもしれない。けれど、それよりもトラウマのようなものが残ってしまった。

『マジカル・ガール』というタイトルと日本の魔法少女に憧れる女の子の話と聞いたら、ポップな異文化交流が行われるのだと思った。自作のアニメが使われたり。父親が犯罪に手を染めてしまっても、魔法少女のドレスとステッキを手に入れた女の子が魔法少女に変身して、ファンタジーのようにして救ったらいいじゃないか。でも、この映画ではそうはならないんですね。

そもそも、映画のチラシに載っていた、ひらひらのピンクのドレスを来たベリーショートの少女が無表情なのが気になっていた。何かをじっと見据えているんですが、それは、先程、少女の父親を殺して来た男を見ていたんですね。そりゃ、あの表情にもなる。そして、その直後にはあの子も撃たれてしまうわけで…。

父親と少女は殺され、バルバラは瀕死の上、心に負った傷も深そう。ダミアンも結局また刑務所に戻るのだろうし、誰も幸せになっていない。
強烈な印象が残るし、想像力豊かな方は観る前に覚悟するべき映画だと思う。でも、世界観とか雰囲気は、たまらなく好きです。



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