『仮面の真実』



原題『The Reckoning』。イギリスでは2003年公開。日本は劇場公開はなく、DVDスルー。
『ラッキーナンバー7』のポール・マクガギン監督。
1380年のイングランドが舞台。教会と国家の結束が強かった時代の話。

原作はバリー・アンズワース『MORALITY PLAY』。そのまま道徳劇という意味。道徳劇とは聖書の内容を民衆に知らせるための演劇で、旅芸人によって演じられていたらしい。当然ながら、勧善懲悪(善がキリスト、悪がサタン?)である。15世紀くらいから流行ったらしいので、1380年だとその直前くらいか。

原作だと演劇が何度も演じられ、少しずつ何が起きているか、全貌に近づいていくらしいが、映画だと演劇は二回だけだった。時間もあるし仕方ないとは思うけれど、そちらのほうがおもしろそうなので読んでみたい。

ポール・ベタニー演じるニコラスは神父だったが、人妻と関係を持ってしまい、それが夫に見つかってしまう。戒律を破ったニコラスは村を逃げ出し、旅芸人一座と行動を共にする。
彼らはある村にたどり着き、そこで道徳劇の興行を行うが、そのうちに、村で複数の子供が行方不明になっている事件が明らかになる。

ニコラスはキリスト教の戒律はもちろん、人としても過ちを犯している。知らない村での、知らない子供の事件にあれだけ親身になるのは、懺悔の気持ちもあったのだろうか。追っ手に捕まるまでの人生だということを言っていたから、その前に何かしら正しいことをやっておきたかったのかもしれない。
ただ、これだけ正義感にあふれる善人が、なんでそもそも神父でありながら人妻と関係を持つようなことをしたのだろうか。ギーズが囁いていた通り、欲望なのだろうか。

原作が小説のせいもあるのかもしれないけれど、映画全体でちょっとセリフが多く感じられた。ゆっくり描くというより、セリフで説明しながら話を進めて行く感じ。劇中劇(道徳劇)で状況を説明シーンがあるけれど、それと関係させた確信犯なら仕方ないと思うけど、そうではなさそう。

最後のほうの教会のシーンも、悪役のギーズ(ヴァンサン・カッセル)がぺらぺら喋るのにニコラスが少し言い返し、話す内容で全貌が明らかになる。ギーズとニコラスが立って言い合いをしている周囲に旅芸人の他の人たちが座っていて、ただ聞いているという。
舞台だとありそうですよね。中央の二人にスポットライトが当たっていて、脇役の人たちはステージにはいるけれど、ライトの外で、動かず出番を待っている。そんなイメージのシーンだった。

ギーズはおぞましい真実を笑顔で話しながら、ニコラスに近寄って行く。そして、最後にキメの一言をニコラスの耳許に囁くんですが、その一瞬前に、囁くショットだけぱっと見せるという。ポール・マクギガンとはいえ、あんまり映像での凝り方は感じられなかったけれど、ここは、後の作品にも通じるものがあると思った。
監督はちゃんと萌えどころがわかっているので、信用できる。単に、私と趣味が合うというだけの話かもしれない。だから、『ヴィクター・フランケンシュタイン』も私好みだと思うのだ。たのむから日本公開してほしい。

2003年ということで、13年前のポール・ベタニーの美青年具合は一見の価値ありです。最初に神父姿で説教しているシーンがあるのですが、そのときはいわゆる神父の髪型で、これで本編もいくのかなと思ったら、間違いを犯したため、短く切っていた。髪型も似合うし、肌がつるつるです。

ちょっとした役でセリフも少ないですが、トム・ハーディも可愛かった。旅芸人一座の中で一番華奢だからか、背が低いからか、顔が整っているからか、劇の中で毎回女性を演じていた。映画の中では劇は二回しか出てこないけれど、今までもおそらく、旅芸人一座による劇に女性が出てくるときには彼が演じていたのだと思う。トム・ハーディは、今はだいぶ筋肉がついてしまったのでもうできませんね。
舞台だから、濃いめに化粧をしていて、胸とお腹の出た妊婦スーツのようなものをつけ、その上からドレスを着てかつらをかぶる。
二回目の舞台では子供を惑わせる女性の役をやっていて、子供の頰に手を伸ばしながら、首を傾げ、蠱惑的な笑みを見せていた。本当に惑わされそうになる。出番が少ないながらも強烈な印象が残る。
本国版の予告編にもこのシーンが使われていることから、あの笑みにやられたのは私だけじゃないのがわかった。あれはただの女装ではない。





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