『リリーのすべて』



『英国王のスピーチ』、『レ・ミゼラブル』のトム・フーパー監督作品。
アカデミー賞ではアリシア・ヴィキャンデルが助演女優賞を受賞し、エディ・レッドメインが主演男優賞、衣装デザイン賞、美術賞にノミネートされた。

世界で初めて性別適合手術を受けたデンマーク人の実話。小説化された『世界で初めて女性に変身した男と、その妻の愛の物語』(デヴィッド・エバーショフ著)の映画化になるらしい。

以下、ネタバレです。







世界で初めて性別適合手術を受けた…というふれこみだったので、もう序盤で手術を受けるのかと思っていた。予告編だとエディ・レッドメインが女装をしているシーンが多かったので、それはもう手術後なのかと思っていたのだ。
だから、アイナーの妻であるゲルダは早々に女性になったリリーのことを受け入れるのかと思っていた。

序盤で、軽い感じで女性モデルが来ないから足下だけでも代役やってよーと頼んでいたし、脱がせた服の下に女性スリップを着ていても怒らないし、パーティに女装で行ったら?と提案していたし、もうとっくに理解をしたのかと思ってしまった。

けれど、パーティで女装したアイナーが男性とキスをしているのを見て、ショックを受けていた。まったく受け入れていたわけではなく、その後のセリフでも出てくるけれど、彼女としてはあくまでもゲームのつもりだったらしい。

ここでアイナーというかリリーにキスをする男性ヘンリク役にベン・ウィショー。あてがきではないかと思えるほど、彼のための役のようだった。それほど出番があるわけではないけれど、彼そのまんまというかぴったり合っていた。

好きな人が自分を対象にしなくなるというのはショックである。スタート地点にも立てない。嫌われたほうがまだマシという気もしてくる。しかも、少し前までは自分を愛してくれていたのだ。
もしかしたら、最初は別の男性をキスしているところを見て、浮気現場目撃みたいな気持ちになったかもしれない。けれど、もっと問題は根深いと途中で気づいたのではないだろうか。

女装をやめてほしい。リリーにはならないでアイナーに戻って自分を愛してほしい。その気持ちもわかる。
けれど、その努力をしたところでもう戻れないというリリーの気持ちもわかる。

観ていて、グザヴィエ・ロランの『わたしはロランス』のことを思い出した。けれど、ロランスはトランスジェンダーで異性愛者だったのかな。もしかしたら、恋愛は関わらないパートナーだったのかもしれない。

一回目の手術を終えてから、ベッドの真ん中にカーテンのような薄い布が引かれていたのが切なかった。結婚したいというようなことを言うリリーに「私たち結婚してたのよ?」とゲルダが言ったけれど、リリーはそれは違う人とだと言っていた。もうリリーの中では完全に決別できていても、ゲルダの中ではできていない。

友情、母娘、姉妹…二人の関係はいろいろなものに例えられると思う。母娘の場合、母がゲルダです。アイナーのことを愛したままリリーと一緒にいるという状態が一番苦しいと思う。映画のラスト付近では乗り越えられたのだろうか。少なくとも、一回目の手術が終わっても乗り越えられていない。
少し見方を変えてみると、同性愛者が異性愛者に恋をした時の気持ちはこんな感じなのだろうかと思ってしまった。

助演女優賞を受賞しただけあってアリシア・ヴィキャンデルの演技が素晴らしかった。観終わった後で『コードネーム U.N.C.L.E.』のギャビーだと気がついた。ギャビーの演技がまずかったというわけではなく、あの時は60年代ワンピースに睫毛バサバサメイクだったから小娘感が強かったのだ。今回は最後のほうなどは肝っ玉母さんのようになっていた。

ゲルダは気丈な女性で、アイナーがリリーでいる時間が長くなればなるほど、どんどん強くなっていったというか、サバサバしてきていたけれど、アイナーの幼馴染みのハンスの前では弱さを見せていた。彼女にも頼る人がいて良かったと思う。わっと何かが決壊するようにして抱きしめるシーンが良かった。

ハンス役のマティアス・スーナールツが抱きつきたくなるようながっちりした体型をしている。今回はびしっとキメた恰好の金持ち独身貴族みたいな役柄で、服装も髪型もかっちりしていたので気づかなかったが、『君と歩く世界』の主人公の男性役だった。あっちはそんなに綺麗とは言えない恰好だったし、雰囲気がまったく違う。

手術後、ヘンリクに、「じゃあ、医者が君を女性にしたってこと?」と聞かれ、「女性にしたのは医者じゃなくて神様よ」と答えるシーンがある。
幼い頃にハンスとキスをした時にリリーが一度出てきたと言っていたが、それ以降、目を背けていたのだろう。忘れていたわけではないはずだ。ただ、幼い時分でもいけないことだとわかって、おそらく蓋をしていたのだろう。

女性モデルの代役としてストッキングを履き、チュチュを合わせたときの表情がとても良かった。私は恋に落ちる映画が好きなのは、この表情が観られるからなのだ。
胸の中にぽっと小さな何かが生まれる。この映画の場合は生まれるというよりも、思い出したというのが正しいかもしれない。何かしらの発見があったようなはっとした表情から初々しさと艶かしさが混じるような表情にかわり、やがて恍惚とした表情や泣きそうな表情など、様々な感情が混じり合い、溢れ出しそうになる。
セリフはないんですが、このシーンのエディ・レッドメインの表情が素晴らしかった。

ポスターや予告編でも見ていたけれど、エディ・レッドメインの女装姿が本当に綺麗だった。
最初のパーティの時、女装がバレて、こいつ男だぞ!みたいにみんなの前で辱められるシーンがあるのかと思ったけれど、無くて良かった。気づいていたヘンリクが心遣ったおかげだろうか。

ドレスが派手なせいもあったかもしれない。赤っぽい髪(ウィッグ)の色かもしれない。リリーは一際目をひいていた。

手術後にデパートの女性店員の中に混じって一緒にきゃいきゃいしてましたが、この中にいるのは確かにエディ・レッドメインなのにまったく違和感が無かったのがすごかった。

さすがに身長はごまかせないけれど女性にしか見えない。それは、化粧やドレス髪型のせいだけではない。手つきなどのしぐさの研究と、自然に出てくる表情などすべてが合わさって、女性らしさが作られていた。

原題は『The Danish Girl』。そのまま『デニッシュガール』というタイトルでも良かったのではないかと今まで思っていたけれど、デンマークの女の子とか言葉の響きとかもポップすぎるのかもしれない。
というのも、また実話で事実を知らないパターンだったのですが、二度目の手術がうまくいなかくて結局亡くなってしまうという結末を知らなかった。
世界初の手術だからそんなリスクも承知していただろう。それでも、女性の体に、本来の体になりたかったのだ。

エンドロールを見ながら、デスプラの叙情的な音楽とともに余韻にひたりながら、これはタイトルは『リリーのすべて』で良かったのかもしれないと思った。

トム・フーパー監督、『レ・ミゼラブル』の時は歌っている人物のアップばっかりで少し気になったけれども、今回もやはり人物のアップは多い。しかし、エディ・レッドメインやアリシア・ヴィキャンデルが繊細な演技をしていて、表情で語られる部分が多い映画だったので、今回はこれで良かったと思う。

あと、家を中心として建物の中の映像が多かったけれど、シンメトリーや奥行きを生かした撮り方をしていた。
デンマークの家は同じあたりからのショットが多かったのもこだわりだろう。部屋の向こうにいる人物を扉の外から撮るのもおもしろかった。

ヘンリクの住宅は、両側に黄色い長屋のような建物が奥に伸びていて印象的だった。
また、デンマークの家が四角い部分が多かったのに対し、パリでの家やその建物は丸い部分が多かった。
何かしら、建物に対するフェチシズムも感じられた。


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