『英国王のスピーチ』でアカデミー作品賞、監督賞を受賞したトム・フーパー監督作品。 以下、ネタバレです。






 ネタバレといっても、ストーリーは誰もが子どもの頃に読書感想文の一つも書いているであろう『ああ無情』なので、特に言うことはないです。

ミュージカル映画であり、ほとんど歌でした。ミュージカル映画が嫌いなわけではないし、むしろ好きなくらいなので、セリフも歌というのは別に気にならなかった。俳優さんたちも全員歌が上手かったです。
ただ、その歌のシーンほとんどで、歌っている俳優さんの顔が正面からとらえられていたため、俳優さんそれぞれのミュージックビデオのようになってしまっている。または、俳優さんののど自慢大会、課題曲レ・ミゼラブルといった感じ。
歌を別撮りせずに、演技の延長でそのまま歌うというのがこの映画の特徴らしいので、歌う表情を撮りたい気持ちもわかる。 もちろん感情をこめて歌う姿を映すことで伝わってくるものもあって、アン・ハサウェイが歌う『夢やぶれて』は、だからこそ心に響くのだと思う。ただ、他の人についても同じように延々と映されると飽きてしまう。カメラの動きが少なくて単調になっていた。
 舞台ならいいと思う。本物のミュージカルならば、歌う姿や表情のみで心を揺さぶらなければいけないだろう。でも、これは映画だし、映画としてどうなんだろうと思ってしまった。こうゆうのも表現の仕方の一つなんだろうけど、あまりにも実験的すぎるし、他の映画と並べて比べられない。
 衣装や背景も良かったのだから、役者さん一人一人だけでなく、全体を見たかった。

 ただ、観た日に寝るときや、次の日も歌が頭の中をぐるぐる回り続けていたので、やはり名曲揃いだし歌がしっかりと自分の中に刻み込まれたのを感じた。
 それから、ヘレナ・ボナム=カーターはもう演じるキャラが決まりつつあるようで。ティム・バートンもトム・フーパーも彼女のことなんだと思ってるのか。ただ、変人役ではあるけれど、監督らの起用に愛があるのがわかっておもしろい。


2002年公開。若いライアン・ゴズリングが見られます。

『完全犯罪クラブ』というから複数人いるのかと思ったら二人だけだった。 ライアン・ゴズリングと一緒に犯罪を企てる俳優さん、なんか見たことあると思ったらマイケル・ピットだった。『ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ』のトミー・ノーシスです。ヘドウィグが2001年公開なので、翌年ですね。
ちなみに、今作もヘドウィグも、吹き替えは両方とも石田彰でした。専属の声優がついていて、それが石田彰であるあたり、マイケル・ピットの将来性が買われていたんだと思いますが、結局いまいち鳴かず飛ばず。プラダの2012年春夏のモデルをやったみたいでその写真がえらく恰好いいので、今からでも間に合うはず。 マイケル・ピットの出演作を眺めていたら、『ヴィレッジ』にも出ていたらしく驚いた。まったく気づかなかった。『ヴィレッジ』はジェシー・アイゼンバーグも出ていたらしいけど、こちらも気づかなかった…。

ライアン・ゴズリングがボンボンでなんでもできるモテモテ役、マイケル・ピットが内向的な秀才役。モテモテが秀才にひどく執着していて気になったのですが、元になった実際の事件の犯人二人組は同性愛関係にあったらしい。なるほど。 二人を追い詰める女刑事役がサンドラ・ブロックなんですが、ここでの共演をきっかけにライアン・ゴズリングと交際していたらしい。この頃だとライアン・ゴズリングはまだそれほど有名じゃなかったと思うんですが、見る目がありますね。しかも、16歳下っていう…。

『ヴィレッジ』


2004年公開。世界観は好きでした。
外界とは遮断された小さな村と不気味な言い伝え。不穏な空気が流れていて、一体、何が起こるんだろうとわくわく待っていたら、結構最初のほうで村に住む怪物が実際に姿を現して、ぽかんとしてしまった。なぜか二足歩行で、着ぐるみ感満載の安っぽさ…と思っていたら、本当に着ぐるみだった。そこから話が考えていなかったほうへ進んでいった。
もっとどっぷりホラーにしてくれて良かったのに、結局哀しい人間ドラマだった。それだとしても、もっとどうにかなったんじゃないかと思ってしまう。続きをもとめたくなってしまう尻つぼみ感。
着ぐるみなら着ぐるみでいい。けれど、本当にそれだけというのがさみしい。森には実は本物が居た!というような怖さが欲しかった。大きい狼とかその程度でもいいから。
あと、ホアキン・フェニックス、もっと活躍してほしかった。序盤は恰好いいのに、後半で離脱してしまう。エイドリアン・ブロディのキャラクターについても、もう一ひねり欲しかった。
 すべてにおいて、Aかと思ったらBだった、で終わってしまう。Aかと思ったらB…かと思ったらC!みたいな感じに最後にどーんと驚かせて欲しかったし、驚かせてくれるのかと思っていた。


007に続き、また旧作をよくわからないまま鑑賞しました。
よくわからないというか、だいぶ前から今作の予告編は映画館で流れていたんですが、『ロード・オブ・ザ・リング』の外伝というか前日譚みたいな話だと知ったのは最近だった。一作も観てませんし、原作も読んでない。
主役がマーティン・フリーマンでベネディクト・カンバーバッチも声で出演となったら『SHERLOCK』ファンのための映画なのかと思っていた。 以下、ネタバレです。







 イライジャ・ウッドがフロドという名前で主人公だというのは知っていた。それだけです。だから、予告編の最初で「My dear Frodo.」と語られるときに気づけばよかった。 イライジャ・ウッド、今作の最初のほうにも出てきましたが、肌が真っ白く透き通るようで、天使みたいな美しさだったんですが、LotRでもそうだったんだろうか?
 旧作を観てないために、基本設定がなにもわからず、いろいろと勘違いをしていた。 まず、手をばたばたさせたり小首をかしげたりと、マーティンがとても可愛かったんですが、これはホビット種族の属性によるものだそうで。無邪気、おもてなし好き、戦争嫌いなどの平和的な種族らしい。
 また、最初に出てきた老ビルボが「60年前の冒険の話」云々と言っていたので、一体、マーティンは何歳のビルボを演じているのだろう?老ビルボが80いくつとして20代かな、マーティンの年齢は41歳だけど可愛いから許されるのかな、などと思っていたんですが、ホビット族自体の寿命が長く、最初のシーンはビルボの111歳の誕生会やるところだったらしい。じゃあ、マーティンは年相応だった…。
 また、途中で出会ったモンスター?となぞなぞ対決をするシーンがあるんですが、そのゴラムというキャラクターがどうやら重要だったらしい。映画を観終わったあとに売店に行ったらグッズがたくさん並んでいたし、ロケ地であるニュージーランドの空港には大きなゴラムが飾られているらしい。キーアイテムであろう指輪もここで出てくる。旧作と何かしら繋がってくるシーンなんだろう。 少し恐ろしいところがあるシーンなので敵だと思い込んでいるんですが、あのグッズ展開からすると、もしかして仲間になったりするのかもしれない。 そして、どこかの国でのプレミアのレッドカーペットの模様を見ていたら、ゴラム役の方も出てきていた。あの声は機械で変換しているのかと思ったら、そのまま喋っていたので驚いた。喋るだけでなく、モーションキャプチャーもやっているらしい。アンディ・サーキスさん、少し顔がゴラムに似ている。
 このビルボとゴラムのなぞなぞ対決シーンは、あまり動きがないのですが、カメラが二人を囲むように動き、長まわしで撮られている。緊迫感のあるやりとりで見ごたえがあった。

 次々といろんなクリーチャーが出てきて、それを倒していくので、『タイタンの戦い』や『タイタンの逆襲』を思い出した。逆襲よりもはっきりとクリーチャーの姿を見せてくれていたのは嬉しい。ただ、上映時間2時間50分にしては、話自体はあんまり前に進んだ感じはなかった。旅に出て、ビルボとドワーフたちの間に信頼関係が築かれるまで。三部作の一作目なのでこんなもんなのかもしれないけれど。
 あと、ガンダルフが強すぎる。ピンチに陥ってガンダルフが助けに来るシーンが何回も出てきて、戦いのシーンでガンダルフがいないと、どうせガンダルフがやっつけてくれるだろうと先が予想できてしまった。
 ドワーフたちがビルボの家に押しかけてくる序盤は愉快だった。3Dで観ましたが、本当に皿が飛んでくるようだった。そして、そのあとのはなれ山の歌が印象的。予告でも何度も聞きましたが、あらためて頭に残るし、本編中の各所で使われるし、エンディングもこの歌だった。頭に残る。

 三部作の二作目は2013年12月らしい。それまでにはLotRを観て、少し世界観を勉強しようと思います。 それと、今回、バッチさんはネクロマンサーの声役だったんですが、いまいちよくわからず。ドラゴンのスマウグ役でもあるらしく、二作目のサブタイトルが“スマウグの荒らし場”なので準主役ではないかと期待してます。

 今作はHFR(High Frame Rate)という新しい形式で撮影されたらしく、せっかくなのでそれに対応している上映館で観てきました。通常1秒24フレームのところを倍の48フレームで撮っているのでより滑らかに、リアルに表現できるとのこと。
 通常の3Dで観ていないので比較はできないのでHFR 3Dのみの感想ですが、最初の穴の中にいる薄暗いシーンではあまりよくわからなかったんですが、外に出て一気に明るくなったときに、驚いて字幕読んでられなくなるくらい画面に見入ってしまった。いつもの3Dでは考えられないくらいの明るさだったし、緑の葉一つ一つがくっきり見えた。
 ゴブリンのアジトのシーンは、その広さを示すためか遠くから撮っていたけれど、細かいところまでしっかりと映っていた。ただ、情報量が多すぎて、少し疲れる感じはした。 色が本当に鮮やかで綺麗ではあるけれど、気持ち悪いくらいパキパキしているので少しわざとらしくも見えた。コントっぽいというが、逆に安っぽく見えてしまうというか。
 あと、風景を映すときにカメラが後ろ向きに動くことがあって、動く乗り物に進行方向と逆向きに座っているときのようになって、ちょっと酔った。これも3Dの臨場感のせいなのかもしれない。
 通路のすぐ後ろの席にしたんですが、目の端に通路に立ち止まってる人がいるのが見えて、何してるんだろうあの人と思ってそっち向いたら、画面の端に、手前側に映ってるトーリンだったので驚いた。奥行きというよりは飛び出す3Dでした。


1994年公開。公開当時にとても好きで、VHSのソフトを買い、原作の『夜明けのヴァンパイア』も読みました。

 久しぶりに観たけれど、俳優さんが美形揃い。まず、インタビュアー役のクリスチャン・スレーターがいい。本当はリバー・フェニックスが演じる役だったそうですが、彼も相当いいです。メガネに腕まくりのワイシャツが良く似合ってる。
 ブラッド・ピットも若くて、はかなげで思いつめたような表情が綺麗です。現在のブラピから考えると、いくら白塗りでカラーコンタクトを入れたところで物憂げな美青年役は想像できないけれど、あれは若さでしょう。
 そして、やっぱりトム・クルーズがとても恰好良い。衣装やヘアスタイルやメイク、それに痩せているせいかもしれないけれど、それまでアメリカンでカラッとした印象だったトムが、見事に美形のヴァンパイアになっている。ポスターやジャケットに使われているセピア色っぽいイメージも綺麗で、もともとはこれが気になって観ることにしたのでした。ストーリーではなく、完全にヴィジュアルから入った。

 ストーリーは、改めて観てみて、こんなに少女漫画っぽかったかと思った。綺麗な男性たちが華美な衣装に身を包んでいて、屋敷などの装飾もゴテゴテしている。 その中で、吸血鬼には性別がないのではないかと思うくらい、レスタト(トム・クルーズ)はルイ(ブラッド・ピット)のことを好き好き綺麗と言い続けてる。少女のヴァンパイア(キルスティン・ダンスト! これも驚いた)のことをレスタトは「私とルイの娘」と言っていたし、ルイがこの子に執着すると、あからさまに嫉妬していた。あとから出てくるアーマンド(アントニオ・バンデラス)もルイに一目惚れしていた。
 また、ヴァンパイアもの特有の、吸血シーンにおける死と隣り合わせのエロティシズムも備えている。吸っている側が欲望を満たしている間、吸われている側も気持ち良さそうな顔をしている。お耽美に徹しています。

 それで、すっかり忘れていたんですが、ラスト、車で逃げようとするインタビュアーが後部座席にいたレスタトに噛まれたところで思い出した。ラストが最高だった。
 倒れたインタビュアーの代わりに運転席に座ったレスタトが、ビルの合間をドライブしながら、カーステでガンズをかけちゃうっていう。いままでの流れが完全に無視されて面食らう。お耽美を一気にかなぐり捨てる様が痛快。そのまま、エンドロールもガンズです。続編ではレスタトがロックスターになるっていう奇想天外な展開が待ってるんですが、おそらくそれの布石ですね。
 続編は映画化されてないものだと思い込んでいたんですが、されてた(『クイーン・オブ・ザ・ヴァンパイア』)。でも、レスタトを演じているのがトム・クルーズではないです。残念。

007シリーズはほとんど観たことがありません。007の新作を観に行ったというよりは、主演のダニエル・クレイグ贔屓での鑑賞。これが007らしいのかどうかは置いておいていいならば、とてもおもしろかった。 以下、ネタバレです。










 『カジノ・ロワイヤル』、『慰めの報酬』と観てみての共通しての感想は「007っぽくないな」ということだった。今回もそこは共通しています。ただ、007シリーズ自体を観ているわけではないから、私が考えている007っぽさが間違っているのかもしれない。
 何かっぽいというならば、最初の追いかけっこはボーンシリーズ、ボンド一人ではなくサポートチームで戦うあたりがミッション:インポッシブル(というよりはゴースト・プロトコル)、敵とボンドとの関係はダークナイトを思い出した。
 ボーンっぽさといっても、逃げる側ではなく追いかける側です。冒頭、屋根の上でのバイクに乗っての追跡劇、電車の上でのショベルカーを橋の代わりに使うなどのやりとりは、アクションとしてはすごいのにやりすぎ感がほとんどギャグのようになっていた。そして、緊張感あふれるやりとりは仲間からの誤射によって、唐突に終わる。
 水に落ちていくボンドと、アデルによるムード溢れる主題歌、水中での甘美な悪夢のような映像が合っていて、とても恰好良かった。ミュージックビデオのようでした。

 凝ったオープニングでしたが、他の部分でも映像美にこだわりが見られた。上海の高層ビルのシーンではネオンとクラゲの映像が妖しく美しかった。それをバックに殴り合う男たちのシルエット。銃が発射されるとその閃光で一瞬だけ姿が浮かび上がるのも効果的だった。シルヴァが捕らえられた近未来的なデザインの牢獄もスマート。シルヴァのいた廃墟のような島は軍艦島だったらしい。スコットランドの荒涼たる景色も素晴らしい。

 今回の007が前作前々作と違う点として、魅力的なキャラクターがたくさん出てくるというところが挙げられると思う。ハビエル・バルデムが演じる敵役のシルヴァはかなり濃いキャラだった。少しおばさんのような喋り方で物腰が柔らかいのに、Mの前で感情を爆発させる。演技がうまいので、シルヴァの言うことも一理あると思ってしまい、終盤のスカイフォールのシーンではどちらかというとボンドよりもシルヴァに感情移入してしまった。母親のように恋人のように慕ってきたMに裏切られたら、こうなってしまうのも仕方ない。泣ける展開だった。

 シルヴァがボンドにシンパシーを感じている点は、ジョーカーとバットマンの関係に似ていた。Mという存在を間に置いての表裏一体。お前も一歩間違えたらこっち側だろう、むしろこちら側に来いよと誘う様などが『ダークナイト』を彷彿させる。私が『ダークナイト』好きだから考えすぎなのかと思っていたら、サム・メンデス監督自身が「『ダークナイト』から影響を受けた」とインタビューで話しているので、関係なくもなさそう。MI6とは別のところで犯罪を犯している敵をとっちめるという話ではなく、MI6内部に、更に心理的にも深く食い込んでくるタイプなのもまたいい。
 敵以外にも、ボンドをサポートする周りのキャラクターたちも良かった。特に、Qが可愛かった。なで肩でひょろっとしたメガネで、一見頼りなさそうだけれど、天才的な技術を持っている。「ボンド」と名前で呼ぶのもいい。まったく物怖じしないふてぶてしい態度をとりつつも、サポート態勢が完璧。Qを演じたベン・ウィショーの他の出演作を眺めていたら、『レイヤー・ケーキ』に出ててびっくりしたんですが、役名を見て更にびっくり。シドニー役でした。(以下で『レイヤー・ケーキ』のネタバレあり)

 『レイヤー・ケーキ』で、主人公(ダニエル・クレイグ)はシドニー(ベン・ウィショー)の彼女を寝取るが、ラストでシドニーに撃たれてしまう。あの二人がこの映画ではこんな役を…。同じ俳優さんたちの作品ごとの関係性の違いがおもしろい。

 同じくサポート役のイヴも良かった。出会いが最悪で、ボンドが色気を出しても、すれすれのところでかわす。男女の関係になりそうでならないところが良かった。ジェームズ・ボンドと言うと、とにかく手がはやいイメージがあるけれど、彼女は少し違った存在なのだなと思った。
  ラスト付近で、“マニーペニー”という名前を意味ありげに明かしたときに映画館内がざわっとなったのですが、それも、007に疎いせいで理由がわからなかった。Mの歴代の秘書の名前なんですね。それじゃあ、なおさら男女になってしまっては駄目なのだ。一回きりで終わらない、次に続ける仲間でいるためには、すれすれに止めておいたほうがいい。

 今回、私はとても面白く観ることができたけれど、007ファンにはどう思われるのかはわからない。特に、新しいMに引き継がれることに関して、Mは長い間ジュディ・デンチだったらしいので、それが交代してしまうのは賛否あるのかなと思った。けれど、007ファンで『スカイフォール』を未見の友だちにMのラストは伏せたまま、Qが可愛いという話だけをしたところ、Qも前はおじいさんだったことを知らされて、「Qが若者に変わるなら、Mも変えればいいのにね」などと言っていたので、それほど気にしていないようだった。あと、M=MOTHERで、女性であることが前提なのかと思っていたら、ジュディ・デンチの前のMは男性だったらしい。杞憂だったようです、Mに関しては。
 それよりも、007ファンの友だちは観た後で「Qが若すぎる。頼りない。もっと荒唐無稽なスパイグッズが見たかった」と言っていた。現代的なQというのは、いままでの007ファンからすると、違和感があるようだった。おそらく、Qだけでなく、映画全体のイメージも旧作の007はもっと荒唐無稽だったのではないか。今作はそれほどスパイ映画っぽくもない。ボンドがMを護る様、英国を護る様を見ていると、ヒーローものにも思える。ボンドガールらしき女性もちょっとしか出てこないし、007らしさはやはり薄いのではないかと思う。

 それでも、007シリーズ自体には特にこだわりがない私としては、新M、新マニーペニー、新Q、そしてダニクレのボンドでの新体制での次作がいまからとても楽しみです。次もボンドガールが入る余地がないくらいでいい。


2006年公開。『スカイフォール』の予習として観ました。

ダニエル・クレイグがジェームズ・ボンドを演じた一作目。 007はほとんど観たことがないのですが、なんとなくイメージしていたボンドとは違い、007というよりはダニクレ主演の普通のアクション映画という感じでした。

 私がジェームズ・ボンドに対して持っていたのは、常に余裕をもって仕事をこなし、スマートに敵を欺き、Mには結局忠実で、ボンドガールとの駆け引きなども粋…というイメージだった。しかし、この映画のボンドはすぐにカッとなっている。
カジノでの勝負の休憩中にナイフを持って出て行ったときには、CIAの人にも止められていたけど、私もおいおい落ち着けと思った。すすめられたお酒を簡単に飲んでしまうのにも違和感があった。結果、ボンドは盛られた毒を服用し、一度死んでしまっていた。そこを助けるのはボンドガールである。え? 逆じゃないの? ボンドガールを助けることはあっても助けられちゃうの?
 あとは、拷問シーンですよね。問題はその種類なんですが、全裸に剥かれて椅子に縛り付けられ、局部を打たれるっていう…。なんで、男の全裸が出てくるんでしょうか。これ、ダニエル・クレイグだから脱がされてるんじゃないの?

この、若く無鉄砲なボンドは007としてどうなのだろうと思いながら観ていたんですが、驚くのはこれが原作一作目にかなり忠実な作品だったということです。もともとのボンドはこんなだったんですね。拷問シーンもあるらしい。
 ただ、映画では構成や時間配分が少しおかしいような気がした。拷問以降のボンドガールとのいちゃいちゃが妙な長さ。舞台が変わっているから仕方ないのかもしれないけど、カジノシーンとその後のボンドが休養しているシーンは同じ映画と思えない。とってつけたように見えて、統一感がなく思えた。
 そのくせ、最後はボンドガールに裏切られ、しかもその謎につつまれた正体については、全部Mがセリフで説明しちゃう。ラスト付近に急に駆け足になって、そのまま終わる。 カジノシーンが盛り上がったのに、その後の展開も結構長い。どこまで原作どおりなのかはわかりませんが、カジノはクライマックスに持ってきてほしかった。


早稲田松竹にて、『ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ』との二本立て。今年の映画なので、ネタバレ表記をしておきます。





説明らしい説明がないまま話が進んでいくので、かなりアクの強い登場人物やその人同士の関係がなかなか見えづらい。The Cureのロバート・スミスのようなゴスメイクをしているショーン・ペンはあまりにも異様。少しずつ明らかにはなっていくんですが、それでも説明しすぎない作りなので、ぼんやりしたところが残る。
そして、途中から何故か、自分探しのロードムービーになって驚いた。この映画を一言で説明するなら、“ショーン・ペンがロバスミ風のメイクでナチの残党狩りをしながら成長するロードムービー”という風になるのかもしれない。なんだかいろんな要素がギチギチに詰め込んであるんですが、映像が綺麗なせいか、旅の途中で出会う人々がそれぞれ魅力的なせいか、観ていて不思議と心地の良い作品。

デヴィッド・バーンが本人役で出てくるんですが、そこで披露されるライブがかなり実験的でおもしろい。本当にあんなライブをやっているなら観てみたい。けど、ちゃんとステージの見える場所でないとつまらなそう。

旅を終えたシャイアン(ショーン・ペン)が苦手だった飛行機に乗るために空港にいるラストはそれだけで、ひとまわり成長したのがわかる。加えて、もらい煙草をするんですが、これは、序盤で煙草をすすめられた際の「僕は煙草はやらないんだ」「子供だから吸わないのよ」というのを受けて、大人になったことを示しているのだと思われますが、伏線回収としてはちょっとくどいかなと思ってしまった。

ラストがよくわからなかったので調べていたんですが、よくわからないということでいいみたい。
“探されているトニーというのがシャイアンなのではないか”という考察もありましたが、それにしては母親が若すぎる。シャイアンの母ならもっとおばあちゃんだろう。

私は、シャイアンはメイクをして過去のロックスターを気取っているが、それはすべて彼の妄想なのかと思った。小さな村っぽかったし、周囲の人も全部知った上で、話を合わせて優しく見守っているのかと。『ラースと、その彼女』みたいな感じですね。そして、シャイアンはその妄想から解き放たれて、普通の男性の姿に戻って、本当の妻の元に帰ってきたのかと思った。あの豪邸もそこにいた妻も全部ニセモノ。
でも、彼の楽曲が原因でファンを死なせてしまっているみたいだし、そのことで両親に本当に怒られていたし、村を出てもみんな彼のことをロックスターだって知っているみたいだったので、どうやら妄想ではなく、本当に過去のロックスターだったらしい。

あの母親はトニーの帰宅を待って、ずっと悲痛な表情をしていた。その失踪にはシャイアンが関わっているようだった。でもラスト、メイクを落とし髪も切ったシャイアンと母親は幸せそうに笑いあっている。しかもシャイアンは自分の家じゃなくて、そっちに帰ってしまうのか。『きっと ここが帰る場所』というタイトルだけに、帰る場所は重要なはずなのに。少なくとも、豪邸にいる妻よりはトニーの母親のほうが重要だということなのか。でも、本物の妻は、電話でシャイアンがいつ帰ってくるのか心配していたし、それはひどすぎる。

トニーの部屋にバウハウスのポスターが貼られていたので、ゴシックロックが好きなことは確実。あのメイクとファンが自殺していることから考えて、シャイアンがやっていたバンドはゴシックロックだったはず。そこから考えられるのは、トニーはシャイアンのファンだった、もしくはトニーとシャイアンが同一人物、どちらかだと思う。けど、ここまでしかわかりません。


2001年公開。映画館で観られるとは思っていなかったので嬉しかった。曲が全部素晴らしいので、映画館の音量で聴けたのも嬉しかった。この映画自体、久しぶりの再見です。あらためて観て気づいたことなど。

サントラに入っている『Freaks』はどこで流れているのかと思ったら、子どもの頃のハンセル(ヘドウィグ)が聴いてたアメリカのラジオ番組から流れている曲だった。

『The Origin Of Love』のときのイラストが舞台版でも映画でもどれでもヘタクソなのって、ハンセルが描いたイラストという設定だったからなんですね。

『Wig In A Box』は観るたびに毎回泣ける。ルーサーに捨てられて、トレーラーハウスでどん底状態だったヘドウィグは、きっとバンド仲間にあんな風にして救われたのだろう。メンバーはおちゃらけた様子でヘドウィグに新しいウィッグをプレゼントして、外の世界へ連れ出す。この過去の話をしているときに、現在のバンド内がすでにギスギスしていて、一番いい頃との対比がはかられている。幸せな記憶を思うと胸が締め付けられるよう。

あと、『Sugar Daddy』の“カーウォッシュ”ですが、観客の顔に自分の股間を擦り付ける行為をそう呼ぶのかと思っていたら、これを歌うときのヘドウィグの衣装が裾がひらひらと切れてるスカートなんですね。それで顔の上を行ったり来たりするから“カーウォッシュ”だった。三上博史も客席に降りてきて、男性のお客さんに跨って「カーウォッシュよ」ってやってたけど、あれも同じような衣装だったのかな。

ヘドウィグの衣装はどれも可愛かった。トミーの家で子守をしているときのナチュラルメイクのジョン・キャメロン・ミッチェル(ヘドウィグ)はキワモノでもバケモノでもなく、綺麗で本当に女性のように見える。トミーが勘違いをするのも無理ない。この辺が舞台だと、どうしたって三上博史や森山未來は女性には見えないからわかりにくい。トミーがヘドウィグのことを女だと思い込んでいるという設定に無理がある。

トミー・ノーシスとの別離のシーン、たぶんヘドウィグの頭の中でのことですが、映画版ではトミーがヘドウィグと向かい合って、目の前で『Wicked Little Town』を歌う。そして、「Goodbye, wicked little town.」と歌ったあと、声には出さずに「Goodbye.」という形に口が動く。完全な決別です。
これはこれで泣けるのですが、舞台版では、近くのスタジアムでライブをしているトミーがMCでヘドウィグの名前は出さないけれども謝罪をして大切な人だと認める。そして、「どこかで聴いていてくれるかもしれない」と言ったあとに『Wicked Little Town』になるんですね。ヘドウィグはこの事実を知らない。まあ、そこも含めて、全部がヘドウィグの頭の中の出来事なのかもしれませんが、なんとなく続きがあるのかもしれないと、わずかながら希望が残る。
この辺、オフブロードウェイの舞台から映画化するにあたっての変更なのか、日本で舞台化するにあたって加えられた変更なのか、もともとの舞台を観ていないので不明です。

『The Long Grift 』も、舞台だとギターの人が丸々一曲歌うシーンがありますが、映画では過去にトミーが曲を作ってるシーンでイントロとワンフレーズしか出てこない。いい曲なだけに全部聴きたいです。

『The Origin Of Love』で歌われている内容の、一つの生き物が二つに割かれ、片割れを探す旅に出るというのがこの作品のテーマなのは間違いない。それは東と西のドイツ分断も暗に示していて、真ん中に建つベルリンの壁が男と女の間にそびえるヘドウィグなのだから(『Tear Me Down』)、やっぱり森山未來版の舞台がフクシマだったのはおかしい。
いくら時代錯誤な感じがしても、ヘドウィグは東ドイツ出身で憧れのアメリカに出てこないといけない。ここはこの作品の根本的なところなんだから変更しては駄目だと思う。

ヘドウィグがイツァークにウィッグを渡すシーンも同様に重要です。イツァークは渡されたウィッグを当然のようにヘドウィグに被せようとするが、ヘドウィグはそれを断り、代わりにイツァークに被せる。ここで、ヘドウィグがイツァークの束縛を解いたことになる。森山未來版のイツァークはまったく抑圧されてなかったので、解放されるシーンも不必要になってしまっていた。森山未來版については、イツァークを小柄な女の子にしたミスキャストについても文句はありますが、舞台の変更と重要な設定の削除も、本当にがっかりしてしまう。


前作、破が2011年8月にテレビ放映された際に、Qは2012年秋公開の告知がされて、まだまだだと思っていたのにあっという間でした。
ちょっと小難しくて、はっきりいって理解しきれてませんが、映像や音的にはすさまじかったし、こうゆうのって他にはないと思うから、映画館で観たほうがいいとおもいます。

以下、ネタバレです。






破とは印象がまったく違った。破はとてもわかりやすかったし、明るかった。みんなで海洋生物研究所に行くシーンは遠足みたいだったし、レイが食事をセッティングしたり、アスカがレイの代わりにエヴァに乗ろうとしたりと他人に気を配るのも良かった。ラストのほかのものを省みずにレイを救いたいという一心で行動を起こすシンジも、強くなったと思いました。全員、ちゃんと成長しているのが見られて嬉しかった。

でも、そのラストのシンジの行動の結果が今回のQなのだとしたら、あまりにも哀しすぎる。いろいろとはっきりしたことが語られないのでわかりにくいのですが、シンジのせいで世界が終わってしまったように見える。
ディザスターもののようだけれども、普通のパニック映画が逃げる人視点なのに対して、これは破壊する側視点。また、逃げまどう人々はほとんど出てこないので不気味。そもそも人自体がもう存在していないのではないかと思われる。けれど、その辺の詳細も詳しいことはあまりわからない。ただ、どうやらトウジはシンジが起こした事故が原因で亡くなったようです。加持さんは出てこなかったけれどどうなってるのかわからなかった。名前すら出てこない。

とにかく全体的に暗く荒んだ空気が流れていた。その中で、カヲルくんがシンジを連弾に誘う一連のシーンだけは唯一ホッとする。最初にピアノの予告が公開されたときにはぽかーんとしましたが、映画が終わったあとで観ると、なるほどと思える。重要なシーンだったんですね。
心を通わせる方法として連弾をもってきたのもスマート。あからさまなことをやらなくても、充分に伝わってくるし、終わったような殺伐とした世界にピアノの晴れやかな音が響くのは救われたような気持ちになった。

でもこのカヲルくんも、アニメのときよりも、よりショッキングな死に方をしていた。しかも、良かれと思っての行動の末のことだからいたたまれない。こんなはずじゃなかったって言いながら、結果的に破壊されたらたまったもんじゃないけれど、善悪がぼんやりしてるのもいろいろと考えさせられる面ではありました。

今回、シンジが駄々をこねているのが本当に子供に見えて、アスカがよっぽど大人に見える、と思ったら、14年経ってるという衝撃の事実が。目覚めていないシンジはそのままでも、アスカは外見は変わって無くても14年の時は経ていて大人になっている。しっかり、14年分年をとっている。口は悪くても、言っていることは正しいし、仕事はしっかりこなしていた。

あと、マリは破のときには新キャラなんて必要ないんじゃないかとも思ったけど、今回はたよりになるし、可愛いし、空白の14年間でアスカとも随分濃密な間柄になったようだし、必要なキャラクターになっていた。ピンクと赤のエヴァが一緒に作戦をこなしているのも画的に可愛い。

“序破急”は、もともとは雅楽で用いられていた言葉で、今は文章の構成の種類として使われているらしい。“起承転結”が四段であるのに対しての三段ということなので、三であることに意味がある。そうすると、次回作のシンって一体なんなのかわからなくなってくる。四作目になっちゃいますが…。単純に今回の三作の続編というわけではないのかもしれない。


東映創立60周年記念作品という謳い文句と吉永小百合主演というのと『北の零年』を想起させるタイトルから、大作っぽいものを想像していたんですが、それとは少し趣が違う作品でした。湊かなえ原作というのも知らなかった。
以下、ネタバレです。









湊かなえが悪いわけではないんですが、サスペンスだとは思わなかった。もっと壮大なものを想像していたんですが、案外こぢんまりしてしまっていた。映画というよりは二時間ドラマのように思えた。

教え子の一人が殺人事件を起こし、その真相を探すために北海道の各地を回る吉永小百合は少し、ファミコンのゲームの『オホーツクに消ゆ』を思い出させました。

吉永小百合が教師だった時代と現在の映像が変わる変わる出てきますが、その切り替えがあまりうまくなかったため、観ていても流れが感じられず、気持ちもぶつぶつ切れてしまった。
かつての生徒に話を聞いて、その人物が話す内容が子どもの頃の映像として出てきて…。それを生徒一人一人について、基本的に同じように繰り返していく。
また、原作が小説だからなのかもしれませんが、会話で事足りるというか、セリフでほとんど説明してしまうのもどうかと思う。だから、吉永小百合と誰か一人が話しているというシーンがすごく多くて、画的に単調になってしまっている。その背景で吹雪いていても、そんな場所で話し込んでいる状況が不自然に思えるだけで、舞台を北海道にした意味が感じられない。造船所で働いていたり、母親がスナックで働いていたり、噂がすぐに広まってしまうのも、別の漁村が舞台でも良さそう。

大人になった生徒を演じた俳優さんたちの演技は全員うまかった。勝地涼さんだけ知らなかったのですが、満島ひかり、宮崎あおい、小池栄子、松田龍平と、最近の映画界を牽引している若手を揃えてきた。特に、最後に出てきた森山未來は迫力があった。演技だけでなく、合唱曲を歌うシーンもさすが。

ただ、これらの俳優さんたちが一人一人、別々に出てくるので、それぞれの出番が少ないのがもったいない。そのために、更に映画自体の印象もバラついてしまう。せっかくこれだけ揃えているのだから、もっと共演シーンを多くしてほしかった。逆にこれだけ役者さんを揃えたせいで、スケジュールなどの関係上、合わせられなくなってしまったのかもしれませんが。

最後、やっと全員が勢ぞろいして合唱をする。それは中盤くらいからずっと観たかったシーンなので、一気に盛り上がることは盛り上がるのですが、そこに辿り着くまでが退屈だった。130分は長すぎる。

『声をかくす人』


ロバート・レッドフォード監督作品。この間観た『リンカーン/秘密の書』とは趣がまったく違うリンカーンもの。リンカーン暗殺に関与した女性の裁判の話。
以下、ネタバレです。



ネタバレといってもこれも『アルゴ』と同じく、事実を元にした映画なので、ネタバレらしいネタバレはないです。ポスターに“アメリカで最初に絞首刑となった女性の…”と書いてあったので、結末はわかっていた。それなのに、観ながらイライラしたり、なんとか死刑を回避できないかと祈るような気持ちになった。

主人公の弁護士は、最初は嫌々引き受けていたが、次第に何かおかしいと気づき、正義感に目覚めていく。大きすぎるシステムに戦いを挑んで、自分の無力さに気づく。そしてラストでは、観ているこちらもやりきれない気持ちになった。劇場のいろいろな方向から重苦しいため息が聞こえていた。決して後味が悪いというわけではないです。心にしっかりと残る映画で、とても観ごたえがあった。

映画に没頭できた要因の一つとして、出演している俳優さんの演技力の高さがあげられると思うんですが、弁護士役はジェームス・マカヴォイ、良かったです。今回、マカヴォイ目当てでもあったんですが、かなり渋い役柄でした。顔は可愛らしいのに、重い役を演じているのをよく見かける。今回は『つぐない』と似た印象を受けた。『つぐない』が2007年、今作がトロント国際映画祭で上映されたのが2010年なので、『X-MEN: ファースト・ジェネレーション』より前なんですね。

弁護士として戦っている様子を見て、「本当の親子でもあるまいし」と揶揄されたり、本当の息子が弁護士に向かって、「あなたのほうがいい息子でした」と言ったりと、弁護士と容疑者の女性は、いつの間にか疑似家族のようになっていた。でも、しんみりとした家族物というのが主題ではなく、あくまでも力との戦いに重きが置かれていたように思った。

今回、フィルム上映で観たのですが、全体的に日差しがとてもやわらかく撮られていたのはフィルムのおかげなのか、それとも意識して観ていたからなのか。
独房の窓から差し込む光、裁判所に差し込む光。晴れているけれど、ぎらぎらしていたり、色をぱっきりさせる強さは無かった。どきつさみたいなものは、徹底的に排除されていた。
処刑台に向かうシーンでも、太陽はあくまでも日傘越しだったのが印象的でした。


Blu-rayが発売されました。
特典映像についてネタバレです。


ベネディクト・カンバーバッチ演じるピーター・ギラムがサーカスから書類を盗み出した帰りに、ロイ・ブランドと階段でとすれ違う。電話の奥で聞こえていた曲を意図的に口ずさみ、お前の電話は聞いてたぞと暗に脅した上で、ブランドはギラムをランチに誘う。そのランチシーンが未公開シーンとして収録されています。
「車は何に乗ってるのか」とか当たり障りが無いような、しかし盗聴をほのめかす質問を繰り出すブランドに、ギラムがにっこりとひきつった愛想笑いを返す。バッチさんのこの表情がいいです。顔もアップだし、ひやひやするけれど、同時にこの一連のシーンばかりに時間を割いてもだらだらしてしまうかなとも思う。ただでさえ長い映画だし、その前の階段のシーンの一撃必殺な緊張感がすごいので、まあ、カットされても仕方がないのでしょう。

もう一つ、スマイリー(ゲイリー・オールドマン)が黙々と目玉焼きらしきものを作っているというなんだかすごい未公開映像も入っている。
たぶん、サーカスを解雇されたあとで、日中に家で暇を持て余している。近所からうるさい音楽が漏れてくるのも日中に家にいるようになって初めて気づいた様子。妻も出て行ってしまっていて、喋る人もいない。慣れない危なっかしい手つきで料理を作る。しかも目玉焼き…という、なんとももの寂しいけど、おかしくて少し可愛くも見えてくる映像が長回しで撮られている。
こんなのもちろん映画内ではカットですよ。完全に浮いてしまう。だから、トーマス・アルフレッドソンはこれで一本別に、短編を作って欲しい。お願いします。ビルとジムの過去編と同時上映して欲しい。
ちなみにゲイリーはこの映像について、「シド・ヴィシャスを演じてたこともあったんだけど…」と嘆いていたらしい。

出演者のインタビューでは、トム・ハーディがゲイリー・オールドマンに見とれていてNGを出した旨を話していた。ゲイリー・オールドマンはジョン・ハートとの共演を喜んでいた。ベテランから旬の若手まで、様々なイギリス俳優の交流の場にもなったらしく、出演する側も楽しかったようです。どうりで観る側が楽しめるはずだ。



“昼は大統領、夜はヴァンパイアハンター”という宣伝文句にワクワクしていたし、製作にディム・バートンの名前があったので公開前からかなり期待をしていました。しかし、アメリカで一足先に公開されたときの評価が低く、興行収入もいまいちということで不安になっていたのですが…。
以下、ネタバレです。





アクションシーンはよくできてたと思う。大量の馬が駆けてくる中での格闘、舞踏会でのカーテンを使った演出、走る列車と落ちる橋など、各シーンはおもしろかった。役者さんたちも恰好良かった。くすんだような全体の色合いも、ゴテゴテしたゴス衣装も、統一されていたし雰囲気は良かった。それなのに、流れがない。それぞれがブツ切れ。

なんとなく、『マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙』に悪い面が似てた。短時間で人の生涯を描こうとしてるから、一つ一つのエピソードに深みがなくて、総集編みたいに上滑りしてしまう。

今作だと、ヴァンパイアハンターとして活発に活躍していたのは大統領になる前で、いざ大統領になってからは、通常の大統領業務をこなしているようだった。年老いてから再び斧を手にするものの、それでは“昼は大統領、夜はヴァンパイアハンター”というキャッチコピーとは違ってしまう。一人の人間の二面性が見たいのに、ヴァンパイアハンターパートと大統領パートはきっちり分かれてしまっていた。
大統領として普通に働いているシーンはいらない。それを観たいなら、別の映画を観る。中途半端です。もうずっと、斧を振り回してヴァンパイアを狩っていれば良かったと思う。斧アクション、恰好良かったのに。だからもう、大統領になろうとしている若い頃のエピソードはいらなくて、最初っから大統領になっていてくれていい。

ドミニク・クーパー演じるヘンリーだって、もっとうまくいかせるキャラクターだったはず。リンカーンが大統領になって普通の仕事をしている何年間かは、この人が何をしていたのかもわからない。
リンカーンとのブロマンス的な引っ張り方だってあったはずだし残念です。

ストーリー/キャラクター共に、素材はいいのに、それがうまく調理されていなかった。いくらでも面白くできそうだったのにもったいない。最後の締め方は良かったけど、それでうまくまとまったみたいな顔をされても困ってしまう。

2006年公開(イギリスでは2004年)。マシュー・ヴォーンが『X-MEN: ファースト・ジェネレーション』の続編の監督を降板したという話題と、若いダニエル・クレイグが気になったのと、トム・ハーディが出ているので観てました。

八年前の映画とは思えない。スタイリッシュなことをやると、やはりその時代のブームみたいなものが反映されるので、あとから観ると恥ずかしくなることが多いと思うのですが、まったく古さを感じない。序盤の流れるようなカメラワークはミュージックビデオのような作りだった。もしかしたら、マシュー・ヴォーンはミュージックビデオ出身なのかと思ったけれど、特にそんなこともなさそう。ガイ・リッチーはそっち方面やCM出身らしいですが。

やっぱりマシュー・ヴォーンは『ロック、ストック&トゥー・スモーキング・バレルズ』など、ガイ・リッチー監督作で製作をつとめていたことで有名になったせいもあって、比べられることも多いし、作風が似ている。今作も、マシュー・ヴォーンにとって初監督作ですが、もともとはガイ・リッチーが監督をつとめるはずだったらしい。登場人物の多いクライムムービーということで、題材自体が『ロック、ストック~』『スナッチ』『ロックンローラ』あたりに似ているのでテイストが似てしまうのは仕方ないとは思う。どちらも好きです。

それでも、特典映像に収録された監督インタビューでガイ・リッチーのこと聞かれすぎなのは少し可哀想だった。あと、低予算にこだわっているとも話していた。低予算で作れば、もしも興行収入がいまいちだったとしても文句を言われることはなく、好きなことができるから、とのこと。

特典映像には未公開シーンが多数収録されていた。誘拐された娘のエピソードはごっそり削られているらしい。それぞれの未公開シーン自体は興味深くはあったけれど、確かに入れると間延びしていたと思う。登場人物が多いだけに、主題から遠い場所のエピソードを入れ出すとなんでもかんでも加えなければいけなくなってしまう。ごっそり削ることで、話の中心がはっきりするし、なによりテンポも良くなる。

ダニエル・クレイグの若造っぷりが可愛かったです。今年公開された『ドラゴン・タトゥーの女』だと、大人の余裕でドンとかまえる色気のあるおじさんというイメージだったんですが、今作では周りに振り回され事件に巻き込まれていた。セクシーではあるけれど、まだまだ若い。ほんの八年前でも結構変わっている。恰好いいです。

トム・ハーディは今と比べて一回りくらい小さかった。役柄も見た目も『ロックンローラ』のハンサムボブと似ていた。

『ダークナイト ライジング』でダゲットの部下を演じたバーン・ゴーマンが出てきて少し気になりました。

クライム物だから人はたくさん殺されるけれど、残虐描写が少なかったのはたぶん意識的に避けてたんだと思う。人を撃つシーンでぐっとカメラがひいたり、殴るシーンも殴られる側の視点になったりと、見せ方の工夫がおもしろかった。

ラストは賛否両論あったらしく、何パターンか撮られていたらしいけれど、採用されたバージョンで良かったと思う。
あんなに惚れていた彼女を寝取られて、シドニーが黙っているのはおかしい。主人公と女性の乗った車の後ろをシドニーが追っかけて行って、その先どうなったかはご想像におまかせ、みたいなラストもあったらしいけれど、その辺はぼやかさずにはっきりやっちゃったほうがいいでしょう。
多少あっけないけれど、この幕切れは心に残るし好きです。


ユナイテッドシネマの秋シネマコレクションにて。少し前の人気作の再上映。いろいろと良いセレクションでした。本当は『おとなのけんか』も観たいところ…。
何度か観ているので、字幕を読まなくてもなんとなくの聞き取りで観ることができた。

恰好良い俳優が揃えられている本作ですが、一番最初に観た頃にはトム・ハーディが良くて、何度か観るうちにベネディクト・カンバーバッチが気になって仕方なくなり、今回はマーク・ストロングがとても恰好良かった。声も渋い。コリン・ファースは毎回好きです。

何度観ても、最後の『La Mer』のシーンが好きです。ずっと歌が流れているからセリフが無いというのに、登場人物の感情が一番わかりやすいのがこのシーン。いや、逆なのかもしれない。セリフが無いからこそ、誤魔化しがきかない。言葉でなんとでも言えてしまえば、気持ちなんて隠すことができる。ここでは、表情のみ、視線と視線の絡み方のみで、感情が伝わってくる。過去のシーンで交わされる笑顔と現在のシーンの悲痛な表情と涙とで、切ない気持ちになる。トーマス・アルフレッドソンは、はやくビルとジムの過去編を作って欲しい。

2010年公開。テレビにて。映画館でも観ました。

2よりもこちらのほうが火薬の量が多そうだった。特に終盤、アジトを脱出して逃げるあたりの爆破に次ぐ爆破と火の海具合はやりすぎ感に笑ってしまう。

彫り師役のミッキー・ロークが恰好良くて、結構良いキャラクターなので、2に出てこなかったのは残念。でも、オアシス的な役割というか、前線には出ないので、メンバーがほぼ前線に出っぱなしの2では出番がないのもわかる。ヴァンダム、シュワルツェネッガー、ブルース・ウィリスという2からの新キャラ・出番の増えたキャラにもお金もかかってるんだろうし。

忘れていたけど、そういえば、悪役が『ダークナイト』のマローニ役のエリック・ロバーツだった。

エクスペンダブルズの面々やヒロインなど、全員がとにかくバーニー(スタローン)を慕っているように撮られている。監督も彼自身がつとめていると考えるとなかなかこそばゆい。憎まれ口を叩きながらも、バーニーに認めてもらいたくて頑張るクリスマス(ジェイソン・ステイサム)が「惚れたか?」と冗談まじりにたずねるシーンが好きです。

終わり方は1のほうが好きでした。クリスマスがハンデをつけて、すごく遠くから投げたナイフがちゃんと刺さる。クリスマスの腕が確かなことがわかるし、ナイフが刺さる的側にカメラを置くことで、全員がこちらを向いていても不自然ではない。せっかく出演者が豪華なんだし、最後にしっかり全員の顔を見せる工夫がとられているのはいいですね。



映画館に豪華出演者の立て看板が飾ってあって、それを見たときに、リアム・ヘムズワースというクリス・ヘムズワースの弟さんが出ているのを初めて知りました。目元が結構似ていた。
前作では顔見せ程度だったブルース・ウィリス、アーノルド・シュワルツェネッガーもまあまあ活躍していました。
以下、ネタバレです。










リアム・ヘムズワースは、 実際の年齢が22歳ということで出演者の中でもダントツで若く、エクスペンダブルズの新入り役でした。しかし、ストーリー上のキーパーソンではありながら早々に離脱…。恰好良かったし、もう少し観たかったです。残念。

前作同様、もしかしたら前作以上に話の深みなどは一切無かった。同行していた女性が実は悪役側で…みたいなどんでん返しを想像していたけれど、特にそんな要素もなし。悪い奴がとことん悪くて、それをとにかく倒してくという、それだけの話。モブキャラはバッタバッタと死ぬ。でも、これだけ出演者が濃いと、それで十分おもしろい。むしろ、変に深みなんかは持たせないほうがおもしろいと思う。
さすがに年季の入った方々のアクションはやっぱりうまいし、それだけで見応えがあった。一番好きだったのは、メンバーの中では若者のジェイソン・ステイサムの教会のシーン。神父姿でナイフを自在に操る様が恰好良かった。いつの間にか、しっかりアクション俳優の仲間入りをしていた。

出演者の過去作オマージュが満載なのも良かった。スタローンのボクシングネタにはにやりとさせられたし、シュワルツェネッガーにいたっては「I’ll be back.」を連発、ダダンダンダダンというおなじみのSEまで付けてくる悪ふざけっぷり。でも、そもそもがそうゆう映画なので、しつこいくらいでいい。

バーニーとクリスマスのケンカップル度は上がってた。彼女といちゃつくクリスマスに対しての、バーニーの嫉妬はこちらが恥ずかしくなるほど。いちいちかみついていた。

今回も打ち上げがあるかと思ったら、飛行機の中でのちょっとしたシーンだけでした。もっと長くてもいいのにと思ったけど、廃ホテル(?)での「最後の晩餐に何を食べたいか?」という無駄に長い話し合いのシーンも中打ち上げみたいなものだったし、アクション以外の部分はあんまり加えないようにしたのかもしれない。
今回は本当にアクションだけに特化した、シンプルなものが作りたかったのかもしれない。エクスペンダブルズ面々のアクション以外のシーンも好きなのですが、日常のわいわい話しているシーンは省かれてしまうのは仕方が無いのかな。

『アルゴ』


ベン・アフレック監督・主演作。偽の映画を制作し人質たちをロケハンに仕立て上げるという、小説よりも奇なる事実、CIAによるイランでの人質救出作戦を題材にしたあたり、まず目の付け所が大正解。これで映画がおもしろくならないわけがない。
ベン・アフレックが手がけた前作『ザ・タウン』は、いい映画だけど手堅いというか、少し地味な印象だった。しかし、今回は堅実さだけではない面も見られる。それでも、彼の高潔さとか生真面目さ、正しさみたいなものはちゃんと残ってるあたりが、監督としてのカラーを確立させた感じもする。
以下、ネタバレです。







実話なのでネタバレといっても、脚色はあると思いますが事実の通りです。私はその事実をまったく知らない状態で鑑賞したため、最後の最後までどうなってしまうのかわからなかった。

終盤の空港以降のシーンのつくりが特に素晴らしい。空港とCIAと映画スタジオをぱっぱっと切り替えながら状況を見せていくことで、リアルタイムにすべてが絶妙のタイミングで進んでいくのがわかる。どこかが少しズレても駄目になる、このギリギリの状況は観ていて本当にハラハラした。ラストに向かっての畳み掛けるように次々とピンチが訪れ、それを回避して…という展開は、くちびるかんで観てました。手に爪の跡も付いた。
飛行機が飛び立ち、イランの領空を出たシーンでは、これ以上ないというほどのカタルシスが訪れて、拍手をしそうになってしまった。終盤の演出は本当にうまくて、感心しながら観てました。120分が短く感じられるほどだった。

しかし、それだけではなくて、序盤の画づくりもおもしろかったです。ざっと歴史をおさらいするのですが、漫画のコマと報道のような映像が混ざっていて、重い事実を重苦しく見せず、テンポ良く辿っていく。フィクションとノンフィクションの境界が曖昧になっているのは、この先起こる奇妙な人質救出作戦へ向けての布石にも見える。

また、その序盤のあたりでは、歴史をまったく頭に入れてこなかったことを後悔して、もしかしたら難しい話なのではないか、予習してくるべきだったとも思ったけれど、監督・主演であるベン・アフレックが登場したあたりから、ストーリーに軽快さが加わる。
緊迫した状況ながらもそれだけではなく、偽映画製作現場での笑いの取り入れ方も良かった。特に、脚本の読み合わせのシーンはうまかった。淡々と声明文を読み上げるイラクの女性と、宇宙人のような奇妙な衣装でSF脚本を読み上げる偽映画のキャスト陣が、時に混ざりながら交互に映る。偽映画パートは呑気にやっているようにも見え、笑いも起きるが、実はこれは重要な作戦の一環だというのが思い出され、観ている側も気を引き締められる。この辺のさじ加減は監督の手腕によるものだと思う。

こんなのを見せられたら、ベン・アフレックの監督としてのこの先にもとても期待してしまう。もちろん、題材選びも良かったと思いますが、展開や演出も本当にうまかったし、これをベン・アフレックが?と思うと、贔屓目でよりうまく感じられた。文句無しにおもしろかった。

また今回、役者としてもとても恰好良かった。髭と長めの髪で野暮ったい外見ながらも、目が使命感と正義感に溢れたようにきらきらしていた。ただ、その髭や長髪が、顔の輪郭を隠すのに役立っていて恰好良く見えたのでは、という説もあるようですが…。

『最終目的地』


アメリカでは2008年公開というから4年前の映画だったんですね。
アンソニー・ホプキンスの恋人役を真田広之が演じているという情報だけしか知らずに観に行ったのですが、最初、登場人物の相関図がよくわからなかった。作家の伝記を書く許可をもらうために、青年が家族がいるウルグアイへ向かうのですが、アンソニー・ホプキンスが作家なのかと思った…。
以下、ネタバレです。家族の関係性くらいは頭に入れていったほうが、話に入っていきやすいです。



アンソニー・ホプキンスは死んだ作家の兄、その恋人が真田広之。そして、作家の妻と作家の愛人と愛人の娘が一緒に暮らしています。
それぞれ個性が強くて、ギスギスした空気が漂っている中に、見た目普通の少し冴えない、聡明な彼女に愛想をつかされ気味の主人公がやってくる。彼がうまく風通し役になる。

主人公の青年はそれほどでもなかったけれど、主要人物四人の演技が上手かった。ゆったりしていて渋めな話なだけに、役者さんたちの演技力が際立っていた。

真田広之、いいですね。英語もうまいし、演技もナチュラルでした。ふわっとした優しい役柄も合ってた。全裸で寝てるシーンもあったけど、いやらしくない。
アダム(アンソニー・ホプキンス)とのエピソードも良かったです。アダムはピート(真田広之)を自分と一緒にいても幸せになれないと考えて、彼を解放するために金を工面しようとする。それを知ったピートは「僕はもう40歳だ! 25年間一緒にいたのに!」と怒る。
そりゃ、アダムみたいな爺さんからしたら、まだまだ若者に見えるかもしれない。でも、40歳は立派な大人で、自分の意思でなければ近くになどいない。嫌ならとっくに自分から離れている。その辺の事柄もちゃんと口に出さないと、はっきりと相手には伝わらないんですね。25年間の中でなあなあになっていたことが、解消された。

主人公の青年・オマーが言われるがままにアダムの宝石を密輸していたら、金は出来たかもしれないけれど、犯罪者として捕まっていたかもしれない。また、ピートがそんな方法で作った金を手切れ金として受け取ることもないだろう。
オマーが蜂に刺される事故があったから、彼の彼女のディアドラがウルグアイへ来た。ディアドラがアダムからの密輸依頼をオマーに代わって断ったことで、結果的に事態が良い方向へ大きく進んだ。すべてが繋がっている。

そして、その宝石をピートが犯罪ではない方法でさばいて金を作り、本当に金が必要な人物へと渡す。
常に眉間に皺を寄せ、居心地が悪そうだった作家の本妻のキャロライン(ローラ・リニー)。真に解放されたがっていたのは彼女で、その辺も、義理の兄であるアダムと昼間から酒を飲みながらゆったりと会話をする中で明らかになる。金を渡すのと引き換えに、土地の権利を譲り受けることで、キャロラインは家を出られる、ピートは土地を有効利用できるという誰もが納得の結果になった。

シャルロット・ゲンズブールは、『アンチクライスト』が強烈だったせいもあるのかもしれないけれど、幸薄顔/愛人顔に見えた。今回も愛人役がよくハマってました。彼女のいるオマーを好きになってしまい、またしても…という感じではありますが、最後は強さみたいなものを供えた幸せな顔になってただけに、幸薄顔/愛人顔も演技なんでしょうか。着ていた古着風のワンピースも可愛かったです。

静かながらも映像で登場人物の気持ちが察することができるシーンがいくつもあった。
ベッドに寝ているオマーにディアドラがレースのカーテン越しに話しかけるシーン。顔の表情が透けて見えるような薄いカーテンではあるけれど、二人の間を隔てているものはそれ以上に感じられる。この二人の関係はもう終わりなのだと思う。

蜂に刺されたオマーを見舞うために、アーデン(シャルロット・ゲンズブール)が運転する車の助手席にディアドラが乗っている。多数の牛が車の前を横切って、気まずい時間が流れる。どうにも手持ち無沙汰になったのか、アーデンは「医者が私をオマーの彼女だと勘違いして…」といま話さなくてもいい話を切り出す。間が持たないときって余計なことを話してしまいますよね。痛いほどわかる。

ラスト前のシーンの大雨は、少しありがちというか演出過多だったかもしれない。でも、アーデンに追い出されて、アダムとピートのところに駆け込んでアドバイスを受けるのは好きでした。あのシーンが晴天だったら、オマーはそのまま帰国してしまったかもしれない。

数年後の様子もまた良かった。
キャロラインがオペラ鑑賞に来ている。眉間に皺も寄っていないし、ひっつめていた髪の毛を下ろしていて、雰囲気が優しく変わっている。隣りにはパートナーらしき男性がいて、幸せそう。
ここで偶然会うのがディアドラだというのもおもしろかった。ディアドラの隣りにもパートナーがいる。コロンビア大学で教授をやっているらしく、彼女らしいエリートコースを驀進中のようだった。そして、いま住んでいる場所が近いことを話し、電話番号を交換する。なんとなく気が合いそうにも見える二人の再会はこの先に繋がりそうだった。

絡まっていた糸が解けて、すっとすべてが収まるべきところに収まって、幸せな結末を迎える。最終的には、複雑だった人間関係も納得のいく形になっていた。なるほど、そこが彼らの“最終目的地”なのだ。


ボーン三部作の第二弾。レガシーを観るために第三弾のアルティメイタムを先に観ました。そのため、最初のアイデンティティでヒロインだったマリーがどうやら亡くなったらしいというのは知っていたんですが、その亡くなりかたがかなり適当。しかも話の序盤すぎる上に、ストーリーのキーにもなっていない。必要のない人を退場させたのかなとか、ヒロインを変更したかったのかなというのがありありとわかってしまった。哀しい。

けれども、先の展開を見れば、確かにストーリー上、ボーンに恋人は存在しないほうがいいのも明らか。駅やホテルをひょいひょいと軽快に逃げるには、単独行動のほうがいいだろう。一人なので当然セリフもなく、黙ったまま、静かに人ごみに紛れていく。なんとなく、『ドライブ』の最初のシーンで、主人公がスタジアム帰りの客に紛れるシーンを思い出すようだった。やはりボーンは肉体派というよりは知的である点が魅力だと思う。
そう考えると、改めて、『ボーン・レガシー』はマッチョアクションだったと思う。あれでは普通のアクション映画になってしまう。

スプレマシーはラストも良かった。両親殺した謝罪をしに、わざわざ娘の元へ行くとは思わなかった。この力押しだけではない悲哀がたまらない。

操られているだけで本当はいい奴だということで、敵方にも情報提供者が現れる。パメラから本名を知らされて、ジェイソン・ボーンの謎がまた一つ明らかになる。しかも、これがラスト付近というのが、タイミング的にも続編を匂わせていて良い。
電話越しの「休んだほうがいいんじゃないか? 疲れた顔してる」という、すぐそばにいることを暗に知らせるセリフはアルティメイタムにも出てきたけど、結構好きです。小憎い。本当に三部作はどれもこれも面白かった。



1987年公開作品ですが、今回観たのは〔ニュー・ディレクターズ・カット版〕ということで、監督が色彩と構図を多少変更したもの。2008年のカンヌ映画祭で上映され、日本でも2009年とわりと最近上映されたらしい。
有名作ですが、タイトルを聞いていただけで、内容はまったく知らないまま、今回初めて観ました。

一言で言ってしまえば、とても雰囲気の良い映画。ゆったりと流れる時間と風景と音楽。ずっと観ていたくなる。ファンが多いのも納得。
ストーリー自体も重大事件が起こるわけではない。しかし、最初は痛いくらいにひりひりと乾いた空気が、一人の人物の登場によって、少しずつゆっくりと和らいでいく。

序盤、ブレンダがヒステリックに喚き散らし、果ては夫を追い出してしまうシーンで、これは観ていられないと思った。不快な想いに頭痛がするほどだった。しかし、夫が本当に出て行ってしまうと、こっそりと涙を流していて、この人は悪い人ではなく、不器用なだけなのだと察することができた。ヤスミンがカフェや事務所を片付けたシーンでも怒っていたけれど、結局、自分のほうがおかしいことにすぐに気づいたり、ブレンダの子供がヤスミンに懐いたあとも、「自分の子供と遊びな!」とガミガミ言ったあと、すぐに「ごめん、言い過ぎた」と謝りに来ていた。

このヤスミンという女性がとても魅力的だった。ドイツからの旅行者でカフェ併設のモーテルに泊まるうちに、カフェの住民に溶け込んでいく。この女性がふくよかなのがまたいい。優しそうだし包容力がありそう。

ラスト付近のミュージカルのようなシーンの多幸感も素晴らしい。かつて閑散としていて、常連さんがぽつりぽつりとしか訪れなかったカフェは満員御礼。お客さんを巻き込んでの合唱と合間に挟まれる手品ショー。一緒に手拍子をしたくなる。

なんとなく、アート映画の印象があったので、もっと高尚でわかりにくいものを想像していたけれど、そんなことはまったくなかった。クスっとしてしまう小さな笑いがふんだんに取り込んであったのも好印象。有名作にはちゃんと理由があるのが良くわかった。



ボーンシリーズのスピンオフ作品。三作目『ボーン・アルティメイタム』の裏で起こっていたことという設定。
ジェレミー・レナーは本作で大ブレイク?と思われたけど、なかなか厳しそうな気がする。
以下、ネタバレです。











アルティメイタムの序盤で殺される記者をちらっと出してみたり、パメラを登場させてみたりと話をリンクさせようとする努力はうかがえたけど、もっと繋がりを密接にしてくれたほうがおもしろかった。出てはくるものの、直接、今回の主人公であるジェレミー・レナー演じるアーロンとは関わってこない。
また、ジェイソン・ボーンは名前や写真だけで出てくるため、あちらの大物さが強調されてしまう。アーロンから見て、雲の上の存在のように思えて、対比として今回のアーロンがやたらと小物に見えてしまう。

こんなことなら、ボーンシリーズのスピンオフなどにしないで、ジェレミー・レナーで新しいアクション映画を撮ってくれたほうが良かった。
はっきり言って、ボーン三部作を予習する必要もなかったけど、“トレッドストーン”などの作戦名は説明もないままバンバン出てくるので観ておいたほうがいいのかな…。
これはジェレミーファンとして本当に残念なことだけれど、予習をしたことによって、ボーン三部作がいかにおもしろかったかがよくわかる皮肉な結果になってしまった。

今回のレガシーは、一応ボーンシリーズに共通するような逃亡劇はあるものの、そもそもなんで逃げているのかがわからなくなってくる。
また、アーロンが危険分子という感じでもない。どちらかというと、一緒に逃げている女性(博士)を逃がすなという風で、もうアーロンは必要なんじゃないの?と思ってしまった。
最強の追っ手である、No.3のかませ犬感もひどい。直接の殴り合いや撃ち合いもなく、逃げるのを追う途中で自滅してしまう。

ラスボスは一応、エドワード・ノートンだったのかもしれないけれど、彼がまったく魅力的じゃなかったのも問題。キャラも悪かったのかもしれないけれど、少しも恰好良く見えなかった。今回はCIAというよりは製薬会社側で指示を出しているんですが、ボーン三部作のクリス・クーパーやデヴィッド・ストラザーンのほうがよっぽど悪役として魅力的だった。エドワード・ノートンは怖くもないし、それほど大した仕事をした風でもなかった。

前半と後半がバラバラなのもどうかと思う。前半は雪山で特訓をしてるんですが、もう雪山なら全編雪山で良かったのではないか。都市部での逃亡を中心とするなら、雪山シーンがもっと短くていい。

私はジェレミー・レナーが好きなので、ジェレミー恰好良いなー、恰好良いというか可愛いなーという気持ちだけで観ることができたけど、特にファンでない人の目にはどう映っただろう。
それとも、もっとここをこうしてくれたらおもしろかったのにという箇所が多く見受けられたのは、ジェレミーファンだからなのでしょうか。


2006年公開。アジア映画をあまり観ないのですが(邦画は除く)、これはずっと気になっていたので。ジョニー・トー監督作品。香港映画。

銃撃戦が何度か出てきますが、どれもがとにかく恰好良く撮られていた。最初の三すくみというか、三人が銃を向け合って動けない緊迫状態からの撃ち合いから感動しましたが、そのあと、引越しを手伝って、しかも食事を一緒にとって、その上、記念写真撮影までの流れが素敵だった。お前ら、さっきまで殺し合おうとしてませんでしたか? ここで簡潔に男たちの関係性が説明されるのもなかなかスマート。とはいえ、最後まで観ると、キャラクターに感情移入してしまって、男たちの過去編もしっかりと描いて欲しくなった。

中華料理屋、医者の自宅と本当に銃撃戦が美しかった。大人数で銃を撃ち合うのですが、スローで撮られているので、一人一人の動きがわかりやすい。また、目くらましのためにカーテンをばさっと翻したときに、スローで布がふんわり広がるのも綺麗だった。血の処理も、破裂する感じとか霧のようになる感じが独特で、エグさがないのがいい。
ラストのホテルでの撃ち合いも、レッドブルの缶を蹴り上げて、落ちてくるまでの数秒をスローでとらえる方法がなんともスタイリッシュで見惚れた。

ハリウッド構想もあったようですが、公開から結構経ってしまっているのでなくなったのかな。



2007年公開。ボーンシリーズ三作目。二作目のスプレマシーはテレビでやるらしかったのと、レガシーはアルティメイタムの裏で起こっていることだという話だったので、こちらを先に観ました。

流れ的には一作目のアイデンティティーとほぼ一緒なんですね。CIAに疎まれて、追跡から逃げるという。そこに、CIA内部でのゴタゴタも関わってくる。なんとなく、『24-TWENTY FOUR-』を思い出した。CTUと現場との軋轢みたいな感じが。でも、あちらのほうがまだ現場に協力的か。

ボーンは相変わらず素性がぼんやりしているみたいでしたが、フラッシュバック的に何かを思い出しそうになってた。どうやら、スプレマシーで、一作目のヒロインであるマリーが亡くなったらしい。孤独な逃亡になるかと思いきや、一作目で敵側だった、ニッキー・パーソンズと一緒に逃げる。女性と逃げるという点もシリーズで共通しているのかもしれない。逃げる女性が髪型を変えるのも同じだった。レガシーでもジェレミー・レナーはレイチェル・ワイズと一緒に逃げているようだし。

今回のアクションは本当に見ごたえがあった。屋根の上をひょいひょい逃げるシーンや、カーチェイスなど、目が離せなかった。ブルーレイに収録されていた特典映像のメイキングを観ていると、もちろんスタントは使っているものの、結構マット・デイモンが自分でやっているシーンも多いようだった。車の運転もかなりのもの。映画内では笑顔を見せるシーンはあまりなかったけれど、メイキングではアクションシーンが決まった後にニコッと笑ったりしていて、マット・デイモンが少し好きになってしまった。

殴り合ってもそれほど傷を負わず、撃たれることもなく、車ごと立体駐車場から落ちても気絶することもなく無傷で車の窓から抜け出し、海に沈んでもすっと泳ぐ体勢に入れる。ほとんど無敵なのが痛快。ジェイソン・ボーンとして特訓をつんだおかげなのか。


予告で見たときに、トム・クルーズがロックスター役をやるというのが気になった。『トロピック・サンダー』や『マグノリア』のような、時々出てくる変なトム・クルーズを期待してしまいました。
それでも、主役はあくまでも違う人なのだからトムはあんまり出てこないのではないかということや、アメリカで興行成績がふるわなかったのも気になり、少し心配しながら観始めたんですが、オープニングでガンズの『パラダイス・シティ』が流れ始めたときに、そんな不安は一気に吹き飛びました!
また、続いて深夜バスの中で女の子が急に歌い始めて、バス内が合唱になるシーンからもうワクワクしてしまった。
ミュージカル映画好きと80’sロック好きや懐かしさを感じる人にはたまらないと思う。すごく楽しかったです。

ストーリーはあってないようなもので、ありがちだし、驚くようなことが起こるわけでもない。完全に曲の力でストーリーが進んでいくので、曲を知っているかどうかで評価が分かれるのかもしれない。歌詞をそのまま使っているのにストーリーにぴったりはまっていたあたりが、使いどころと選曲が完璧だった。
スコーピオンズやデフ・レパードなどメタル色が強いものの他にも、フォリナーやジャーニーなどの産業ロックも使われていて80’s全開。

以下、ネタバレです。




トム・クルーズは脇役とはいえ、意外と出番がありました。酒と女に溺れる、かつてのロックスター役だったんですが、股間とお尻の部分だけあいた皮パンという衣装や、乳首の周りを囲む蛇のタトゥーがセクシーと下品すれすれで強烈。頭に巻いた太いバンダナはアクセル・ローズ風。それで気だるく半裸のお姉さんたちと絡む。
ところが、歌い出すと、これがしっかりと歌えていてこれも驚いた。ボイストレーニングを何ヶ月もやったらしいが、その成果が出ています。ステージ上の振る舞いは演技でできるとは思うけれど、歌ばかりはどうしようもない。多少、声が綺麗すぎるというか、メタル向きではないけれど仕方ないでしょう。もう少し歌いこめば、いい具合の声になるかもしれないけれど、別に本職なわけではないし上出来です。

他の俳優さんたちもみんな歌がうまいので、曲を聴いているだけでも楽しい。サントラが欲しくなってしまった。
ミュージカルでよく出てくる、二曲がワンフレーズずつ交互に歌われるのが好きなので、『シスコはロック・シティ/ウィア・ノット・ゴナ・テイク・イット』がそのまま収録されているのも嬉しい。ライブハウスの前でロック好きたちが、「俺らがこの町をロックで大きくしたんだ!」と高らかに歌い、反対側で婦人団体が「私たちは受け入れられない!」と力強く歌う。

ロックは有害なものとして廃止を訴える婦人団体の代表を演じるのがキャサリン・ゼタ=ジョーンズ。彼女の、ダサいながらもキレのあるダンスが絶妙だった。きっちりした野暮ったいタイトスカートなのに、足がすごく上がっていたり。ダンサー経験があるというのも納得。『シカゴ』も観ていないので観たい。

あとは、ちょっとした話ですが、あの有名なHOLLYWOODの文字看板の裏側が見られたのがおもしろかった。あんな風になってるんだ。
とはいえ、80年代の話なので、いまは違うのかもしれない。服装や髪型など、ファッション面もしっかり80’sなので、その面でも楽しめました。

あと、トム・クルーズ演じるロックスターはサルを連れていましたが、あれはやっぱりバブルスの影響らしいです。